さくらが丘のうそつきデュラハン
-2 愛のかたちは人の数だけあるんだよ-
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「おはよう住之江。あと、いろいろと俺が悪かった。ごめんなさい」 月曜日の朝、とりあえず目についたのでクラスメイトの住之江一志に話しかけてみると、ヤツは眠そうな顔と声で「何を企んでるんだ」とだけ言ってまた机につっぷした。いつも不機嫌そうな顔をしている割には根はいいヤツだと評判なので適当に謝ってみればなんとかなるかと思ったが、やはりそんなことはなかった。 病気だとかなんとか言っていた気がするがとにかく午前中の住之江はひたすら眠っている。体育の時間ですらうっかりすると寝ているくらいだ。夜更かしがたたっているわけではなくただ単に寝ても寝ても寝たりないらしい。 昼休みごろ、目を覚ましてからまた来よう。そう思って踵を返しかけた俺はふと足を止めた。住之江の体に隠れるようにしてこちらを見つめる目がある。教室にあふれる黒い学生服と濃紺のセーラー服に埋もれてしまいそうな、黒衣の子供がひとり。 全身を黒と赤で統一した少女は見たところ十歳くらいだ。大量のフリルがあしらわれたゴシックロリータ調のワンピースに、くるくると巻いた背中までの黒髪。じっと見つめていると、彼女は「しっしっ」と犬を追い払うように手を振った。 「一志に近寄るな、ヘンタイ!」 反射的に唇が笑みを浮かべる。それが気に入らなかったのか少女は住之江の蔭から飛び出すと俺に頭突きをくれた。スカッとすり抜けていくそれは妖怪ならではの感触。彼女が妖怪でなければいい頭突きだっただろう。惜しいことをした。 「ムダだよ妖怪。なにせ俺のほうがお前より美しい」 「意味わかんない! もう、あんたなんか、あんたなんかこうしてやるんだからっ」 世の中には喋る妖怪が思ったよりもたくさん棲息しているのかもしれない。そんなことを考えながら彼女を見つめていた俺は腹に重い一撃をくらってたたらを踏んだ。何もないところでふらついて机にぶつかった俺にクラスメイトたちは気味悪そうな視線を向け、それからすぐに興味を失ったように視線を逸らした。まあそこで「だいじょうぶ?」なんて声をかけられたらかえって不気味だ。 「だいじょうぶ?」 あれ。 振り返ってみるとそこには腕組みをした灯花ちゃんが立っていておかしそうに笑っていた。ゴスロリ娘は灯花ちゃんと目が合って「うわ」とつぶやき、パッとその場から消え失せる。あの一瞬で灯花ちゃんが妖怪に向ける悪意を感じ取ったのかそれとも単に自分の姿が見えることに驚いたのか、その辺りは本人に聞いてみないと分からない。 「気をつけなさい。妖怪はその気になれば生身の人間に触れられるわ。私の妖怪だって、ちゃんとあなたを殺せるんだから」 すれ違いざまにささやいて灯花ちゃんは行ってしまう。沖浜さーん、と彼女を呼ぶのはクラスの中でも地味なグループの女子だ。聞き耳を立てれば、声をひそめることすらなく「あいつとは関わらない方がいいよ」とかなんとか言っている。前に彼女が描いている漫画を見てヘタクソとか時間のムダだとか言ったのがいけなかったのだろうか。あのときは怒ってくれるかと思ったら泣かれてしまって複雑な思いをしたものだ。そんなに読まれるのがイヤなら作った漫研の部誌を教室に置かなければいいのにと思う。ところで皆に好かれなければならないということはあの軍勢にも謝る必要があるのか。俺はわりと正直な感想を言っただけなのでなんだか釈然としないものがある。 チャイムが鳴ったので俺は席に座って頬杖をついた。そうか、今まで灯花ちゃんが起こすあの耳鳴りや頭痛や吐き気ばかりを警戒していたけれど、いつも有坂はぜんぜん違うところを見て、ぜんぜん違うところにカメラを向けていた気がする。有坂のカメラには妖怪を祓うとかいう力があるようなことを十七日前に聞いたような気もしないでもない。あの時の俺はこっそり動転していたので何を言われたのかあまり覚えていないのだ。 まあとにかく、すると灯花ちゃんは妖怪を使って俺を殴るなり刺すなりして殺すつもりなのか。明日で灯花ちゃんがやってきて一週間になるのに俺はようやくそんなことを理解した。どうも頭のどこかが未だに妖怪とかなんとかいう話を拒絶している気がする。俺が今いちばんの当事者だというのに。 ああ、面倒くさい。俺はこういうややこしい話が嫌いなのだ。 だいたい住之江にあんな美少女がくっついているなんてずるい。生徒会副会長である彼は風紀委員長の恋人で、その風紀委員長がまた冷ややかな目で俺を見下してくれるとびきりステキな女の子なのだ。片方俺によこせ。 ヤツの敵といったら生活指導教諭くらいのものだ。それも度を過ぎた遅刻と居眠りのために目をつけられているにすぎない。放課後は図書室か生徒会室で過ごし寄り道もせずにまっすぐ帰る品行方正な生徒だ。友達も多い。寝ている住之江にサボってんじゃねえよなどと声をかけるとなぜか本人ではなく周囲が怒る。ああ考えれば考えるほど腹が立ってくる。なんであんな生き物が存在しているんだ。 そんな現実逃避をしているうちに昼休みになった。俺はあくびをしている住之江の元に向かう。ぐずぐずしているとこいつの愛する彼女がやって来てややこしいことになりそうだ。 「何の用だ」 いきなりそれはないだろう。 「さっきも言ったとおり、お前に謝ろうと思って来た」 住之江が苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。ちょっと待て、まだ俺は何もしていないだろうに。 「どういう風の吹き回しだ」 「……星占いで、メガネの野郎と仲直りすると吉って言われた」 適当にウソをつくと住之江は納得したようだった。単純なヤツめ。 「じゃあ断る」 「そこをなんとかお願いします。ホントにもう何も言いませんから」 懐疑的な視線。思わず笑いたくなるがなんとかこらえる。コンビニでも頭を下げるときにはつい笑いたくなってしまうものだがそれをやると客が本気で怒ったりするので侮れない。 「なあ桐生」 複雑な表情で頭を抱え、住之江はしぼり出すように言った。 「しばらく考えさせてくれ」 え、なにこれ。脈あり? 逆にびっくりしている俺を前に住之江は弁当箱を持って立ち上がった。今日はこちらから彼女のもとに向かうらしい。珍しいな。 ぼんやりと後ろ姿を見送っていると彼の後ろにふわりとゴスロリ娘が現れ、俺に向かって舌を出して消えた。 金曜日に俺に逃げられた灯花ちゃんはあれで学習したらしい。黒板を爪で引っかく音を無理やり聞かされているような寒気がし始めたのはまだ帰りのホームルームも終わらないうちだった。サッといなくなっていくクラスメイトたちを横目に、俺は机の天板に頬をつけてグロッキー。いくらステキな女の子にいじめられてるのだと分かっていても喜んでいる余裕がない。ああ本当にやめて! これはやめて! この寒気は周囲の誰にも影響がないのだと思うとなんだか悔しい。俺と灯花ちゃんだけが別の世界に住んでいるようだ。喉の引っかかるような感覚をこらえて息をする。呼吸だけでこれだけ苦労するなんて一昨年の夏に近所の川で溺れかけて以来だ。 ところで気がつけば俺と灯花ちゃんは教室の中で二人きりになっていた。教室というのはこんなにすぐに空っぽになるものだっただろうか。もし皆が俺を避けていったなんていう理由だったならばそれはそれで嬉しいので、とりあえずそう思うことにした。 「まったく、気持ち悪い町ね」 透明な声でそう言いながら、灯花ちゃんはガラス窓を閉めた。一体いつから開いていたのだろう。こんな寒いときに窓が開いていれば、早々と帰ろうという気にもなるかもしれない。 「こいつらがこんなに思い通りに動いてくれるなんて、かえって不気味だわ」 俺は重い頭を上げて教室じゅうを見回した。灯花ちゃんがささげるように両手で支えているのは、昼下がりの番組でカーテンの色をあれこれ言うおっさんが持っているような風水盤だ。見れば黒板の前にはふわふわした塊。ロッカーのそばに紫色のネコ。窓際の椅子に留まっているインコも妖怪か。 「おまけに死人は生き返る。どうしてこんな町ができたのか知らないけど、これ以上おかしなことにはなってほしくないわね」 俺は頭を押さえながら立ち上がった。余裕を見せてやるべく笑う。ところで彼女は何を言っているのだろう。 「この町が、どうしたって?」 「ふつう、死体っていうのは生き返らないものなのよ」 そんなこと俺だって知っている。 「あなたみたいな死に損ないだって、そのまま死んでしまうのが当たり前。それをこんな形で生き返らせるなんて、この町が持ってる不思議な力がなくちゃ不可能よ」 「不思議な力……って」 「さくらが丘は、妖怪の力がとくに強い町。そもそも私がこの町に引っ越してきたのも、父がそこに目をつけたから。昔からおかしな町だと思っていたけど」 昔から……ああ、そうだ。灯花ちゃんは十年ぶりにこの町に戻ってきたとかなんとか言っていた。 「こうやって妖怪が見えるような人間が集まってくるものだから、ますますおかしな町になっていくのね。妖怪は事件を呼び、事件は妖怪を呼ぶんだわ。まったくひどい町。あなたはこのあたりの生まれ?」 「ああ。母親の腹ん中にいるときからさくらが丘の住人だ」 「だからそんな奇妙な状態で生きていられるのかしらね。おかしな町で育てば、人間のほうもおかしくなるものなのかもしれない」 ガツッ、と後頭部に何かが当たった。続けてもう一発。俺はよろけて机をひとつひっくり返しながら膝をつく。 さくらが丘がどんな町だろうが俺の知ったことではない。灯花ちゃんの言葉は俺の脳みそに入れず上滑りしていく。 「これはアタリね。すごく調子がいいわ」 風水盤を見ながら灯花ちゃんは勝ち誇ったように笑う。振り返ると紫色のネコがすまし顔で歩いていった。灯花ちゃんの上履きが俺の背中を蹴りつける。勢いよく倒れた俺は椅子の足で額をぶつけた。ちくしょう、俺の美しい顔に傷がついたらどうしてくれる。いや、まあ、それはそれでなかなか素晴らしい話だが。 「だいじょうぶよ。死んだらちゃんと焼いてあげるから、安心して死になさい」 「焼く? なんで」 「あなたの首の傷を他人に見られるわけにはいかない。妖怪のことを都合良く隠蔽してくれるような便利な組織は存在しないから、病院に見せたら不審がられてしまうわ」 なに! 秘密組織はないのか! ドラマではサングラスをかけた怪しい黒服なんかがこっそり動き回ったり、主人公が働くラーメン屋の店主がいきなり裏の顔を見せたり、そういうロマンがあるものではないか。灯花ちゃんの言うようにさくらが丘が異常な町であるならば、せめて病院と警察とマスコミくらいは秘密組織に協力していなければならないはずだ。なんてこった! 俺がショックを受けていたその時、遠くからこの教室へと近づいてくる足音が聞こえて俺と灯花ちゃんは思わず顔を見合わせた。殺したい女と殺されそうな男の間柄だというのに俺たちの間には奇妙な連帯感のようなものが生まれ、とりあえず灯花ちゃんは風水盤を片づけようとカバンを探し俺は首のチョーカーがきちんと巻かれていることを改めて確認する。 コンコン、と扉をノックする音。灯花ちゃんはカバンに風水盤を突っ込んでいる。頭の中にあったもやが晴れるように気分が楽になった。 「はいはい」 あれ、これ逃げ出すチャンスなんじゃないの? とか思いながら俺は鍵を開けるついでに自分のカバンをひっつかんで教室から飛び出した。扉の前で不景気なツラをしたメガネ野郎とぶつかりそうになる。 「あ……悪い、もしかして取り込み中だったか?」 「いや、全然! じゃあな!」 俺は笑顔で言って走り去る。まあ今だけは仕方ないから救世主と呼んでやろうじゃないか住之江一志。よくぞ偶然通りかかってくれた。 ……偶然、だよな。 その住之江は、友達ではない人間の秘密は守らない主義の男だった。翌日の昼までにはすっかり桐生昂紀と沖浜灯花の密会はクラス中の知るところとなっていて、灯花ちゃんには友達がみんなで俺の悪行を語り聞かせ、俺には「灯花ちゃんが優しいからってつけ込もうとしてるのね、サイテー!」という彼女たちの文句が飛んできた。灯花ちゃんがあれで優しいというなら有坂なんかきっと神様に違いない。 正直なところ住之江がそういうヤツだとは思っていなかったのでこの展開には驚いた。しかしさらに驚いたのはその後だ。 「ああそうだ、昨日の話だけど」 どの話だ。何にせよ住之江がまるで友達のように話しかけてきて俺は腰を抜かしかけたのだが、驚くべきことというのは続くものである。 「今朝の星占いでな、てんびん座のラッキーパーソンは『髪を明るく染めている人』だったんだ。というわけだから、記念に過去のことは水に流してやる」 なにこれ、ドッキリカメラ? 重度の遅刻魔である住之江が朝の星占いなんか見ているわけがないと気が付いたのは五分くらい後のことだった。いちいち面倒くさい喋り方をする野郎だ。言いたいことがあるなら素直にバシッと言ったらどうなんだ。もっとも俺が他人のことを言えるわけもないのだがそれはそれ。 俺が足りない頭でヤツの豹変の理由について悩んでいるとそこに神様もとい有坂がやって来た。 できればもう少し後にしてほしかった。たとえば、今ものすごいケンカ腰で俺を取り囲んでいる女の子たちがいなくなったころとか。 |
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