さくらが丘のうそつきデュラハン
-4 みっちゃんと馬鹿なおばけさん-


みっちゃんと馬鹿なおばけさん :2
前へ | TOP | 次へ


 疑いというものは、抱いているうちにだんだん大きくなっていくものだ。それはいつしか確信めいたものになって、俺の心の奥底に静かに溜まっていく。
 俺の部屋は北東の角にあり、窓からの光は姉の部屋に比べればずっとマイルドだ。カーテンを閉めれば部屋は薄暗くなる。右手に巻いていた首と揃いの革ベルトを外し、机の上のカゴに放り込む。それからヘアピンを抜き取って、ピアスと一緒にカゴに入れた。腕時計はその隣に置く。
 携帯電話も腕時計も耐水・耐衝撃のものだ。便所に沈められても壊れないすぐれもの。携帯電話のほうは途中で学校に持っていくのをやめたからどうでもいいのだが、腕時計は頑丈でよかったと何かにつけて思う。
 首のチョーカーはカゴではなくベッドの枕元に置き、着替えたジャージのファスナーを顎の下まで閉める。ふと机の上の鏡が目に入った。何気なくファスナーを開け、喉の傷を鏡面に晒してみる。
 まったくひどい傷だ。癒える気配がないのが厭わしい。せめて手首の傷くらいまで目立たなくなってくれればいいのに、喉の傷は血が染み出してきそうな傷口を見せたままだ。死体の首を切ったらきっとこういう感じだろう。癒えもせず出血もせず、ただそこにあるだけの傷。こんなものに比べたら体のあちこちに残るほかの傷などどうでも良くなってくる。
 何かにつけて血の気の多そうなステキな連中を挑発しては殴られていたというのに残った傷はあまり多くない。アザはどれもきれいに治ってしまったし小さな切り傷はよく見ればわかるほどのものでしかなく、タバコを押しつけられた痕ですら目立つものは腕のいくつかくらいだ。手の甲にも火傷の痕はあるのだが目を凝らしてもよく分からない。
 こんな傷を躍起になって隠すのはバカなことだとは分かっている。喉のシャレにならない傷を見たあとはなおさらそう思う。これくらいの傷、晒してみればそれはそれで俺の美しさを引き立ててくれるいい小道具になるかもしれない。だいたい夏に長袖なんか着るのは暑くてものすごく辛いのだ。貧乏公立高校の教室にクーラーなどあるわけがない。「見ただけで暑くなってくるからやめろ」とよく言われるのだが着ている俺がいちばん暑いに決まっている。
 有坂だって知っているのかもしれないが俺は中三の夏からずっといじめられていて、まあそれはそれ以前にずっと加害者だったのがいけないのだろうから別に誰かを恨んだりはしていないが、それでも昔はそれなりに悩んだりもしていた。
 ある日ふと俺を蹴っ飛ばしている女の子の美しさに、さらに言うなら蹴っ飛ばされている俺の美しさに気づいてしまってからはむしろいじめてくれと頭を下げている次第だが、どうやら今は向こうも俺を喜ばせてやる義理などないということに気づいてしまったようで大半のいじめっ子様は俺に構わない方針を貫いている。ひどいヤツになると無視すらしてくれないのだ。俺を無視しようとする相手に無理やり話しかけて鬱陶しがられるのが大好きな俺としては、それはとても悲しい反応なのである。やりすぎるとこちらがいじめているような気分になって、いや実際そういう面もきっとあるのだろうけど、とにかくやる気がなくなるのだ。
 さて。
 どうして俺がだらだらとこんなことを考えているかといえば、ひとつ気になって仕方ないことができてしまったからだ。
「なあハナ、いるか? プリン買ってきたぞ」
 どうせ大半は俺が食べることになるプリンを床の上に置き、俺は彼女を呼んでみる。
「お呼びですか」
「ああ。これやるから、ちょっと座れ」
 おとなしく座った彼女の正面に腰を下ろし、俺は右手首の傷を見せた。
「この傷のこと、覚えてるか」
「はい。昂紀さまが高校に上がる少し前のことでしたね。昂紀さまがお亡くなりになってしまうのではないかと、とても慌てたことを覚えております」
 たいへんな出血でしたから、とハナは頬に手を当てた。
「あのとき、俺は落として割った皿を拾おうとして手首を切った。でもよく考えたら、ちょっと不自然だよな、その状況」
「ええ。ですから、未知子さまも自傷をお疑いになったのでしょう」
 母の名前を出して彼女は言う。病院に運ばれた俺に向かって「あんたをこんな風に育てた覚えはないわ」と泣かれたことを思い出した。俺だってこんな風に育てられた覚えはない。
「たとえばそこに、妖怪の意志が加わってることはあり得る?」
 たしかに気づいたときには手と食器のかけらが血でべっとり濡れていたけれど、俺は自分の意志で傷を作った記憶はない。ハナは難しい顔で考え込んだ。
「なにかお心当たりでも?」
「うん、まあね」
「妖怪の存在をご存じない方の願いでも、妖怪を動かすことはあります。どうしても殺したいと思っていた相手が、妖怪の手によって先に殺されてしまう……なんてことも、さくらが丘でなら起きるかもしれません。わたくしはこの家に災いが起こらないよう気をつけてはおりますが、昂紀さまのその手首の傷は、妖怪の手でつけられたものだという可能性はあります。『やり損ね』なければ、人間がつけた傷との区別はつきません。お皿の欠片という有力な容疑者がいるなら、なおさら疑われることはないでしょうね」
 なるほど。とりあえず気になっていたことの一つはこれで片づいた。
 俺はプリンを食べるハナを見つめながら、もうひとつの懸案事項について考える。
 さて……どうしようか。


 いろいろ考えてはみたものの優柔不断な俺は決断を下すことができず、気がつけば今日もいつものようにコンビニでレジを打っている。コンビニエンスストアのくせに二十四時間営業ではないこの店は、夜十時になるとぼちぼち閉店に向けて動き始める。都心から遠いので勤め人の帰宅時間は自然と遅くなり、シャッターを閉めるぎりぎりまで立ち寄る客もちらほらといるのだが、彼らのためだけに店を開けておくわけにもいかない。
「そういえば晴妃、昨日はどうだった?」
「楽しかったよ。いろんな話が聞けたし。灯花ちゃんのお父さんって雑誌記者なんだって。知ってる? 『アトランティス』っていうオカルト雑誌」
「雑誌は知ってるよ。でもその雑誌記者が、なんでこんな町に戻ってきたんだ?」
「この辺りには不思議な遺跡や伝説が多いから、じっくり調べたいんだってさ。十年前もそう考えてここに住んでたんだけど、男手ひとつで灯花ちゃんを育てるのが大変で、灯花ちゃんのおばあさんの家に行ったんだって話をしてたよ」
「母親はいないのか」
「うん、昔から病気がちだったみたいでね」
 それ以上は特に語らず、晴妃は強引に話題を変えた。
「ところでコウちゃん、あの有坂さんって子とはどういう関係?」
「なんだよ、いきなり……友達だよ。たまたま話が合ったんだ」
「へえ。いい子みたいだし、大切にしなよ。あんまりいじめちゃダメだよ」
「いじめてねえよ」
 ふうん、と晴妃は信じていないような顔で首をかしげ、それから外の掃除に向かった。だいたいお前がどうして有坂について知っているんだ。あのあと立ち話でもしたのだろうかと考えながら俺は晴妃の背中をぼんやりと見送る。
 いつまでも流されていてはいけない。動くなら早い方がいいだろう。


前へ | TOP | 次へ