さくらが丘のうそつきデュラハン
-4 みっちゃんと馬鹿なおばけさん-
みっちゃんと馬鹿なおばけさん :1 | 前へ | TOP | 次へ |
月曜日の朝には住之江はいつものように遅刻して現れ、試しに「おはよう」と手を振ってみたら片手を上げて答えてくれた。こういう普通の反応も悪くない。男に無視されたところであまり嬉しくないのだ。 しかしこれであっさりクラスに溶け込んでしまったりすると俺は今まで何をやってきたのだという話になるので、隣の席のリカちゃんに「おはよう、今日もキレイだね」と言ってみる。冷ややかな視線が返ってきた。 住之江にあまり近づくのも怯えられそうでためらわれる。嫌われるのならともかく怖がられるのは本意ではない。気がつけばため息が出ていた。 「あら珍しい。ヘンタイにも悩みがあるの?」 振り返るとすぐそばに夏夜ちゃんの顔があった。背中側から俺の首に手を回し、耳元でささやく。息づかいも重みもないものだから違和感がある。朝のホームルームが終わり、俺は喧噪にまぎれるような小声で答えた。 「あるさ。どうやったら理想の女王様に出会えるのかって、俺はいつも悩んでる」 「悪趣味。死んじゃえ」 「お褒めの言葉をありがとう。夏夜ちゃんこそ悩まなくていいの? 俺を殴ったりしてたら、そのうちカメラの悪魔に殺されちゃうよ」 どう答えるかと思ったら、夏夜ちゃんは余裕の表情を見せて「心配ないわ」とささやく。 「どっかの鎧じゃあるまいし。あんな女にやられるほど、アタシは弱くないもの。見くびらないでちょうだい」 「へえ、そうなの?」 俺は眉を上げる。鎧というのは加藤のことだろう。やはり喋れる妖怪どうし、繋がりもあるということなのだろうか。加藤がああして色々なところに遊びに行っているのなら、夏夜や住之江とも面識があってもおかしくない。 「アタシにどうしても傍にいてほしいって、一志が強ぉーく願ってるからね。その祈りはアタシの力になる。さくらが丘にいる限り、アタシは死にやしないわ……襲われたら痛いけど」 人間が何かを願えば、それは妖怪の力になる。ペットのミケと再会したいと強く願えば、妖怪はミケと飼い主を引き合わせるための力を得る。夏夜ちゃんにしても加藤にしても、そばにいてほしいと願われれば、願う者のそばにいるための力を得る。 住之江が夏夜ちゃんと一緒にいたいと願っているから、夏夜ちゃんは有坂や灯花ちゃんにはやられないだけの力を持っている。そういうことだろうか。 だがどうやら加藤を必要としている人間はいるようなのに、それでも加藤は有坂に怯えている。何が違うのだろう。 「なあ、住之江って彼女がいるだろ。それでもお前にそばにいてほしいと思ってるわけ?」 「恋人と母親と妹と夏夜への愛は全部違うし両立しうる、って一志は言ってたわ。それに一志はアタシのために犠牲を払うことを厭わないんだもの。あの三つ編みちゃんがカメラを使ってアタシ達を苦しめる能力を持ったり、転入生ちゃんが道具を使ってアタシ達を操ったり、ヘンタイの首が取れるのと一緒で、一志はアタシのために人生を捧げることができるのよ」 住之江の席に視線を向ける。机につっぷしてすやすやと眠る彼は、どうせまた授業が始まっても眠り続けるのだろう。面倒な病気を抱え込んでいるものだ。 「……って、まさか」 そんなバカな。もしそうだとしたら、頭おかしいんじゃないか、あいつ? 「あいつがいつも寝てるのは、お前のせいなのか……?」 夏夜はにやりと笑ってうなずいた。バカだ。目の前にこんなとてつもないバカがいたとは。自分の意志で選択しているのだとしたら本当に筋金入りのバカだ。あの病気さえなければあいつはもっと幸せに生きられたのではないだろうか。それでも夏夜ちゃんと一緒にいたくて、夏夜ちゃんを生かすために眠り続けているのだというのか。 「だからアタシは消えない。まあそんな妖怪、さくらが丘中を見回してもアタシくらいだけどね。人の願いを叶えるための妖怪が、願う本人を不幸せにするなんて、めったにあることじゃないから……ああ、そうか、でも」 夏夜ちゃんは俺の背中から離れて正面に回り机の上に両手をつくと、思わせぶりに俺の顔を見つめる。 「なに?」 「ねえヘンタイ、あんた自分が死んだときのこと覚えてる?」 「は?」 正直に言えば前後の記憶は吹っ飛んでいる。なんとなく森林浴でもしたい気分になって町はずれにある鎮守の森へ向かい、冬に向けてだんだん数を減らしていくアリを観察したりしながらぼーっとしていたところまでは覚えているのだが、気づいたときには泉堂さんの家でソファに寝かされているところだった。 俺が首を横に振ると夏夜ちゃんは「へえ」とおかしそうに笑った。 「じゃあいいわ」 「気になるじゃねえか、最後まで話せよ」 「イヤよ、教えてあげない。アタシが知ってるなんて気取られたくないしね」 誰に? 詳しく追及する間もなく夏夜ちゃんはひらひらと手を振って姿を消した。俺は彼女がいたあたりの空気を掴んで眉をひそめる。あのガキは何が言いたいんだ。 教室はあくまでいつもの通り。住之江が眠る理由を知ったところで何も変わりはしない。俺はクラスメイトの輪の端っこに辛うじてぶら下がっていてその位置に俺自身は満足し、灯花ちゃんは早々とクラスに溶け込んでどちらかと言えば地味な女の子達とアニメの話に興じ、隣の席のリカちゃんは見えない何かとブツブツ喋っている俺を白い目で見つめている。 リカちゃんやミキちゃんを始めとした何人かはたぶんそれなりに本気で俺に死んでほしいと思っていて、残りのうちの何人かはなにかの弾みで俺が死んだら嬉しいなと思っていて、間違いなく十何人かは俺と同じクラスになったことを嘆いている。まあどこのクラスに行ってもどうせ一人や二人問題児はいるのでそんな彼や彼女たちに逃げ場などないのだが、残念なことにこのクラスにいる不良と言えば授業中に最大ボリュームで携帯ゲーム機を遊んでしまう美人さんくらいのもので、彼女はあまり学校に出てこないのでさしあたって害もないしたぶん根はいいヤツだ。となればやはり一番鬱陶しいのは俺だろう。 ちなみに欠席の多い彼女は俺の初恋の人に似ている。その昔、雨の中で泥の付いた傘を剣のように振るって俺のみぞおちを直撃してくださった姿も俺の初恋の人に実によく似ている。たとえいくら取り巻きにむさ苦しい野郎どもが多かろうとも俺の目にはかわいい女の子しか入らないので、俺の心の中であの情景はさながら彼女と二人っきりのデートであるかのように輝いている。 まあそれくらいの縁がある女の子は学校の中だけでも何人いるか分からないくらいなのでどうでもいいのだ。それにしてもどうして女子生徒は直接的に暴力に訴えてくれる機会が少ないのだろう。 ふう、とため息が漏れて俺は驚いた。こんなステキな情景を思い浮かべているというのに俺はいったい何に嘆息しているのか。 そんなことを考えているうちにふとあることに思い至ってしまい俺はこめかみを押さえた。一時間目の授業はまったく耳に入らなかった。もちろん原因の大半はそれが数学の授業であったということにあるのだが。 灯花ちゃんは何やら時計を見ながら友達の誘いを断っていた。早々とホームルームが終わったらしい有坂が廊下からちらりと顔を覗かせる。灯花ちゃんが一瞬だけすごい形相で有坂を睨みつけたのを見て俺はこっそり興奮した。女の子というのはこうでなければいけない。できればそのエネルギーを死なない程度にこちらに向けてくれると幸いなのだが、灯花ちゃんの場合は最大出力で襲ってくるものだからさすがに恐ろしい。 とりあえず灯花ちゃんが友達と喋っているうちに俺は急いで教室を離れる。有坂が小走りに後を追ってきた。 「今日はご用事でもあるんですかね」 有坂が教室を振り返りながらつぶやく。灯花ちゃんが俺を最優先してくれるならそれはそれでとっても嬉しい。住之江がきっと夏夜ちゃんを何よりも優先するように、灯花ちゃんだって俺のために人生くらい捧げてくれたっていいじゃないか。警察さえ恐れないのならば灯花ちゃんはナイフで俺を一刺しすればいいと思う。自分で手を下そうとしないから面倒なことになるのだ。 駐輪場への道すがら、南高校のものではない制服を見かけて俺はそちらを向く。正門の門柱に寄りかかるように立っている彼女が着ているのは、襟に黒縁がついた灰色のブレザー、同色のスカートに赤いネクタイ。こげ茶の髪はセミロング。ちょっと待て、あれはもしかしなくても…… 「あ、コウちゃん!」 晴妃だ。有坂が「誰ですか?」と言いたげに俺の顔を見上げる。 「なんでお前がこんなところにいるんだ?」 「灯花ちゃんとエツコと待ち合わせ! 宏美もあとから来るよ」 つまり仲のいい面子を集めてプチ同窓会を開こうというわけだ。灯花ちゃんが時間を気にしていたのはそういうことか。どうして平日なのかと聞いたら「エツコの部活は休みが月曜だけなの」と言われた。 「そちらは?」 俺の後ろに半ば隠れるようにしていた有坂に向かって晴妃は笑いかける。 「友達だよ。有坂、これは俺の友達」 適当な説明をするとなぜか二人とも驚いたような表情で見つめ合っている。なぜだ。 「じゃあな、晴妃」 駐輪場に回ればあとはそのまま裏門から出ていくことになる。有坂は「あ、先輩、あたしもここで失礼します」と頭を下げた。一年生の駐輪場は反対側だ。灯花ちゃんが来る前にこの場を離れるべく、俺は二人に手を振って駐輪場へと急いだ。 先輩と別れ、あたしはまじまじとハルキさんと呼ばれたその人を見つめる。驚いているのはハルキさんも同じらしく、戸惑ったような笑みを浮かべながら「こんにちは」と言った。 「えーと……コウちゃん、じゃない、桐生くんのお友達?」 あたしは小さくうなずく。桐生先輩の下の名前は忘れたけれど、コウなんとかという名前なのだろう。先輩の様子からすると、かなり仲が良さそうだ。 「ねえ、失礼なこと訊くようだけど、コウちゃんとはどういう関係?」 「え?」 このあいだ見たお昼のドラマを思い出す。「このメスブタ!」とか「私のユウタさんを返して!」とか、そんな言葉が飛び交う難しいドラマだ。もしかしてこの人は先輩の彼女かなにかだろうか。恋人くらいいたとしてもおかしくない。先輩は変態だけどきれいで優しいし、ハルキさんのかわいいルックスは桐生先輩によく似合いそうだ。うう、ついハルキさんの胸に目が行ってしまう。 それにしても、どうしてあたしの心臓はこんなにドキドキしているんだろう。 「と、友達……です」 「あいつは部活もやってないし、バイト先で知り合ったってわけでもないでしょ? 最近、新しい人は入ってきてないもんね」 「えーと……色々あったんです」 ふうん、とハルキさんは腕組みした。そのしぐさに余裕を感じる。その口ぶりでは、アルバイトも一緒らしい。 「あの、あなたは……」 「わたし? わたしは叶野晴妃。コウちゃんとは幼稚園に入る前から一緒の幼なじみだよ」 なるほど。桐生先輩の気さくな態度の理由が分かった気がする。でもまだ、ただの幼なじみかどうかは分からない。沖浜先輩の名前を出していたのも気にかかる。あたしはできるだけの笑顔を作って軽く頭を下げた。 「あたしは有坂郁葉です。ここの一年生で、桐生先輩とはたまたま知り合ってお友達になりました」 「へえ、コウちゃんは何も言ってなかったけどな。あ、もしかして最近コウちゃんとケンカした? 十日くらい前だったかな、誰かと仲直りしたがってたみたいなんだ」 「それはあたしじゃないと思いますけど……」 「ふうん、そうか。変なこと聞いてごめんね」 それはたぶん、あたしが先輩に「生きたかったらみんなに好かれてください」と言ったときのことだろう。あんまり人に頼るようには見えなかったけど、この人に相談してたんだ。 「でも有坂さん、だいじょうぶ? コウちゃんってああいう人でしょ、一緒にいじめられたりしてない?」 「いじめられ……ですか?」 「うん」 先輩にいじめられているか、ならともかく、一緒にいじめられる? 首をかしげるあたしを見て、ハルキさんは納得したようだった。 「ないならいいんだ。まあ、もうずいぶん経つもんね、コウちゃんだっていつまでもいじめられてるわけじゃないか」 「あ、あのう」 なんだかよく分からなくなってきて、あたしはハルキさんに尋ねた。 「桐生先輩って、いじめられてたんですか……?」 「……知らなかった?」 確かに好きこのんでいじめられに行く人ではあるけど、いざそう言われてみると強い違和感がある。だっていじめても喜ぶだけで、全然いじめがいのなさそうな人なんだから。 「うーん……まあ、逆にそれがいいのかもしれないね。変なこと言ってごめん」 そんなこと言われたって困る。あたしの中で、先輩という人がどんどん分からなくなっていく。ウソつきだってことくらいは前から知ってたけど、あたしはいったい、先輩のどこを見ていたんだろう。考えたら、あの腕の傷の話だって本当かどうか分からなくなってくる。 先輩を助けられるのはあたしだけで、先輩はあたしがやっと見つけた、一緒に妖怪を見ることができる同年代の友達で、先輩はあたしに助けられることを喜んでいて、あたしが誘ったら一緒に買い物にも来てくれて。あたしは先輩のこと、けっこう知ったつもりでいた。 なのに。 「本当は悪いやつじゃないんだけど、意地っ張りなんだよね。打たれ弱いところもあるから、あたたかく見守ってあげてくれると嬉しいな」 母親みたいに言って、ハルキさんはポンとあたしの肩を叩いた。先輩と一番親しいのは自分だという自信をハッキリと感じる。実際、そうなんだろう。 「あ、灯花ちゃん!」 ハルキさんがそう言って大きく手を振った。見れば友達と一緒にやってくる沖浜先輩の姿がある。なんだかよく分からないけど、ハルキさんと沖浜先輩は知り合いらしい。沖浜先輩もあたしに気づいたようだ。 「あの、あたしここで失礼します。それでは」 ハルキさんに頭を下げ、あたしはその場から走り出した。駐輪場から自転車をひっぱり出して、正門ではなく通用門へ向かう。 息が上がっているのは、ただちょっと走ったからにすぎない。 嫉妬なんか、してない。 そもそもあの人に恋なんかしてない、しちゃダメだ。 駅前に自転車を向ければ人通りは少しずつ増えていく。立体交差になっている線路をくぐると、夕方のにぎやかな喧噪が駅前の通りを包み込んでいた。家に向かって自転車を飛ばす。 あたしは大きく頭を振った。 ダメだ。 あたしさえいなければ先輩は死ななかったかもしれないのに、そのあたしが先輩に恋したりなんか、していいはずがない。 |
前へ | TOP | 次へ | |