魔女は胡蝶の夢をみる
-三章 ドールハウスの人形たち-


ドールハウスの人形たち :1
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「ところで神代くん、この人は知り合いなの?」
 春川ユリンにそう聞かれ、タツキは小さくうなずいた。
「まあ、知り合いと言えば知り合いと言えなくもない」
「あ! タツキちゃん、その言い方はちょっと冷たいと思うんだよ!」
 ふうん、とユリンは首をかしげる。
「なんだ、仲良しなのね」
「違う!」
 タツキが噛みつくように答えると、ハンナが「ひどーい、アタシちょっと傷ついたんだよ」と肩をすくめた。
「どうでもいいけど、いい加減に放してほしいんだよ。あんまり意味もないしさ」
 それでも二人が手を放さないのを見て、ハンナは小さく首を振った。
「交渉決裂なんだね」
 その途端、甘ったるい空気がハンナの周りで渦巻く。綿アメのようなざらついた感触と甘味を感じると同時に、銀色の光がひらめき、タツキの手の中からハンナの姿が消えた。
「二人とも、魔女をナメたらいけないと思うんだよ」
 数歩離れた場所に現れたハンナは、すぐ横にいたユリンに「ねえ?」と同意を求める。
「え……う、うん」
 状況がわからないままとりあえず頷いた、といった様子のユリンに、ハンナは右手を差し出す。
「アタシは雪島ハンナ。あなたは?」
「あ……どうも。春川ユリンです」
 はるかわ、と彼女の苗字を復唱した後で、「あ!」とハンナは声を上げた。目やら口やら、開けられるところを開けきった表情で、ユリンに人差し指をつきつける。
「春川セイカの孫娘!」
 ユリンがあからさまに顔を引きつらせる。アキジがハンナの袖を引き、「失礼だぞ」と声を荒げた。
「やめて、西貝くん。事実だし、別に彼女を叱る理由はないわ」
 毅然とした態度でそう言い放ち、ユリンはアキジを押し戻す。ハンナが差し出したままの右手を握り、軽く握手を交わした。
「確かに『大魔女』春川セイカは私のおばあさまです。でもあなたには、そういう先入観抜きで私を見てほしいの。いい?」
「う……うん、そうしよう」
 ユリンは静かに笑っているが、その声にはどこか棘がある。ハンナがここで首を振れば、今握っている手に爪を立てるくらいのことはしかねないような雰囲気があった。自分の怒りを表現したいのかしたくないのか、彼女自身にも決めかねているように見える。ハンナが唖然としている間にも、ユリンの表情は小刻みに変化していく。
 しばらくユリンの顔を見つめていたハンナだったが、やがて二、三度うなずき、指でOKサインを出す。ユリンが祖母の話題を必死に避けようとしていることを、肌で理解したのだろう。ユリンは表情を和らげ、「それじゃあよろしくね、雪島さん」と微笑んだ。
「ハンナって呼んでくれればいいよ」
「そう? じゃあ、ハンナちゃんって呼ぶわね」
 そんな様子を後目に、アキジとタツキは顔を見合わせ、小声でささやき交わす。
「女の子には優しいんだな」
「僕たちが春川セイカの話題を出したら、それだけで血相変えて怒るのにね」
 女って怖いな、とタツキがつぶやくと、アキジも小さくうなずいた。そうこうしているうちに、ハンナが勢いよくこちらを振り返り、アキジの方へと近寄ってくる。警戒しているのか三歩ばかりの距離を保ったままで、アキジに「はじめまして!」と挨拶した。
「アタシは雪島ハンナ。君の名前は?」
「西貝アキジだ。よろしくな」
 アキジには握手を求めないまま、ハンナは「よろしく!」と明るい声を上げる。
「よし、それじゃあ、アタシも一緒に肝試しをしてあげよう!」
 タツキはその言葉に耳を疑う。さっきまで、逃げようと必死に暴れていた少女の台詞とは思えない。
「何、どういう心境の変化?」
「肝試しは男女同数じゃなきゃロマンがない、って言ったのはアキジちゃんだもんね。アタシ、その意見には全面的に賛同するんだよ。やっぱり人生に必要なのはロマンだよね!」
 「ちゃん」付けで呼ばれたせいか、アキジが苦い表情を浮かべた。何にせよ、逃げられるよりは一緒にいてくれた方がありがたい。ユリンの方にもちらりと目をやると、彼女は当惑気味の表情を浮かべたままこちらを見ている。ここにいる、ということは彼女も「迷子」なのだろうが、正直、アキジよりはずっと心強い相手が現れた、と思う。理論の授業ではアキジとユリンの成績は同程度だが、実践の授業になればその実力差は歴然だ。品行方正な学級委員長にして学院創設者の孫娘。明るい色の髪は決して染めたものなどではなく、魔女の血を色濃く引く証拠だ。聞いた所によれば、付属幼稚園から始まってかれこれ十一年、ずっと学院で育ってきたらしい。魔法使いとしては、エリート中のエリートだ。
 そんなタツキの視線に気付いたのか、ユリンはぷいと顔をそむける。どうも反応が芳しくないが、嫌われる心当たりがないどころかほとんど喋ったこともないので、いかんともし難い。
「ところで、西貝くん」
 ハンナとアキジの間に割ってはいり、ユリンが不思議そうに尋ねる。
「分かりやすく事情を説明してくれない?」
 もっともな要求だった。


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