46の台詞。inスプリング*スプリング part1
月香るな


 「一円玉で五十円ってのは酷じゃないか?」



「山田、何やってんの?」
 放課後、屋上へ続く階段の踊り場で椅子を担ぐ山田を見かけ、春月は声をかける。
「別に。ちょっと魔法をかけようと思って、準備してるだけ」
「どんな魔法?」
 山田が椅子を下ろして手招きしたので、春月は階段を駆け上がる。山田は椅子を持ち直し、それを屋上へと運び出した。
「いやあ、今月ちょっと色々無駄使いしすぎて、明日の食事が確保できる自信がなくてさ。明後日には金が入るんだけど、取りあえず財布の中身が二十三円ってのはヤバいから、何とかしようと思って――」
 置いた椅子の上にハンカチを敷き、その上にどこから持ってきたのか、ガラスのコップを乗せた。屋上の床には既に白と黄色のチョークで何かの模様が描かれている。円と直線を組み合わせたその模様は、椅子を囲むように広がっていた。
「ここはひとつ、魔法で金を出してやろうかと」
「それ、犯罪じゃないの?」
「細かいことは気にすんな。オレは悪の魔法使いだぞ。おい藤原、何かあったら困るから、この魔法陣の外まで離れてくれ。いいって言うまで、絶対に入ってくるなよ」
 それから、山田は黙ってコップの横に手をかざす。一瞬、春月の頬をやけに涼しい風がかすめた。同時に、チョークで描いた魔法陣が青白く光ったような気がして、春月は目をしばたく。
 チャリ、と軽い音がした。何だろう、と訝る春月の前で、音は断続的に続く。
 その音の正体に気付き、春月は目を丸くした。
「お金だ」
 何もない中空から、小銭が落ちてきてはコップに貯まる。息詰まるようなその時間は、五分ほど続いただろうか。やがて山田が小さく息をつき、それと同時に張りつめていた空気が解ける。もう用済み、とばかりに魔法陣が消えた。初めからなにも書かれていなかったかのようなコンクリートの床を見て、春月は息を呑む。
「こんなもんかな。ああ、もうこっち来ていいぞ」
 ガラスのコップ一杯に貯まった小銭を見ながら、山田が言った。その光景に見入っていた春月は、ふと我に返り、慌てて彼の元へと駆け寄る。
「ねえ、それ全部お金?」
「ああ。いくらあるのかな、ちょっと数えてみるか」
 しゃがみこみ、ガラスのコップをひっくり返す。散らばった小銭は、ほとんどが一円玉と十円玉だ。
「なんかシケてるのね。どうせ魔法で出すんなら、五百円玉とか出ないの?」
「よっぽど運が良くねえと無理だよ。しかし思ったより一円玉が多いな」
 一円玉、十円玉、とそれぞれを山にして、十枚ずつ積んでいく。百円玉が一枚紛れていて、山田は「大収穫だ」と口元をほころばせた。
「でもその他は本当にシケてるなあ。何だよこの一円玉の量。一円玉で五十円ってのは酷じゃないか? 一円玉がこんなにあったって、買い物もできないっての」
「全部で、二百十五円、かな? 大丈夫、たぶん何か食べられるよ」
「魔法の準備に百五円かかってるから、あんまりコストパフォーマンス良くないんだけどな。くそ、それにしてもケチくせえ町だ」
 山田は積んだ硬貨を拾い、小銭入れにねじ込んでいく。一円玉は途中で入れるのを諦め、制服のポケットに流し込んだ。
「そのお金、どこから出てくるの? 人の財布とか?」
「それは駄目だろ。犯罪だし」
「さっき、細かいことは気にするなとか言ってなかった?」
 春月に問われ、山田はその視線を外しながら答える。
「言ったよ。いや、正確には犯罪なのかもしれねえけど……今やったのは、この町内の道ばたや、自動販売機の下なんかに落ちてる小銭を集める魔法。たぶん誰にも迷惑かかってないって。心配いらない」
 春月はコップとハンカチを片づける彼を見ながら、思わず口を開く。
「前から思ってたんだけど、あんたって結構、ケチくさい魔法が得意よね」
「うるせえ」
 口をとがらせる山田が、何だか急に可愛く見えてきて、春月は笑った。
「可哀想だから、ジュースでもおごってあげようか」
「別にいらない……と言いたいのはやまやまなんですが良かったらお言葉に甘えさせてください藤原様」
「良かろう。ついて来たまえ」
 そういえば一円玉って自動販売機にも使えないな、などと考えながら、春月はなぜか妙に軽い足取りで、階段を下りていった。









 「論点が違うー」



 一年生最後の定期試験、学年末テスト。
 三日目の一校時、目の前に置かれた問題をにらみながら、春月は頭を抱えていた。

――今は昔、竹取の翁という者ありけり。(1)野山にまじりて竹を取りつつ、よろずのことに使いけり。名をば、さぬきのみやつことなむ言いける。

(うん、竹取物語だね)

――問1.下線部(1)を英訳しなさい。

(……英訳ってアンタこれ竹取物語だし! 古文だし!)
 春月はわずかに眉をひそめ、シャープペンシルを無意味にくるくると回す。
(分かんないなー。He went to mountains and ……取るって何だ? ……took banboo……s? いや、っていうか、和訳じゃダメなのかコレ? And he use it for many ways……ええい、ワケが分からないよ……私、いちおう国際科なのに)
 ふと春月は、三列向こうに座る山田のことが気になって顔を上げた。同じく国際科の生徒で、ついでに言うなら春月より英語の成績だけはいい山田太郎は、斜め前方の席でやはり手を止めている。
 しかしそんなことをしても自分の解答用紙が埋まるわけでもない。春月は気を取り直し、次の問題に目をやった。

――問2.この物語が成立したのは平安時代の前期とされている。平安時代の前期、清和天皇のもとで、臣下としてはじめて摂政となったのは誰か。

(ダテに藤原姓名乗ってないよ私。たしか藤原良房じゃなかったかな)
 すらすらとシャープペンシルを走らせ、春月は次の問題を見る。

――(中略)かの奉る不死の薬の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の薬の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。兵士どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、(2)その山をばふじの山とは名づけける。その煙、いまだ雲のなかへたち上るとぞ、言ひ伝へたる。

――問3.下線部(2)について、なぜその山をふじの山と名付けたのか、かんたんに説明しなさい。

(あー、確かこれ不死の霊薬は関係ないんだよね。武士がいっぱいいるから武士に富む、富士の山、と)

――問4.本文全体の内容をふまえて、筆者が環境保護についてどのような考えを持っているのか、600字以内で論述しなさい。なお、文中には以下の用語をすべて使い、使った部分に下線を引くこと。
 竹細工 老夫婦 LOVEマシーン

(……なんか明らかにひとつ論点が違うー、っていうか本文ってほとんど省略されてるし! むしろどの辺が環境保護なんだよ竹取物語! いったい何を書けって!?)
 春月のツッコミをよそに、時間は刻々と過ぎていった。

「いやあ、今日も倶知安先生の試験はさえ渡っていたね! あっはっは!」
「本当に素晴らしかった。あのセンスはなかなかマネできないね!」
 試験が終わり、藤城育人と隣のクラスの安西孝士がやけくそじみた会話を交わしている。それを横目に見ながら、春月は山田の席へと近寄った。
「どうだった?」
「それなりに。いやあ、それにしても――」
 黒板に書かれた時間割を見ながら、山田はけらけらと笑う。
「実に素晴らしい『世界史の』試験だったな」
「あんまり認めたくないけど、そういえば倶知安先生って世界史の先生だよね! 日本史でも古典でも、ましてや英語の先生でもないよね!」
 春月の禁断のツッコミに、教室の喧噪が一瞬だけ途切れる。
 1年8組の生徒40人の心が、一つになった瞬間だった。









 「春なんだよ、頭が」



「今日は私の誕生日だ。さあぞんぶんに祝え!」
 叫んだ春月に、輝美が「おめでとう」と可愛らしいラッピングの包みを渡した。
「これでまた一つオバサンに近づいたわね!」
「黙れ!」
 笑顔でどつきあう二人。藤城と山田は思わず顔を見合わせた。
 開けていい? と春月が尋ね、輝美がうなずく。包みを開けると、中からぬいぐるみが出てきた。何とも言えない脱力感のある、癒し系なのかもしれない人形だ。
「『あおくびだいこん』! 欲しかったんだ、ありがとう!」
 のっぺりとした顔の書かれた大根のぬいぐるみを見て、山田が頭を掻き、「かぶったな」とつぶやいた。
「え、何、まさかお前もあのシュールなぬいぐるみ……? っていうかあんなキワモノ、一体どこで売ってるんだよ」
 仕方ないから祝ってやるよ、と春月にチロルチョコを一つ渡しながら、藤城が山田の持つ袋に目をやった。ただのスーパーの袋に入ったそれを、「はい」と山田が春月に渡す。
「ちょっと違うんだけど、方向性が似ちまった。妹に、女の子が喜びそうなもの、って聞いたら、これがいいって言うから買ってきたんだけど」
 春月は礼を言って袋を受け取り、中から何かを取り出した。
 それはどうも、メッセージカードを括り付けたぬいぐるみらしい。
「『まんどらごら』っていうんだ」
「ああ、何だかどことなくマンドラゴラっぽいね!」
 フェルト製の植木鉢に入ったマンドラゴラが、くわっと目を見開いているぬいぐるみだった。大根のぬいぐるみと同じく、のっぺりした顔に筆で書いたような脱力系の顔。春月はいたく感激した様子で、「まんどらごら」を抱きしめる。藤城があきれたように口を挟んだ。
「前から思ってたんだけどさ……お前、けっこう独特な趣味してるよな」
「そうかな? これマジで超可愛くなーい?」
 女体に似たマンドラゴラは、腰までを植木鉢に埋めている。「抜くな危険」という文字が植木鉢にプリントされていた。
「ねえ輝美?」
「本当にすごく可愛いと思うわ。山田くん山田くん、今度お金払うから買ってきて!」
「別にいいけど」
 藤城が本格的に頭を抱えた。
「すっごい嬉しいんだけどさあ、山田」
 ん? と首をひねる山田の前に、春月は一緒に入っていたメッセージカードを突き出した。「お誕生日おめでとう」と書かれたごく普通のカードに、春月の名前が書かれている。
「私の名前、知ってる?」
「ふじわらはづき、だろ?」
「そうなんだけどさ。ハヅキのハは葉っぱの葉じゃないから」
「え、違うの!?」
 心底驚いたように山田が叫んだ。輝美が笑い出し、藤城も「確かに珍しいとは思うけど、さすがに一年も気付かないのはおかしいだろ」と難しい顔でつぶやいた。
「春の月って書いて春月! 春なんだよ、頭が。葉じゃないの!」
「う……ご、ごめん。今度から気をつける。でもな藤原、ちょっとオレからも言わせてもらっていいか?」
 不機嫌そうな春月と、笑っている輝美と、同情の視線を向けてくる藤城の顔を順繰りに見たあとで、山田は春月を指さした。
「お前、この間作った軽音の新歓コンサートのパンフ、オレの名前間違えただろ! 太郎の郎はオオザトの方だぞ、なんでわざわざ月の方の朗になってんだよ! 逆ならわかるけど、わざわざ難しくしてる意味がわかんねえよ!」
 おお、と藤城が感心したようにつぶやいた。
「全然気付かなかった」
「マジで? あんなにでっかく書いてあったのに!?」
「ごめん。でも、難しい字の方が個性があって良くない?」
「別に名前に個性とか求めてねえし! むしろオレの国だと、日本名の方が個性的だって流行りだし。太郎とか花子とか、最近けっこう多い名前なんだぞ!」
 はぁー、と藤城は大仰にうなずく。
「ところで山田、俺は今わりとすごいことに気付いた気がするんだけど」
 そして春月の手からメッセージカードを取り上げた。
「百歩譲ってハの字を間違えるのは仕方ないとして、月が間違ってるのはおかしい!」
「あっ、横棒が一本多いわ!」
 輝美と藤城に突っ込みを入れられ、山田はごくりと息を呑む。
 春月は固まった彼の背中をぽん、と叩き、「次から気をつけてね」と言ってみた。
 新学年の生活もこんな調子で続くのだろうな、と思いながら、春月は笑みをおさえられずに、声を立てて笑った。
 おかしさを嗤う、というのではない、何だかやけに幸せな笑いだった。









 「似合わない顔すんなって」




「アフリカからやって来た呪術師の呪いで、あの芸能人がついにクシャミを!」
 元々テンションの高いバラエティ番組だとは思っていたが、そんなナレーションの口上が何となく腹立たしくなって、岡田良昭はリモコンを妹から奪い、チャンネルを変えた。
「ちょっと、何すんのよ! あたし見てたのに!」
「うるせえ! あんなもん見てたら頭悪くなるぞ」
「甘崎はゆみの歌が見たいならそう言えばいいでしょ! 大体、いつも兄ちゃんだって楽しく見てるくせに!」
 妹が、飯粒が飛んできそうな勢いでまくしたてる。岡田は画面に大写しになる甘崎はゆみの顔を見ながら、「可愛いなー、はゆみ」とわざとらしく呟いた。
「そういえば兄ちゃん、呪いとか魔法とか幽霊とか嫌いだったっけ。でもアレは別に心霊モノとかじゃないんだから、別にいいじゃない! あたしが高田大サーカス好きだって、兄ちゃんも知ってるでしょ?」
 先の番組に出ていたお笑い芸人の名前を挙げて、妹がなおも主張する。岡田は妹の言葉を遮り、負けじと怒鳴った。
「お前のあのマッチョへの愛より、俺の甘崎はゆみへの愛の方が強いんだよ!」
「そんなことない!」
 兄妹の口げんかは、父親がチャンネルを野球に変えたところで、ぴたりと収まった。

 二段ベッドの下の段にもぐりこみ、岡田は小さくため息をついた。部屋を仕切るカーテンの向こうから、妹がヘッドホンで聴いている音楽が漏れてくる。シャープペンシルがノートに触れる音がそれに重なるのを聞きながら、もう定期試験が近いことを思い出した。高校二年生ともなれば、徐々に進路も気になってくる。進学を希望している手前、そろそろ勉強しなければ、と一瞬だけ思って、まあいいか、と枕に顔をうずめた。
 岡田は別に、心霊現象が嫌いなわけではない。ホラー映画も平気で見るし、むしろそれを思わず笑い飛ばしてしまい、場を白けさせる側だ。だが、どうしても、呪いというやつは受け付けない。
 そのきっかけになったのが、一年前のある事件だ。岡田の前腕には、幾筋かの傷痕がうっすらと残っている。はじめは目に入る度に苛ついていたものだが、慣れてしまったのか、傷が目立たなくなってきたのか、最近はあまり気にならない。
「佐藤、今どうしてんのかなあ」
 小声でつぶやいてみる。彼にこの傷を負わせた幼なじみは、今は電車で一時間ほどかかる町に住んでいるはずだ。去年の七月、事件を起こした後、彼の家族は逃げるように引っ越していった。
 そもそも、その事件というのが、他人に説明のしようもない出来事だった。何しろ登場人物が魔王と勇者だ。真面目に話したところで、誰が信じてくれようか。
 岡田と佐藤浩は幼稚園で一緒になって以来の親友同士だった。小さい頃からよく佐藤家に遊びに行ったし、校庭で遅くまで遊ぶことも多かった。のんびりした見かけの割に運動神経のいい佐藤と張り合って、バスケットボールの練習に励んだことを思い出す。
 岡田にとって、彼の祖父が「魔王」だというのは、ごく当たり前の事実だった。それが老人のたわ言などではなく、真実だということを知っていた。だから佐藤家に三つ首の犬がいようが、一番可愛がっているというペットがぶちスライムだろうが、気にしたことはなかった。後から客観的に考えると、なぜ疑問を抱かなかったのか理解できないが、現に受け入れていたのだから仕方ない。
 時が経ち、魔王が彼の従兄に代替わりしたという話を聞いた。いつも持っている銀の笛で、ペット達に言うことを聞かせることができるようになったという話も聞いた。犬笛と同じような仕組みなのだろう、吹いても音は出ないが、彼が飼い慣らすペット達には音が聞こえているようだった。そうなってもなお、岡田はそれを素直に受け入れたし、都合のいいことに、見たことを他人に話すこともなかった。
 後から考えれば、その時から既に「呪い」とやらが効いていたのだろう。岡田は佐藤家で見た魔物のことも、伝え聞いた魔王のことも、一切他人に話すことができない。喉が凍り付いたようになって、声が出なくなる。筆談も不可能だ。ついでに、呪いをかけたのが誰なのか、岡田は未だに知らない。それも十分脅威だったが、何より、一年前に教えられるまで、そのことにまったく気付かなかった、という事実が恐ろしかった。
 それはさておき、今からざっと一年前、岡田の前に一人の男が現れた。男は岡田に、「お前が次の勇者だ」と理不尽なことを言ってきた。勇者と言えば魔王を倒す悪人だ、と常々佐藤に言い聞かされてきた岡田は、取りあえず「嫌です」と即答した。
 その後のことはあまり覚えていないのだが、確か男は「お前でなければ駄目なんだ」などと言いながら、しばらく説得を試みていたような気がする。「そんな犯罪行為には手を貸せません」などと答えたような記憶があるが、はっきりしない。
 とにかく最終的に男が取った行為は、岡田を人のいないところに連れ込み、催眠術らしきもの(後で「魔法」だと説明を受けたが、よくわからない)をかけて、無理に「聖剣」などと呼ばれる真剣を押しつける、というものだった。
 なぜ彼がそこまで自分に執着したのかは知らないが、とにかく岡田はその怪しげな真剣を持って、なぜか魔王ではなく、その親戚であるところの、幼なじみの佐藤に襲いかかった。自分の意思からの行動ではなかったと断言できるが、しかしその瞬間は、そうしなければならないように感じていたのだ。
 こちらが本気で殺すつもりだったので、向こうも真剣にならざるを得なかったのだろう。佐藤を守るようにどこからともなく魔物がやってきて、襲いかかってきた。人の家のペットに剣を振るうことになぜか罪悪感も覚えず、いつ人が来てもおかしくない場所であることすら気にならず、つたない手つきで、しかしあくまでも本気で戦った。
 佐藤は必死に魔物を止めていたような気がするが、彼らにとっては主人を守ることが重要だったのだろう。岡田の腕に爪を立て、足に噛みつき、それでも敵たる勇者が戦意を失わないのを見て、しまいには腹を抉った。
 その瞬間、はじめて頭が冷えて、剣を放り出し、たまらずその場に倒れた。「ふざけるな」と佐藤が何かに怒っていた気がするが、その相手が何だったのかはわからない。「死ぬな」と言いながら彼が泣きそうな顔をしたので、何か格好いいことを言わなければ、とわけの分からないことを考えたのか、「バカ、似合わない顔すんなって。俺は大丈夫だから」とか何とか、どこかの漫画で見たような台詞を吐いたような気がする。実際には大丈夫なはずがなく、その台詞を言った直後に、痛みで気を失ったらしい。
 目が覚めるとそこは病院だった。深手を負ったと感じた割に医者に説明された傷はさほどでもなかったので、自分が騒ぎすぎただけかと思っていた岡田のもとに、今度は別の男が現れた。「私は魔法使いです」というあんまりな自己紹介には、腹に悪いと思いながらも笑いそうになったのだが、よく話を聞いてみると本当に魔法使いだった。
 聖剣を持ってきた男の父親くらいの歳の魔法使いは、「あなたに死なれては困るので、あちこち治しておきました」といきなり凄いことを言った。その後、彼は岡田に、いわゆる魔王と勇者の関係と、聖剣を持ってきた男の素性と、彼がこんなことをした動機がわからないということと、佐藤家が引っ越すことと、佐藤が警察には捕まらないということを告げた。「呪い」の話を聞いたのもその時だ。
「未だに、結局なんだったのかよく分からん……」
 魔法使いは二度と岡田の前に現れなかったし、岡田の方から質問をすることも出来なかったので、それ以上のことを聞く機会はなかった。あれから一年経つが、佐藤の引っ越した先を知らないので、彼とも連絡を取ったことはない。
 けれど未だに、呪い、という言葉を聞くと過剰反応してしまう。岡田はひとつため息をつき、妹のために消せない蛍光灯の光から逃げるように、布団の中に潜った。









 「ホントは、好き」



 動いた拍子に棚に肘をぶつけ、山田は小さく舌打ちする。軽い音を立てて、中段に置かれていた写真立てが落ちた。落ちた勢いで、写真立ての背面の板が外れる。
 衝撃でずれた写真を直そうと、山田は写真立ての中の写真を外す。表に入れてあるのは高校の文化祭で撮った写真だ。その裏にはもう一枚、別の写真が入っている。山田は文化祭の写真を乱暴にはめ込むと、服の裾で手を拭い、裏に入っていた写真を手に取った。
 そこには一人の女性が写っている。明るい笑顔を浮かべ、カメラに向かってポーズを決めていた。焦げ茶色の長い髪を後ろで一つに括り、猫の絵がプリントされたジャケットを着た女性の顔は、どことなく山田に似ている。
 背景は日本ではないようだった。女性がテーブルに座り、カップを手にしているところを見ると、場所は喫茶店か何かなのだろう。壁には英語のポスターが貼られている。
 山田はしばらく無言でその写真を見つめていたが、やがて元のように写真を写真立ての裏側に入れると、そっと背面の板を戻した。

 母親に会わせてあげよう、と師匠は言った。師匠と共にアメリカに渡ってから、数ヶ月が過ぎたころだった。山田はその時十三歳で、本来ならば中等学校の一年生だったが、シュリフィードの学校に真面目に通っていたのは最初の三ヶ月だけだった。
「お前の実の母親だ。髪質がそっくりだから、見たら驚くかもしれないな」
 山田を車の助手席に乗せ、田舎道を時速70マイルで走ること半時間。車は速度を落とし、大きな街に入っていった。ショッピングモールの駐車場に車を止めて、街をぶらぶらと歩いていく。さすがにこの地上の街でマントを着るわけにもいかないので、師匠はいつもの黒いマントではなく、丈の長い黒いコートを着ている。いつもはフードに隠れているドレッドヘアが風に揺れた。三十を少し過ぎたばかりだという彼は、背が伸び悩んでいる山田と歩くと父親のようにも見える。日系の血のせいかあまり身長が伸びないことを、その頃は随分悩んでいたものだ。
「ここだな」
 師匠が立ち止まったのは一軒のカフェの前だった。中に入ると、壁際の席に座っていた女性が顔を上げる。あまり訛りが気にならない英語で、こちらへ話しかけてきた。
「遅かったじゃない、レイブン。十二時半には着くって言ったのに」
「悪いな。ちょっと道に迷っていた」
 山田の肩を抱き、師匠は彼を自分の隣、女性の向かいに座らせる。
「マデリン、こいつがジョシュだ。どうだ、似てると思わねえか?」
 ジョシュ、と、滅多に使われない山田のミドルネームを呼んで、レイブンと呼ばれた師匠は女性に山田を紹介した。レイブン、もとい鴉の名を、この師匠は好んで用いる。
「ジョシュ、彼女がH.K.マディラだ。マデリンでいい」
「初めまして」
 名前ではなく苗字をひねって、マデリンと呼ばれた女性は、山田が差し出した手を握る。柔らかい髪質、茶色の瞳、それほど彫りの深くない顔、感じる魔力の鼓動、それら全てが山田とよく似通っていた。もちろん他人同士でも似ていることはあるだろうが、山田の中には、彼女こそが師匠の言っていた母親なのだという確固たる自信があった。
「それにしても偶然ね。この街に来るなんて久しぶりじゃない」
 師匠が勝手に山田の分まで注文をしていた。その声はほとんど耳に入らない。山田は目の前に座る女性の顔をじっと見つめた。
 彼女が名前を名乗らない理由も、出身がシュリフィードであることも、山田は師匠に聞かされて知っていた。そして何より、彼女が過去の記憶の一部を――具体的に言えば、彼女の前夫と息子のことなのだが――、魔法で固く封じられていることも知っていた。
「……ねえ君、前にどこかで会ったことはないかしら?」
「ううん、気のせい、だと……思います」
 山田の方に視線を向けて、マデリンは笑った。山田はわずかに頬をこわばらせ、小さく首を振る。師匠が山田の言動を制するように、ちらりと目を向けてきた。
 師匠にコーヒーとピザ、山田にオレンジジュースとサンドイッチが運ばれてきた。マデリンの前には、既にほとんど空になったトーストの皿がある。
「そう? ああ、でも、普通に考えたらそうね。この街にアジアンは少ないから、私が勝手に懐かしがってるだけよね。レイブンの知り合いじゃ、私とは関係あるわけないか」
 すれた感じのしない、丁寧な英語だった。もちろん彼女はシュリフィード人だから、日本語を母語として育ったに決まっている。それでも師匠は、山田が彼女に日本語で話しかけることを禁じていた。
 マデリンは、過去に触れられることを極度に嫌う。シュリフィードに住んでいたという記憶そのものを、葬りたがっている。
 それは彼女自身の感情の問題ではなく、彼女にかけられた魔法が及ぼす効果だ。それは彼女を害するためというよりは、彼女を守るための魔法。前夫、つまり山田の父との繋がりをわずかでも残すことは、彼女を危険にさらすことになるのだという。自分がこの実の親に捨てられたのもそのせいらしいのだが、師匠は詳細への言及を避けた。
「どうした、食べないのか」
 目の前のサンドイッチをぼんやりと見つめる山田を見かね、師匠が声をかけてきた。
「トマトは嫌い?」
 マデリンに聞かれ、山田は反射的に背筋を伸ばした。イエスともノーとも答えられずにいると、マデリンはそれを肯定と取ったらしい。
「何でも食べないと、大きくなれないわよ」
「う……うん」
 山田はおずおずとサンドイッチに手を伸ばした。心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。自分はこんなにも強く彼女との繋がりを感じているのに、と、マデリンの明るい声を聞きながら思った。彼女は、自分をどう思っているのだろう?
「嫌いなら、レタスだけでも――」
「だ、大丈夫です! ホントは、好き、ですから」
 慌ててサンドイッチにかぶりついた。山田の味覚はどうやら他人のものとかなりずれがあるらしく、大して美味しいとも不味いとも思わなかったが、それでも構わなかった。美味しいです、と笑顔を浮かべると、マデリンはくすくすと笑う。
「面白い子ね」
 日系人らしい彼女は周囲の人間に比べれば小柄だったが、豊満な胸が目を引いた。腕はしなやかでよく締まっている。爪を短く切りそろえた指には、指輪ははまっていない。
「レイブン、また機会があったらこの子を連れてきてよ。シャイでなんだか大人びていて、私、この子がとっても気に入ったわ」
 山田が当惑気味の表情を浮かべるのを無視して、師匠はまるで他意などないような、自然な笑顔で答える。
「それは良かった。また機会があればな」
 次の機会はもう来ないのだろう、と思いながら、山田は食事を進めた。
 泣きたいのをこらえ、叫びたいのをこらえ、抱きつきたいのをこらえて、唇に笑みを乗せた。

 山田は棚に戻した写真立てをちらりと見て、わずかに眉根を寄せる。
 そして、両手で自分の頬を軽く叩くと、手を伸ばしてその写真立てを伏せた。









 「変だよ、絶対変だ」



「よく考えたらあれは変だよ、絶対変だ」
 脈絡もなくそう言われて、王子は目をしばたいた。
 春月の膝の上にあるケージの中では、ハムスターになった王子が回し車で遊んでいる。ちょっと見張っといて、と言い残し、山田は自動販売機へ何かを買いに行ってしまった。
 高校の屋上へつづく階段には、他に来る人間はいない。時間も遅いので、小声で会話する二人の声は、多少響いたとしても誰かの耳に入ることはないだろう。
「初めて会った時はパニックになってたからさ、あんまり疑問に思わなかったんだけど、やっぱり変だよね」
「何が言いたい」
 自分の中で何かを整理するように、春月はしばらく独り言をつぶやいていたが、やがて小さくうなずき、王子に尋ねた。
「あんた、最初に会った頃と全然印象違うのよ」
「そうか?」
「うん。もっとやんちゃ坊主だと思ってたの。なのに最近、けっこうしっかりしてきたような気がするのよね」
「俺様だって成長くらいするぞ」
「まあ、そうだろうけどさ」
 王子は運動をやめ、春月の方を向いて小さく首を傾げた。「ああ可愛い! 超マジでありえないくらい可愛い!」と拳を握りしめたあとで、春月は首を振り、「騙されないぞ」とつぶやいた。
「取りあえずこれだけは聞いておきたいんだけど、あんた確か初めて会った時、『うっかりミサイル発射して国一つ戦争に追い込んだ』とかなんとか、このご時世にはとっても恐ろしいことを言われてたよね」
「言ったのは魔法使いか。確かにミサイルは発射したが、別にうっかりではないぞ」
「それって余計悪くない?」
 王子は再び、回し車の中を走り出す。
「撃っていい国と悪い国の区別くらいついている。いきなり武装して領空内に入ってきた謎の国を、撃つなという方が無理な話だ」
「それで戦争になったわけ?」
「向こうは国と言っても国際組織の管轄外だからな、戦争という言葉を使うには語弊がある気がするのだが」
 ふう、と王子はため息らしきものをつく。
「だいたい、あんなのが来たら普通は恐怖にかられて撃ってしまうに決まっている」
「どんな国だったの?」
「国、というか……撃ったのは戦艦だ。その後でどこかのコミュニティ同士が、事件の責任をなすりつけあって自滅したんだよ。まあ、その辺りまで計算済みではあったが」
 回し車の回転速度が落ちた。山田はまだ戻ってこない。
「ただのアホかと思ってたのに、意外にずる賢い性格してたんだ」
「そのままただのアホだと思っておいてくれて結構。変な奴らにライバル視されたり狙われたりするよりは、バカをやっていた方が十倍はましだ」
 やけに深刻な声音で王子はつぶやいた。とはいえ、その姿は愛くるしいハムスター。春月は額を押さえ、なんとか視覚と聴覚を切り離そうと努力する。
「まあ、どうでもいいわ。で、その戦艦はどんなもんだったのよ?」
「聞いて後悔するなよ?」
 王子が足を止め、ケージに前足を押しつける。春月は「ヤバい、超なごむー」とつぶやきながら幸せそうに微笑んだ。
「通信してきた使節がな……全員ふんどし一丁のマッチョだったんだ!」
「意味わかんねえよ」
「あの時はさしもの俺様も本気で恐怖した。何せずらっと並んだ使節がみんな、鍛え上げた美しい筋肉を輝かせた人々で。もう老若男女が入り乱れてすごかったぞ」
「女性まで混じってたんかい。で、思わず撃っちゃったの?」
「ああ! あれは本能だったのだろうな。奴らを社会的に抹殺するべく、輝かしい俺様の頭脳が120%活用されて、ミサイル発射に最適な作戦とタイミングを導き出したのだ!」
 ハムスターは偉そうに胸を張った。
「さすが俺様!」
「……ごめん、やっぱり前言撤回するわ。あんた、やっぱりただのアホね」
「ふ……ふっ、甘いな藤原春月。これもすべて、俺様の真の聡明さを隠すための」
「うるせえよ」
 必死に反論を続ける王子の声は、やけに必死な響きを帯びていた。









 「豆腐と糸蒟蒻。特価品のやつね」



「……ひもじい」
 おつまみ用のピーナッツをかじりながら、山田がぼそりとつぶやいた。
「ルパート。この部屋に食材、他になんかあったっけ」
「た、確か冷蔵庫の中に、すき焼きが作れそうな食材が」
「あー、あの豆腐と糸こんにゃく。特価品のやつね。アレ、賞味期限が近いよな。でも確か肉がなかったしなー、なんか野菜もないし、醤油まで切れてるし」
 糸こんにゃくじゃなー、とぼやきながら、敷きっぱなしの布団の上に寝転がる。
「でも外に出るのも億劫だしなー。この時間じゃ金も下ろせないしなー、そもそもコンビニから遠いんだよココ」
「……太郎君、あの、前から気になってたんだけど、お母さんからもらってるお小遣い、そのままタンスにしまってあるよね? あれ、結構な額になってるんじゃ」
「一年近く前、去年の梅雨のころだっけ、あれには手をつけないって宣言したでしょー。なんかもう、一円たりともあの家の稼ぎの世話になりたくないんだよ。悪いのは計画性がなかったオレ。光熱費の支払いなんて忘れてた」
 ルパートが、布団をまたぐように置かれたこたつ机の上で、ふわりと形をつくった。あぐらを組んで頬杖をつき、山田を見下ろす。
「お父さんと、ケンカしてるんだっけ?」
「簡潔に言えばそういうこと。こっちも向こうも大人げないよなーとは思うけど、オレは謝る気も仕事やめる気もないし、まあ、当分このままだろうね。……気にすることないよ、オレと父さんの仲が悪いのは今に始まったことじゃないし」
 ふうん、とルパートが答えて、脂っぽい髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「うん、まあ……他人のボクが言えた義理じゃないけど、でも、太郎君、手遅れになる前に、一度じっくり話しておいた方がいい、と思うよ。ボクには、どう頑張っても出来ないことだしね」
「……あ、ごめん」
 申し訳なさそうに答えた山田の枕元に、ルパートはくすくすと笑いながら移る。
「勘違いしないでくれるかな、太郎君。まだ、言ってなかったっけ? ボクは死人の霊じゃないよ」
「……へ? 違うの?」
 いきなりの新事実に、山田は慌てて身を起こす。
「違うよ。君たちの言葉で言うなら、空気中に存在する、自然の魔力が凝ったもの。もっとも、そのきっかけを作った奴の容姿と記憶と性格が、ボクの中にはあるわけだけど……元の『ボク』は、ちゃんと今でも生きてる」
「そ……それは知らなかった」
「うん、ボクも君の持ってる本を読むまで理解できてなかった」
 あまり清潔感のないバンダナを髪に巻き直しながら、ルパートは笑う。
「だから太郎君、これからはボクのこと、幽霊ではなく妖精さんと呼んでね」
「それは嫌だ!」
 思わず叫んでしまってから、山田はルパートの前に座り直す。
「そ、そんなに嫌かなあ? いいじゃないか、『秋葉原の妖精さん』で」
「あー……うん、秋葉原では飛び回ってそうだよねー確かに。概念的には間違ってないんだよねー妖精さん。でもさあ、何て言うか、わかるかなあこの違和感」
 長いこと手入れのされていないような、脂っぽい髪。無地のトレーナーの襟元からのぞく身体は、筋と骨ばかりと言ってもいい、不愉快な痩せ方をしていた。水色のジーンズもかなりくたびれて、決してクラッシュ加工などではない破れ目が目を引いている。
「妖精さん、か……」
 ふと思い立って、段ボールをガムテープで留めただけの本棚から国語辞典を引っ張り出す。ツッコミどころを探そうと、左手で無造作に紙を繰り、「妖精」の項を探した。
「妖精――『怪しい精霊』」
 妙に納得して、辞書を閉じる。
「ち、ちょっと待って、なんでそこで納得しちゃうのかな!」
「いやあ全くその通りじゃないか。これからは秋葉原の妖精さんと呼んであげるよ。何かもうどうでもよくなった」
 いやに明るい笑顔を浮かべる山田の右手が、柿の種を静かに砕いた。
「それはそうと何か他に食べるもの――」
「えーっと、あ、そうだ、鈴子さんに何か貰ってくれば?」
「嫌だよ格好悪い」
「じゃあ、いつもみたいにシュリフィードの森で狩りを」
「また比奈子、というか母さんにバレたらと思うと恐ろしくて」
「悪の魔法使いが母親に負けるって格好悪くない?」
「いいじゃないか別に。かの有名なジャイアンだって母親には勝てないんだぞ」
 そこまで言ってから、ふと山田は言葉を切り、ルパートの方に手を伸ばした。
「待てよ。魔力のカタマリなら、摂取すれば多少なりとも体力の回復に役立つような」
「た、たた太郎君!?」
「まあまあ。食わせてくれるのは半分くらいでいいからさ」
「ど、どこの世界に妖精を食う子供がいるんだ!」
 慌てた声と共に、ルパートの姿がかき消える。山田は空いた空間を見ながら、ひとしきり笑って、柿の種の残骸を口に放り込んだ。









 「血の匂いがしますね」



「おーい、佐藤」
 山田が呼びかけると、佐藤浩は眠そうな顔で単語帳から頭を上げる。
「見つかったぞ、『大臣様』の居場所。……名前も顔も分からない相手を、我ながらよく見つけたと思うよ。褒めてくれ」
「すごいすごい。あ、そうだこれ、約束の国語の宿題と数学の予習。ちゃんとやっておいたからね」
 佐藤からノートを受け取ると、山田は佐藤を屋上に誘った。まだホームルームの開始までにはしばらく時間がある。
「ところで、『大臣様』ってやっぱり『上』の人なの?」
「いや、生まれも育ちも日本だった。住所はここからかなり遠いな。都内だ」
 歩きながら、どれどれ、と佐藤が、山田が出したメモをのぞき込む。
「ああ……ここなら、一郎兄さん――今の魔王の家からはすぐだよ。ここから遠いって言っても電車で一本だし。名前は……山下直樹? へえ、これが本名だったんだ」
「……心当たりはあったのか?」
「聞いたことはある。『勇者』さん達にあいつのことを何度か聞いたんだけど、姿も名前もバラバラでさ。だけどそのうちの一つ、たとえば君も会った、あのミヨおばあちゃんの元に現れたのが『山下直樹』って名前の若者だ。あとはもう変幻自在でね、『前世で仲間だった占い師』を名乗る男やら、五十歳近いサラリーマンやら、熱狂的な阪神ファンの爺さんやら……僕も遭遇したことはあるけど、一回目は爺さん、二回目は二十歳くらいの男だった」
「へえ。それにしても、『前世で仲間だった』って……何だその微妙な名乗り」
「あれはいいんだよ、なにせ勇者の方が、前世をかたく信じる妄想のたくましい女の子だったんだから。それにしても……姿は違えど、違う姿で同じバイクに乗ってたり、同じ姿で違う名前を名乗ったりしていたようだから、多分同一人物だろう、と思ってたんだけどさ。やっぱり全部、あいつが化けてたの?」
「ああ。『大臣』業は彼がひとりで引き受けている職だ。他の姿は単なる変装だろうね。魔法にも長けているようだし」
 屋上の扉を開けると、冬の冷たい風が殴りつけるように吹いてきた。山田はひとつため息をつき、外には出ずに扉を閉めると、手前の踊り場に座り込む。
「とはいえ、調べられたのはそれくらいだな。大したことは分からなかった。山下直樹、白見沢工科大学の3年生。地元の小、中、高と卒業して、順調に進学。高校二年の時に父親を亡くしてる。父親が先代の『大臣様』だったと思われるけど、確証は持てない。母親もこいつが小さいころに亡くなってるから、成人していたお姉さんが面倒を見てたようだ。……と、まあ、普通の日本人プラスアルファの情報しか入って来なかったよ」
「……そっか。ありがとう」
「こちらこそ。面白い人物に巡り会えて助かったよ」
 山田が答えたその時、強風が吹いたのか屋上へ続く扉がガタガタと揺れた。続けて、何かが扉にぶつかるような音がする。山田は思わず扉を開けた。風はすぐにおさまったようで、扉はゆっくりと開く。
「……山田くん。ちょっと……これ」
 突然佐藤が山田の袖を引いた。山田は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに佐藤の言わんとするところに気づいて口を開く。
「血の匂いがするな」
「うん。……ちょっと、何が起きたか確かめて来――」
 佐藤が言いかけたその時、ひさしの上から大きなかたまりが落ちてくる。否、かたまりと見えたそれは、ダークグレイのスーツを着た一人の男だった。その顔を見た山田が顔色を変える。
「……何で」
「それはこちらの台詞だ……魔法使い。貴様のためにこんな目に遭ったんだぞ」
 ゆっくりと身を起こした男――クロンは、右足の太股を押さえて顔を歪める。
「何なんだ、こいつは!」
 クロンのその声に答えるように、一人の男が三人の眼前に飛び降りる。あ、と佐藤が声を上げた。四人目の男は茶髪を無造作にかき上げ、ふう、と息をつく。
「やっと会えましたね、フィアッタ」
 山田が不機嫌そうに男を睨む。
「フィアッタ?」
「シュリフィード人の蔑称。……こちらこそ、そちらから会いに来ていただけるとは光栄の極みです。会いに行く手間がはぶけました――山下直樹さん」
 佐藤の問いに小声で答えると、相手への嫌悪感を隠そうともせずに、慇懃無礼に言葉を紡いだ。男は一瞬だけ虚を突かれたような表情を浮かべたが、すぐにその表情は勝ち誇ったような笑みに塗りつぶされる。
「それで? 我が国の人間を害してまで、何をしようと言うんですか」
「これはまた面白いことを。この男はただの在日ドイツ人、フィアッタどころか、『上』の人間でもないのでしょう?」
 山田が言葉に詰まった。クロンも言い返せずに歯がみする。そういえば確か、表向きはそういうことになっていたはずだ。
「あなたも私もただの日本人……ああ、あなたはアメリカ人でしたっけ? それでいいでしょう。彼にはあなたに会うために、『自主的に』協力してもらっただけですよ。問題があるのでしたら、しかるべきところに行きましょうか?」
「……いや、結構。それはそうと、ずいぶんとオレのことを良く知っているようですね。あんたとは初対面だったはずですが」
「ええ。そっちこそ、一体どこから私の名前を知ったのでしょうね。『それ』でさえ知らないだろう情報なんですが」
 「それ」呼ばわりされた佐藤がぴくりと眉を動かしたが、特に何も言わない。むしろ反応を示したのはクロンの方で、あからさまに不快そうな表情を浮かべて品の悪い裏町言葉を吐き捨てる。これには山田の方が驚いた。
 山下直樹はちらりとクロンの方を見やり、無造作に彼との距離を詰める。何をするのかと思えば、足を押さえてうずくまっているクロンの背中を、右足で思い切り蹴りつけた。
「……『電卓』如きが――」
「ちょっと待ってくださいよ、大臣様。……あんた、確か日本育ちの日本人でしょう? 『上』のスラングも、『電卓』の意味も、知ってるような国籍でも年齢でもないと思うんですがね」
 いつになく強い調子で指摘した山田に、山下直樹は小馬鹿にしたような口調で答える。
「答える必要はないでしょう、魔法使いさん。……そうだ、忘れるところでした。今日はあなたにアポイントメントを取りに来たんですよ。どこか邪魔の入らない場所で、二人きりでデートをしたいのですがね。都合のいい日時と場所を教えてもらえませんか」
「早い方がいいでしょう。そちらの都合がつくならば、午後の四時に、またここで」
「了解しました」
 山下直樹はにやりと笑うと、小さく口笛を吹いた。どこからかバイクが自走してくる。ここ屋上なんだけど、と呟く佐藤をよそに、彼はエンジンをかけ、フェンスに向かって走り出す。フェンスにぶつかる寸前、バイクはスロープを登るように角度を変え、そのまま何もない空へと走り出した。
 そして後には、不機嫌な男が三人、ぽつんと取り残されたのだった。

(り 「リスクが大きいんです」に続く)









 「リスクが大きいんです」 」の読了を推奨



(ち 「血の匂いがしますね」の続き)

「……おい、クロン。これ乗ってけ。行けばいいところは分かるな」
「焼き肉屋の二階か?」
「そう。行ってらっしゃい。こっちはもう、朝のホームルーム始まるから。じゅうたんは後で返せよ」
 魔法のじゅうたんに乗せてクロンを送り出すと、山田はきびすを返して教室へと歩き出す。人の少ない渡り廊下を早足に進む彼を、佐藤が少し遅れて追う。
「……山田くん。『電卓』って、何だったの……?」
「ん? お前が気にするほどのものじゃない、ただの蔑称だよ。ちょっとしたスラング、というかどうしようもない悪口だ。……そして、まっとうな日本人なら、あの場面では使うはずもない言葉だな」
「蔑称? ……で、それがクロンとどういう関係が」
「あー、説明しづらいな。何て言えばいいんだ……人間は、血液型と同じように魔力型ってのを持ってる。『電卓』ってのは、その『型』のひとつ、あのサクスフォンが持っている型の人間を指す言葉だ。まあ、方向性としては『B型の人って変人が多いよね』みたいな感じ……かな? 失礼な話だよ。絶対あの男、サクスフォンの魔力型を分かって言ってたぜ……畜生」
「じゃあ、『フィアッタ』ってのは」
「『ジャップ』程度の意味だよ。いちいち挑発されてたらキリがないんだけどな」
 不機嫌そうに扉を開け、山田は騒がしい教室へと早足に入っていった。

 魔鳥・紀香の背に乗って、佐藤は普段から鍵のかかっている、北棟の屋上へと上っていた。同じ高さにある南棟の屋上は、思った通りよく見える。
「面倒なことをさせて悪いね。あっちで盗み聞きするのは、ちょっとリスクが大きいんだ」
 話しかける相手は、人間の言葉を解す怪しい影。正体は佐藤もよく知らないが、とりあえず自分に従ってはくれているようだ。
「とりあえず、声だけ伝えてくれればいい。移動するなら紀香で追うから」
 そうこう言っているうちに、ふと南棟の屋上の一点が揺らぐ。二、三秒のうちにバイクの姿が現れ、山下直樹はバイクから降りるとスタンドを立て、ヘルメットを外す。
「……おい。見ているなら出てこい」
 彼のその声が誰にかけられたものか、すぐに気づいて佐藤は紀香を呼んだ。中庭を挟んで、彼と佐藤の距離は十数メートル。問題ない、と佐藤は判断した。
「ったく、趣味の悪いガキだな。少しはイトコを見習って、大人しくしたらどうなんだ? お子さまはお子さまらしく、おうちで宿題してりゃいいんだよ」
 一瞬、「影」の翻訳が入ったのかと思った。しかしすぐに、そうではない、と気づく。以前会ったときとは別人のような態度だが、しかし、彼は確かに山下直樹だ。
「……あんた、誰?」
「失礼な質問だねえ浩くん。俺は山下直樹だよ。分家のガキごときに返すような答えは、他に持ち合わせてないな」
「質問を変えようか。あんたが複数の顔や口調を使い分けてるのは知ってる。だけど僕という同じ人物に対して、キャラを変える意味はあるの?」
「意味? ないだろうね。強いて言うならここは高校、若いコの熱気にあてられて、素が出たってところじゃねえかな。……さて、そろそろ四時だ。一応警告しておくが、俺はお前に盗み聞きを許すほど弱かないぜ?」
 彼は上着のポケットから、大ぶりのカッターナイフを取り出した。キチッ、という刃を出す音がなぜか聞こえたと思ったら、その音が合図ででもあったかのように、彼の持つカッターナイフは聖剣にも似た剣に変わる。
「用事が終わるまで、しばらく寝てな」
 そしてその剣を横ざまに薙いだ。強い風が耳元を過ぎる。その途端、ぐらりと視界が傾ぎ、佐藤はその場に背中から倒れ込んだ。
 紀香が心配そうに頬をつつくのがわかったが、襲ってきた睡魔には耐えかねる。紀香のクチバシを邪険に振り払うと、佐藤は目を閉じた。

「……すいません、なんかオレ、やっぱりあんたのことが大嫌いみたいです」
 長剣を握った山下直樹の背後から、山田はぼそりと話しかける。北棟の屋上はそれほどはっきりと見えるわけではないが、出入りの禁止されているはずの屋上で倒れているのが、佐藤浩であるということくらいは見分けられる。
 姿を消していた山田の存在に彼が気づいていたのかどうか、それは読みとれなかったが、ともかく山下直樹はカッターナイフを元の形に戻すと、感情を感じさせない視線を山田の方に送ってきた。
「それは残念です。しかしながら、仕事に私情を挟むのはおすすめしませんよ」
「その言葉はそっくりあなたにお返しします。それで? オレのような一介の高校生如きに、一体なんの用ですか」
 キチッ、と音を立ててカッターナイフの刃が引っ込む。それを上着のポケットに突っ込むと、山下直樹は似合わない笑みを浮かべ、山田の方へと向き直る。
「簡潔に用件だけを述べさせていただきますよ。――フィアッタの坊や、お互いの今後のために、ちょっとした勝負をしませんか?」
「……勝負?」
 山田は自分でも驚くような自制心で、相手の小馬鹿にするような物言いを受け流した。葛藤は表情に出なかっただろう、と自分では思ったが、残念ながら確認する術はない。
「ええ。私が勝ったら、今後一切、『あれ』に入れ知恵するのをやめて頂きたいのです。そちらが勝てば、私は当分の間、『あれ』にもあなたにも、あなたの祖国にも関わらないと約束しましょう」
 そう言って、山下直樹は北棟の方、眠っている佐藤浩を指さした。
「……なるほど。あいつが『上』に乗り込むような事態になったら困る、と」
「そのくらいで済めば御の字ですね。『あれ』が事のからくりを知るのは勝手ですが、そのからくりに干渉するような事態はあってはならない。そちらにも、そうなった時の不都合は想像がつくでしょう?」
「あー、うん、父親に叱られますね」
「茶化さないでください」
「茶化してないですって。うちの両親、情報統制でメシ食ってるんですから。……で? 方法は? 何か考えてるんですか?」
「そちらのお好きな方法で構いませんよ。どうあっても、私は勝ちますから」
 山田は鼻白んだ様子で「そーですか」と答えた。一瞬だけ、視線を佐藤の方へ送る。
「じゃあ……そうだ、『魔王ごっこ』がしたいなあ」
「……というと?」
「あんた、聖剣持ってるんでしょう。オレが魔王やりますから、あんた、オレを倒しに来てくださいよ。一度やってみたかったんです」
「……伝統に則って、聖剣で『魔王』の身体を斬ることができれば、それで『勇者』の勝ち――ということだと理解して構わないのかな」
「オーケイ、概ねその通りです。……それじゃあ、ゲーム・スタート、ということで」
 二人の視線が絡み合い、凄烈な緊張感が空間を満たす。しかしそれも一瞬のことで、山下直樹はすぐに目を逸らした。「では、そちらの準備が整ってから伺いましょう」と早口に言い捨て、ヘルメットを被り、バイクに跨る。
 やがてエンジン音は遠ざかり、山田は無人の屋上で一人、小さくため息をついた。









 「脱いだ方が好き」



「なあ、どっちか裁縫道具とか持ってない? あったら貸してほしいんだ」
 昼休み、輝美と弁当を食べている途中、とつぜん山田がそんなことを聞いてきた。春月は少し考えてから、箸で廊下の方をを指す。
「家庭科で使ったまま持って帰り忘れてる裁縫箱が、確かロッカーにあったような」
「衣服の授業って、もう随分前に終わったような気がするんだけど」
「文句言うなら貸してやんないわよ」
 とんでもございません藤原様、と山田が拝むような仕草をした。春月は箸を置き、廊下に出て、小学校の頃から使い続けている、いい加減くたびれた裁縫箱を持ってくる。
「糸は白と青と黄色しかないけど」
「黒い糸とか、ない?」
「黒はミシン糸しか入ってないよ。何に使うの?」
 尋ねると、山田は自分のバッグから、黒い布を取り出す。
「マントが破れちゃって……」
 日本ではあまり見かけないその上着に、春月と輝美は思わず身を乗り出す。長い丈で、袖はなく、襟元を留めるための、落ち着いたデザインのピンがついている。手が出せるように、という考えなのか、目立たないようにスリットが入っていた。
「それ、防寒着になるわけ?」
「生地にもよるけど、けっこう暖かいよ。日本でも、何十年か前には、普通に着てた人も結構いたって言うし。これは割とオーソドックスなやつだけど、他にも形は色々ある。……で、ここが破れちゃったから、何とか目立たないようにしたいんだ」
 山田が指さしたのは、正面より少し右側の裾部分。確かに、裾の所から十五センチ程度の、長い裂け目ができている。
「でも、こんな糸で繕ったらかえって目立つわよ」
「だよなー。黄色い糸で縫うとか、そんなのは絶対に嫌だ。でも、裾だから歩いたらバレそうだし、上着の破れた悪の魔法使いってすげえ弱そうだし、なんか嫌なんだよな。授業終わったら、急いで城に行かないと間に合いそうにないし……」
「確かに弱そうだね。五時間目、サボっちゃえば? その間に、糸でも買ってきなよ。駅前に手芸屋あるし、要るなら裁縫箱は貸してもいいよ」
「嫌だよ、珍しく予習やって来たから、次のライティングは出る! あとオレ、手で縫い物するのって苦手で。ミシンがあればいいんだけど……」
「男の言い訳は見苦しいわよ。そんなに気になるなら、木工用ボンドでも塗って留めておきなさい!」
 それはいい考えだ、と手を叩き、山田は春月に礼を言う。
「売ってるか分かんないけど、ちょっと購買行って来る。駄目ならそこのコンビニで」
「マントを着ないとかいう選択肢はないのね。今持ってる、そのジャケットじゃ駄目なの?」
 横から輝美が口を出してきた。歩き出していた山田は、振り返って答える。
「黒いマントじゃない悪の魔法使いなんて、標準語で喋るつぶやきゴロー以下だ!」
「ああ、それは確かに嫌ね」
「それで納得するんだね、輝美……まあ確かにつぶやきゴローはあの栃木弁じゃなきゃ誰だか分からないような気もするけどさ」
 決して安物ではなさそうな生地のマントは、乱雑に山田のバッグに突っ込まれている。シワになるだろうな、と春月は思った。
「個人的には、悪の魔法使いとはいえ、マントは脱いだ方が好きかなあ」
「お前もそうなのか。日本人の感覚じゃ、年寄り臭く見えるんだとは聞いたことある」
「そうかもしれない……まあ、流行りすたりってものがあるからね。何年かしたら、マントも案外日本でも流行ってるかもよ?」
「そうなるといいな。じゃ、オレはボンド買いに行ってくるから」
 山田は今度こそ、ジャケットと財布を抱えて、まずは校内の購買部へと走っていった。バッグの中のマントを見ているうちに、春月は思わず、裂け目を白い糸できっちり縫ってやりたい衝動にかられる。そっとマントを引っ張り出してみた。
「あら、でも山田君、自分でちゃんと修繕してるところもあるみたいね」
 横から輝美が、布の端をひょいとつまみ上げる。春月はそちらへ顔を向け、輝美の指さす先を見てため息をついた。
 可愛らしいクマのアップリケが、上品な生地のマントの裾に、ちょこんと縫いつけられている。
「これがOKなら、素直に白い糸で縫えばいいじゃない!」
「あら、そこはきっと、譲れないこだわりがあるのよ。それにほら、このクマちゃん、愛嬌があって可愛いわ」
「そんな悪の魔法使いなんかいらない……!」
 春月の主張は、昼休みの教室の喧噪に、むなしく呑み込まれていった。









 「瑠璃のことだよ、ラピスラズリって」



 久々に山田家を訪れた藤城は、相変わらず暗い家だな、と軽口を叩きながらコタツの前の座布団に座る。年中出しっぱなしのコタツと、慌てて片づけたような形跡がある布団と、棚の代わりになっている、口を手前に向けて積み上げられた段ボールが、ただでさえそう広くはない部屋をいっそう狭苦しく見せている。段ボールはお互いガムテープで留められていて、下の方に置物やら辞書やら、重そうな物が入っている。
「大体、なんで段ボールなんだよ。棚くらい、ホームセンターに行けばそんなに高くもないだろ」
「嫌だよ、勿体ない。段ボールなら、別に傷ついても燃えても構わないだろ? 最悪、ここで戦いがあることも想定するとだなあ」
「俺が敵なら、絶対こんな家庭的なところで戦わない。……それはそうと、これ綺麗だな」
 藤城が指さしたのは、段ボールの棚の上から三段目。小物がごちゃごちゃと突っ込まれた棚に、石がいくつか入っている。布で一つずつくるまれているが、隙間から透明や翠緑の色がのぞく。
「ああ。見たかったら開けていいけど、後はちゃんと包んで戻しといてくれ。オレ、それ触れないんだ」
 群青の石を手に取っていた藤城は、山田の言葉に首をかしげた。
「触っちゃマズかったか」
「お前はいい。オレが触るとアレルギー起こすってだけだから。その石、触れた人間の魔力を吸うんだ。魔力の型によっては、その時に痛みを感じたり、火傷したりするんだよ。まあ、日本人なら九割九分は大丈夫。ちなみに石の色は、吸い込んだ魔力によって変わる。だからあんまり触ってると石の色が変わるだろうけど、お前のみたいな散漫な魔力なら、大した影響も出ないだろう」
 へえ、と頷いて、藤城は石に直接触れるのを避け、布で包むように持ち直す。電球の明かりの下でも、深い青色が見て取れる。石を包んだ赤い布とは、激しいコントラストを生み出していた。石を傾けると、きらきらと光るのがわかる。中から光が漏れ出ているようにも見えた。
「ラピスラズリに似てる……かな。この石、なんて言うの?」
「氷晶石。氷に、水晶の晶って書くんだ。それは随分魔力をため込んでるから暗い色になってるけど、掘り出したばかりの晶石は透明なんだぜ」
「もしかして、これ?」
 奥の方から透明な石を出してくると、山田はうなずいた。彼はコタツに座ったままだが、よく見ると自分から一番遠い位置に移動しているようだった。触れない、というのは本当なんだろうと思いながら、透明な石を戻そうとする。
「触ってもいいぜ。魔力の型によって、というか、人によって違う色に変わるんだ。血液型みたいに、その色で占いをすることもある。ちなみにオレは赤。直情的で、思いこんだらなかなか考えを変えない頑固者」
 藤城が透明の石に触れると、触れた部分がうっすらと緑色に染まる。触れている時間が長いほど、緑色は濃くなっていく。手を離すと、緑色は芯の方へと吸い込まれ、中心に凝った。
「緑か。真面目で一途、浮気はしないタイプだな。うん、結構当たってるような気がする。血液型占い程度には参考になるらしいぜ、これ」
 藤城は占いには興味がないのか、薄緑色に染まった石を棚に戻し、先ほどの群青色の石を取り出した。
「じゃあ、この色は偶然できたものなのか。本当にラピスラズリみたいなんだけどな。すげえいい感じのウルトラマリンで」
「ラピスラズリ? ……って、何だっけ。宝石?」
「瑠璃のことだよ、ラピスラズリって。トルコ石と並ぶ、十二月の誕生石。こういう、深い青色の石なんだ。ラピスラズリのラピスは石、ラズリは空って意味。中に金色の斑点みたいなのが入ってることが多くて、夜空みたいに見えるんだ。空海が守護石にしてたとかいう話も聞く。この石も中から光ってる感じで、雰囲気似てるんだよな。カットしたら綺麗な宝石になりそう」
「詳しいな」
 意外そうな表情で、山田が藤城の顔を見る。藤城は石を布で包み直すと、照れくさそうに笑った。
「俺、けっこう好きなんだ、こういうの。将来は宝飾系の仕事が出来たらなー、なんて思ったりもしてる。とか言うと、男がそういうのに興味持つって珍しいね、なんて言われたりもするけどさ」
「確かに珍しいような気がするけど、別にいいんじゃねえの」
 頬杖をついて、山田が答えた。口調こそぶっきらぼうだが、その割には興味深そうな視線で藤城の方を見ている。大したことは言ってないし、そんなにびっくりしなくてもいいのに、と思いながら、藤城はコタツに戻った。
「山田、お前は? 将来の夢とか、なんかあるの?」
「将来の夢、ねえ。考えたことないなあ……」
 山田は視線を落とし、こめかみを親指で押して、考えこむような仕草を見せる。しばらくその姿勢を続けたあと、「わかんねえ」と呻いて頭を掻いた。
「オレはもう職業魔法使いだしな、魔法使いじゃない未来って何だろう。魔法使いだって、成り行きで始めちまっただけで、別に子供のころからの夢だった訳じゃないしなあ。いや、悪の魔法使いに憧れる子供なんか普通いないけどさ」
「高校卒業したら、どうすんの?」
「まだ分からない。何もなければこのままシュリフィードに帰って魔法使いを続けるだろうし、何かあったら……やっぱり、そうなってみてからじゃないと分からないな」
 山田はやけに真剣な声音でつぶやき、身を乗り出す。コタツの向かいに座った藤城は、いつになく暗いその様子に驚いた。口調はいつもと変わらないし、表情にもそれほど変わりはないのだが、まとう空気が重苦しい。
「なあ、もしかして、結構悩んでる?」
「そもそも、悩む余地があるのかどうか悩んでる」
 ふう、と小さくため息をついて、山田は首を振った。
「オレ、後継者とか育ててないから、どのみちこのまま辞めるわけにはいかないんだよな。師匠はオレに教えることは教えてから消えたし、オレもそうすべきなんだろうと思うんだけど……そもそも、辞めるのと消されるのとどっちが早いかもわかんねえし、でも辞めたところでどうせカタギな仕事には就けないだろうし」
 あー、と声を上げて、山田はコタツに突っ伏す。藤城はそんな山田の様子を見ながら、ふと思いついた疑問を口にする。
「なあ、山田。……魔法使いって職業、好きか?」
 しばらくの沈黙があった。藤城が何か言おうとした時、山田が突然顔を上げる。
「どうしても好きか嫌いかの二択で選ばないといけないとすれば、好きだ。たぶん」
「じゃあ、別にいいだろ。取りあえず続ければ?」
「そう簡単に行けばいいんだけどな。……ま、せいぜい頑張るよ」
 自嘲的な笑いを漏らす山田の顔から目を逸らし、藤城は棚の上を見上げる。瑠璃色の宝石は、持ち主の葛藤を知ってか知らずか、鮮やかな紺色の輝きを見せていた。









 「をいをい」



「なあ、いいぢゃないか、紗恵ちゃん」
 隣のクラスの男子生徒に詰め寄られ、鈴木紗恵子はごくりとツバを飲む。
「あの、あたし、ちょっとそういう趣味はないんだけど」
「そんなことないだろぉ? 洋服を作るのが好きな女が、コスプレを嫌いなはずないぢゃないか!」
 廊下の壁際に追いつめられ、紗恵子は誰か助けてくれる人間がいないかと視線を巡らせる。そして背に腹は替えられないと判断し、一番近くにいた人間に声をかけた。
「山田くん、助けてーっ!」
 紗恵子のクラスメイトである山田太郎は、心底面倒くさそうな顔で振り返った。
「何? どうしたの?」
「見てわかんないの!?」
 言ってしまってから、自分でもこの状況がよく分かっていないことに気付いたが、気にしないでおくことにする。
「ほほう、山田くんとな。おたく、確かボクの同類だよね? むふふ」
「は? え、っていうか、あんた誰だっけ?」
 横幅の広いその男子生徒に問うと、彼はニキビの多い顎に手を当て、片膝をついて空いた手を伸ばし、何かのポーズらしきものを決める。
「これは申し遅れた。ボクは吉ノ沢一季、ぜひ親しみを込めていっきーと呼んでくれ」
「いや、ごめん、呼ぶ気もないし話が全然見えない……」
「をいをい、とぼけても無駄だよ。ボクは確かに、おたくが黒いマントを着ているところを見たのだからね! 現代日本でマントを着る若者は、これすなわちコスプレイヤーに間違いない!」
 吉ノ沢の言いたいことが理解できなかったのか、山田はきょとんとした顔で吉ノ沢の顔を見ている。
「おたくなら分かってくれるはずだ、魔法少女スウィーティーミントの役は、紗恵ちゃんにこそふさわしいとぉッ!」
「……スウィーティーミント?」
 不思議そうに首をかしげる山田。まったく気が進まなかったが、仕方なく紗恵子は解説を入れた。
「なんか、深夜アニメに出てくるキャラクターなんだって。そのキャラの衣装を作ってコスプレしろって、吉ノ沢くんが無理矢理……」
「なかなかコアな趣味だな。でも、そんなに言うならやってあげれば?」
「イヤよ! あたし、確かに洋服や劇の衣装を作るのは好きだけど、コスプレイヤーって人種は大嫌いなの!」
「コスプレって、劇と大差ないと思うんだけどなあ。……って、あれ、別に鈴木さんと吉ノ沢君ってつき合ってるとかそういうわけじゃないの?」
「違うわよ! 喋ったこともない赤の他人!」
 前にコスプレらしきものをしたストーカーに付きまとわれて以来、紗恵子はコスプレというやつが大嫌いだった。手芸は好きだし、劇の衣装くらいなら作ることに抵抗はないが、わざわざアニメキャラクターのコスプレを、赤の他人のためにしてやる気にはなれない。また、正直な話、吉ノ沢一季の顔はあまり長いこと見ていたいタイプではなかった。この男がぐふぐふと言いながら自分のことを眺めている場面を想像してしまい、紗恵子の腕に鳥肌が立つ。
「うーん……吉ノ沢君、とりあえず現実の女の子にいかがわしいことを求めるのはよくないよ。雑誌で我慢しとけって」
「ぼ、ボクはそんな不純な目で紗恵ちゃんを見てるわけぢゃないッ! 純粋にスウィーティーミントを愛しているんだ! おたくもコスプレイヤーなら分かるだろうッ!?」
「分かんねえよ。オレのはコスプレじゃなくてただの防寒着なんでね」
「杖とホウキを持ってるところも見たぞ!」
「どっちも実用品だ、っていうかどっから見てたんだよ」
「数日前にボクが屋上で物思いにふけっていたら、おたくが現れたんだ!」
 山田は難しい顔で考え込んだあと、「バカバカしい」とつぶやいた。吉ノ沢の脂ぎった額を顔をしかめながら軽く叩き、「気のせい、気のせい」とささやく。
「うぅぅ……確かに気のせいだったかもしれないけど、それはそれ! ボクのスウィーティーミントへの愛は止まらないッ! ふぬははは!」
 笑い声なのか何なのかよくわからない奇声を上げる吉ノ沢。
「つまり、重要なのは鈴木さんよりもスウィーティーミントなんだな?」
「うむ。おたくにも見せてやろう、これがスウィーティーミントぢゃ!」
 アニメの絵がプリントされた下敷きを見せ、吉ノ沢は高笑いする。やたらと露出度の高い水色の髪の女の子が、可愛らしいリボンのついた釘バットを持っている。
「ほとんど水着じゃねえか。お前、仲良くもない女の子にこんなこと要求したら犯罪だぞ。どれくらい恐ろしいことか見せてやろうか?」
 紗恵子が泣きそうな表情になっていることに気付いたのか、山田はなじるような口調で吉ノ沢にそう言った。何をするのか、と思っている紗恵子に、山田が「今から起こることは全部夢」と言ってきた。
 急に意識がぼんやりとしてきて、紗恵子は額を押さえる。山田は吉ノ沢の下敷きを借り、しばらく見つめたあと、「うん、これは立派な悪事だ、悪の魔法使いにふさわしい」などとつぶやきながら吉ノ沢を指さした。
 山田の指さす先に視線を移し、紗恵子は絶句する。
 そこには、スウィーティーミントの衣装をまとった吉ノ沢の姿があった。ご丁寧に、リボンのかかった釘バットまで持っている。
「ぎ……ぎゃーっ! 助けて、誰か助けてーっ!」
 恐ろしいものを目にしてしまった衝撃で、紗恵子が絶叫する。山田が「これは夢だから、気にしなくていいよ」とささやいてきた。吉ノ沢はなぜか喜んでいる様子で、ぐふぐふと鼻を鳴らしながら決めポーズをしている。豚に似ている、と一瞬思い、そのあとそれでは豚に失礼だと思い直した。
 胸と腰を申し訳程度の薄布で覆った吉ノ沢の姿を数秒見つめているうちに、ぼんやりしていた意識がさらに不確かになって、紗恵子は目を閉じた。

 ふと気がつくと、紗恵子は教室の自分の席で、居眠りをしていたようだった。
「あ、悪夢だ……」
 脳裏に焼き付けられてしまった吉ノ沢の姿を忘れようと、紗恵子はカバンを掴み廊下に出た。
 その途端、何かを蹴飛ばしてしまい、悪態をつきながら今蹴飛ばしてしまったものの方を見る。
「……釘バット?」
 リボンが結ばれた釘バットを見ながら、紗恵子は「まさかね」と肩をすくめた。





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