さくらが丘のうそつきデュラハン
-1 放課後の教室で、かわいいあの子と二人きり-


放課後の教室で、かわいいあの子と二人きり :3
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 今日は木曜日だからバイトもない。カバンを机の上に放り投げて自分はベッドに飛び込む。有坂の言葉が耳の奥で回る。
「なんや、辛気くさい顔しとんなあ」
「うわっ!」
 突然耳元でそんな声が聞こえて俺は跳ね起きる。見れば黒い西洋鎧がひとつベッドの傍であぐらをかいていた。長い剣を持った、博物館あたりに飾ってありそうな鎧だ。もちろん人間であるはずがない。俺の家族にこんな悪趣味な人間はいないし関西には親戚も知人もいない。
 そう、まったく悪趣味だ。西洋鎧の上から虎縞のはっぴを着た人間なんか俺は見たことがない。これもあの人面犬の同類なのだろう。喋るやつもいるのだと俺は驚いたが、よく考えてみれば昔話に出てくる鬼だってちゃんと日本語を話している。
「そんな、オバケを見たような顔せんといてや」
「……オバケじゃねえか。ほら」
 俺が伸ばした手はずぶりと鎧の中に沈む。感触はない。西洋鎧は身をよじって「いやん、えっち」と言った。撲殺してやりたくなったがあいにくと触れられないし、触れられたところでこの鎧を殴っても殺せないだろう。
「何しに来たんだ、バケモノ」
「バケモノちゃうわ、誇り高きデュラハン様やぞ。そこらの口も利けん妖怪と一緒にせんといてや」
 こんなものと話しているところを母親あたりに見つかったらなぜかひどく優しい目で見られてしまうこと間違いなしなので、俺は声を落としながら答える。
「でゅらはん? 何だそれ」
「お前さんもしかして、ファイナルクエスト遊んだことないんか?」
「ないよ」
 俺はゲームをやるヒマがあったら外を駆け回り空き地で野球をする、おそろしく健全な小学生時代を送ってしまったのだ。自慢ではないがそんなゲームに関する知識は一切ない。いや名前だけは知っているからゼロではないか。
「わいらの知名度はあれで急上昇したんやで! 今からでも遅うない、遊べ! そしてデュラハン様の特殊攻撃に涙せい!」
「断る」
 そんな金があったらバイク貯金か洋服代に回す。それにしてもなんて妖怪だ。だいたいそのゲームに出てくるデュラハンとやらは虎縞のはっぴを着ているのか?
「……で、デュラハン」
「せっかくやから名前を呼んで欲しいんやけど」
「名前?」
 デュラハンでいいじゃねえか。そう思う俺の前でデュラハンはぺこりと頭を下げた。
「加藤牧雄と申します」
 日本名かよ。
 引きつり笑いを浮かべる俺を見て加藤が何を思ったのかは知らない。もしかすると妖怪の名前としてはこれが一般的なのかもしれないので文句は言わないが、それにしてもせめて横文字であってほしかった。
「じゃあ、加藤。……どういうつもりで勝手に人の部屋に入って来たんだ」
「親近感が湧いたんでな、お友達になりたいと思うたんや。妖怪が見える人間ちゅうのも貴重やし、仲良うなって損はない」
「親近感?」
 加藤はうなずいて頭に手をやった。ぐい、と首を持ち上げれば鎧と兜が離れる。首のない胴体部と兜の部分がきれいに分離した姿を見て俺は思わず口元を押さえた。俺も客観的に見ればこんなものだということか。気がつくと空いた左手が布団を握りしめていた。落ち着け俺、相手はただの妖怪だ。
「な? デュラハンは首無しの騎士。死を告げる妖精や。よう似とるやろ?」
「首が取れるところしか似てない」
「素直やないなあ。ほんなら、これでどうや。もうちょっと親しみが湧くやろ」
 放り投げた首が被っていた兜が霧のように変化して消え去った。その下から出てきたのは二十歳くらいの男の顔。心臓がたぶん普段の二倍くらいの勢いでこき使われているが俺はつとめて平静を装いその顔を見つめた。気がつけば胴体部が着ていた鎧も消えて、長袖のシャツにジーンズというごく普通の人間のような格好になっている。虎縞のはっぴはそのままだ。
「な?」
「気持ち悪い。さっきの方がまだマシだ、鏡見て出直してこい」
「ほんまに冷たい男やなあ。友達おらんのも分かるわ」
 余計なお世話だ。そう思うと口元がほころんだ。
「なに笑うとんねん」
「いや、なんか嬉しくて」
「はあ?」
 いいじゃないか、友人なんかいなくて結構。孤高の美人に馴れ合いなど不要だ。俺に必要なのは優しい友人ではなく俺を踏みにじってくれる素敵な女王様なのだ!
 だんだんいつものペースを取り戻し落ち着いてきたところで、俺は改めて加藤の顔を見た。加藤は頭をひょいと元あったところに乗せて居ずまいを正す。どこにでもいそうな日本人の顔だ。
「まあええわ。そんなわけで、お友達になりまへんか」
「イヤだ」
「そうかそうか……ええっ!」
 にっこり営業スマイルで答えてやると、加藤は鬱陶しいほどのリアクションでそれに応えてみせた。俺も鬱陶しい男だと自覚しているがこいつもなかなかのものだ。そういう意味では親近感が湧かないこともない。
「その状況で断るか、普通」
「いや、むしろ普通に考えたら断るんじゃないか?」
「郁葉は断らんと友達になってくれたで」
 そりゃあ有坂なら断るはずがない。あいつは地球を侵略中の宇宙人とだってすぐ友達になれそうな女だ。
「だからって俺がお前と友達にならなきゃいけない義理はないだろ。さっさと消えろよ、バケモノ」
「お前さんに言われたァないわ。女々しいナリしよって」
「それは関係ないだろ!」
 仕方ないだろう。俺は美しいから女物だってきっちり似合ってしまったりするのだ。と言ってもいま身につけている中ではヘアピンとピアスくらいのものだが。ちなみにヘアピンを挿した上から殴られるとなかなか痛くてそれがまた心地よい。
「いやいや、この家の守護霊かて悲しんどるで、まっすぐ育ってたはずの長男がおかしな道に走ってしもたってな」
「守護霊?」
 そんなものがいるなら最初から俺を守れよ。だいたい俺は俺の道を爆走しているだけで別に親不孝はしていないつもりだ。たぶん。とは言えおかしな道と言われること自体はなんの問題もない。問題は、どうしてその守護霊が俺の目の前に出てきて説教してくれないのかということだ。いや、その前に重要なポイントがあった。
「なあ、その守護霊って男? 女?」
「いきなりそれか。これだからガキはあかん」
 健全な男子高校生を前になんて無益なことを言うんだこの妖怪は。ジジイに説教されるよりもキレイな女王様に説教されたいと思うのは男として当然だろうに。
「まあいずれ分かるやろから教えたるわ。女やで、それもごっつう若い」
 新たなるチャンスの到来! 生きてて良かった! いや生きてはいないかもしれないがそれはともかく、守護霊に説教されるなんて想像しただけでエキセントリックで魅惑的な情景だ。いつでも来い!
「ありがとう加藤! もう二度と来なくていいぞ!」
「おう! 毎日でも押し掛けたるわ!」
 この野郎なかなかやるな。熟練した夫婦漫才のような返答に俺は顔に出さないまでも面食らう。これではまるで仲良くなんかないと言い張るラブラブで鈍すぎるバカップルのようだ。たまにこういう俺と相性の悪いタイプの人間が存在しているおかげで俺の友人の数は少なくはあるがゼロではない。困ったものだ。
 だが俺の無理やりなサヨナラの挨拶に負けたのか加藤は出ていってくれた。気を利かされたのだとしたらそれはそれで腹立たしいがまあいい。
 俺は再びベッドに寝転がり、手を伸ばしてコンポの電源を入れた。音が家中に漏れ出るようなボリュームでロックをかけたのに守護霊とやらは説教をしにやっては来ず、俺は少しだけ残念に思いながらベッドの上でうずくまりアルバム一枚六十分を聴き続けた。


 金曜の放課後は無事に脱出に成功した。快挙なのか失策なのかよく分からないがとにかく俺は家で着替えると原付にまたがる。もちろん歩いても自転車でも問題のない距離だがせっかく免許を取ったからには乗りたいと思ってしまうのが人の性だ。
 向かう先は俺が働くコンビニエンスストア。ほんの二年前までナントカ酒店だった、まあよくある形態の店舗である。最低時給すれすれの賃金に釣られてくるのは俺のような高校生と物好きな大学生と立地に魅力を感じたのであろう主婦。さくらが丘の上のほうにある店だけに店員もほとんどがさくらが丘の住人だ。線路の向こうからやって来るフリーターも一人いたがこの前の九月に辞めてしまった。空いた時間を埋めるように入っているオーナー兼店長はいい加減にくたばりそうな年齢の爺さんで、コンビニの明るい色調の制服がまったくと言っていいほど似合わない。
 何を着ても似合ってしまう俺はさっぱりとした服装に身を包み、これだけは外せない首のチョーカーをタートルネックの襟で隠している。ハニーゴールドの髪は致し方ないがそれを留めるピンは地味な黒色。俺だって時と場所くらいはわきまえるのだ、一応。
「どうしたのコウちゃん、今日は早いね」
 俺のゼロではない友人のひとり、叶野晴妃はそう言って小首をかしげた。金曜日は一時間半だけシフトが重なる。ハルキなんて名前だがれっきとした女で、ここから自転車で三十分くらいの私立高校に通っている。俺の家のすぐ裏に住んでいる幼なじみであり小さい頃から一緒に風呂に入ったりもしてしまった仲であるせいか、いざ離れたくてもなかなか離れられない。こういうのを腐れ縁と言うのだろう。
「どうでもいいだろ」
 くだらない、という顔で俺は口角を上げる。それにしてもまだこんな時間か。もちろん、あんなに必死で家に逃げ帰ったのだから少しは早くなるのも当たり前だ。
「うん、別にどうでもいいよ」
 こいつの悪いところは物わかりが良すぎる点だ。ちょっとやそっとのことでは怒らない、どころか俺は長いことこいつに罵られた記憶がない。中学校に入るくらいまではよく喧嘩をしていた気がするので、これはお互いが大人になってしまったということなのかもしれない。とは言え俺は晴妃のストレートパーマをかけたこげ茶の髪も大きすぎて下着が高いのが悩みとかいう胸もなかなか魅力的だと思っていて、いつか彼女にあの学校指定の革靴で蹴り倒されたいと密かな野望を抱いているのである。これぞ男のロマン! すばらしき倒錯!
 考え事をしていても手は勝手に飲料パックの陳列を直している。一年半もやっていればけっこう様になるものだ。客はまだ少ない。さすがの灯花ちゃんもここまで追っては来ないだろうと思うとホッとする。コンビニであの短刀を抜かれたら俺はもちろん警備会社を呼ぶレジ下のボタンを押すだろうし、灯花ちゃんにだってそれくらいは想像できるだろう。
「なあ晴妃」
 レジを終えた客が出ていくのを見計らって俺は晴妃に声をかける。
「俺のことを殺したいほど嫌いな人間と友達になるには、どうしたらいいと思う?」
 答えの代わりに、レジ裏に立てたモップが倒れる高い音が店内に響いた。
「こ……コウちゃん? どうしたのいきなり?」
 晴妃の声が上擦っている。それはちょっと動揺しすぎだろう。
「頭でも打った?」
「そう言えば昨日、ロッカーの角に思いっきりガツンと」
 灯花ちゃんに投げられた時にぶつけたところはコブになっている。あれは痛かった。
「……って、なんでそんな話になるんだよ!」
「ごめん。コウちゃんが誰かと仲良くしようとしてるの、久しぶりすぎて」
 晴妃は真顔で言いながらモップを元に戻し、レジから身を乗り出した。
「とりあえず、怒らせたんなら謝っておけば?」
 コンビニで釣り銭を間違えて謝るときとはわけが違うような気がする。どこの誰に何を謝ればいいのだろう。いちいち他人に何を言ったかなど覚えていないし何が原因で嫌われているのか明確な理由は思いつかない。ただつもり積もった何かがあるだけだ。
 まあいい。とりあえず月曜日になったら、誰かになにか謝ってみよう。


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