さくらが丘のうそつきデュラハン
-3 カメラの悪魔とうそつきデュラハン-


カメラの悪魔とうそつきデュラハン :1
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「十二円のお返しになります。ありがとうございました!」
 晴妃の元気な声がなぜか重く感じて、俺は商品棚の陳列を直す手を止めた。
「ありがとうございましたァ」
 つとめて明るく言ってみるけれど、どこか変なのではないかという疑念がぬぐえない。
 あれから二日、住之江は俺の首のことについてはいっさい触れない。夏夜と呼ばれていたあの少女妖怪も姿を見せない。彼に見られたことはまだ有坂には話さずにいる。
 次はない、という気がする。牛乳プリンを餌に守護霊に尋ねてみたが、やはり妖怪が見える人間は極めて珍しいそうだ。「前に住んでいた町よりは確実に多いようですが、クラスに三人はいくらなんでも多すぎます。なにかの陰謀ですか? 気に入りません」だとか。
 となれば、実は晴妃も妖怪に理解があってラッキー、なんて展開はとても望めそうにない。
「いらっしゃいませー」
 自動ドアが開いてチャイムが鳴った。客のピークはとうに過ぎ、晴妃はもうすぐ上がる。
 棚の低い位置を整理していた俺は、立ち上がって客の顔を見た。
「……あ」
「あら、奇遇ね」
 わざとやってるだろう、お前。
 しれっとした顔で微笑むのは、私服姿の灯花ちゃんだった。落ち着け俺、こいつは客だ。
 灯花ちゃんはおつまみとジュース、調理パンをカゴに入れてレジへ向かう。途中で「地元産の商品」コーナーにちらりと目をやり、売れ残っている古い絵本を懐かしげに撫でた。この店が酒屋だった頃からあるコーナーだ。あの絵本は小さい頃に読みでもしたのだろう。
「コウちゃん、知り合い?」
 レジ奥に引っ込んでいた晴妃が戻ってきて、灯花ちゃんを見る。灯花ちゃんのほうは晴妃の胸元につけた「かのう」のネームプレートに目をやって、うん、とうなずいた。
「晴妃ちゃん、久しぶり! 沖浜灯花です」
 え?
「あーっ!」
 どうして晴妃がカウンターから出てきて、灯花ちゃんに抱きついているのだろう。
「なんで? いつからこっちにいるの?」
「先週こっちに引っ越してきたの。今はそっちの桐生くんと同じクラスなのよ。よろしくね」
 きょとんとしている俺に、晴妃はテンションも高く説明してくれる。
「なんで教えてくれなかったの? 小学校で同じクラスだったんだよ! いきなり引っ越しちゃって寂しかったぁ。いやー、すっかりキレイになっちゃって!」
 そういえば灯花ちゃんは昔この町に住んでいたと言っていた。となればこの辺りの小学校は二つしかない以上、俺と同じ学校だったとしてもちっともおかしくない。だいたい児童数は俺がいた学校のほうが多いのだ。
 それにしてもそんなことは聞いていない。なんだか灯花ちゃんが一気に身近に見えてくる。
「だいじょうぶ? このバカが迷惑かけてない?」
「ええ、仲良くしてもらってるわ」
 晴妃が目を丸くする。失礼な。俺はたしかに灯花ちゃんと仲良くしている。灯花ちゃんがこんなに俺だけのことを見てくれているのだから間違いない。放課後には毎日のようにじゃれあって、二人きりでいるところをクラスメイトに目撃までされているんだぞ。
「そう、ならいいんだ。ねえ、良かったらちょっと待ってて! わたしもうすぐ上がるから、ちょっと話さない? 灯花ちゃん、家はどっち?」
「桜ヶ丘団地に戻ってきたわ。棟は変わったけどね」
「じゃあ、途中まで一緒に行こう! 急いで支度するよ。コウちゃん、あとよろしく!」
 晴妃の家は俺と同じ二丁目にあるから、ここからは歩いて七、八分ほど下ることになる。
「ああ。任せとけ」
 さっさと灯花ちゃんに出ていってほしくて、俺はひらひらと手を振った。


 ……はずなのに。
 いつになくバタバタと帰り支度をする晴妃に話を聞いた店長がよけいな気を回し、「桐生くんも今日はもう帰っていいよ」と言ってくださった。店長の腰が心配な俺は断ろうと思ったのに遠慮していると思われてしまったようで、半ば追い出されるように店を出てきてしまったのだが、いったい俺にどうしろと言うのだろう。
「間に合ってよかった。金曜日なら晴妃ちゃんがあのコンビニにいるって聞いて探してたの」
「わざわざ来てくれたの? ありがとう!」
「うん、引っ越しが多くて住所録もどこかに行っちゃったし、他に連絡の方法がなくて」
 きゃあきゃあとやかましい二人を横目に、俺は原付のハンドルを握り直す。ポプラ並木の下り坂は原付を押して歩くには向いていない。
「みんな元気かな」
「うん。エツコは南高校だからもう会ったかな? 田中くんが今、モヒカン頭にして番長の子分やってるよ。あ、番長ってひとつ上の加賀先輩って人なんだけど、分かる? あの、飼育小屋のニワトリを逃がしちゃった……」
「ああ! 覚えてるわ」
 空を見上げれば、空の半ばを覆う雲のあいだからちらほらと星が見えている。夜の空気が肌寒い。吐く息はまだ白くはならない。どこからかカレーの臭いがする。
「加賀先輩も南高だっけ?」
「ああ、三年にいる。廊下を走ってると因縁つけてくるから、廊下は静かに右側を歩けよ」
「本当?」
「さあね」
 のべつまくなしに喋り続ける晴妃、いつになく饒舌に見える灯花ちゃん、たまに話を振られて答える俺。
 担任だった鈴木先生が結婚したと聞いて灯花ちゃんは目を輝かせ、俺は先生から聞いた新婚旅行の話をしてやる。知らなかったあ、と目を輝かせる灯花ちゃんはまるで普通のクラスメイトでしかなく、ナイフを振り回して俺を殺しに来る彼女とは別人のようだった。
 ミキちゃんと灯花ちゃんが喋っている時には考えもしなかったけれど、こうしてみると灯花ちゃんは明るくて礼儀正しい女の子だ。優しい、というミキちゃんの評価もうなずける。
 俺と晴妃はさらに駅前の交差点まで歩き、そこで灯花ちゃんと別れた。去りぎわに携帯電話のアドレスを交換した晴妃は、俺の隣でだらだらと長いメールを打っている。灯花ちゃんが小学一年生で引っ越してからの十年間を、すべて語り尽くそうとする勢いだ。
 俺は少しだけ店長に感謝して、それからそんなことを考えた自分に驚いた。


 土曜日の夕方、コンビニでよく労働してきた俺はいつものようにベッドにもぐり込む。寝転がって携帯電話をいじりながら夕飯までだらだらと過ごすのだ。俺の携帯電話はもっぱらウェブ閲覧に使われていて、ずいぶん長いこと電話として使われたことはない。
「まだお天道様は出とるで、少年」
 茶化すような関西弁。もういちいち驚いたりはしない。ベッドの縁に腰掛けた人影には視線すらやらずに俺は答える。
「やあ加藤。なんの用だ?」
「用事がなくても遊びに来たい日はあるんや。構ってくれ」
「有坂のところにでも行けばいいだろ」
「まあ……そうも行かんのや。人には色々事情があるんやで、なあハナちゃん」
 誰を呼んだのかと思ったら、加藤のそばにするりと現れたのは我が家の守護霊だ。そういえば俺は彼女に名前を聞いていなかった。花柄の着物だからハナ、とでもいうところだろうか。
「知りませんよ、牧雄さんと一緒になさらないでください。少なくともわたくしは、昂紀さまにお話しできないことなどいたしません」
 顎を引いて胸を張るようにしながら腕組みをする、その仕草はどこか母に似ているような気がする。長年そばで見ていると仕草も似てくるものだろうか。思わず眉を寄せる。俺は世界中のどんな女性にだって罵ってもらえれば嬉しいが、ただ一人、母だけは例外なのだ。そんなことを口にするとマザコンだと言われてしまいそうだが、こればかりは仕方ない。
「カタいなあ。まあええわ、元気にしとるか?」
「見たら分かるだろ。まだ生きてるよ。お前こそどうなんだ」
「心配してくれるんか? 嬉しいなあ」
 へらへらと笑う加藤とはやはり相性が悪いと思う。こっちが笑っているのがバカバカしくなってくる。俺と会話している他の連中もそんなことを思っているのかもしれない。
「心配ですよ。世の中には怖いものが沢山あるのですから、よくご注意なさいませ」
 俺の代わりにハナが大真面目な顔で答える。腰をかがめ、加藤の顔をのぞき込むようにして「本当に!」と念を押した。
「妖怪にも怖いものなんかあるのか」
「ございます。なんでも線路の向こうにはカメラを持った悪魔が住んでいて、少しでも人間に手を出した妖怪のもとに現れては、塵も残さず祓って回るそうですよ。恐ろしいことです」
 自分の肩を抱くようにして彼女は身を震わせた。前に言っていた「『やり損ねる』と祓われてしまう」というのもその話と関係しているのかもしれない。
 ところで俺はひとつ思い出したことがある。有坂がいつもこそこそとカバンの中に入れて持ち歩き、俺を助けるときに使っているものがあったはずだ。見間違いという可能性もほんの少し残されているが、あれはどう見てもカメラだろう。
 ……さて。
「聞いた話では、いじめられっ子を助けるためにいじめっ子を傷つけた妖怪さえも、問答無用で祓ってしまったとか。傷つけたと言っても、ただ強く叩いたくらいのことだという話で、殺したなんてことはないんですよ」
「この町では有名な話やな」
 うんうん、と加藤はうなずく。
「それから怖いのは、妖怪使いに操られた妖怪さえも消してしまうということですね。いくらわたくしたちにその気はなくとも、強い妖怪使いにはなかなか逆らえないものです。そんな無慈悲な悪魔がいるとなれば、わたくしも怖くて仕方ございません……わたくしは末永くこの家をお守りしたいのです」
 ハナは不安げにそう言って、寝ころぶ俺の髪を撫でた。
 俺の頭の中で有坂がふわっと笑い、少し困ったような顔で「もう大丈夫です」と言った。加藤は知らん顔で壁のポスターを眺めている。ビジュアル系ロックバンドのボーカルが叫んでいる構図だ。頭の中の有坂がカッと目を見開き、マイクを勢いよく掴んで「今日は特売日なんですよ! くそったれ!」とシャウトする。ああ、なんて似合わないのだろう。
 俺はウェブへの接続を切ってメール作成画面を呼び出した。有坂の番号とアドレスは以前教えてもらったからきちんと入っている。本名をそのままローマ字にしたなんのひねりもないアドレスだ。特に理由もなく宛先にそのアドレスを指定し、それから何を打とうか考える。
 自分が何をしているかくらい有坂だって分かっているだろうが、天然らしいところがあるからひょっとするとあまり深く考えていないのかもしれない。気にしているのは確かだが、それが彼女の行動を変えるわけではなさそうだ。考えても有坂と悪魔という言葉はどうしても頭の中でつながらず、どちらかと言えば神様という言葉のほうが彼女を適切に表現している気がして、俺は説明を求めるかのように「元気?」とどうでもいい文章を打つ。
「なあ加藤」
 確認したくないけれど確認のために、俺は尋ねてみる。
「でもその悪魔はかわいい子で、お前と友達になってくれたりするんだよな」
 顔を上げると加藤はいつの間にか鎧の姿に戻っていた。表情はうかがえない。
「やってらんねえな」
「ホンマにな」
 ハナが不審げな表情を浮かべたが俺はなんでもないと首を振る。
「今度またプリン買ってきてあげるよ。新商品が出てるんだ、プリンの上に生クリームとブルーベリーソースがかかったやつ。けっこう合うらしい」
 上体を起こして笑ってみせる。
「俺だって末永く君と一緒にいたい」
「ありがたき幸せです。紗希さまがお嫁に行かれるまで、わたくしは絶対に昂紀さまをお守りいたします」
 姉の名前が出たところでふと思い出した。ハナが着ているこの着物はたしかタンスの中にある母の着物と同じだ。そうだ、この前の成人式で姉が着ていた。すると彼女はあの着物の精なのか。そうだとすれば母と仕草が似るのもうなずける。そして彼女は姉と共に嫁ぎ、今度はその家の守護霊となるのだろう。俺が彼女と共に過ごせる日はあんがい短いのかもしれない。
「よろしくね。……じゃあな加藤、俺はちょっと用事を思い出したよ」
 愛の告白のようなその言葉が今さらになって恥ずかしくなって、俺は打ちかけのメールを放り出すと冷蔵庫を漁りに部屋を出た。


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