スプリング*スプリング2
「愛は蚊取り線香のように」   月香るな



 その時季節は夏だった。
 自称一般人である女子高生・藤原春月は、いつものようにうだるような暑さの中を、駅に向かって歩いていた。……その時だ。
 突然、黒い国産のライトバンが春月の背後に現れたかと思うと、彼女のすぐ横で急停止する。壊れそうな勢いで開いたドアの中から、ひょこりと顔を出したのは、なぜか和服に身を包んだ外国人。
「ハロー」
「あ!? ああアイキャンノットスピークイングリッシュ!」
 そして手にはどういうわけか蚊遣りブタ。中にはしっかり蚊取り線香が取り付けてあって、ゆっくりと煙を吐き出している。そのせいで、車の中は煙が充満していてひどい有様だ。いいから早く窓開けとけよ、と春月は真剣に思った。
「……すまない、言い方が悪かった。言い直そう。やい藤原春月、ここで会ったが百年目、いざ勝負!」
「うわぁ何! あんた誰! っていうかどうしてあたしの名前知ってるの! むしろその刀は銃刀法違反っていうか、えぇ!?」
 蚊遣りブタを抱いたまま、腰の刀に手をかける外国人。春月はその手をとっさに押さえつける。この外国人、絶対日本人を誤解している。……いや、今日本語ペラペラだったような?
「……いや本当に、あんた誰」
「俺様だ。フィガロ=Y=シュリフィードだ」
 それでもやっぱり判らなかった。

            *

 それから四十秒くらいの沈黙の後、春月はやっと外国人の正体に思い当たり、思わず大声で叫んだ。周囲の視線がちょっと痛い。
「あの時のバネ! マザコン王子! 人間に戻れたんだ!」
「マザコンだけ余計だ!」
 そう。春に出会って以来出会うこともなかった、あのバネことシュリフィード魔法王国第一王子殿は、ちゃっかり人間になって戻ってきていたのだった。
「で? その王子様が、一体何しに来たのよ」
「……ああ、そうだった」
 王子は一つ咳払いをすると、おもむろに腕に抱えた蚊遣りブタを指さした。
「妻だ」
「……は?」
「だから彼女が俺様の妻だ」
「彼女って……蚊遣りブタ?」
 王子は神妙な顔で頷いた。春月の中で妄想がふくらむ。バネの妻が蚊遣りブタ。いやひょっとして素晴らしい組み合わせ?
「何を驚いているんだ。政略結婚のようなものだから、この歳で結婚していたって何もおかしくはない」
「違う、そこじゃない!」
 王子が若いのは見れば判る。春月より年下かもしれないのも見れば判る。だからそうじゃなくて、
「だからどうして蚊遣りブタ」
「そう! そこなんだ藤原春月、もともと彼女はこんなにふくよかな体型なんかしてなかったんだ、それをあの魔法使いが」
 魔法使い。その言葉で、なんとなく春月には話が見えてきた。
「山田太郎がこんな姿にしてしまったんだ!」
 ……山田太郎。1年8組19番、軽音楽部所属の魔法使い。
「だから藤原春月、山田太郎の居場所を教えろ! このままでは、彼女が大好きな蚊を捕食できない……!」
「そういう問題か! っていうか捕食って!? えぇ!?」
 蚊遣りブタはゆっくりと煙を吐き出している。っていうか妻だろ。蚊を捕食するのか妻。なんなんだ妻。謎は尽きない。
「いいから山田太郎の居場所だ! 早く教えろ藤原春月!」
「ああ、はいはい! 山田ならきっとまだ学校よ!」
「連れて行け」
 その格好で? と思わず春月は聞き返す。
 羽織袴に足下は下駄といういでたちの王子は、ゆっくりと頷く。
「そのために一般的な日本人の出で立ちをしてきたんだ。どうだ自然だろう、違和感ないだろう」
「一体何を参考にしたんだ、お前は!」
 王子が答えようとした、その時だ。
 今まで黙っていた蚊遣りブタが、口を利いた。
「……おなかがすきましたわ」
 こもった声。それを聞いた途端王子はさっと顔色を変え、春月を車に引きずり込むと「学校はどっちだ!」と叫ぶ。
 ……何を恐れているんだ王子。
 慌てて春月が道案内を始めると、明らかに未成年で免許も持っていなさそうな王子は、上手に駐車禁止である校門の前に車を止めた。そこから転がるように飛び出して、春月の指示に従って視聴覚室へと走る。
「見つけた!」
 騒音公害を警戒して、真夏だというのに軽音楽部の練習は窓を閉めて行われていた。とんでもない熱気の中、不機嫌そうにギターをいじくっていた山田は、はっと顔を上げる。
「王子……どうしてここに」
「そんなことはどうでもいい! 早くマリアンヌ・ローズ・ヴェロニカ・花子を元に戻せ!」
 マリアンヌ・ローズ・ヴェロニカ・花子でひとつの名前らしい。
「……っていうか花子って。マリアンヌなのに花子かよ」
 春月のツッコミも、あまりの暑さのせいか精彩を欠く。むしろ徐々にすさんできている。
「判った、判ったからここでは勘弁してくれ! こんなところで姫の本性が現れたら大変なことに」
 姫、というのが蚊遣りブタのことを指すのだと、気付いたのはしばらく後だった。呆気にとられる軽音楽部員に一瞥をくれると、山田は王子を引きずって、体育館裏へと走っていく。春月は好奇心からその後をつけた。何者なんだ姫。
「さあ。ここなら人もいない、姫を元に戻せ」
「……王子。そこで簡単に戻せるほど、悪の魔法使いは甘くないんです。それでは物語が面白くないしオレも報酬が貰えない、そしたらケータイの料金が払えないんですよ。今月ちょっと使いすぎて」
 ……相変わらず、携帯電話の通話料のために働いていたらしい。
「しかし彼女は空腹なんだ。好物の蚊を食わせてやらないと……」
「それがダメなんですって。この間、姫ってば蚊と間違えて、王様の大切にしていたムカシトンボまで食べたでしょう? 王様がもうひどくご立腹で。それで少々痛い目に遭わせて差し上げたんですが」
「っていうか間違えないだろ蚊とトンボなんて」
 物陰に潜む春月のツッコミを聞く者はいない。
「そ、そんな……知らなかったよ、そうなのかいマリアンヌ・中略・花子、ちゃんと正直に言わないとダメじゃないか」
 っていうか中略かよ。春月は思わず言おうとしたが、言っても無駄な気がしてきたのでやめた。
「ごめんなさい」
 蚊遣りブタが、いわゆる蚊の鳴くような声で言った。
「ま……まあ、姫もまだ小さいことだし、これくらいで勘弁してやる……か。王子、姫をそこに置いて、三歩離れてください」
 そう言っておいてから、山田が懐から取り出したのは長さ1メートルくらいの杖。むしろどこに入ってたんだと春月は思う。いやツッコミを入れるべきは色なのか。濃いピンクと白のストライプ。
「行け!」
 杖の先から白煙が上がる。その白煙は蚊遣りブタと、ついでに王子も包み込んだ。中からキィィンとかグシャとかバリンとか、とにかくそんな音がしている。
「ま……まさかお前、俺様を騙したのか!?」
 白煙の中で、慌てたような王子の声がする。春月は思わず、隠れていた物陰から飛び出した。
「ははははっ、騙される方が悪いんですよ王子」
 その表情はとても悪だった。典型的な悪の魔法使いだった。
「それ!」
 煙が消えたそこには、相も変わらず蚊遣りブタと、そして風鈴が一つ落ちていた。何すんだ、と叫んでいるのは風鈴。王子だろう。
「……ふん。今回はこんなこともあろうかと、護衛騎士を連れてきたんだ。俺様の方が一枚上手だったようだな」
 そんな王子が、珍しくまともな発言。蚊遣りブタが「王子様ってすてき」と呟いた。
「行け、護衛騎士!」
「イーッ!」
 どこからともなく現れた黒い人影が、叫びながら山田に襲いかかってきた。
「っていうかシ○ッカーかよ!」
「そうだショッ○ーだ! 日本人なら誰でも知ってるんだろう?」
「知ってるけど……王子、ショ○カーは悪い人」
 王子が驚いている間に、護衛騎士(○ョッカー?)は倒されていた。山田の構えた杖に血がついている。
「……まずいな。逃げるぞ藤原」
「え、どうして私まで」
「何だ、一緒に捕まりたいのか?」
 と、その時だ。春月の背後でいきなり閃光が走ったかと思うと、蚊遣りブタが膨張していく。
「な、何だ……?」
「……今の戦いで興奮して、彼女の秘められた力が覚醒したのだな。彼女の一族が持っている力で、元の姿に戻ろうとしているんだ」
 したり顔(したり風鈴?)で解説するのは王子。蚊遣りブタは山田の身長を遙かに越えてから膨張をやめる。ポカペン、という軽い音と共に、真の姿を現した姫だったが……
「うわ、っていうか爬虫類」
 姫は爬虫類だった。むしろドラゴンだった。いいのか王子。変な奴の妻は変な人間かとは思ったが、しかしこれは人間ですらないぞ。
「ああ、マリアンヌ・中略・花子。これで心おきなく蚊が捕食できるというものだね」
 それが妻かよ。ツッコミを入れたくてたまらない春月に構わず、風鈴な王子は澄んだ音を立てた。
「……やっぱり今時、蚊遣りブタは流行らないか」
「そういう問題じゃない!」
 ボケツッコミの合間にも、姫は地響きを上げて迫ってくる。山田は春月の手を引いてひた走る。その顔が結構本気で怯えている。
「乗れ!」
 自転車置き場で一言叫ぶ。可愛らしいハムスター柄の魔法のじゅうたんが、目の前に出現した。相変わらず似合わない。
 ……などと言っている余力もなく、春月は空飛ぶじゅうたんに飛び乗った。鼻息荒く姫が襲ってくる。背中の翼を広げて飛び立った。
「がんばれマリアンヌ・中略・花子!」
 一人置いて行かれた王子(風鈴)がチリンチリンと叫ぶ。
「その犯罪者を食ってしまえー!」
「って、えっ、ま、まさか姫って肉食!?」
 姫が炎を吐いた。空飛ぶじゅうたんは高度を上げる。姫も飛んでくる。王子の声が遠くなる。
「いや、姫は肉食じゃない」
 山田が冷静に答える。春月がほっとしたのもつかの間、
「……雑食だ」
「うわぁそれってやっぱり食べられるってことなんだね!」
 ぐあぱと大きな口を開け、姫は空飛ぶじゅうたんごと二人を食べようとする。
「あたくしはおなかがすきましたのよーっ!」
 姫が明瞭な日本語で叫ぶ。もう春月はいっぱいいっぱいだった。
「……藤原。しっかり掴まってろよ」
「へ? 何かするの?」
「ああ。ちょっと呪文とか唱えてみるから」
 杖を構えて、空飛ぶじゅうたんの上に立ち上がる山田。
 大きく息を吸うと、叫ぶ。
「それじゃ、明日ぁ来てくれるかなー!?」
 ちょっと待て。嫌な予感がして、春月が腰を浮かせる。
「いいともー!」
 どこからともなく返事があった。同時に頭上に暗雲がたちこめ、ピシャリゴロゴロと雷の音がする。
 その雷の一つが、思いっきり姫を打ち据えた。落ちていく姫。
「……山田。頼むからもう少し呪文らしい呪文を唱えてくれるかな」
「? 結構呪文らしいと思うけど。不足?」
「……どっか外国語とかさ、変なカタカナ語とかさ、カッコつけた神への祈りとかさ、何かあるでしょ」
「だってほら、オレ、普段呪文とか使わないし」
「それでも!」
 はぁ、と一つため息をついて、山田は空飛ぶじゅうたんの高度を下げていく。
「そんなに言うなら、やってみようか」
 地面でぴくぴくと四肢をふるわせる姫の周りに、野次馬が集まってきている。
「はーいお立ち会いお立ち会い。今からここにいる人たちみんなの記憶から、姫の存在を消しちゃうよーパチパチパチ」
「誰に言ってるんだよそれ」
 春月のツッコミを入れる声は、もう氷点下に冷え切っている。
 三階建ての校舎と同じくらいの高さにとどまって、山田は両手を振り上げた。大きく息を吸って、叫ぶ。
「ハロー、ハワユー! マイ ネーム イズ タロウ ヤマダー!」
 確かに魔法は発動した。
 確かにそれは外国語だった。
 確かにそれはカタカナだった。
 いや、しかし、それはないだろう。
 あからさまに不審そうな眼差しを向ける春月に気付いているのかいないのか、山田は満足げに頷いた。
「あとは、姫と王子に穏便に帰ってもらうだけだね」
 爽やかに笑顔を浮かべるその顔があまりに格好良くて、でも呪文は「こんにちは、私の名前は山田太郎です」で。春月は本気で、このまま身投げしようかと思った。
 地面に降り立った山田がポンと姫の頭を叩くと、姫は小さくなって手のひらサイズになる。
「じっちゃんの名にかけて!」
 山田が叫ぶと、その手の中から姫が消えた。
 もう、呪文にツッコミを入れる余力は春月にはない。
 後ろでチリンチリン鳴っている王子を叩きつぶしたい衝動にかられても、それを実行に移す余力さえないのだった。
「……そのままお前らみんなどっか消えてしまえ、くそ――ッ!」
 春月の叫びは、夏の空にむなしく消えた。

 高校生活は、まだまだ先が長そうだった。


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