魔女は胡蝶の夢をみる
-三章 ドールハウスの人形たち-


ドールハウスの人形たち :2
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 すぐ側にあった教室に入り、四人は適当な椅子に座る。ユリンはきっちりと背筋を伸ばし、ハンナは椅子の背に抱きつくような形で顎を背もたれに乗せ、アキジはその隣の椅子を乱雑に引いて浅く腰掛ける。タツキはユリンの隣に座った。
「あのね、ユリンちゃん。ちょっと窓から顔を出してみてほしいの」
「なんで?」
「やってみればわかる」
 ハンナの要求に、いぶかしげな顔をしながらもユリンは従った。先刻見たあの魔術師らしき人影のせいだろう、ユリンは何か異常な事態が発生していることに気付いているようだった。
 窓を開け放ち、ユリンは窓から身を乗り出す。数秒の後、振り返ったユリンの表情はやけに苦々しいものだった。
「……誰よ、こんなおかしなイタズラ仕掛けたの。おおかた、さっきの幽霊も同一犯ね」
 ぴしゃりと窓を閉め、ユリンは三人の元へ戻ってきた。
「窓から顔を出したら外にいた人間が消えた。おそらく、私が顔を突っ込んだ先の空間は、こことは隔絶された論理空間なのね。論理空間の中にいたら、普通の状態の人間とはコンタクトが取れない。その代わり、あの空間を確保するにはそれなりの力が必要だわ。私たち高校生にはちょっと難しい」
 てきぱきと事情を分析しながら、ユリンは首をかしげる。
「あら? もしかして、ここも論理空間の中だって言いたいのかしら?」
「もしこれが魔法的な現象だとしたら、可能性としてはそれが一番高いと思うよ。でもユリンちゃん、論理空間って、三年生で習う範囲だと思うんだよ……ネクタイが赤ってことは、みんなアタシと同じ二年生だよね。だったら、タツキちゃんに言ってもわかんないって」
 アキジちゃんは知ってる? と問われ、アキジは首を振った。
「僕は高一まで普通学校にいたんだ。知識では高校からの入学の神代にもずっと劣るよ」
「へえ、珍しいね! 編入試験に受かるくらい頭がいいなら、最初から高宮に来ればよかったのに。あ、もしかして、技術とか知識じゃなくて高宮の卒業証書が欲しくなったってやつ?」
「お前には関係ないだろう。それで? 論理空間ってのはどういう概念だ?」
 うーん、とハンナが頭を抱えた。
「ものすごーく大ざっぱに言うと、現実世界の舞台裏なんだよ」
「ハンナちゃん、半端な説明はかえって誤解を呼ぶわよ」
 うー、とハンナが声を上げた。本人の申告によればタツキ達とは同い年のはずだが、中身はかなり幼いように感じられる。
「じゃあ、言い直すんだよ……すべての物質には真名があって、真名を呼べば力を呼び起こせるわけでしょ。でも、生き物の身体に宿る力と、無生物に宿る力は、同じものではあるけど位相がぜーんぜん違う。それを取捨選択して、自我のある生き物を排除した平行世界が論理空間。詳しい仕組みについては来年習うと思うんだよ」
 さっぱり意味が分からなかったが、隣でアキジが「なるほど」と頷いたので、あとでこっそり彼に聞こうとタツキは思った。
「……タツキちゃん、もしかして分かってない? じゃあ、普通学校にいる普通の人にでも分かっちゃうくらい、ものすごーく分かりやすい例で話してあげるね」
 ハンナが手を広げた。アキジの控えめな笑いがやけに不快だ。
「こっちの世界は、ふだんアタシ達が住んでる世界。物があって、生きてる人がいるところね。で、そっちの世界が論理空間だとするの」
 右手と左手の握り拳を使って、ハンナは懸命に説明してくれる。
「論理とかやり方とか全部スッ飛ばして解説すると、右の世界には生き物がいて、左の世界には生き物がいないんだよ」
 今度は端折られすぎて意味がわからなかった。
「ふつうは左の世界には誰もいないから、その存在を知覚する人間もいないんだね。でも、そういう世界を作り出すことはできる。現実世界じゃなくて、その平行世界としてね。確か作り出すのにはすごい力がいるけど、維持はけっこう簡単なんだよ。ちょっとしたY種魔法だけでいい」
 Y種などという名前が出てくる時点でちっとも簡単に聞こえなかったが、まあいい。
「この学校くらいの広さなら、維持するには普通の人間が一人で頑張れば足りる。でも、それだけじゃ空っぽの、実物大のドールハウスを造っただけで、あんまり面白くないでしょ?」
 ね、と同意を求められたが、人形遊びはしないのでよく分からない。
「だからそのドールハウスに、人を入れたり、動物を入れたり、自分が入ったりするの」
 ああ、とタツキはうなずいた。
「で、俺たちは空っぽのドールハウスに放り込まれたお人形ってわけか」
「まあ、そういうことなんだね」
 そう言ってハンナが肩をすくめる。「まあ、それでもいいか」とユリンがつぶやいた。
「あまりピンと来ないけど、間違ってはいないわ」
「ホント? 良かったあ、中学の時の授業で聞いたっきりだから、あんまり自信なかったんだよね」
 えへへー、と子供のように胸を張るハンナ。年齢不相応なその子供っぽい仕草には、鼻につくような所はない。彼女がずっと浮かべている、楽しそうな笑顔のせいだろうか。
「でもね、一つのドールハウスだけじゃつまんないから、いくつか並べて大きな学校を作ってるんだよね。だから……タツキちゃん達はもうやったと思うけど……『お人形の世界』である学校の敷地から外には出られないのに、この校舎っていう一つのドールハウスから、校庭っていう隣のドールハウスに移ることはできる」
 ちなみに繋ぐのはちょっとしたV種魔法でいいんだよ、とハンナは続けた。
「でも今アタシ達がいるこのドールハウスはあんまり性能がよくないから、ドールハウスの中からは隣のドールハウスじゃなくて、現実世界の生き物が見えちゃうんだよね」
「その現実世界にいるのが、あそこで野球やってる奴ら、ってわけか」
 うん、とハンナはうなずいた。
「タツキちゃん、よく出来ましたー、えらいえらい!」
 頭を撫でられてもちっとも嬉しくない。
「だから、こことあの校庭にいる人達がいる世界は、つながっているようでつながってない。でも、ここが論理世界って言うにはちょこっと矛盾もあるし、そう考えたらそもそもここは論理世界でもなくて、もっと非魔法的な世界、ズバッと言っちゃえば七不思議の第七番が作った世界じゃないかってアタシは思ってるんだよ」
 結局はそこに行き着く訳だ。タツキはやれやれと首を振る。しかしもっと冷ややかな反応を返したのはユリンだ。「バカじゃないの」とつぶやく。
「バカって……けっこうキツいこと言うね、春川さん」
「何を言い出すかと思えば、幽霊ですって? そんな非科学的かつ非魔法的な存在、私は認めないわ」
 ぴしゃりと言い放ち、ユリンは唇をゆがめる。
「どこかに魔法使いがいるはずよ。多少の矛盾は、魔法を重ねていけば発生しうるわ」
「だ、だから、きっとさっきの首のない魔法使いさんが術者で……」
「あれは違う」
 ハンナの言葉を遮って、ユリンはそう断じた。
「あのでくの坊にそんな力はないわ」
「春川さん、そのでくの坊にやられてたのはどこの誰――」
「あれはちょっと油断しただけよ。人じゃなかったから、きっと誰かの作った人形ね」
 凄みのある形相で睨まれ、タツキは息を呑む。思わず「すいませんごめんなさい俺が悪うございました」と声が出ていた。
「ところで、春川さんは高宮の七不思議を知ってるの?」
「中学校の頃から第七番まで全部知ってるけど、学校から出られなくなったことはないわよ。……ああ、今出られなくなったのか」
 アキジの問いに、ユリンはそう答えて笑った。その含みのある微笑を見て、タツキは思わず彼女の顔を凝視する。祖母のことにさえ触れなければ大人しい、気さくな優等生だと思っていたが、意外にクセのある性格をしているようだった。
「西貝くんは……知らないか。高校生にもなって、そんなもので騒がないわよね」
 ハンナが視線をそらして頬を掻いた。
「ええと、話を戻すけど、つまり『高宮の七不思議が現実になっている』って言いたいのね?」
「一言でバシッとまとめると、つまりそういう話なんだよ」
 ハンナがうなずきながら指を立てた。
「第三番、西棟にあらわれる首無しの魔術師。第七番、七不思議を全部知った人間は学校から出られなくなる。アタシ達は、その第七番に引っかかって学校に閉じこめられたんだ」
「それはつまり、私を含めて、ということかしら?」
「たぶん、そうだと思うんだよ」
 ふうん、とユリンは顎に手をやった。
「ハンナちゃん。あなた、説明下手ね。回りくどいわ」
「うわ! 直球勝負! ユリンちゃん、けっこうツッコミがキツいんだね」
 よよ、と泣き真似をして、ハンナは哀れっぽい声を上げる。ユリンは顔色ひとつ変えずにその様子を見ていた。冷ややかな彼女の視線に耐えかねたのか、ハンナはひとつため息をつくと、何事もなかったかのように顔を上げる。
「ところで春川さん、ほかの七不思議ってどんな話なんだ?」
 アキジにそう尋ねられ、ユリンは難しい顔で考え込んだ。
「首のない魔法使い、出られない学校、それから……勝手に鳴る音楽室のピアノ、自分の死に様を映す鏡、踊る厄除けガーゴイル像、旧校舎で夜な夜な騒ぐ幽霊、それから女子トイレに出る死んだ生徒の幽霊、だったかな」
 指折り数えながらそう言って、「ハンナちゃんが知ってるのと同じ?」と尋ねる。ハンナは小さくうなずいた。
「でも、『女子トイレの幽霊』は入ってたり入ってなかったりした気がするわ。あのころ流行ってた別の幽霊、ほら、口裂け女とか人面犬とか、あの辺と入れ替わったりもしていたような気がする。平家の落ち武者が出てきたり、階段の段数が変わったりというのもあったかしら」
「え、もしかして結構いい加減なの?」
「そうよ。だから現実に起こるなんてあり得ない。高宮に伝わっている不思議を全部集めたら、たぶん七つよりもずっと多いだろうしね」
 ユリンはオーバーに肩をすくめた。ハンナが不機嫌そうに頬をふくらませる。そんな仕草をしても許されるのは、彼女の持つ幼い雰囲気ゆえだろう。
「だから、こんなふざけた魔法をかけているのも人間よ。間違っても幽霊なんかじゃないわ。七不思議なんて、しょせん人間が作り出したものだしね。それに従っているのは、人間でしかあり得ないの」
 当たり前のことを言っているだけだとでも言わんばかりの調子で、ユリンは淡々と言葉を紡ぐ。「ね?」と同意を求められ、ハンナは大きく首を振った。
「でも、でもだよ、ユリンちゃん。アタシはずいぶん長いこと学校の中で迷子やってるし、タツキちゃんの他にも人を見たんだよ。七不思議の幽霊でもなかったら、そんなこと続けるメリットがないと思うんだよ!」
「私たちが知らないだけで、きっと何らかの利益があるのよ。調べていけばわかると思うわ」
 で、とユリンは三人の顔を順繰りに見回す。
「私はさっき初めてこんな状況になっていることを知ったし、三十分前にこの校舎に入ってきた時にはまだこの空間の中に取り込まれてはいなかったわ。あなた達は?」
「……俺は出られなくなって今日で四日目、西貝は五日目」
「アタシは長いこと居すぎて、もうどれくらい経ったかなんて分からないんだよ! ベテランって呼んでくれると嬉しいな!」
 三人の返答を聞いて、ユリンは失望の表情を浮かべてため息をついた。
「神代くんには期待してなかったけど、西貝くんも五日もかけて何も分からなかったわけ? ハンナちゃんはいいわ、調査なんてする気もないみたいだから」
 ハンナとアキジが顔を引きつらせる。タツキは抗議する元気もなく肩を落とした。いったい俺があんたに何をしたんだ、とあやうく口に出しそうになったが、彼女を相手に口論で勝てる気はしなかったので思いとどまる。
「僕だって努力はしたんだ。とはいえ、魔法なんて習い始めて半年も経ってないんだから、調べるって言ったところで何をしていいのか分からなくてね。五日間かけて分かったのは、図書室には基本の教科書を置いていないってことくらいだ」
 ユリンはぽんと手を叩き、初めて気がついたというような表情でうなずいた。
「確かにそうね。魔法の扱いって経験がものを言うことが多いし、実践経験の少ないあなたに高望みをして悪かったわ。でも、それを言うなら神代くんは? ええと、中学からじゃないわよね? あなた、出身は普通中学?」
「ウチは貧乏なんだ、中学校から私立の魔法学校になんか通えるわけない。普通中学だよ」
「高宮に来れるなら、十分な経済力がある家庭だと思うんだが」
「あー、西貝んトコみたいに普通に払ってりゃな。ウチは当座の学費は高宮財団の奨学金で賄ってんだよ。有利子、要返還。将来は財団関係の仕事に就かないと、全額返還なんてやってらんねえ」
「財団関係職に就きたいってことは、奨学金の返還免除枠狙いか」
「それにしても、実習であんなひどい魔法を連発してる人間の言う台詞じゃないわね。西貝くんが同じことを言ってたらまだ納得できるんだけど」
 アキジの言葉に水を差すように、ユリンが冷たく言葉を挟む。
「本当に出来が良かったら、貸与じゃなくて返還不要の奨学金が貰えるだろ。俺、そこまで頭良くねえよ」
「ユリンちゃん、顔の割にいちいちツッコミが厳しいんだよ! って、あれ、みんな遠慮なくツッコミ入れられるようなお友達同士なんだっけ?」
「二人ともクラスメイトだけど、友達ってほど仲良くはないわよ」
「春川さん、いくら何でもそこまでストレートに言わなくても……」
「必要のない嘘をつくのは嫌いなの」
 なだめるアキジに対しても、ユリンの態度はにべもない。
「話が逸れたわね……と言うより、逸れっぱなしだわ。なんか調子狂う」
「調子が狂うのはこっちなんだよ……」
 ハンナが疲れた顔でため息をついた。思うようなツッコミの入らないボケは厳しかろう、と考えたあとで、彼女のこの態度はボケじゃなくてただの天然か、と思い直す。何が悪いのだろう、と考えて、相性が絶望的に悪いのだ、という事実に思い当たった。
「まあ、いいわ。あなたのような不真面目な魔法使いなら、何年勉強しようが使えないことに変わりはなさそうね。高位の魔法を検出するような腕があるなんて、元から期待しちゃいないから安心して」
「そりゃあ、春川さんから見ればそうだろうけどさ」
 もうちょっと言い方ってもんが、と言いかけたタツキの言葉を遮って、「じゃあ、これから調べてみましょうか」とユリンが手を叩いた。
「実習室に行けば、たぶん便利な道具が色々揃っているわ。ここが論理空間なら、たとえ勝手に設備を使っても、怒る先生がいないんだから問題ないでしょう」
 彼女のその言葉にこたえ、四人は同じフロアにある第一実習室へと向かった。


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