いろはのお題inスプリング*スプリング part3
月香るな


 うるさい人形 」の読了を推奨



 俺様の名前はフィガロ=Y=シュリフィード。現在花の十四歳。
 家族は、国王をやっている父と、王妃をやっている母と、政略結婚で一緒になった妻の三人。よく「子供はまだか?」と聞かれるけれど、妻の年齢や夫婦仲を考えると、まだちょっと早い。
 父が引退するか亡くなるかすれば、次に王座につくのは俺様だ。それを疑ったことはなかったし、実際そうなることだろう。
 ただ、一つ気になることがある。
 この間、母が口にしていた話。父と、父の前妻との間に産まれた子供の存在だ。
 彼(ないし彼女)の王位継承順は、どういうことになるのだろう。
 それが近頃、気になって仕方ない。

 要約するとそんな内容を、十分ほどで喋り終えた王子は、相手の人形に尋ねる。
「で、お前は何か知らないか、梅吉?」
 可愛らしいフランス人形の少女・梅吉(元の名はキャサリン。改名したのは幼いころの王子なのだそうだが、彼自身は記憶にない)は、小首をかしげて答えた。
「知ってるわ」
 この賢いフランス人形は、随分昔に、かの地の上空に浮かぶとある国からもらったもので、大層な値打ち物だそうだ。とはいえ、男の子一人の遊び道具には成り得ない。随分長いこと、王子自身は存在を忘れていた。梅吉を可愛がっていたのは、メイド長の娘だ。
「ヨシュアって子供のことでしょう? あの男の子。そうね、あの子やハル様のことはみんな喋らないようにしているから、フィガロちゃんが知らないのも無理はないわね」
「知ってるのか」
「ええ。この梅吉、伊達に噂好きのカレンに掃除されてないわ」
 それにしても彼女、すっかり自分を梅吉と呼ぶことに慣れているようだ。
「それで? 彼はどうなったんだ?」
「一歳かそこらで殺された、と言われてるけど」
 さらりと言ってのける梅吉。王子の顔から血の気が引いた。まさか。
「言われてるだけ。実際は、侍従長がこっそり連れ出したそうよ」
 綺麗な陶器製の顔を歪めて、梅吉が笑う。綺麗に梳かされた金髪を払い、台の上に「ああ疲れた」と腰を下ろした。
「ああ、今ほっとしたわね。じゃあもう少し先まで教えてあげる。結局侍従長は彼をかばいきれずに、『地下』に売り払ったそうよ」
 噂だ。カレンの言うことなどあてにならない。小さくそうつぶやきながら、王子は首を振った。知らなければよかった、のだろうか。
「それじゃあ、死んだも同然じゃないか」
「そうね。そこから先は知らないけど、『地下』に売られた子供なんて、氷晶石の鉱山で働かされるのがオチかしら。どちらにせよフィガロちゃん、あなたの王位を脅かす存在には成り得ないわよ」
「そのフィガロちゃん、はやめてくれないか」
「あら、フィガロちゃんもあたしのこと、『うめきちー』って気軽に呼ぶじゃない。あたし人形だから、難しい階級なんてわかんないしね」
「『うめきちー』って……それ何年前の話だ!」
 梅吉はくすくす笑いながら、陶器製の手を広げた。
「さあ、どんどん続き行くわよ。あの男の子を産んだ母親はムラサキイボウミクラゲノマクラモドキに変えられて、王様と子供に関する記憶を全部消されて、国立水族館に行ったとかいかないとか。あらフィガロちゃん、そんなに青くなることないのよ。カレンがそう言っていただけだから。どれも根拠のない噂よ。それから、その子供の父親である、国王様だけど……」
 ちょっと言いにくそうに首をかしげ、梅吉は空を見やった。
「フィガロちゃんのお父様のことを悪く言いたくはないのだけど……昔は格好良かったけれど、今の国王様はダメね。うめ様の色香にクラクラで、子供と前妻は外国へやったと聞かされても、疑いなく信じたそうよ」
「……そろそろ黙れ、このうるさい人形め……」
「あら、ようやく気がついた? そう、彼の犠牲の上に今のフィガロちゃんとうめ様の繁栄があるのよ。そう、それじゃあ最後、とっておきの事実を教えてあげましょうか……」
 うつむく王子の方へと、梅吉は人差し指を突きつけた。
「フィガロちゃん、ズボンのチャック開いてる」
「!」
 実のところ、これが何より衝撃的な事実だった。









 イミテーションはどっち



 あーあ、どうしよう。
 わたしは重いランドセルをせおい直して、教室へ戻っていった。漢字ドリルを忘れちゃったら、練習ができないものね。
 教室には誰もいない。窓が大きく開いていて、風がふき込んでいる。ふと見ると、わたしの机の上に、リコーダーが一本おいてあった。
 でも、わたしのリコーダーはちゃんとランドセルに入ってる。それじゃあ、このリコーダーは誰のだろう?
 正直、今はリコーダーなんて見たくもなかったけど、仕方ないからリコーダーを手にとって、名前が書いていないかしらべてみる。
「おい、そこの女」
 ふと、声が聞こえたような気がして、わたしはきょろきょろと辺りを見回した。でも、夕方の教室にはわたし一人。校庭には遊んでいる友だちがいるけど、声はとどかないし。
「松沢エリコ! 俺様なら、お前の目の前にいるだろう!」
 名前をよばれて、わたしはびっくりしてリコーダーを取り落とした。すぐに、名札の名前を読んだんだ、と思いついて、わたしは名札を外す。登下校の時にはちゃんと名札を外さないと、おかしな人に名前を知られてしまうもんね。
「……リコーダーさん、あなたが喋ってるの?」
 ついでに、仕方ないからそう聞いてみる。リコーダーは「その通り」と言わんばかりに音を出した。きれいなミの音だ。
「エリコ、よかったら俺様を吹いてくれないか」
 よくわかんないことを言うリコーダーだ。
「お前が俺様を吹いてくれれば、俺様は元の姿に戻れるような気がする」
「もとのすがた?」
「そうだ。俺様は泣く子も黙るシュリフィード王国第一王子、フィガ……って、こら、おい、やめろ、分解するな! 痛い!」
「ねえ、もとのすがたって格好いい?」
「少なくとも不細工では……って、だから、こら、外すな!」
 右手の小指が穴にとどくように、下のパーツをちょっと回す。
「それじゃあ、ねえ、リコーダーさん」
 わたしは、リコーダーを机の上に置いて、頭を下げた。
「吹いてあげます。そのかわり、わたしのおねがいを聞いてください」

 今日はリコーダーのテスト。わたしはどうしても低いドとレが出せなくて、だからこのテストはとってもきらいだった。
 でも、今日はだいじょうぶ。
 だって、このリコーダー(の、イミテーションさんと呼ぶことにした。王子だとかなんとか名乗ってるけど、きっとデタラメよね)さんがついてるんだもの。
「松沢さん」
 名前をよばれて、わたしは「はい」と返事をする。それから、リコーダーを取ろうとして……
 ふと、手を止めた。
 わたしのランドセルの中には、リコーダーが二本。イミテーションはふくろに入っていないけど、本物はふくろの中にあった。でも……
 本物、ふくろから出してしまったから、区別がつかなくなってしまった。
「イミテーションはどっち……」
 人前でしゃべらないで、っておねがいしたのはわたしだ。だから、どっちですか? って聞くのもなんか気が引けるし……。
 たぶん、こっちなんだろうな、と思うほうを取って、わたしは先生のところに行った。ドレミを吹くと、きれいな低いドの音が出る。よし、きっとこれがイミテーションさんだ。
「はい。よく吹けたわね」
 これもきっと、イミテーションさんのおかげだ。
「ありがとう」
 教室のうしろ、ロッカーの方にもどって、手の中のリコーダーに言った、そのとき。
 ぴろり、とわたしのランドセルの中のリコーダーが鳴った。
 ……あれ?
「……松沢エリコ」
 ひくい声が、ランドセルの中から聞こえた。近くにだれもいないのをたしかめて、そっと声をかける。
「……あの、もしかして、こっちのリコーダーが本物?」
 「その通り」とでも言いたげな、音。
 それじゃあ、それじゃあ……
 わたし、自力でドの音が吹けたんだ!
「やった、ありがとう、イミテーションさん!」
「いや、礼はいいから俺様を元に」
「あなたのおかげだよ!」
 ちなみに、ちょっと面白そうだったのでイミテーションさんを吹いてみたら、本当に王子様になったので、わたしはすごくびっくりした。
 絵日記に書いて、先生に出したら怒られた。
 でも、信じてもらえなくてもいいの。
 だってあれはきっと、困っているわたしに神様がくれた、ふしぎな思い出なんだから。









 のめりこみ症候群



 アタシ、深川カナ子。良かったら「蒼龍紫蘭」って呼んでくれると嬉しいな。
 県立高校に通う平凡な女子高生、は世を忍ぶ仮の姿。
 その正体は、なんと……魔王を倒す使命を科せられた、勇者様なのだ!
「カナ子ー、本当に本気?」
 サトミが眉をひそめる。これだから、自分の前世もわかっていない奴は。
「いい加減アンタ、目を覚ました方がいいよー」
「それはあなたの方よ、皓羅。あなたは前世で私と共に戦った魔術師なの」
「知らないよ。大体、その皓羅って誰なのー」
 腰の聖剣を確かめる。魔王の角をたたき折って、その力を封じればいいのだそう。世界を闇に染めんとする悪の大魔王め、前世では不覚を取ったけれど、今度こそお前の好きにはさせないわ。
「ねえカナ子ー、それ絶対銃刀法違反だってー」
「崇高な勇者の使命に、警察なんかが介入する権利はないわ」
 サトミは口をつぐむ。この子は前世からそうだ。いらないことに気をもんで、つまらないことにこだわる。
 アタシは伝説の勇者なんだ。そう言われて聖剣を渡された。アタシはこのサトミなんかとは違う、選ばれた人間なんだ。
「だいたい、悪の大魔王が県内に住んでるわけ……」
 言いかけたサトミが、口をつぐむ。
 地図の暗号にあった通りの場所には、巨大な城がそびえ立っていた。

 わたしは本庄サトミ、高校一年生。カナ子……もとい、この電波とつき合って十五年。何が悲しくて、この隣人と幼稚園から高校まで一緒でなければならないんだろう。この世の不条理だと思う。おかげで縁を切ることもできず、彼女の電波な妄想につき合わされている。いや、この妄想さえなければいい子なんだが。
 だいたい、何が前世だ、何が紫蘭だ。そのきらびやかな名前、なんとかならないものか。蒼龍とか紫蘭とか、お前は男塾にでも行く気か、と言いたい。
 いや、それにしても。
「カナ子、この城なんなのー」
「悪の居城に決まっているでしょう! 皓羅、準備はいい?」
 準備もなにも。だからわたしは魔法使いでもなんでもないって。
「あの、そこのお二人さん」
 道路の方からかけられた声に振り返ると、そこには学校帰りといった風体の男子学生が立っていた。
「念のためにお訊きしますけど、勇者さんですよね?」
 カナ子が頷く。ああ、この電波の妄想を助長してどうする。
「初めまして。僕は魔王の部下で佐藤と申します。間に合ってよかった。あなた方をこの先には通しませんよ」
 うわあコイツも電波だった!
 正直、この妄想のめりこみ症候群の患者なんて、カナ子くらいのものだと思っていたのに。
「出たわね、悪の手先め! この紫蘭が退治してあげるわ!」
 剣を抜くカナ子。あんな重いものを、よくぞまあ振り回せるものだ。妄想の副作用だと思って見ておくけど。
「援護しなさい、皓羅!」
 だからわたしは本庄サトミだってば。
 その時、電波学生……ええと、佐藤だっけ……が片手を上げた。その動作に応じるように、一羽の鳥が降りてくる。いや、鳥かと思ったそれは……
「行け、おばけガラス!」
 大きかった。羽があり得ない色に輝いていた。目が赤い。こちらを睨んでくる。足の爪が鋭く、カナ子に向かって降りてくる。
「バカめ!」
 ああっカナ子が剣で止めた! 待って、この電波学生がこの鳥を操っているとでも言うんだろうか? それじゃあ、もしかしてこの電波、もとい佐藤って、本当に魔王の部下? で、カナ子って本当に勇者なの?
 妄想と現実の境目が薄くなっていく。待って、もしかしてわたしがおかしいのかしら? いや、そんなことあるはずない。思わず二人を避けるように回り込んで城に近づく。重厚な城……と思えたそれを近くで見て、わたしは思わず笑った。
 ハリボテだ。
 待って、それでもあの聖剣は本物で、あの化けガラスもちゃんとした生き物で、そして決してただのカラスなんかではなく、魔王の部下が操る魔物で……
 頭が痛くなってきた。
 妄想のめりこみ症候群にかかってるのは、もしかして、わたしだとでも言うのかしら……?
 直後、世界が暗転した。

「……大丈夫ですか?」
 放心状態で座っている勇者の連れに、佐藤はおずおずと声をかけた。
「大丈夫……大丈夫よ……あはは」
 勇者の持っていた聖剣はすでに奪った。まだ何やら騒いでいたが、ぶちスライムに襲わせておいたから大丈夫だろう。それより心配なのは、この少女だ。
「世界は電波に満ちているわ……」
「あの、とりあえず、こっちの世界に戻ってきてもらえませんか?」
 魔王と勇者の戦いに、犠牲はつきものだ。が、こんな微妙なかたちでとばっちりを食った少女を、佐藤は他に知らない。

 ちなみに、サトミはその後、無事にこちらの世界に戻って来たそうだ。









 面白いわけがない



「……山田。それ、面白い?」
「面白いわけがない」
 山田が読んでいるのは小説。最近二巻が映画化された、話題沸騰のファンタジーだ。
 意外な答えに、春月と輝美は顔を見合わせる。
「なんで? 映画見たけど、すごい迫力だったよ」
「ダメだダメだ、あんなもんは魔法とは言わん!」
 大きく首を振って、山田は叫んだ。それからはたと我に返り、誰かに聞かれていなかったかと辺りを見渡す。
「大丈夫よ。あんた以外に、昼休みの屋上で暇つぶしするような奴、そうはいないから」
「だって、下に聞こえてたらどうすんだよ」
「あんただってわからなければ問題ないでしょ? 別に特徴ある声でもなし」
 それに今の台詞なら、単なるファンタジーオタクの戯言にしか聞こえない。春月は山田の横に座り、読んでいる本をのぞき込んだ。
「で、どの辺が面白くないの?」
「どの辺もなにも、デタラメもいいところだ。……たとえば藤原、お前がどこか未開の土地に行ったとしよう。そこでお前が携帯電話を使ったとする。それを見た人間が想像した『携帯電話のしくみ』は、お前から見たらものすごく滑稽なものであるはずだ」
「ああ、そうね」
「しかも、こんな時代遅れの魔法ばっかり! 舞台が現代イギリスでそこにある魔法学校が舞台なら、もう少しマトモな魔法を出したらどうなんだ!」
「そうなの?」
 山田はうなずき、読んでいる文章の一節を指さした。
「例えばここ。他人に変身するのに、中身から全部作り替えようって発想が間違ってる。魔法にだって出来ることと出来ないことがあるんだ。自分にかける魔法なら、普通は着ぐるみみたいに幻覚の皮をかぶる。でなきゃ危険だからな」
 山田が右手を挙げた。その肘から先だけがふと色を変え、細身の白い女の手に変わる。いや、少しばかり白すぎるような。
「某美白御殿の人の手」
「……なんでよりによってそんなイロモノ。いいけどさ」
 輝美が楽しそうにぺたぺたと触っている。山田が嫌そうに手を引き、魔法を解いた。
「感触は変わらないのね」
「それはもう少し高度な魔法」
「ねえ、顔だけナカタクとか出来るわけ?」
「ええと……なんだっけそれ、芸能人の名前?」
 首をかしげられて、春月と輝美は再び顔を見合わせた。そういえばこの男は一応帰国子女だった。
「まあ、いいや。で? 最近流行の魔法とかってあるわけ?」
「ああ。古い魔法も汎用性があって悪くないけどな」
 ちょっと携帯電話貸せ、と山田が春月の前に手を出した。恐る恐る渡した春月。山田はその携帯電話を手に取る。そしておもむろに一言。
「チョベリグっ」
 どうやらそれは呪文らしかった。白ける春月に、山田は爽やかな笑顔と共に携帯電話を返す。折り畳み式の携帯電話は、背面にカラー液晶付き。
「開けると中から貞子が出てきます」
「うわあ貞子ってやっぱりグローバルなんだね!」
 やけくそのように笑いながら春月は携帯電話を開く。途端、悲鳴を上げてへたり込む春月。小さな液晶の中から出てきた貞子の手は、ぺたりと春月の頬に触れる。そして明らかに小さすぎる画面の中から、詰め込みすぎて色々はみ出してしまった感のある貞子は、無理やりに顔を出した。春月は携帯電話をその場に置いて、悲鳴と共に数歩後ずさる。
「あら、可愛い」
 春月を追おうと手を伸ばす貞子の前に、立ちふさがったのは輝美。自分の携帯電話を取り出して、画面を貞子の前に向ける。
「こっちにおいで?」
 貞子は黙って、輝美の携帯電話についた液晶の中に手を突っ込んだ。
 山田は再び本に目を落とし、その様子には目もくれない。
「私やっぱりあんたのセンスがわからないよ、輝美」
「何言ってるの、こんなに可愛いじゃない」
「だって貞子だし!」
「色々面白いかもしれないわよ?」
「面白いわけがないわ! 今すぐ捨てて来なさい! お母さん怒るわよ!」
 錯乱気味の春月に構わず、輝美はぐいぐいと貞子を画面に押し込んでいく。

 輝美の携帯電話には、今でも貞子が住んでいるとか、いないとか。









 車が一台足りません



「王宮の、車庫の車が一台足りません」
 その電話の相手は、前置きも何も完全にすっ飛ばして、いきなり山田に告げた。
「理由はわかってます……王子が、そちらへ向かいました」
「……わざわざ、どうも」
 王子の身を案ずるあまり、悪の魔法使いとも平気で接触する、この職務熱心な近衛兵に生返事を返しながら、山田はちらりと後ろを見やる。視聴覚室では春月がトコトコとドラムを叩き、輝美がキーボードを触り、藤城が寝ている。少し悩んで、やっぱり放っておくことにした。コンサートに向けての練習の間、バンドごとに部屋の使用時間をきっちりと区切る、この部のやりかたに感謝する。
「用件はそれだけですか?」
「どうか王子の身には、危害を加えてくださらぬよう」
 ピッ。通話終了。
「まあ、仕事じゃなけりゃオレも動く気はないんだけどさあ」
 メールボックスから一通のメールを呼び出す。今回の仕事の概要。
「残念なことに、今回は王子の処理までオレの仕事なのよ」
 黒の折り畳み式携帯電話。カメラ付きは当たり前、世の中便利になったものだ。
「起きろよ、藤城。時間もったいないだろ」
「……お前が覚えりゃ全員合わせられるだろ。俺はもう歌えるからいいの」
「じゃあ、オレ抜きでやるとか」
「ベースがないと音が締まらん。だから俺は寝る」
 つまり寝たいだけなんじゃないのかと思っているうちに、バンと派手な音を立てて扉が開いた。春月がまたか、とでも言いたげに首を振り、輝美はのんびりと教卓の下に隠れる。藤城はひとつ寝返りを打って、安全圏に避難した。
「魔法使いー! 今日と言う今日は絶対に許さないぞ!」
 あらまあ今日は何したのかしら、という春月のつぶやきが背後で聞こえた。
「いいからさっさと、俺様の自転車の補助輪を返せー!」
「いや待って何その地味な仕事!」
 背後で春月が叫んでいるが気にしない。山田はできるだけ余裕を持って微笑んだ。
「まあ聞いてください、王子。一国の主となろうお方が、自転車の運転くらいできなくてどうするんです。車の運転はあれだけお上手なのに」
「いや待て、前も思ったんだが未成年じゃないのかソイツ!?」
 確かに王子はまだ十四だが、基本的に何をやっても、とりあえず王子だから許されるのだ。そういうことになっている。
「うるさい! いいじゃないか自転車なんて、乗れなくたって困らないし!」
「ううん、まあ確かに王子の場合、先にホウキに乗る練習をなさったほうが良いかもしれませんが……やっぱりほら、あんまり下手くそだと見ててムカつきません?」
「黙れ!」
「嫌ですよ、言葉は魔法使いの命ですから。さあ、それではついでに、今日も一本行っときますか!」
 姿を消したまま腰に差してあった杖を抜く。別にこんなものはなくても構わないのだが、まあ、ポーズというやつだ。
「腐っても鯛ッ!」
 意識を集中し一喝すると、王子の身体が大量の煙に包まれた。煙が晴れると、そこには床でびちびちと跳ねる一匹の魚。
「うわああ! 生臭い! やめろ! 戻せ!」
「っていうか思いっきりイワシだし! 鯛じゃないし!」
「何言ってんだ藤原、コレが鯛よってオレは母親に教わって」
「騙されてる! 騙されてるよあんた!」
「だって鯛だろコレ。高いんだろ?」
「嘘だ! 違う! 目を覚ませ!」
 叫ぶ春月。悲鳴を上げる王子。山田は小さくため息をついた。
「仕方ない、取りあえず生臭いのはなんとかしましょう。……食べたら食あたり!」
「待って、それってもしかして鯛の話!? 続いてるの!?」
 生臭くなくなった王子は、まだ床の上でびちびちと跳ねていた。その尾をつかんで持ち上げる。
「さて……どうしよう」
「いいから今は練習してろ!」
 藤城が安全圏から叫んだ。イワシ王子の目がぎらりと光る。目から発射された怪光線を、藤城は寝返りひとつでかわした。
 春月が小さくため息をつき、輝美が教卓のかげでキーボードを弾き始める。
 いつも通りの時間が、また流れ出そうとしていた。

 ところで本当は鯛ってどんな魚なんだろう、と本気で首をかしげる山田であった。









 山の中に男がひとり



「そう言えば最近、この辺に不審者が出るらしいんだよね」
 学校からの帰り道、夏美と比奈子は夕暮れの城下町をのんびりと歩いていた。
「怖いよね不審者。なんか、学校でもやたら注意しろ、注意しろって言うし」
 ふと、比奈子は横を歩く友人の姿を、改めてじっくりと見直してみた。いつも個性的すぎてついていけないファッションに身を包んでいる彼女だが、今の格好は比較的まともだ。地毛である黒髪は後ろできっちりと二つに括られ、セーラー服のリボンはきちんと結ばれ、つい先日までくるぶしほどまであったスカートは膝下五センチにまで戻り、白の三つ折りソックスに茶色の靴を履いている。髪を括っているので、エルフ族特有のとがった耳が目を引いた。本人曰く、「二十年前のごく普通の女子中学生風味」なのだそうだ。それにしても、流行にはそれなりに敏感なシュリフィードの女子中学生の中では、はっきりと浮いていることは確かだ。シュリフィード王国は首都圏の上空にあるため、渋谷や原宿の最新流行に影響されやすいらしい。
 と、そこまで考えたところで、比奈子は重大な見落としをしていることに気づく。一昔前の、おとなしい女学生風の格好をした夏美の背中に、妙にがっちりと結わえ付けてあるのは、どこかの原住民が一世紀ばかり前まで使っていたと思われるような、無骨な槍。
「……そういえば夏美、その槍」
「うん。不審者が多いっていう話を聞いたうちの母親がさ、護身用にって持たせてくれたの。穂先はミスリル鋼だから強いよ?」
「へえ」
 むしろそれじゃあお前が不審者だろう、と言いたいのをぐっとこらえる。世の中には色々な文化を持った民族が住んでいるのだ。それを批判するのは失礼というものだろう。
「ところで比奈子、あの裏山にはよく不審者が潜んでるらしいんだけど、面白そうだから見に行かない?」
「……面白いの、それ?」
「だって不審者だよ? 『怪しい人物を見かけたら、治安維持隊に連絡を』とかって書いてあるけど、わたし、ぱっと見ただけで通報できるような怪しい人物って見たことないんだよね。一度見てみたくってさ」
 それにしても裏山と言えば、浅いすり鉢状をしたシュリフィード本島の、へりに当たる部分だ。もちろん、通る人間などほとんどいない。
「裏山って……不審者ってよく分かんない人たちだね」
「よく分かったら不審者じゃないんじゃないかな」
 夏美は比奈子の手を引いて裏山へと向かう。特に逆らう理由もないので、比奈子は世間話をしながら彼女の後を追った。山道の入り口で、夏美は案内板と林の奥に交互に視線を走らせながら、辿るべきルートを考えているようだった。
「よし、それじゃあ展望台まで歩いて、途中で不審者を見かけたら引き返そう」
 いいよ、という比奈子の答えを聞くと、夏美は重そうな槍を背負ったまま、スキップで山道を登り出す。既に日は暮れ、いつ不審者が登場してもおかしくない、不気味な雰囲気が林の中に漂っていた。
「それにしても、不審者って一体どんな生き物なんだろうね」
「いかにも悪事を企んでそうな、怪しい人ってことじゃないの? まあ、別に不審者ってチカンだけじゃないよね。放火魔や引ったくりもいるわけだし」
「引ったくりって不審者とは言えなくない? やっぱり、一人でぽつーんと、根暗そうな雰囲気で、にやにや笑ったりしながら歩いてるような……」
 言いかけた夏美が、ふと足を止めた。ガサガサと茂みをかき分ける音がして、二人の目の前にひとりの男が飛び出してくる。
「…………」
 黒い服に黒いマント、そして顔には、黒ずくめの格好に似合わないアニメキャラのお面。可愛らしいアニメキャラの女の子の、にっこりと笑う顔が二人をとらえた。どことなく、友達の居なさそうな雰囲気が漂っている。
「……ふ、不審者!」
 我に返った夏美が槍を構えた。確かにこれは不審者だろうなあ、と思いながら比奈子はその様子を見守る。いつでも自分だけは逃げられるよう、左手で印を結び魔法を組み立てながら、目の前の不審者に視線を送る。
「あー……お嬢ちゃん? オレは別に怪しい者では」
 よく見ると不審者の手には果物ナイフが握られていた。暗くてよくわからないが、何かの液体が付着している。どうしようこの人あからさまに怪しい、と思いながら比奈子が見ていると、夏美は槍を構えて不審者の方に突進していった。
「覚悟、不審者!」
「だからオレは別に――ってだから待て! ええい出でよヒラリマント!」
 何だかよくわからないが、魔法を発動させて夏美の槍をすんでのところで避けた不審者は、そばに立つ比奈子の顔を認め、あ、と声を上げた。
「助けてくれ、比奈子!」
 ふと、嫌な予感がした。
「ただちょっとここ数日出費がかさんで財布の中身が心許なくなったので狩りでもして食料を調達しようとしてただけなんだ、だから――」
「……兄貴」
 比奈子が彼を指さすと、被っていたお面が吹っ飛び、その下の顔が現れる。
「分かっててやってるんでしょうけどここは禁猟区! お金がないなら家に帰ってきなさいよ! 顔隠すくらい後ろ暗いならやめなさいよこのバカ兄貴!」
 思わず涙ぐんだ比奈子に、不審者――もとい、あわててお面を被りなおした山田太郎は、ごめん、と言ってその背を撫でる。端から見ると、どう見ても不審者が十四歳の女の子を泣かせているようにしか見えない。はっきり言って、怪しすぎる。
 久々の再会に盛り上がる二人の姿から、夏美がそっと視線を外したことに、比奈子はまだ、気づいていない。









 真似ばかりしないでくれる? 」の読了を推奨



 ぴたり、と足を止めると、背後の足音も、ひたり、と止まった。
 ぐるり、と首を巡らすと、背後の人影も、くるり、と視線を逸らした。
「……あの、誰だか知らないけど」
 暗い夜道には気をつけよう。そんなことを思いながら佐藤浩は、警戒半分、好奇心半分で口を開く。
「僕の真似ばかりしないでくれる?」
「そうは行きません」
 人影は、そう言ってこちらへ一歩踏み出す。街灯の光に照らされて、相手の顔がはっきり見えた。
「私、これでもドッペルゲンガーですので」
 佐藤はスッと左足を引いて、右手を首から提げた短い笛に添える。左手は、この間学校でやらされた護身術のセオリー通りの構え。身体に引きつけ、いっぱいに指を開く。いつでも魔物を呼び出せる状態で、にこり、と微笑んだ。
「……ええと」
 困ったようにはにかむと、相手も同じように笑う。なんとなく空気が和やかになったところで、佐藤は笛をくわえ、短く鋭く一度吹いた。周囲に風が舞い起こり、闇空から魔鳥が舞い降りる。
「それで、僕に何の用?」
 佐藤と同じ姿をした、自称ドッペルゲンガーは、笛を手にしたところで動きを止めている。魔獣までは真似できないと踏んで、佐藤は相手との距離を詰めた。
「そりゃまあ、ドッペルゲンガーですから」
 とん、と相手が佐藤の肩を掴んだ。佐藤はセオリー通り、どん、と突き飛ばす。
「私を見たということは、死期が近いということです」
「あんまり笑えない冗談だね」
「そりゃまあ、別に冗談じゃありませんから」
 ふうむ、と佐藤は腕組みした。色々魔物は寄ってくるが、ドッペルゲンガーに会ったのは初めてだ。魔鳥が高く長く警戒の声を発する。
「ちなみに、具体的には僕が死ぬまであとどれくらい?」
「まあざっと六、七十年ってところですかね」
「遠いなオイ」
 とりあえずそれはいくらなんでもフライングというものじゃないのかドッペルゲンガー。六日か七日ならわかるが六、七十年ってちょっと遠すぎやしないか。冷静に考えている自分が嫌だった。
「それで? 僕にン十年も先の死期を告げにきたわけ?」
「驚かないんですね」
「だってそれ普通に平均寿命じゃないか……いや、平均より長いかな?」
 むしろそのどこに驚けばいいんだよ、と言ってやると、ドッペルゲンガーはしみじみとため息をついた。
「驚いてくれないんですね……こちとらこの先当分あなたのドッペルゲンガーをやらなければならないってのに、せめてファーストコンタクトくらい劇的なものにして欲しいもんですよ全く。ああもう嫌ですね嫌ですよ、あなたと同じ恰好してるのも嫌になります」
「じゃあ辞めていいよ……」
 さめざめと泣き始めたドッペルゲンガーを前に、佐藤は当惑したまま立ちすくむ。
「あなたが死ねば辞められます」
「へえそうなんだ、……って待って何その包丁!」
「だからあなたが死ねば辞められるでしょ?」
「お前が殺してどーすんだ!」
「いいじゃないですか人間どうせ死ぬんですからちょっとくらい早くたって」
「うるさい! 紀香、やっちまえ!」
 紀香と呼ばれた魔鳥はグエッコボーと鳴いて嘴をガツガツと鳴らしドッペルゲンガーに襲いかかった。カツカツとステップを踏んでそれをかわすドッペルゲンガー。
「しかも紀香とか言いつつオスなんですか!」
「別にいいだろそんなも……!?」
 言いかけた佐藤の膝が、がくん、と砕けた。わけがわからないまま地面に突っ伏す。視線の先でドッペルゲンガーが、かくん、とよろけた。
「……なに、もしかしてあんたが受けた攻撃って僕にも影響しちゃうわけ?」
「まあ私はあなたの生霊みたいなもんですしね」
「それは困った」
 ふむ、と真剣に困ったようなそぶりで、佐藤はまた腕組みをした。どれ、と一歩下がって、
「ゲッツ!」
 身振りつきで言ってみる。ドッペルゲンガーが渋々といった感じで同じ動作をした。もう古いですよ、と呟きながら。
「よーし今ので腹は決まった。紀香ー、行くよー」
 鋭く二回、笛を鳴らす。人には聞こえない音が、魔鳥・紀香の耳に届く。
「連れてけー!」
 ぶわっ、と魔鳥の翼がはためく。ふわっ、と相手の身体が浮いた。そのままどこかへ飛び去っていく魔鳥とドッペルゲンガーを見ながら、佐藤はどうしたものかと考える。早いところ始末しないと、いくらなんでも面倒くさ……
「!?」
 つまずいて転んだ。足下がやけに危ういなと思った瞬間、全身にずしりと重圧がかかる。またもやアスファルトとディープキスしかけた佐藤は、この異変の理由に気づいて愕然とした。
「お前、あいつを落としたんかーッ!」
 動揺のあまり口調まで崩れた佐藤の叫びは、紀香の耳には届きそうになかった。









 消し炭で作られた塔



「さて、どうしたもんだろうねえ」
「なにあんた落ち着いてんの! いや落ち着いた方がいいんだけど! でも!」
 火災報知器が鳴り響く。山田太郎と藤原春月は暗い地下室の中で、上階の喧噪を聞きながら途方に暮れていた。
「大体、あんたがこんな余計なものに私を巻き込んだりするから……そもそもどうして私が潜入調査につき合ってやらなきゃいけないのよ、関係ないでしょ!」
「仕方ないだろ、オレ他に呼べるような友達いないんだから!」
「うわ寂しい! っていうかそれなら一人で来なさいよ!」
「うるせえ、一人だったらうっかり洗脳されちまうかもしれないだろ!」
「弱ッ」
 とある宗教団体(邪教だ! とかなんとか山田は言っていた)に潜入したまではよかった。普通にお祈りを始め普通に怪しい水を飲んで、普通に教祖を崇めて普通に暗殺に行った。
 ……が、見事に失敗した。
「あり得ない! どうしてこんなボロっちい木造建築の塔にこんな立派な地下室があるのさ! ああもう、外から鍵はかかってるし!」
「それはまあ、五重塔がコンクリ造りだったら泣けてくるよな」
「そ、そうだけど! でもこのまま燃えたら、消し炭で作られた塔の一丁上がり、そんでもって地下から謎の焼死体が発見って流れになっちゃうわよ! もうワイドショー出ちゃうわよ!」
「大丈夫、木造の扉なんて壊すためにあるんだ」
 問題発言と一緒に、山田はどこからともなくいつもの杖――ピンクと白のストライプ――を取りだし、扉に当てる。
「開けんかコラァ!」
 その妙に堂に入った声はどうやら呪文だったらしく、扉は派手にはじけ飛んだ。途端に、部屋の中に大量の白煙が流れ込む。
「行くぞ藤原! この混乱に乗じて聖像を奪いつつ教祖を殺すのだ!」
「聖像ってアレ? あの可愛いピンクのゾウさん?」
「そうだ!」
 閉じこめられていた地下室は、春月が出るのを待っていたかのように崩れ落ちる。女の子らしい悲鳴を上げて、春月は山田の背に飛びついた。
「くそッ、煙が邪魔だ! よーし出でよ家庭用調理鉄板!」
 カツカツと床を叩くと、唐突に鉄板が出てくる。どうやらプレートを変えるとしゃぶしゃぶ鍋になるらしい。真ん中についているのは、山田の説明によると排煙機構。コンセントも何もない空間で、鉄板は唐突に煙を吸い込み始めた。
「あの、待って、それは」
「異空間に煙を吐き出します。悪の魔法使い七つ道具の一つだね」
「そんなもんが入る七つ道具って何だよ」
 そうこう言ううちに煙の量が少し減って、炎の熱気が肌にじりじりと感じられるようになる。出口を探す春月に構わず山田は炎の中に突進して、可愛いピンクのゾウのぬいぐるみ(焼けこげ気味)を掴みだしてきた。
「バカめ、聖像を置いていくとは!」
「っていうかソレやっぱり本当に聖像なの!?」
「うむ。その証拠に、ここにちゃんと『Made in China』の文字が」
「しかも中国製かよー!」
 神妙な顔でうなずく山田。その時、ふと二人の視界に人影が入る。春月の記憶によれば、それは確かさっきの教祖。
「! 見つけたぞ、シャルロッテ鬼塚!」
「く、くそ、見つかったか……腹心ども、こいつらを取り押さえろ!」
 しかし待てど暮らせど腹心たちが出てくる気配はない。さすがに教祖より自分の命が大事らしい。山田はシャルロッテ鬼塚のひげ面めがけ、持っていた杖を振り下ろした。ごうんっ、と痛そうな音がする。
「さっきは不覚を取ったが、この山田太郎、二度は倒れん!」
「わかったから早く逃げようよ」
 春月が口を挟む。山田は聖像を投げてよこし、春月はそれを受け取った。さあ逃げようというその時、
「……あ」
 派手な音を立てて、出口が崩れ落ちた。
「どどどどうしよう!? 熱いし燃えてるしちょっとこれ普通にピンチじゃない!?」
「うむ、ちょっとこれは素で困った事態になったな。……しかし、こんな時こそ」
 山田は、真っ直ぐに春月の抱える聖像を指さした。
「聖なるゾウのご加護にすがる時だ!」
「待ってお前さっきコレのこと邪教だなんだって貶しまくってた気が」
「昔は昔、今は今だ! さあ祈れ藤原!」
 さっき覚えた祈りの言葉を、恥じらいも抵抗もなく口にする山田。
「鬼子をしりぞけるのは難事ではない。鉄道を毀ち、電線を切り、大きな汽船を破壊しよう。そうすれば……おい、どうして止めるんだよ!」
「明らかにそれ世界史の授業で見たし! そんなん唱えても無理だし!」
「うるせえ、困ったときにはとりあえず神様に縋れ……って師匠が……」
 とその時、春月の腕の中にあった聖像が光り輝く。まさか、と思う間にゾウは口を開き……なにかビームらしきものを吐いた。
 その途端轟音と光が二人(とついでに教祖)を包み込んだかと思うと、突然春月の肌にひやりとした外気が触れた。恐る恐る目を開けると、そこは外。黒煙を上げる消し炭の塔を目の前に、二人(+α)は座り込んでいた。
「……奇跡だ! ああ聖なるゾウ様、私はこれから一生あなたに従いま――」
「めっちゃ洗脳されてる!?」
 ちなみに、春月が山田を連れ帰るのに、ずいぶんと骨を折ったのはまた別の話。









 踏まれた猫の物語



 ぼんやりと歩いていたら、猫を踏んでしまった。
 私は「きゃあ」などと可愛らしく叫びながら足を引く。
 ……いや、それは果たして猫だったのだろうか。一瞬で気づかない私も私だが、どうやらそれはピンクと紫の縞模様をした猫で。っていうかチェシャ猫?
「痛いじゃないのさ」
 しかも喋った。

「ごめんなさい、あの、ぼーっとしてて」
「……そんなことより、あんた」
 チェシャ猫は無遠慮に私の腕の中に飛び込んできた。ええいやめろ、セーラー服に毛玉がつくじゃないか。
「どうして驚かないの!?」
「いや、別にもう」
 藤原春月、高校1年生。もう、不思議なことには慣れました。
 だってバンド仲間は魔法使いだし。転入生は魔王の部下だし。拾ったバネは喋るし。今さら猫が――しかもこんなに「チェシャ猫です!」って主張してるような変なのが――喋ったところで、ちっとも不思議になんか思わない。
「キーッ、悔しい! 喋ったときの、人間の『うわあ』って顔が楽しみで毎日を生きてるのに! 何てことなのかしら!」
 それも寂しい人生だね、と言った私の言葉は無視された。
「何のために踏まれてやったと思ってるのかしら」
「あれ、わざと踏まれたんだ?」
「劇的な出会いを演出してみただけよ」
 要りません。
「ところであんた、名前は?」
「春月。藤原春月」
「そう。猫とか飼ってる?」
「金魚とトカゲくらいしかいないよ」
 私の腕の中で、チェシャ猫がごろにゃんと鳴いた。どうでもいいけど重いんだよ。
「それじゃあハヅキ、この美しい猫を飼う気はなくて?」
「間に合ってます」
「そんなことを言わないで。きっとあなたの生活に新鮮な風を吹き込んであげるわ」
「母様がアレルギーなの。無理」
「そんな、そこらの猫と一緒にしないで頂戴」
 うるさい、猫は猫だ。
「ところで猫。あんた、どこから来たの?」
「上よ。……といっても、ハヅキは知らないでしょうけど」
「シュリフィード?」
 訊ねると、猫はまん丸い目を私に向けた。ああ、なんだその期待を裏切られた子供のような目は。
「知ってるの?」
「知ってるよ」
 私が答えるなり、チェシャ猫は私の腕から飛び降りた。
「そんな! それじゃあ、『ただの飼い猫だと思ってたシロが実は魔法界の住人だった』っていうありがちなオチにつながらないわ!」
 ちょっと待て、お前の名前はシロっていうのか。その色で。そのピンクと紫で。
「さよなら、ハヅキ。縁があったらいつかまた会いましょう」
「もう来るなよ」
 その後ろ姿を見送りながら、私はため息をついた。中断されてしまった皿回しの練習を再開しながら歩く。タイトルをつけるなら、さしずめ、踏まれた猫の物語、か。ああ、やっぱり本気でいらない。
「……やっぱり、上には変な人が多いんだなあ」
 あれ、人じゃないか。まあいいや。
 徐々に非日常に慣らされていく自分におびえながら、私は帰り道をバス停に向けて歩いていった。









 こわいかもしれない 」の読了を推奨



 不意に殺気を感じて、佐藤浩は身を引きざまに短く鋭く笛を吹く。人間の可聴域を越えた高い音が、夜の冷えた空気を震わせた。直後、寸前まで佐藤が立っていた位置を、白刃が薙いでいく。
「……これはまた、手荒なあいさつだねえ」
「お久しぶりです、佐藤さん」
 佐藤は苦笑しながら目の前に立つ男を見つめる。その顔は他ならぬ佐藤自身のものだ。学生服をまとった「それ」は、手にしていた包丁を逆手に構えなおした。これだけは佐藤と違う、赤い瞳がこちらを睨む。
「で、例によって、仕事を辞めるために僕を襲うってわけか。――ドッペルゲンガーさん」
 手にしていた細い笛を、今度は長く吹き鳴らす。ドッペルゲンガーは顔色ひとつ変えず、佐藤のスキをうかがう構えだ。
「僕を殺したら、君も痛いんじゃないの?」
「痛いかもしれませんけどね、死にはしません。あなたが死ねば、私は元の姿に戻るだけです」
「そうやって、今まで何人の寿命を縮めて来たんだい?」
「さあ、ここ十何年かを考えるだけでも結構いますから……数なんて、いちいち覚えていません」
「そうか。……いや、そんな質問は別にどうでもいいんだよ、今ちょっと、言ってみたら格好良さそうだなあ、って思ってつい言っちゃっただけで。スリーサイズの方が良かったかな……と、そんなことより重要な質問があったよね。――君を操っているのは、誰だい?」
 何気ない調子で聞かれたその言葉に、ドッペルゲンガーはびくりと身を震わせた。佐藤はゆっくりと右手を前に挙げ、空の拳を開く。ドッペルゲンガーはその動作に従い、右手を開き、包丁を土の上に落とした。
「間違ってるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。君の能力は大きく分けて三つあるよね。ひとつは相手に化ける能力、もうひとつは相手と同じ行動を取る能力、最後のひとつが相手に自分と同じ行動を取らせる能力だ。後の二つの能力については、ある程度は君の方でも調整がきくんだろ? 完全に僕と同じ動作をしていたら、僕を襲うことはできないからね」
 佐藤が一歩、ドッペルゲンガーの方へと歩み寄った。ドッペルゲンガーは、一瞬ためらった後で足を踏み出す。
「さて。君がただの魔物なら、僕は君を操ることができるはずだ。だけど実際は、さっきの僕の笛を聞いても、君の能力は止まらなかった。つまり、僕以上の力を持った誰かが、君を操ってるということだ……そうだろ?」
 ドッペルゲンガーは微笑んだ。
「それがどうかしましたか?」
「君の主人は誰だ? 教えろ」
「お断りします」
「なら実力行使で聞くまでだ。見当はついてるけどさ。……ところで話は変わるけど、僕には最近、魔法使いの友達ができてね。彼はシュリフィードって国の出身らしいんだけど、君は?」
「私は、その隣国――」
 言いかけたドッペルゲンガーが、チッ、と舌打ちした。その瞬間、思いがけないスピードで佐藤がドッペルゲンガーの胸ぐらをつかみ、足を払ってその場に引き倒す。その、外見からは想像もつかないほどに力強い身体で押さえ込まれてしまっては、もはや佐藤に攻撃を加えることはできない。
「つまり君も『上』の存在なんだね――そしておそらく、僕も」
 ドッペルゲンガーが、ふと憐れむような表情を浮かべた。佐藤はそれに気づいているのかいないのか、とにかく体勢を変え、片手を空けようとしている。
「どんな反撃をされるか分からない相手を殴るのは、こわいかもしれないね」
 そう言うと、佐藤は握った拳で、ドッペルゲンガーの頭を思いっきり殴りつけた。ドッペルゲンガーが声を挙げ、苦悶の表情を浮かべる。
「教えろよ。気持ちが悪いんだよ、こういうの。僕は一体、何のためにここにいるんだ? 『魔王』って何だ? 僕たちを導いて監視して、ついでに尻ぬぐいまでしてくれてるあの『大臣』ってのは何者だ? 説明しろよ、僕がどうして幼なじみまで手にかけなきゃならなかったのか、僕が納得できるように!」
「……あなたが『大臣』と呼んでいるあの方が、私がずっと仕えている相手ですよ。疑問があるのならば、あの方に聞いてください」
 ドッペルゲンガーの言葉を聞いて、佐藤は不機嫌そうに眉根を寄せる。
「へえ。分かったよ、それじゃあもう君に用はないや」
 冷ややかな声でそう言うと、佐藤はドッペルゲンガーの喉に手をかけた。
「君の、もっとも恐ろしい……『二つ目』の能力だけでも解かせてもらうよ。お互いが視界に入っていなくたって僕たちが同調しているってことは、君が僕の状態を常に関知していて、思考を読めているってことだもんね」
「勝手なご推測、ご苦労様です……けれど、私の能力は、先にあなたが挙げた三つだけではないんですよ」
 最後の声がふわりと揺らぎ、同時に佐藤が組み敷いていたドッペルゲンガーの姿が消える。あからさまに不機嫌そうな顔で舌打ちした佐藤は、ふと自分が、魔物にドッペルゲンガーの気配を追わせてここにたどり着いたことを思い出した。
「……帰り道、どっちだろう」
 月明かりの中、冷えた空気が頬を冷やす。早く家に帰りたい、と思ってはいたのだが、佐藤はそれからしばらく、帰り道を求めて山中を駆けずり回ることになるのだった。









 えげつないよ



 春月たちの学校で、一学年のクラス対抗球技大会とやらが行われたのは、とある水曜日のことだった。
 その三日前、担任が「優勝したらアイスをおごる」などと約束してしまったものだから、1年8組は優勝を目指し、否応なしに盛り上がる。種目は、バスケットボールとドッジボール。種目は男女共通で、春月と輝美はバスケットボールをすることに決めていた。
「……アイスを食うってのは、そんなに楽しみな行為なのか?」
「あら、こんなときには盛り上がる理由があればいいのよ。そうよね、春月?」
「そうだね。山田、あんたも真面目にやりなさいよ。ドッジボールとか、ルールはたぶん、あんたの国とそう変わらないと思うし」
「いや、あっちには日本とは違う重大なルールがあるぞ。『他者またはボール及び試合に影響を与えるものに対して、魔法を使ってはいけない』」
 山田は面倒くさそうに顔を上げて、春月にそう答えるとまた机に突っ伏す。実行委員がチームを決めようとしているというのに、すばらしく非協力的な態度だ。
「おい山田、一緒にドッジやろうぜ、ドッジ!」
 藤城が後ろの席から身を乗り出し、居眠りをしている山田の肩を揺すった。山田は不服そうにしながらもそれに従い、かくして当日がやってくる。

 体育館でバスケットボールが行われるのと同時進行、よく晴れた校庭でドッジボールが行われている。春月と輝美は試合の合間に、自分のクラスを応援しようと校庭に出た。
 空はすっきりと晴れ、青い空には点々と白い雲が浮かんでいる。想像したよりも暖かい陽気にさそわれたか、見物人は多かった。
「がんばれ、8組! 3組なんかに負けるなよ!」
「なにを……負けるな、3組! 8組なんかぶっ潰せ!」
 春月と輝美の応援もむなしく、一人、また一人と味方がボールに当たっていく。藤城が空を切って飛ぶボールをがっちりと受け止めた。それから、遠慮なくボールを投げる。ボールは相手の内野一人に命中し、大きく弾む。
「あら……本気だわ、あれ」
「えげつないよ……」
 楽しそうにボールを奪っては、確実に相手の内野を減らしていく藤城。佐藤は外野でのんびりしている。山田はと見れば、飛んでくるボールをぎりぎりの軌道でかわしていた。いや、よく見ればかわしているのは山田ではなく、ボールの方。
「うわあ、魔法使ってるし」
「春月、それって反則よね?」
「でも、この球技大会じゃ、どこにもダメとは書いてないよ」
 確かに、と輝美がうなずいた。
 悪徳政治家がギリギリで追及をかわすかのようなタチの悪さで、山田はボールを避けていく。藤城が「いいぞ」と呼びかけた。手に持ったボールが狙うは、相手コートにいるサッカー部の男子生徒。
「そのまま逃げてろ、山田!」
 叫んだ直後、腕が大きく振られ、ボールが鋭く空を切る。しかし相手チームの大将がサッカー部男子の前に走り込み、そのボールを小気味よい音と共に受け止めた。藤城、これには意外そうに首を振り、3組の大将格を睨み付ける。
 8組側コートに残るは、藤城と山田を含めて四人。一方3組の内野には、まだ七人の生徒が残っている。3組の大将がボールを外野に渡した。8組の内野を両断するかのように、外野と内野の間に早いパスが渡る。山田は慎重にそれを避け、藤城はボールを取る機会をうかがう。
 ふとボールが軌道を変え、藤城を襲った。とりあえず、唯一ボールが取れる藤城をつぶせば良いと考えたのだろう。春月たちが固唾を呑んで見守る前で、藤城の腕がボールを弾いた。8組内野、残り三人。
「山田、がんばってー!」
 任せろ、と山田が笑う。3組の外野から、ボールは3組内野へ。山田が無造作に内野の真ん中へ歩いていった。どうせボールは魔法で避ける。不自然な状態を避けるには、逃げ場は多い方がいい。
 山田が佐藤に目配せした。佐藤はいつもの、のほほんとした笑顔で頷くと、大声と共に空を指さした。
「あ、UFOだ!」
 ちょっと待て。いくら何でもそれはないだろう。生徒の間に失笑が広がり、しかしそれはすぐに驚きの声に変わった。佐藤の視線の先を追って、春月は空を見上げる。そこにぽっかりと浮かぶ、大きな黒い影。飛行機にはあり得ない、不規則な動きで空を舞う。
「うわあ本当にUFOだね!」
「……春月、少しは疑問に思おうよ……」
 実際はUFOではなく、佐藤が放った魔物だが、そんなことはどうでもいい。
 ふと春月の視界の隅に、地味に指で印を組み続ける山田の姿が映った。ボールは三組内野のサッカー部が持ったまま。彼は空を見上げてぽかんと口を開けている。
「よし!」
 山田が小声でつぶやくと、佐藤はそれを耳ざとく聞きつけた。掌中に隠した笛で、魔物に帰還の指示を出す。
「ゲーム再開だ!」
 それは楽しそうに笑う山田。サッカー部が投げたボールは妙な方向にすっ飛び、8組内野の手の中に。人目を盗んであちこちに魔法を仕掛けた山田は、ゲームを好きに操る。3組が投げれば手が滑り、避けようとすれば転び、取ろうとすれば頭上からタライが降ってくる。3組内野が全滅するのに、そう時間はかからなかった。
「タライはちょっとえげつないよ」
 勝利を喜ぶ男子を見ながら、春月は輝美と顔を見合わせ、ため息をついた。









 テキーラは夜に呑め 」の読了を推奨



 広島風お好み焼きの店「大阪の風」。
 シュリフィードの城下町に小さな店舗を構えるその店は、大通りに面するという良い立地条件のために、なかなか繁盛していた。
 紛らわしい店の名前を変えるよう要求していた魔法使いはいつの間にか来るのをやめ、店主は再び安眠を手に入れていた。のどかな春風が頬を撫でるのを感じながら、三十路の独身女……もとい店主は注文を取っている。その明るい笑顔が、心なしか寂しげだ。
 最後の客を見送って、店の扉にかかった札を「本日終了」へとひっくり返す。厨房の棚に置いてあったテキーラを引っ張り出し、日々の憂さを晴らそうというのか一口あおってから、ふと店主は立ち上がる。
「おひな様、片づけなきゃ……」
 店の二階にある自宅に戻り、飾られていたおひな様に手を伸ばす。……と、その時だった。
「っつ!」
 店主の手とひな人形の間で、バチリ、と火花が散った。一体何が、と考える。もう一度おそるおそる手を伸ばしてみるが、結果は同じだ。
「あっはっは! 無駄な努力はやめるんだな!」
 聞き覚えのある男の声。店主が慌てて振り向くと、そこには黒いマントのフードを目深に被った男が立っている。彼こそ、彼女の天敵であり安眠の敵、悪の魔法使い山田太郎だ。
 テキーラをあおったせいか一気に酔いが回った頭で、彼の存在を認識する。そして、彼の行動の理由をゆっくりと考える。
「もうお前はそのおひな様に触れない。そのままおひな様を出しっぱなしにして、嫁に行き遅れるがいいさ、負け犬め!」
「ああッ……!」
 ようやく彼の行動の意味を理解し、店主は絶望をはらんだ叫び声を上げる。彼女に冷たい視線を投げたまま、山田太郎はフンと鼻を鳴らした。
「それが嫌なら、早く店の名前を『広島の風』に変えるんだな」
「い、イヤよ! 小さい頃から、お店を開くなら店の名前は『大阪の風』って決めてたんだから……!」
「そうか。そっちがそう言うのなら、そのまま『大阪の風』と添い遂げるんだな!」
 彼の言葉の意味に気づき、店主は戦慄した。
(私が、このまま、独身……)
 それは良くない。年金事情が芳しくない昨今、子供に老後の面倒を見てもらえるように、せめてまず結婚したいところ。おひな様を出しっぱなしにするとお嫁に行けないというが、店主はまさに、そう言う意味で崖っぷちにいた。
「くっ……やるわね、悪の魔法使い!」
「それはなかなかの褒め言葉だな、ありがとう」
「法律上は酒も飲めないお子様が、よくもやってくれるわね!」
 テキーラの酒瓶を抱え込み、店主はふらりと立ち上がる。酒瓶を撫でる、その指の内側に魔力の流れがあるのがわかる。物騒な才能を持つ彼女が魔法を使うのは、高等学校の学生だった時以来だろう。ちなみにそれが何年前なのかは、あまり考えたくない。
「私が本気になったらね、あんたなんてイチコロなんだから!」
 叫びながら、瓶の蓋を開ける。
「行くわよ、必殺奥義『大阪の風』!」
 山田はフードの下からこちらを窺っているようだったが、店主は構わず酒瓶の口に魔力を注ぎ込んだ。テキーラが一瞬、紫がかった青色に発光する。
 そしてその直後、山田がその場に膝を折った。
「な、何だ……?」
「このテキーラのアルコール度数は40%! 今、こいつをアンタの腹の中に流し込んであげたわ。お酒は強い方かしら?」
「んな……バカヤロウ、そんな芸当が出来るなら早く言え! っていうかそれ普通に危険だろ! 冗談抜きで必殺だっての!」
 やや語尾がふらついている。フードの下の顔は見えないが、酔いが回りつつある様子だ。ピンクと白のストライプ模様をした魔法の杖で身体を支え、荒い息をつきながら立ち上がる。
「そんなに『大阪の風』に愛着があるなら、タコ焼き屋でもやってろ、畜生!」
 その時突然、店主は山田が発する空気が変わっていることに気づいた。空気がべとつくような感覚。そういえば、友人のエルフ族の娘も酔うとこうなる。酒のためにかき乱された体内の魔力が、身体のうちからあふれ出てしまう、強い魔力を持つ者に特有の現象だ。一気に酔いが醒める。
「最近はモロッコ産のタコが輸入できなくなって、タコ焼き屋はどこも不景気なんだぜ!」
 叫びながら山田は杖を振った。今の叫びが呪文だったらしい。目を開けていられず、店主はその場で強く目を閉じる。体中の穴という穴から入って来そうな、濃厚な魔力の流れが過ぎ去った後で、ようやくおずおずと目を開けた。
「な……何が……?」
 山田は無言で階段を指し示した。店主は階段を駆け下り、店部分の電気を点す。そこに広がっていた風景は、もはや店主の理解を超えつつあった。
「た……タコ焼き屋に……なってる……」
 勝ち誇ったような笑い声と共に、二階から魔法使いがドタバタと立ち去る音がする。店主はテキーラの瓶を抱えたまま、その場にずるずると座り込んだ。
 ちなみに、勢い余ってかおひな様が食い倒れ人形に変わっていた、というのは、また別の話。





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