さくらが丘のうそつきデュラハン
-2 愛のかたちは人の数だけあるんだよ-


愛のかたちは人の数だけあるんだよ :2
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 二年B組の教室は、いつもと少し違う感じがした。あたしが前の扉からそっと中をうかがうと、いつもはサッと立ち上がってやってくる桐生先輩が、なんとクラスの人と喋っていた。当たり前じゃないか、なんて言ってもらいたくはない。この二週間、あたしは何度も先輩の教室を訪れているけど、桐生先輩が沖浜先輩以外の人と話しているのを見るのは、じつはこれが初めてだった。
 桐生先輩はいつものようにへらへら笑っていたけど、でも相手の人たちはなにか怒っているようだった。
「とにかく、もう灯花ちゃんに近づかないで!」
「あはは、それは約束できないや」
「近づいたら殴るからね! 本当に!」
「ミキちゃんに殴ってもらえるなら、むしろ俺は嬉しいな」
 ああ、この人はやっぱり誰にでもこんな調子なのか。あたしが壁に隠れるように――なんで隠れてるのか自分でも分からないけど――観察していると、ミキさんと呼ばれた先輩はスカートを翻して桐生先輩が座っていた椅子を蹴飛ばした。うわあ。
 でも高校二年生の男の人ひとりが乗った椅子は、そうカンタンには倒れない。椅子はバランスを崩すことすらなく、桐生先輩はミキ先輩をバカにするように笑い、ミキ先輩は悔しそうに「死ね!」と桐生先輩に言った。
 ああ。そりゃあ、死ぬはずだ。
 妖怪は人々の願いを叶える。意識してようとしてなかろうと、妖怪が見えようと見えなかろうと、彼らはおかまいなしだ。ここが普通の町なら、そんな願いはすぐに埋もれてしまうはずなんだけど、この町は違う。さくらが丘はおかしな町だ。願いの力はよどんで溜まり、ときどき思い出したように噴き出して、人間には起こせないようなことをする。理由なんか知らないけど、きっとちょっとした偶然かなにかだろう。
 とくに線路のこっち側にあるニュータウンなんかは、すごい勢いで高齢化が進んでいって、子供もあんまり見かけない。その先の見えない雰囲気なんかも、少しは影響しているかもしれない。きっと世の中は微妙なバランスで成り立っていて、この町はそれがちょっと崩れてしまった場所なのだ。
 格好よく言ってみるなら、さくらが丘は願うだけで奇跡が起きる町だ。
 あたしはじっと桐生先輩を見つめる。沖浜先輩も桐生先輩に死ねと言っていた。ミキ先輩はきっと本当に死んでほしいわけじゃなくて、ただ桐生先輩のことがウザったくて仕方ないってだけだろうけど、でも死ねって言えちゃうくらいには、桐生先輩のことが嫌いなんだ。
 どうしてあんなことを言われているのか知らないけど、なんとなく桐生先輩の雰囲気には似合った光景だと思った。あれだけハデな変人が教室の中で黙ってるなんて、その方がずっと気持ち悪い。
「誰かに用事?」
 二年の先輩に声をかけられ、あたしはうなずいて「桐生先輩に」と答えた。眠そうな顔をしていた男の先輩はびっくりしたように目を見開いて、それから桐生先輩を呼んでくれた。
 ところで、なんだか視線が痛いのだけれど、これは一体どういうことなんだろう。あたしも一緒に変人扱いされているとしたら、それはちょっとイヤ、かなあ。
「あ……あのスイマセン先輩、昨日ちょっと新町のスーパーでタイムセールがあって、ついうっかりこっちに来るの忘れてて……だいじょうぶでしたか?」
 やましいことなんか何もないけどなぜか小声であたしは尋ねる。桐生先輩は笑って「まあ大した問題はないよ」と言った。大した問題じゃない問題はありそうに見える。
「いやあ、しかし俺もモテモテで困っちゃうよな。あんまり格好いいもんだから、俺を転入生に近づけたくないんだとさ。まったく灯花ちゃんは愛されてるね、まあ俺も灯花ちゃんを愛してるけど」
 あたしがバカだからだろうか。先輩の言葉のどこまでがウソなのか、あたしにはぜんぜん分からない。
「先輩の愛してるは、なんか間違ってます」
「愛のかたちは人の数だけあるんだよ、俺は間違っちゃいない。ところで、用事はそれだけ?」
 あたしはうなずいた。もともと用事なんかあってないようなものだ。でも桐生先輩は、放っておいたら本当に沖浜先輩に殺されてしまいそうな気がするので、あたしがこうして二年B組を訪ねるのはきっと生存確認のためなんだろう。もしかすると、他にもなにかあるかもしれない。
「でも、またあとで来ます」
「今日はバイトだから早く帰りたいんだよね。有坂が助けに来てくれると助かるよ」
 この人は、やっぱり何かが抜けている。
「それから」
「ん?」
 桐生先輩は相変わらずの笑顔で首をかしげた。
「……あ、なんでもないです」
 言おうとしたら急にバカバカしくなって、あたしは続きの言葉を飲み込んだ。
 ちゃんと、生きててくださいね。
 そんなこと、口に出したら笑われちゃうかもしれない。だからあたしは心の中でこっそり祈った。桐生先輩を殺さないでくださいって、沖浜先輩が操っているらしい妖怪に向かって、心からお祈りした。
 なにせさくらが丘は、願えば奇跡が起きる町なんだから。



 あのあと有坂がかわいい紫のネコを消すのを見て俺はちょっとした罪悪感を覚えたけれど、それは有坂自身の方がずっと強く感じていたようだから黙っておくことにした。俺は女の子を怒らせるのが大好きだが悲しませるのはあまり好きではなく、また有坂は晴妃と似て、彼女自身の行動をからかっても怒ってはくれないのだと俺は学習していた。いや、怒りはするのだがその怒りを俺に向けてくれないと言うべきか。他人を叱ることはできるのに自分のために怒ることはできない、理解できるようなできないような存在だ。
 そのあとはいつものようにバイト先へ出かけたが、いつも鬱陶しくて仕方ない晴妃が心のオアシスに見えたのだから俺はよほど疲れていたらしい。何気なく首に巻いたチョーカーに手をやって、この仕草が癖になりつつあるという事実に気づき俺は苦笑した。
 火曜日の夜は何事もなく過ぎていく。俺はベッドにひっくり返りダンベルを片手に白い天井を見つめた。美しいプロポーションを維持するためには、この体内の筋肉をみすみす脂肪に変えるわけにはいかない。元運動部だった俺の体は、自分で言うのも何だがそれなりに鍛えられている。逆に言えば気を抜くとただのデブになってしまうということだ。俺は今でこそインドア派だがかつては立派なスポーツ少年だったのだ。中学三年の夏に怪我で足首を痛めなければ俺は高校でも運動部に入っていただろう。
 ここのところ俺の周りには急な変化が多すぎて、正直なところ置いてけぼりを食らっている気分だ。二年前の夏に病院で「先生、八月の大会に助っ人で出ることになってるんですけど」「無理に決まってるじゃないか、キミ。そんなことよりリハビリを頑張りなさい、ここでサボると歩けなくなるよ」なんて会話を交わしたあの頃以来のひどい混乱だ。ちなみにチームは一回戦でボロ負けしたし俺が助っ人に入っていたとしてもやはり一回戦でボロ負けしただろう。足は速いが致命的にコントロールが悪かった俺でもあっさりレギュラーになれるような小さな部だった。ちなみに野球は打っても投げてもボールがあさっての方向に飛んでいくせいで六年間レギュラーとは無縁だったので、中学校ではわざわざ人の少ないハンドボール部を選んだのだからこれは仕方ない。それでも球技にこだわったのは好きだったからだ。俺には他になにもないのではないかと思えるほど好きだったからだ。もっとも辞めてみたら人生には他にもたくさん楽しいことがあるということが分かったので、それはそれでいいと思っている。具体的に言えばステキな女王様を捜すことが俺の当面の趣味だ。
 それにしても俺がいったい何をしたというんですか神様。これは美しすぎる俺に対する神の挑戦ですか。そういうことなら受けて立つ覚悟はありますが来るなら俺の美に値するだけの本気で来やがれ。そして俺を正面からこてんぱんにぶちのめしてくれるといい。
 ふと思い立って、俺は天井を眺めたまま口を開いた。
「おーい守護霊、見てるなら出てこーい」
 つぶやいてみたが特に反応はなかった。
「すいません、もし聞いてたら出てきてください」
 なにかがちらりと視界の隅で動いたような気がした。俺は身を起こす。
「お力を貸していただきたいのです守護霊さま。もし出てきてくれたら冷蔵庫のプリンをさし上げますから」
「まことですか!」
 かわいらしい声がした。それにしてもそんな安っぽいエサに釣られるなよ守護霊。俺は複雑な気分で目の前に現れた守護霊を見つめる。背筋をぴんと伸ばしてベッドの傍らに正座するのは、住之江の後ろにくっついていたのと同じくらいの年頃の少女だ。とは言えこちらの方が、住之江のそばにいた彼女よりもずっと素直そうに見える。長い黒髪はまっすぐに肩から背中へ流れ、白地にほのかなピンクで桜を描いた着物は隙なく着付けられている。帯は桜色だ。
 ごっつう若いと加藤は言っていたが、それにしてもこれは若すぎる。まあこんな子供に責め立てられるのも楽しそうだと考えられなくもないが、やりすぎると俺がロリコン呼ばわりされてしまいそうだ。俺は年上の女性が好きなのに!
「ああ。もっと欲しいならいくらでもやるよ」
 賞味期限が切れそうで気の毒なコンビニのプリンを思い浮かべながら俺はうなずいた。廃棄するのはもったいないとよく店長がこぼしている。すぐ近くに他の店がないという意味では立地は悪くないが経営は見るからに厳しく、雇ってもらっているというだけで店長に深く感謝している俺は、できるだけコンビニで買い物をすることに決めている。
「そのお気持ちが大変うれしゅうございます。ああ、昂紀さまがわたくしを呼んでくださる日が来ようとは、わたくし想像もしておりませんでした」
 なのにプリンで釣るまで出てこないのか、このガキめ。だいたい食べられるのか? などと思ったけれどそんな不満や疑問は顔には出さず、俺はこちらも嬉しくてたまらないよという表情でベッドから降りて邪魔な雑誌を押しのけると床に座った。妖怪には違いないのだろうが守護霊を見下ろすのは罰当たりな気がする。
「驚かないの?」
「常識的に考えまして、それはわたくしが申し上げるべき台詞なのではないかと存じます」
 そう言われても俺はこのもうすぐ三週間になろうかという新生活の中で、驚くほど大量の妖怪を見てきたのだ。加藤のような喋る妖怪は最初に見たときこそ不思議に思えたが、住之江について回るあの少女のこともあった今の俺にとっては、たかが守護霊がひとり現れたくらいで驚けというほうが無茶な要求だ。
「そうか。いや驚いたよ、こんなにかわいいと思ってなかったからね」
 しかしできればもう十歳くらい年上なら良かった。きっといい女になるだろう。
「お上手ですね。わたくしも驚きました、いきなり昂紀さまがなんだかよく分からない気持ち悪い生き物になっているんですもの」
「事実だろうとなかろうと、その言いぐさはひどくないか」
「この方が昂紀さまが喜ばれると思ったのですが、違いますか?」
 無邪気に首をかしげる守護霊。うわ、こいつなかなか俺のこと分かってやがる。
「牧雄さんもこの方がいいとおっしゃっていましたし」
 守護霊があまり気軽に呼ぶものだから一瞬誰だか分からなかったが、すぐに思い出した。あの関西弁のデュラハンか。余計なことをと言うべきか、よくやったと言うべきか。
「まあ、どんな状態であろうとお命に別状がないのであれば幸いです。妖怪に首を吹っ飛ばされても気にしないなんて、さすがは昂紀さまです」
 そこはかとなくバカにされている気がするのだが気のせいだろうか。ところで、今彼女が妙なことを言った気がして俺は身を乗り出す。
「妖怪に、って言った?」
「人間はふつう、一瞬で人間の首を切断したりはできません。先日の刑事ドラマで刑事さんがそう言っておりました」
 それにしてもあの刑事さんは格好良い方でしたわ、と守護霊は頬に手をやり、ついでのようにつけ加える。
「それに、人間に殺された人間はふつう生き返りませんもの」
「え、だって灯花ちゃんが『さくらが丘は死人も生き返るおかしな町だ』って……」
「確かにそれは事実でしょう。ですが、普通に死んだ人間までもが生き返るほどにおかしければ、今ごろこの町は大変なことになっていますよ」
 大真面目な顔で守護霊はそう言ったが、しかし年齢が年齢だけにあまり説得力がない。幼稚園児に「知ってる? サンタさんはね……本当は妖精の国じゃなくて、フィンランドにいるんだよ!」と言われているような、なんとも言えない微妙な気分だ。
「……妖怪は、人の願いを叶えるために動くんだっけ?」
「基本的には。おそらく、どなたかが昂紀さまの死を願ったのでしょうね。それにしたって、そんな願いを聞いてしまう妖怪のほうもどうかと思いますけれど。よほど強い願いだったのでしょうか」
 守護霊は案じるように首をひねり、それからふと思い出したように手を叩いた。
「そう言えば、わたくしが協力すればプリンを頂けるというお話でしたよね。何をすればよろしいのですか?」
「いや、あの……」
 俺は手短にここまでの経緯を話し、
「どうしたらいいと思う?」
 と尋ねてみた。ちなみに俺がこんな答えづらい質問をされたら間違いなく「自分のケツは自分で拭け!」とかなんとか言って追い返すだろう。だが守護霊はプリンのためなのか真剣に考え込んでいる。
「その方から逃れるためにお引っ越し……は無理ですわね。この家にそんな金銭的余裕がないことはわたくしもよく存じております」
 父は決して安月給ではないし母も積極的にパートに出ているが、私立大学に通う姉の学費は確実に家計を圧迫している。この家の住宅ローンはあと十三年残っているし、一人暮らしをするにしても俺の給料などとうてい自活できるだけのものではなく、守護霊の提案がなかなか難しいものであることは間違いなかった。だいたいどう言えというんだ。クラスメイトに命を狙われているから転校させてください、ってか? そこで退学して働くだけの度胸が俺にないことくらいは自分でもよく分かっているのでその考えは脇に置いておく。そんなことができたら俺はとうにこの町を出ているだろう。
「申し訳ございません。せめてこの家にお金が貯まるようにお祈りいたします」
 役に立つんだか立たないんだか分からない結論を出した守護霊のために俺は冷蔵庫からプリンを取ってきた。守護霊の前にプリンとスプーンを置いてやると、彼女は手を合わせ「いただきます」と頭を下げた。
「食べられるの?」
「ええ、一応」
 守護霊はプリンカップのフタの上に左手を添えた。右手に俺が持ってきたのとは別のスプーンが現れる。そのスプーンをフタの上からカップに突っ込んだ。妖怪が人間の体内をすり抜けていくようにスプーンはフタをすり抜け、その下のプリンに届く。えい、とすくい上げるとなぜかそのスプーンにはプリンが一口すくわれていて、カラメルに届いていないそれを守護霊はぱくんと口に運んだ。
 おお、食べてる。
 守護霊は幸せそうにプリンを味わったあとで、「おいしゅうございました」と頭を下げる。
「勝手につまみ食いをするわけにもいきませんから、ずっと憧れていたのです」
 床に置かれたプリンカップのフタは未開封。けれど中のプリンは確かに一口減っていた。俺の訝しげな視線に気づいたのか、守護霊は申し訳なさそうに「すみません」と言った。
「わたくしは未熟ですので、つい『やり損ねて』しまって」
「やり損ねる?」
「本当は、きちんとフタも剥がれるはずだったのですけれど、まだまだ下手で……。妖怪はこうして人間やものに影響を与えることはできるのですが、たまにそちらの世界の法則を歪めてしまうのです。たとえば昂紀さま、首を刎ねられたという割にお洋服は汚れておりませんでしたね。血は出なかったのでしょう?」
 有坂に克明な情景を聞いたわけではないが、そう言えば確かにそうかもしれない。服や体のどこにも血の汚れなどなかったが、ふつう首が飛んだら断面からは血が噴き出すだろう。
「昂紀さまを襲った妖怪も、きっと『やり損ね』たのでしょう。だから昂紀さまは死にきれず、生き返ることができたのです。先ほど『人間が殺した人間は生き返らない』と申しましたが、妖怪が上手に殺した人間もまた、生き返りはしません」
 すると俺は俺を殺した何かがヘタクソだったことに感謝しなければならないのか。俺の命が意外にも綱渡りの上にあることに気づき改めて背筋が寒くなった。
「あまり『やり損ね』ると目をつけられて、お祓いされてしまいますから、気をつけないといけないんですけれどね」
 誰に、とは言わなかったが、俺の脳裏には泉堂さんの顔が思い浮かんだ。俺を生き返らせた魔女。職業を聞いたらウェブデザイナーだと言っていたがあれはきっと仮の姿だ。本業は呪いや毒薬作りに違いない。
 守護霊は「また何かありましたらお呼びください、その折にはぜひ牛乳プリンのご用意を」と言って消え、俺は食べかけのプリンのフタを剥がして黄色いプリンにスプーンを沈めた。ところでこれは間接キスになるだろうか?


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