いろはのお題inスプリング*スプリング part1
月香るな


 異人館で逢いましょう



 「異人館で逢いましょう」
 わたしがそんな手紙をもらったのは、なんと二月の十四日。
 日本じゃ、女の子が男の子にチョコをあげる日だってのに、いったいこの手紙の送り主は何を考えてるんだろう。
 まあ、いいけど。
 三丁目の洋館、通称異人館は、学校から歩いて五分。
 わたしは途中にある吉野家で牛丼を買って、それをほおばりながら歩く。ちょっとしたおやつだ。大丈夫、わたしの家系は肥満とは無縁。
 わたしの名前は武者小路・ヴィルクロイア・夏美。こんな名前なのは、父がこの国の人ではないから。といっても、父の祖先を辿ればやっぱりこの国の人だから、わたしの外見はその辺の人とそれほど変わりはない。
 入館料の五十円を、小汚い賽銭箱に入れて、中に入る。
 ……賽銭箱? そういえば今まで気付かなかったけど、どうしてこの洋館に賽銭箱なんだろう。まあ、いいけど。
「武者小路さん!」
 わたしの名を呼ぶ声に上を向けば、そこには小学生くらいの少年がひとり。片手にビデオカメラ、片手にはハート形の包み。
 ええと。
 男の子が女の子にチョコを渡すのは、今日じゃないと思うんだけど。
「来てくれたんですねー! ボク感激ですッ。去年小学校の卒業式で見かけて以来、ずっとお会いしたいと思ってて」
 よく見ればランドセルを背負っているから、去年卒業式に同席した五年生、今の六年生というわけか。参考までに、わたしは中学一年生だ。
 その少年の視線が、わたしの持つ牛丼の袋に移る。
「あの、もしかして、牛丼お好きなんですか……?」
「うん。ものすごい好き。三食全部牛丼でも可。つゆだくだとなお良し」
 答えたわたしに、少年はハート形の包みを差し出した。
「あ、あの、それなら、……い、いえ! ボク、前から武者小路さんに、言いたいことがあって……その……」
 何ですか。早くしなさい。気になるじゃないですか。むしろ受け取っていいのかな、その包み。やっぱり話が終わるのを待った方がいいよねえ。
「あの……ですね。武者小路さん、キレイな人なんですから、もっとそれらしい行動を、取って欲しいなあ、なんて」
 愛の告白ではなかった。ちょっと残念。
「……ありがと。でもそれらしい行動って?」
「が、学校帰りに吉野家に寄らないとか! 近所の子供からアメ取り上げたりしないとか! 時代遅れのヤマンバギャルはやめるとか! むしろ何で今更ガングロなんですかッ、もうブーム何年前だと思ってんですか!」
 ……どうして彼は、わたしが近所の子供からアメを取り上げたことを知ってるんだろう。いや、むしろヤマンバギャルって時代遅れだったのか。しまった、通りで最近日焼けサロンが空いてると思ったよ。
「これ! 美白化粧品のお試しセットです」
 いらねえ。言いたいのをぐっとこらえて、わたしはハート形の包みを受け取った。
 紛らわしいことをするんじゃない。
「とにかく、いつかこのカメラで、美人でステキな武者小路さんを撮りたいんです! だって、だってせっかく……」
 ああ、こら、泣くんじゃない。わたしが泣かせたみたいじゃないか。
「せっかく、武者小路さんはエルフなのに!」
 それがどうした。
 武者小路ヴィルクロイア夏美、国籍は千葉県浦安市上空に浮かぶ魔法王国シュリフィード、父は日系で母はエルフ。そんでもってわたしもエルフだ。
「いいじゃん、別に化粧くらい……」
「ガングロのエルフなんてありえないですよ! どこの世界に、学校帰りにセーラー服で吉野家に寄るヤマンバギャルのハイエルフがいるんですか!」
「……だめ?」
「だめです。それでは失礼します!」
 少年はそのまま去っていってしまった。
 異人館に残されたわたしは、美白化粧品のおためし瓶をためつすがめつしながら、やっぱり子供からアメを取り上げるのは良くないんだなあ、と考えていた。

「それでヤマンバやめたんだ?」
「うん」
 しかしそのままではどうにも没個性な気がしたので、教育体制に対するささやかな反抗をしてみた。
「……でも、今更ロンタイにパンチパーマって……ありえないと思うんだけど。あんた、自分がエルフだってこと、ホント自覚した方がいいよ」
「……だめ?」
 友人は、ゆっくりと、だけど確かに頷いた。









 ろくな男じゃありません



 私のクラスのクラス写真を見た、母様の反応はえらくミーハーだった。
「春月! これこれ、この子格好いい!」
 高校一年生相手に、いい大人が品定めですか。
「これは……顔は悪くないけど、ろくな男じゃなさそうね」
 そう言って、母様が指さしたのは、よりにもよってあのろくでなし、山田太郎だった。全面的に賛同する。
 山田太郎。男子高校生というのは表の顔(らしい)、その正体は強きを助け弱きをくじく悪の魔法使い(らしい)。学校にはなぜか毎朝魔法のじゅうたんで登校し、放っておくと私服に黒マントとか着ていそうな、私のクラスメイトだ。
 なんて眼力。一目でこのろくでなしの正体を見抜くとは。
「やっぱり、制服にはきちんとアイロンかけなくちゃ」
 え? ツッコミどころはそこなんだ。
「親御さんはなにをしてるのかしら」
「一人暮らしだよ、ソイツ」
「ならなおのこと。春月、いいから将来結婚するときは、家事全般こなせる男にしておきなさい」
 別に山田太郎と結婚する気なんかないけど、とりあえず私はうなずいた。
「ほらココ、こんなにシワが」
「はあ、そう言われてみれば」
 こんな小さなクラス写真で、いったい何をしているんだ母様。
「パパも稼ぎはいいし優しいんだけど、いかんせん家事がまるきりだめでね。ううん、贅沢なんか言わないわ。だけどやっぱり、せめてゴキブリ退治くらいはできる人と結婚したかったわねえ」
 母様と父様の前にゴキブリが出たときの様子を思い浮かべる。逃げまどう父様。スリッパで叩きつぶす母様。別に、父様がゴキブリ倒せる必要、ないじゃん。
「ねえ春月、このひとゴキブリは倒せるの?」
「知るか」

 ところでその翌日、まるで謀ったかのようにゴキブリが現れた。
「うわあ! ちょっと山田、これ! なんとかして! あんた、魔法とかあるでしょ!」
「命あるものだ、気ままに走らせておけばいいじゃないか。大丈夫、こいつは刺さない。……あっ、むしろ巨大化でもさせたら面白いかな」
 含み笑いと共に答える山田を見ながら、私はあらためて確信した。
 山田太郎、こいつ、ろくな男じゃありません。









 パラボラアンテナ危機一髪




 春月たちが通う高校の北側にはマンションがあって、ベランダにはパラボラアンテナが並んでいる。
 そのマンションと高校の敷地との間を走る細い道路を、春月と、その友人である樫原輝美はのんびりと歩いていた。輝美が突然、「危ない!」と叫んだのはその時。
「春月、上っ!」
「え、何……」
 春月が立ち止まったその時、大音響と共に頭上からパラボラアンテナが降ってきた。落下位置は、春月の眼前2メートル。パラボラアンテナ、と見えたそれは、しかしよく見るとピンクと白のレースで縁取られ、半球状の表面には可愛らしいクマの絵が描かれている。落下の衝撃でゆがんだクマの顔には、子供が見ればトラウマになりそうな迫力があった。
「……何かしら、このいろんな意味で危機一髪なパラボラアンテナ」
 輝美がつぶやいたその時、ちょうど通りかかった人影があった。二人のクラスメイト、藤城育人と山田太郎だ。
「ああ、山田! いいところに。ねえねえ、このパラボラアンテナ、どうにか直せないかなあ?」
 魔法のじゅうたんを肩にかついで歩いていた山田は、少しの間パラボラアンテナとベランダの間で視線を行き来させていたが、やがて、ああ、とつぶやいた。
「それはできない」
「どうして。きっと困るわよ、コレ落としたひと」
「困ってくれなきゃ困る。それがオレの仕事だ」
「しご……っ……ああっ!」
 ちなみにこの山田太郎、部活仲間でもあるこの三人には職業をカミングアウト済みだ。だからといって、じゅうたんを隠しもせずに担ぐのはどうかと思うが。
「悪の魔法使いって、そんなこともするんだ……意外にみみっちいのね」
「黙れ」
 それから山田は上を見上げた。春月も今更ながらにその視線を追い、困ったようにこちらを見下ろす、パラボラアンテナの持ち主の顔を認めた。遠くて顔は良くわからないが、とにかく主婦であることは確か。主婦は何かに気が付いたように「あっ」と声を上げると、春月たちに詫びの一つも言うことなく奥へ引っ込んだ。
「ふん、なかなかのダメージがあったようだな。もう一押しだ……夜中に忍び込んで、がんばって絵を描いたかいがあったぜ」
「お前が描いたのかよ、っていうか何の意味が!」
「ご近所に見られると趣味を疑われるだろ? こうしてターゲットは、地味にマンション内で孤立していくのだ! その上パラボラアンテナが壊れて家計にも甚大なダメージが及ぶ。しかも彼女が大好きな『やさしいゲートボール』も、これでもうしばらくは見れない!」
 そう言った山田の顔は、実にわかりやすい邪悪さに満ちていた。さすがは悪の魔法使い、考えることが常人と違いすぎてもはや理解できない。
 春月の冷たい視線をよそに、山田と藤城はふたたび談笑をはじめた。
「ところで、あそこの奥さんがお前に狙われるような何をしたんだ?」
「依頼人はお姑さん。魔法も使えない日本人なんかと結婚した息子が心配で心配で、そのぐうたらな日本人嫁さんを息子と別れさせたいんだって」
「……なんか引っかかるなあ、その言い方」
「うん。国際結婚はおたがいの文化の違いを認め合うことが大切だよな。それが不十分だとこうなる」
「そういう問題じゃないんだけど。つーかそこで関係の修復じゃなく嫌がらせってのが実に悪ね」
「え、待ってくれ、それじゃあ日本ではこんな時どうするんだ?」
 春月がこの外国人との異文化コミュニケーションに苦労していると、横から輝美が声をかけてきた。
「ねえ山田くん、山田くん」
 振り返った山田に、輝美は笑顔のまま尋ねた。
「その程度の理由で頼んでいいんだね。暗殺って、いくらで請け負う?」
「暗殺は高いよ」
 さっそくビジネスライクな交渉をはじめた二人を、春月と藤城は遠巻きに見つめるしかなかった。
「藤原ァ……俺、この学校で敵は作りたくねえよう」
 あまりにも身近にひそむ悪の魔法使い。藤城がうめいたこの一言を、春月は忘れられない。









 二枚目と三枚目




 究極の選択とは、このことを言うのだろう。
 あたしは二枚の写真を前にしながら、深く悩んでいた。
 右の写真に映るのは、稼ぎはそこそこ、性格マル、とっても二枚目の男。
 左の写真に映るのは、金持ちで家柄もいい、だけど性格は微妙な三枚目。
 どちらを選んでも、あたしから見れば玉の輿だ。
 さあ、どうする佐藤うめ。
 選びさえすれば、相手をオトせる自信はある。
 あたしは長考の末、三枚目のほうを選んだ。
 ……さて。
 端的に言えば、三枚目の方は王子様だ。
 ちょっとデコが広くてお腹もたっぷりした、だけど金と地位と帝王学の教養はたっぷり持った、未来の王様。
 魔法王国シュリフィードは、そう広い国じゃないけれど、それだって王様は王様。
 略奪愛、バンザイ。
 ……ああ、ゴホン。
 そうよ。三枚目にはステキな奥さんがいるわ。神田・シュリフィード・ハル王太子妃。実を言えば、子供だっている。名前はヨシュアと言ったかしら。
 だけどあたしの愛の前じゃ、そんなの小さな障壁。
 三枚目を選んでしまったからには、二枚目を選ばなかったこと、後悔しないくらい思いっきりやらなくちゃ!

「……で、ママは思いっきりやったんだね」
 母である現王妃、佐藤・シュリフィード・うめの思い出話を聞きながら、その息子であるフィガロ王子は力無く笑った。
「そうよ。あの憎い女を、ムラサキイボクラゲノマクラモドキに変えてやったの」
 ああそうですか。相づちを打つ王子の頬を冷や汗が伝う。
 ムラサキイボクラゲノマクラモドキと言えば、シュリフィードに生息する生き物の中で、もっとも醜いとか気持ち悪いとか不味そうとか酒のつまみにならなそうとか言われる生き物だ。その見知らぬ女性に対し、王子は若干の同情の念を禁じ得なかった。しかしまあ、そのがんばりがあるからこそ今の自分が生まれたわけで。
「でも、そんなの元に戻すのは簡単だろ? どうやって離婚まで追い込んだの?」
「大したことはしてないわ。元々、それほど取り柄もない女だったもの」
「子供は、その人についていったの?」
「……フィガロ、世の中には知らない方がいいこともあるのよ」
 にこにこと笑いながら、王妃は答える。
「その椅子がその子供のなれの果てだなんて、知らなくてもいいことよ……」
「えぇ!?」
「ウソよ。ぜーんぶただの冗談」
「ママ、目が笑ってないよ……」
 王子とて、いくらマザコンと噂されているとはいえ、さすがにこれを冗談ですますほどお人好しではない。王妃の微笑みの下に隠された、冗談と本気の境目を探るため、王子は後に行動を起こすことを誓うのであった。









 ほう、それが正体か



 1年8組、藤原春月と山田太郎のクラスに転入生がやってきたのは、二学期のはじめのことだった。
「はじめまして、佐藤浩です」
 そう笑顔で名乗った彼はとても地味な生徒で、おそろしく一般的な転入生としての扱いを受けたあと、いつの間にかクラスに馴染んでいた。
 あまりにも地味な生徒だったから、後で彼の転校理由が「前の学校で問題を起こしたから」だと聞いたとき、春月はあまりの意外さに腰を抜かしたものだ。
 もっとも、そんなオーバーリアクションをやってのけたのは、「ノリツッコミの女王」と異名を取る彼女くらいのものだったが。

 佐藤の転入から一週間後。いつものように帰宅のため魔法のじゅうたんを広げようとして、山田は視線に気付いた。最近は自転車置き場からではなく屋上から出ることに決めているので、他に人などいるはずがないのに。
 振り向きざまに右手は印を組む。あと一動作で、魔法が発動する構え。いつの間にか身に付いた、嬉しくない条件反射だ。
「出てこい」
 山田の鋭い声。王国からの追っ手かと警戒した山田の予想に反し、出てきたのはあの佐藤浩だった。
「そんな怖い声出さなくてもいいじゃないか、山田くん」
 どこか気の抜けた笑顔と共にそう言われてしまっては、山田としてもどうしようもない。さりとてこのまま一般人の前でじゅうたんに乗るわけにもいかず、見えないよう魔法をかけたままのじゅうたんを、山田は困ったように一瞥する。
「屋上、いいところだね」
「ああ。ひとりで昼寝するには最適だ」
 微笑んだ山田だったが、その一瞬後、その表情をまた厳しいものに変える。佐藤が何気なく出した銀の笛、吹いたそこからは音が出なかったが、代わりに背後に気配が増える。犬笛か、と舌打ちして振り向けば、そこにはなんと一匹の……スライム。タマネギのような形のそれは、不気味なほど大きな目を光らせてこちらを見ている。笑みのかたちをつくる口が、見ていて非常に腹立たしい。
 いやよく見ればこれはぶちスライムか。考えながら間合いを取る山田の前で、某国産RPGに出てきそうなぶちスライムはぷるぷると揺れた。殴っても効かないだろうな、と山田は考える。
「それじゃあ、そのまま昼寝しておいでよ、永遠にね」
「……ほう、それが正体か」
 にこにこと笑いながら怖いことを言う佐藤浩。その声に答えるように、スライムが山田を襲う。
「お前、シュリフィード人か?」
「? 何、それ。僕は魔王の親戚として、勇者になりそうな人間を端から始末してるだけだよ」
 また面倒なのが出てきた。考えながら山田は魔法を発動させる。スタンガンよろしく電流を発した右手の親指と人差し指が、ぷるんとした触感のスライムをとらえた。バチン、という大きな音と共にスライムは動きを止め、切なげに悶える。その動作が、どことなく艶っぽい。もしかしてコイツはメスなのか、と山田は冷静に考える。
「……それじゃあ、お前は同業者か」
 ぶちスライムを蹴飛ばしながら、山田はつぶやいた。つま先がやわらかなスライムの身体にめり込んで、やさしく押し返される。その時、ふといい考えが浮かんだ。
「オレは山田太郎、職業は『悪の魔法使い』だ。安心しろ、勇者になる気も魔王を退治する気もない」
 言いながら、左手が忙しく印を組む。ぶちスライムに押し当てた左手の手のひらから、魔力がぶちスライムへと流れ込んだ。途端ぶちスライムは大きくうねり、形を変え、色を変え、濁った不定形の物体へと姿を変える。
「う、うわぁタマ! 山田くん、タマに何を……」
「別に? ちょっと形を変えただけさ。魔王を名乗るなら、せめてこれくらいの敵でも出てこないと、勇者の方も張り合いがないだろ?」
「僕は魔王じゃないよ。魔王は僕のイトコ。むりやり魔王を継がされたことを悲観して、自殺未遂までした意気地なしだ」
「ほう、それはまた新鮮な魔王だ、というよりかなりナメてるだろそれ。しかし、日本にも魔王なんてものが住んでるとは知らなかった」
 どこか間違った感想を漏らす山田に、ぶちスライムだったもの、改めタマを抱きながら、佐藤はうなずく。
「僕の一族は代々、長男が魔王の職を継ぐ。日本に必要な職業なんだ、誇りに思え、って言われるけど……次男の息子である僕には関係ない話だし、なのに血統だけは受け継いで、街を歩けば魔物が寄ってくるし……魔王の血統が勇者を呼び寄せるのか、よく勇者に、魔王と間違えられて襲われるし……」
 はぁ、と大きなため息をついた佐藤の背を、山田は軽く叩いた。
「それで勇者を倒すのか」
「同業者なら、わかってくれるでしょう?」
「悪の魔法使いは、血統じゃないんだ。オレは望んでこの職についたから、お前の悩みを簡単に理解できるとは思えないけど、な……」
 タマをもとの姿に戻してやりながら、山田は笑う。
「金次第じゃ、お前の勇者退治、手伝ってやってもいいぜ」
「! じゃあ、今度勇者候補を見つけたら、ボコるの手伝ってくれるんだね!」
 危険な会話を交わしつつ、魔王のイトコと悪の魔法使いはなんとなく友情を誓い合う。これを友情と呼べるなら、の話だが。
「それじゃあ、お近づきのしるしに、僕の友達を紹介するよ」
 そう言って両手を広げた佐藤の背後に、ぶちスライムと似たようなノリでたくさんの魔物がひしめいているのを見たとき、山田は少しだけ、自分のうかつな言動を後悔した。









 変人は誰だ



 木曜・五校時の現代文の授業は、なぜか漢字の小テストからはじまる。
 小学生じゃあるまいし、と思いつつも、いつも意外にあちこち間違えている自分にショックを受ける春月。ふと山田の点数が気になったのは、そんなある日のことだった。
「ところで山田、あんた現代文の成績とかってどうなのよ」
「それは何か? オレが外国人だからってことで聞いてるのか? アメリカに住んでたってのは書類上のごまかしで、オレは公用語が日本語のシュリフィードで育ったんだからな」
「いや、別にそんなのはどうでもいいんだけど、純粋な興味。だってホラ」
 言いながら、春月は山田の、現代文のノートを指さした。
「老人が考人になってる。……あんた、漢字弱いでしょ」
「別に、そんなことは……」
「じゃあ、漢字小テストの結果、見せてごらんよ」
 脇腹をせっつくと、山田は渋々と言った感じで、返された小テストを見せる。
 予想以上にひどいその結果に笑い出した春月に、山田は憮然とした顔で言い返した。
「教育課程が違うし、中学校は途中からろくすっぽ行ってないし……あ、師匠と修行に行ってただけだけど……まあ、とにかく、いいじゃないか別に!」
 何を言っても言い訳にしかならない上、必死になればなるほど墓穴を掘っている気がするその様子に、春月は思わず吹き出した。

 翌日。
「なに書いてんの?」
「この間の仕事の報告書」
 机の上に広げたレポート用紙に、手書きでびっしり書かれた報告書。けれど習慣が違うのかなんなのか、カラーペンをたっぷり使った、やたらポップな報告書に仕上がっている。
「今度は誰を殺したの?」
「人聞きの悪い。ただの調査だよ。シュリフィードの姫君が浮気してるって聞いたから、相手を見つけだして『厳重注意』しただけで」
「姫君って、王子のお姉さんかなんか?」
「王子の妻だ」
 それじゃあ王子という人がありながら浮気してたんだ、いったいどんな人なんだろう、と春月は女性週刊誌的な興味を覚える。思わず報告書に目を通した春月は、ふと、その題字に目をとめた。
「山田、なんなのコレ」
「作戦名。『恋人は誰だ! 愛を引き裂け☆ドキドキ大作戦!』」
「……あの」
 もはやどこからツッコミを入れたらいいのか分からなくなりながらも、とりあえず春月は、一番ツッコミを必要としていそうな箇所を指さした。
「これじゃ、『変人は誰だ』なんだけど」
「…………」
 もはや返す言葉もないのか、無言で修正液を探しはじめた山田を、春月は少しだけ可愛いと思った。









 取り返しのつかない失態



「うわあ、やっちまった!」
 春月の声が調理室にひびく。家庭科の授業は調理実習。春月と輝美、藤城、山田の四人は、二番の机で調理中。
「どうしたの?」
「塩と砂糖を間違えた……ああ、取り返しのつかない失態だ!」
 頭をかかえてわめく春月の肩を、藤城が軽く叩いた。
「大丈夫だ、なんとかなる」
「なるかな……でも、塩辛い杏仁豆腐ってイヤだよ、私は……」
「……なんとかならないかも」
 気付けよ! と藤城に突っ込まれながらも、春月は鍋の中をヘラでかき回し、やけっぱちのように砂糖を入れることでごまかそうと努力している。
「春月、もうやめようよ……塩辛い杏仁豆腐っていうのも、いろいろと新鮮かもしれないし」
「なぐさめてくれなくてもいいよ、輝美……」
「なぐさめてるんじゃなくて諦めてるの。……そうだ、山田くん、魔法でなんとかならない?」
「どうしろって言うんだ?」
 山田は困ったように首をかしげ、鍋の前に立つ。確かに、この三人は皆、山田が魔法使いであることを知っているからいいけれど。
「塩だけ引き上げるとか」
「これだけ混ざった後にか?」
 魔法は万能じゃないよ、と山田はため息をつく。
「大体、オレの得意は幻覚系で、こういうのは」
「じゃあ、わたしたちが美味しく感じられるように魔法をかけられない?」
「……ああ、その手があるか」
「できるの?」
 輝美の提案に、山田はうなずいた。それならば、たとえどんな味の杏仁豆腐ができようと、さし当たって問題ない。取りあえず今は、回鍋肉を完成させるのに集中しても許されるわけだ。

 塩入り杏仁豆腐は、わりとまともな見た目に仕上がった。
 回鍋肉は、ちょっと豆板醤を入れすぎたことを除けば、美味しく仕上がった。
 白米もそこそこきちんと炊けて、中華らしい今日の課題は成功したかのように見えた。あとは、この杏仁豆腐がまともな味であればいいだけ。
「ええと……月に代わってお仕置きよッ」
 また微妙な呪文を唱えながら、杏仁豆腐を指さす山田。
「多分これで、しょっぱくはなくなったと思うんだけど」
「どれ」
 先生のチェックも受けて、あとは食べるだけ。藤城が、おそるおそる杏仁豆腐に手を伸ばした。ゆっくり口に運び、
「ぶっ!」
 吐き出した。
「ど、どうしたの、藤城……」
「……からい……」
 涙目で訴える藤城。輝美と春月も、怖いもの見たさで食べてみる。
「……辛っ! これ、回鍋肉よりよっぽど辛いよ」
「杏仁豆腐としては、塩辛いよりもありえない味ね」
 女性陣二人が叫ぶ中、山田は淡々と杏仁豆腐を口にする。
「……美味いよ?」
 「ありえない」「お前の味覚がおかしい」「わたし甘党なんだけど」等の罵声を交わしながら、春月は思った。
 砂糖と塩を間違えたことより、その始末を山田に頼んだということの方が、取り返しのつかない失態だったのではないか、と。









 ちらちらと瞬くひかり 本編第二話の読了を推奨



 シュリフィード王国第一王子、フィガロ=与作=シュリフィード十四歳は、懐中電灯を手に城の地下を歩いていた。
「だいたい、どうして俺様が幽霊退治なんか」
 夜な夜な、無人のはずの地下室にちらちらと瞬くひかり。その正体を確かめ、害があるものなら退治する。「これも王子の務めだ」と言われて、納得できるようなできないような。
 金に染めた髪、鳶色の瞳、やたらと飾りの付いた上着に冠、とどめのかぼちゃパンツと、絵に描いたような王子様ルックの王子は、ため息と共に呪詛の言葉を吐き出す。
「ちくしょう、俺様だって青春真っ盛りの十四歳なんだぞ。こんな時、ついてきてくれる女の子のひとりくらい、いたっていいじゃないか」
 それは少々高望みというものかもしれない。そもそも王子は既婚者だ。
「マリアンヌは、まず一緒には来ないだろうしなあ」
 妻の顔を思い浮かべて、ふたたびため息をつく。今晩はどこに遊びに行っているのだろう。夫婦仲は最悪だが、隣国との平和を保つためには離婚するわけにいかないのだ。そもそも、妻にしおらしく「ごめんなさい」と言われると、夜遊びも不倫もすべてを許し抱きしめてしまう、王子の態度も問題である。
「王子なんて、何もいいことないよ……」
 王子が三回目のため息をついた、そのとき。
 ふと王子の視界に、ちらちらと瞬く光が飛び込んできた。すわ幽霊かと、腰の剣を抜きざま廊下を曲がる。懐中電灯の明かりの中に、浮かび上がった人影。
「誰だ!」
「よ……呼ばれて飛び出て、ジャジっ」
 言いかけた人影は舌を噛み、口元をおさえてうずくまる。近寄ってみればそれは確かに幽霊だった。白い着物に長い髪の、日本によくいそうな女の幽霊だ。
「口上はいい。お前は誰だ?」
「あ、わたくし、白鳥麗子と申します」
 頬がこけた青白い顔を王子の眼前にぬっと突き出し、白鳥麗子はささやくように答えた。王子の背中に悪寒が走る。
「この城で幽霊すること三ヶ月、ようやく王子様が退治に来て下さいました」
「うわあその輝いた目で俺様を見るな! 怖い!」
「幽霊ですもの、怖がっていただければ、わたくし本望ですわ」
 麗子がやせこけた手を伸ばし、王子の頬を撫でる。感触はないはずなのに、冷気が皮一枚離れたところを通り抜けていく。
「わ、わかった! 怖がってやるから、早く成仏してくれ!」
「そうは参りませんわ。わたくし、幽霊になったからには一度やってみたかったことがありますの」
 薄い唇の端をつり上げ、にたにたと笑いながら、麗子は王子の首もとを掴む。とっさに身の危険を感じた王子だったが、相手が幽霊ではどうしようもない。ふと身体が重くなったような感覚を覚える。そのまま全身の力が抜けて、たまらず床に座り込んだ。王子の意思とは離れたところで、口が動く。
「退治に来た方に取り憑くのは、幽霊の夢ですわよね?」
「な……バカ、離れろ、死んじまえ、ってコイツもう死んでるし!」
 王子の声を乗っ取った麗子のせいで、端から見れば一人芝居。完全に自由を奪われて、王子が抵抗を諦めたのは一分近く経ったころだった。
「さあ、あとは助けに来た加勢に襲いかかって、相手の動揺を誘うのですわ。繰り広げられる究極の選択! 愛と涙の物語!」
「加勢なんて来るのかな……俺様としては、たぶん来ないと思うんだけど」
 悟ったような顔で四度目のため息をついた王子の耳に、ふと聞き慣れた声が届く。王子を呼び捨てにする、この声は。
「マリアンヌ・(中略)・花子……」
「まあ、姫様じきじきのお出ましですわ!」
 喜び勇んで剣を抜く麗子。王子の抵抗もむなしく、麗子は廊下をマリアンヌがいるらしき方向へ走る。思いっきり派手なポーズと共に飛び出した。
「呼ばれて飛び出てジャジャジっあっ、とにかく姫様、この王子様の身体はわたくし、幽霊歴三ヶ月の白鳥麗子が乗っ取りましたわ! さあ、わたくしを倒せば王子様を傷つけることになりますわよ!」
 ノリノリで叫ぶ麗子。冷たい視線を王子に送るマリアンヌ。王子の、声変わり後の声でこの口調では、ハタから見ればただのオカマだ。仕方ないといえば仕方ない。
「……だから?」
 マリアンヌの行動は早かった。
 直後、白鳥麗子は王子ごとマリアンヌに殴り倒される。しかも手加減無しのグーだ。遠慮のいらない間柄なんですね、などとフォローするのさえも苦しいような、本気の一発。
「幽霊退治は、王族のつとめだとお義父様が言ってましたわ。ごめんなさいね与作、まあ人生なんて所詮こんなものです諦めなさい」

 ……王子と姫の夫婦仲は、今日も氷点下に冷え切っていた。









 理由はたったひとつだけ




 手にしたケージの中で暴れ回るハムスターを見ながら、山田はため息をついた。少し、大人しくならないものか。
「ええい、元に戻せ、小僧! 私がいったい何をした!」
 成り行き上始末せざるを得なくて、仕方なくハムスターに変えて連れてきた男を、山田は憐憫と嘲笑があいまった表情で見下ろす。
「あんたがこんな目に遭う、理由はたったひとつだけ」
 歌うようにつぶやいた言葉に、ハムスターが一瞬だけ黙る。
「国王陛下の髪がヅラであることを、知ってしまったからだ」
 自分で言っていて情けない。多分このハムスターはもっと情けないのだろうと思うと、本当に何もかもバカバカしくなって、山田はケージを放り投げたい衝動にかられる。
 魔法のじゅうたんは順調に高度を下げ、もう少しで日本の地面に降り立とうとしている。日本ではやたら目立つ黒マントを脱ぐと、山田は困ったようにひとしきり首をかしげ、ため息をついた。
「オレはあんたを殺すべきなんだろうか。……ハムスターとして一生を終えるのと、ここでひと思いに殺されるのと、どっちがいい?」
 山田にしてみてもこの男にしてみても、それは究極の選択であるような気がする。
「答えられないよなあ。……おっと、自己紹介がまだだっけ? オレの名前は山田太郎、悪の魔法使い。あんたは?」
 ハムスターは答えない。先ほどまでの激しい抵抗も影を潜め、ただ恨みがましく山田を睨んでいる。
「ま、そんなこと聞いたって仕方ないか。でも、例えばあんたがどこかに逃げたとして、オレの名前がわからないと魔法が解けないよ?」
 逃げる、という言葉に反応して、ハムスターが後足で立ち上がった。ケージの檻から前足を伸ばし、鍵を開けようとする。
「無理だよ」
「……小僧、私の名はクロンだ。探す時に要るだろうから、覚えておけ」
「あれ、まだそんなこと言ってるの?」
 楽しんでいるとしか思えない調子で、山田は笑った。悪の魔法使いとしては、必要な「ポーズ」だ。
「ハムスター如きに、出し抜かれるオレじゃ――」
「あ、UFOだ!」
「――え? どこどこ?」
 ハムスターが指さした彼方。もちろんそこには何もない。はっと気がついて山田が視線をケージに戻すと、じゅうたんは地面に降り立とうとしていて、ケージの中からハムスターは消えていた。
「あいつ……騙したな」
 どう考えても引っかかる方が悪い。春月がいたなら間違いなくツッコミを入れそうな事情から、山田は一匹のハムスターを逃がしてしまうことになる。
 これが後に騒動を引き起こそう(としているかもしれない)とは、山田はおろか、クロンさえも考えていなかっただろう。









 ぬしは逃げた




 実力試験の一日目。
 教室に、山田太郎はいなかった。

「藤城、山田はどうしたの?」
「俺に聞いてどうすんだよ」
「だってアンタが一番仲良しでしょうが」
 詰問口調になる春月を、目だけ動かしてとらえると、藤城は面倒くさそうに問題集に視線を戻した。
「そうだけど。あいつ、行動が読めないからな……ま、大方サボりだろ。こんな試験、出たって出なくたって変わんねーし」
「その割にはアンタ、真面目に勉強してるじゃない」
「安西と競争してるんだ。買った方に、ハンバーガー二個」
「うわ、安っぽい……数学くらい、輝美に教えてもらえば?」
「断られた。……俺も明日はサボろうかなあ……ハンバーガーくらい、もうどうでもいいや」
 藤城は頭をかかえ、小さくかぶりを振った。問題集を片手で閉じると、もったいぶった仕草でそれを足下のカバンにねじ込む。出身中学の指定カバンは、もうすっかりくたびれて、引っかかるファスナーに藤城は眉をひそめた。
「じゃあな、藤原」
「ん、バイバイ」
 藤城が行ってしまってから、春月は何とはなしに屋上への階段を上がる。ふと、そこに山田が靴を隠しているのを思い出し、春月は記憶にあった通りの場所に手を触れた。そこにあるはずの柱の感触はなく、十数センチばかり先の空間から、見えない壁が冷ややかさを伝える。靴と魔法のじゅうたんを隠すために山田が作った、幻覚の柱。その先に突き抜けた手が、じゅうたんと思しきものに触れた。
「……山田、学校来てるんだ」
 思い切って屋上への扉を押すと、あっさりと開く。コンクリートの屋上の上を、強い風が吹きすぎた。
「山田」
 ためしに、と思って呼んでみると、意外にも返事が返ってきた。春月の視界の外、扉のある空間の上。
「何しに来たんだよ」
 ムッとしたような声が返ってくる。春月は扉から数歩離れて、山田の顔が見える位置まで動く。それから、山田のほうへまっすぐに指をつきつけた。
「ぬしは逃げた」
「悪いかよ」
「人が苦労して世界史と戦ってるときに、おぬしは屋上でのんびり寝ていたというのかっ!」
 芝居がかった口調で叫ぶと、山田は心外だ、と首を振った。
「別にサボっちゃいない」
「じゃあ、何してたっていうのよ。だいたい、とんでもなかったのよ世界史。範囲も『既習範囲全部』ってやたら広いし! 『太っちょのロロ』の似顔絵描かされて、しかも配点が二十点……ああ、いや、それはともかく!」
「……相変わらず世界史らしくない試験だな……ちょっと緊急事態があってさ。世界史には間に合うつもりだったんだが、結局間に合わなかった」
 せっかく色々覚えたのに、と山田は口をとがらせる。
「面白いぜ、日本の世界史は。なにせ空中都市の記述が、綺麗さっぱり消えてるからな」
「そういえばそうね。……ところで、緊急事態って?」
 企業秘密、と笑おうとした山田の顔が、ふとこわばった。
「……おい、藤原。お前は『ぬし』を知ってるか?」
「『ぬし』? 何それ、川にいるデカい魚のこと?」
「知らないならいい。とにかく、ソイツが逃げ出したんで、捕まえに行ってたんだ」
 ほら、と自慢げに山田が見せた、それ。
「……こいのぼり? つーか今は十月」
「違う、『ぬし』だ! この口でいろいろ捕食するから、シュリフィードでは恐れられてるんだが、日本に逃げ込むのはまれでね」
 しかし、どう見てもそれは、ポールに結わえられた小ぶりのこいのぼりにしか見えない。というか、吹き流しまでついている。
「こんなののために、世界史の試験捨てたんだ」
「オレだって、気が進まなかったんだぞ! コイツは魔力を吸うんだ。じゅうたんの魔力が吸われたら終わりだから、もう気が気じゃなくて」
 違うそこじゃない。
 春月のツッコミをよそに、こいのぼりはのんびりと、十月の空を泳いでいた。









 ルパートさん出番です




 片山鈴子、二十歳は、このアパートの大家の孫娘だった。
 いったい築何年なのか、大家である祖父自身が忘れているこのボロアパートの二階で、一人暮らしをしている。
 さて、ずっと空き部屋になっていた一階の北側に、借り手がついたと祖父が言ったのは三月の終わりのことだった。あの日当たりの悪い部屋を借りる酔狂な人間の顔を見てやろうと、鈴子は勇んで階段を下りていった。
 三日前に入居したといっていたが、ここ数日、鈴子は用事で出かけていたのでその顔を知らない。特に用事もないが、試しに呼び鈴を押してみる。
「はーい」
 返ってきたのは男の声。扉を開けたのはまだ中学生か高校生といった感じの少年だった。焦げ茶の髪は伸び気味で、名前はと見たが表札はかかっていない。
「ええと……あの、どちら様でしょうか?」
「真上に住んでいる、片山です。……おうちの方、とかは……」
「オレ一人です。あ、片山さん……鈴子さんですよね。お祖父さんに、挨拶の品を渡しておいたので、良かったらもらってやってください」
 平気な顔でよく喋る。この部屋の、前の住人とはえらい差だ。結局一ヶ月で出ていった女性の顔を思い出し、鈴子は苦笑する。
 この部屋は、幽霊の住む部屋だ。
 いつからそんなことになったのかは知らないし、祖父も詳しいことは教えてくれない。けれど前の住人のやつれ方からすると、おとなしい幽霊ではなさそうだ。彼はどのくらいで出ていくのだろう、と鈴子は思う。
「あの、すみません、お名前は」
「山田です。ずっとアメリカにいて、日本のことはよくわからないので、色々とご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
 たどたどしく言い切って、頭を下げる。もしかして外国の血が混じっているのかな、と彼の顔を見ながら思った。一人で日本に来たのなら、大したものだ。それにしては日本語が流暢で、時折妙なアクセントが入るが、気になるほどではない。それを言ったら、鈴子の使う方言のほうが、この辺りではよほど妙だ。
「こちらこそ。……ところで、この部屋についての噂、ご存知ですか?」
 どうしても気になって尋ねる。山田少年はにこりと笑って頷いた。
「ええ。幽霊のことでしたら、何の問題もなさそうです」
 良かったら中に入りませんか、と言われて、誘われるままに上がり込む。六畳二間のアパートだけれど、古くて日当たりが悪いから、広さの割に家賃はずいぶん安い。
 段ボールが積み重ねられていて、かたわらの飾り棚はまだ空だ。真ん中に出したコタツと兼用の机、その周囲だけがきれいに片づいて、座布団まで出ている。
「そのピンクの座布団の上は安全なんで、そこ座ってください」
 安全、という言葉が少し引っかかったが、とりあえず座ることにする。どうぞ、と出されたのは麦茶らしき飲み物。そう思って口をつけたところ、どうやら麦茶ではなかったらしく、その甘ったるい味に顔をしかめる。なんだこれ、という疑問は口に出されないまま消えた。
「あの、幽霊は本当に大丈夫なんで。この飲み物準備してくれたのも、彼なんですよ」
「……は?」
 足下の段ボールを器用に避けながら、山田少年は台所に通じるドアを開けた。
「ルパートさん、出番です!」
 途端に霧のようなものが凝って人のかたちをつくる。貧相な男のかたちだ。どう見ても純日本人の彼は、「どうも、ルパートです」と頭を下げた。……幽霊?
「あ、あの、片山さんのお孫さんですよね。いつも、その、見てました」
 唖然とする鈴子の眼前に、ルパート(自称)は顔を突き出す。アパートにルパート。いやそんな語呂合わせを考えている場合ではないのだが、鈴子の思考はそこでくるくる回るだけ。ちっとも前に進まない。
「あ、あの、前にここに住んでた加藤さん、ボクのこと、嫌いだったみたいで。でも太郎君、ボクと気が合いそうだから、たぶんケンカにはならない、です」
 脂っぽい髪を肩までだらしなく伸ばし、無地のトレーナーによれよれのジーパンを穿いたルパート(自称)は、そう言って、えへら、と笑った。
「彼女、忙しそうだったんで、代わりに洗濯と料理と模様替えをしてたら、なぜか怒られちゃって」
 当たり前だ。
「……まあ、いいけど」
 ルパート(自称)は口だけで笑いながら、ぎょろりとした目を鈴子に向けた。
「あの、ボク、料理とか得意なんで、困ったら呼んでください。アパート内限定で、いつでも行きます」
「美味しいですよね、その麦茶? 彼の特製ブレンドだそうです」
 やっぱりこれは麦茶だったのか。
 甘ったるい飲み物に視線を落とし、ぜったい呼ばない、と心に誓う鈴子であった。









 ヲトメゴコロ




 今日は牛丼のサービスデー。わたし、武者小路ヴィルクロイア夏美は、わくわくしながら牛丼を買いに出かけた。
「夏美、いい加減にやめようよ、学校帰りに牛丼食べるの」
「だめ?」
 友人が頷いたところで、わたしは気にしない。
 だいたいこの友人だって、好きな食べ物を聞いたら「カロリーメイト」と答えるんだ。お互い様だとわたしは思う。
 シュリフィードに吉野家が進出してからどれだけ経ったか忘れたけれど、わたしにとって、それが大事件だったことは言うまでもない。幼いころ、開店セール中の店で牛丼を食べたあのとき、わたしはあまりのおいしさに我を忘れたものだった。ヲトメゴコロを捕らえて放さない、あの魅力的な味ときたら。
「比奈子、あんたこそ、昼食をカロリーメイトで済ませるのはやめた方が」
「……カロリーメイトは牛丼より健康的だと思う」
 そんなことない。
 わたしの友人・比奈子は、近くの公園に入るとベンチに腰を下ろした。
「牛丼買ってきなよ、夏美。あたし、ここで待ってるから」
「うん」

 牛丼を買って帰ってくると、比奈子はさっきと同じ格好で、ぼうっと空を見つめていた。
「比奈子、なにか見える?」
「別に。……ただ、あの日もこんな青空だったなあ、と」
「あの日?」
 うん、と比奈子は頷いて、ぽつりぽつりと言葉を口にした。
「あたしに、兄貴がいるのは知ってるでしょ? その兄貴ってのがさ、あたしとは血の繋がってないひとなんだ。事情があって、うちに引き取られてきた養子」
 いきなり何を言い始めるのだろう、と訝るわたしの前で、それでも比奈子は続ける。
「その、事情ってやつのせいで……あたしが七歳の夏、兄貴は家出した。夏休みが終わるころになったら、ひょっこり帰ってきたけど」
 それはまた、プチ家出とでも言えばいいのだろうか。
「でも、その時はそんなこと知らないから、あたし、兄貴を一生懸命探したんだ。兄貴の行きそうなところとか、子供心にいっぱい考えて」
 しみじみと語る比奈子の手には、いつの間にかカロリーメイトのスティックタイプが握られていた。どうでもいいが、おやつ代わりに食べるのにカロリーメイトはOKなのだろうか。ああ、スティックタイプならOKか。
「そんなある日、あたし、迷子になってしまってね。日も暮れて、本当に困ってたときのことよ。……兄貴が、いきなりあらわれたの」
 びっくりしたわ、と言う比奈子の目は、兄への愛情みたいなものに溢れている。ブラコン、と言ってしまえばそれまでだが。
「それから、あたしにカロリーメイトを差し出して言ったわ。『比奈子、やっぱりカロリーメイトは日本のヤツの方が美味しいよ』って」
 ちょっと待て。迷子になった妹を、ようやく捜し当てた兄の台詞か、それは。
「そのとき食べたカロリーメイトの、美味しかったこと……! あたし、すっかり感動してしまったわ」
 そんなところで感動するな。むしろ兄との再会を喜ぶべきところじゃないのか、そこは。というか、さっきの思わせぶりな前フリは無視ですか。
「それからだな。あたし、カロリーメイト食べてると安心するんだ。兄貴が側にいるような気がして。今は日本に留学しちゃって、全然帰ってこないけど」
 だから、家出うんぬんはどうなったんだ。むしろその事情ってなんだ。言いかけられると気になるじゃないか。家庭の事情ならそれらしく、きっちり伏せて喋ってくれ。
「夏美と牛丼の間にも、そんな関係があったりするの?」
「ないよ」
 むしろいらない。
 わたしはその思いを必死に呑み込みながら、極上の笑顔で微笑んだ。
 確かに、わたしは牛丼が好きだ、けど。
 ヲトメゴコロに、理屈なんかないのだ。





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