魔女は胡蝶の夢をみる
-二章 首無し魔術師-


首無し魔術師 :2
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 教科書を片手に、アキジは紙に校内の見取り図を書いていく。無地の方がいいだろう、とプリントの裏を使い、青いボールペンを走らせる。真上から見た形で、三棟の校舎と旧校舎、それから特別棟を描く。
「なあ、新校舎だけでいいんじゃねえの?」
「お前の力を借りれば、特別棟まで届くだろう」
 プリントの一枚が、そのまま高校の敷地に見立てられている。青いボールペンで図面を引き終えてから、アキジは赤鉛筆のキャップを外した。
「なあ、本当に上手く行くのか?」
「知らないよ。あいにくと魔法ってやつに関しては、僕は君よりもずっと実践経験が少ないんでね」
 鞄の中から、アキジは小さな手鏡を取りだした。何でそんなもの持ってるんだよ、とタツキがつぶやくと、身だしなみは男のマナーだよ、と分かったような分からないような返事が返ってきた。
「鏡を計算に入れてもいいかな? 僕はやったことがないんだけど、お前、こいつの真名は呼べそうか?」
「努力はするよ。上手く行く保証はねえけどな」
 床の上にわら半紙のプリントを置いて、アキジはその正面に座った。タツキはその向かい、プリントを挟んで反対側に腰を下ろす。
「しかし、人を探すのにわざわざ魔法を使うとはね……頭のいい人が考えることは良くわかんねえや」
「茶化すな。お前と校内で四日間もすれ違っていたんだと思ったら、自分の足でその魔女の子を探しに行くのがバカバカしくもなる」
 タツキが黒板のそばの箱から白いチョークを取ってくると、アキジはそれを受け取り、プリントを囲むように床に円を描いた。
「すっげえ、キレーな丸だな」
「この程度で感動していたら、春川さんの魔法なんか見れないぞ」
 成績優秀な学級委員長の名前を挙げ、アキジはぶっきらぼうに答えた。魔法の精度を上げこそすれ落としそうにはない正確な同心円を描き、その三重円の線と線との間に手鏡と赤鉛筆、そして今使っていた青いボールペンを置く。
「ほかに何かないかな。ドカンと成功率が上がるようなもの」
「あ……あの子にもらったリンゴの芯、捨てて来ちまった」
「……取ってこいとも言えないな」
 少し考えて、アキジは広げていた教科書を円の上に置く。
「こんなものでも、ないよりはマシか。相手が同じ高校生なら、もしかしたら引っかかってくれるかも」
「どうかな。発動したらめっけもの、くらいに考えておけよ」
 さて、とタツキはつぶやいた。どうせ邪魔をするような人間がやってくる気づかいはない。タツキは理論だけでなく実習の成績も地を這っているので、こんなU種魔法は失敗する方が当たり前だと思うのだが、アキジにとってみればそうでもないらしい。
 あからさまに不安げな顔でこちらを睨みつけるアキジに、「協力者への不信は真名を聞く耳をふさぐよ」と、魔法実習の教師が言っていたことをそのまま言ってみせる。
「心配はご無用。僕よりはお前の方が頼りになると信じているよ」
「ああ、そうですか」
 アキジはそこで身を乗り出し、プリントの隅を指で押さえた。タツキも両手を伸ばし、反対の端を押さえる。
「雪島ハンナはどこにいる?」
 アキジがそう口に出し、タツキはハンナの姿を頭に思い描く。握手をした時の感触、立てられた爪の痛み、月光に照らされた銀髪、馬鹿みたいに明るい声。鏡の真名、すなわち内在する力を呼んで、思い描くその姿を伝える。
 すべての物質が持つ、魔法の燃料となる力を呼び覚ます。「真名を呼ぶ」と表現される独特の方法は、魔法学校の生徒ならさんざん習ってきたものだ。
 ぞわり、と肌に冷気を感じた。直後、突き刺さるような光を感じて、思わず目を閉じそうになる。タツキは夢中で学校中の鏡を呼んだ。雪島ハンナを映し出したなら、その場所を示せ。
 目的を持って寄せ集められた力は、さまざまな形で術者である二人に襲いかかる。T種よりU種、U種よりV種。同じ分類の中でも、ややこしい魔法であればあるほど、必要とされる力も大きくなる。学校は力の集め方と導き方を教えるが、結局のところ物を言うのは術者自身の感覚だ。力の感触も呼ぶべき真名も、具体的な言葉や触覚の形をとるものではない。魔法の気配は視覚から触覚、味覚までさまざまな形をとる。擬似的な感覚であるがゆえに、隣で見ている他者とも共有できないその姿を、正確に他人に教えることなどできるはずもない。もちろん魔法がどのような現象を引き起こすのか、今起こっている現象が正しいのか間違っているのか、それを知識で判断することはできるが、これから感じられることを予想することは不可能に近い。
 強いて言うなら酸っぱくて硬いとでも形容すべき気配がタツキの右肩から腕に抜けたかと思うや、その先で右手のそばにあった赤鉛筆がひとりでに立ち上がる。正面でアキジが笑みを浮かべた。
 赤鉛筆はふらつきながら地図の上を滑り、やがて一点に赤い印を穿った。その直後、ねっとりとした風が辺りを包み、凝っていた力を吹き飛ばす。赤鉛筆がコトリと倒れた。
 赤鉛筆が穿った場所は、ハンナのいる場所、いやもっと正確に言えば、ハンナが鏡に映っている場所だ。
「……結局、同じ西棟の中かよ」
 荒い息をつきながら、タツキがうめく。アキジも不満げな表情で地図を睨みつけていた。
「くそ、余計な体力使わせやがって」
「悪かったな」
 誰にともなく毒づいたタツキに、アキジが心底申し訳なさそうな声をかけた。
「気にすんな。こんだけ範囲の広いU種魔法が一発で上手く行くなんて、お前のおかげとしか思えないし」
 アキジは筆箱と鏡を鞄にしまうと、「よっこらせ」とかけ声をかけながら立ち上がる。オヤジくせえ、と顔をしかめたタツキを無視して、早足に歩き出す。
「まあ、何でもいい。彼女が動く前に探しに行くぞ」
 赤鉛筆の印は、西棟の中央付近についている。プリントを片手に外に出たタツキは真っ直ぐな廊下を見渡すが、ハンナらしき人影はない。アキジと顔を見合わせ、すぐ側にあった階段を使って二階に上がる。廊下はどこまでも静かだ。
「三階か」
 アキジがつぶやいたその時、何か重い物を叩きつけるような音と共に、足元がわずかに揺れた。
「な、何だ……?」
「行くぞ」
 音源と思しき上方を一瞥し、アキジは階段を駆け上がった。タツキも慌てて後を追う。三階に上がり、廊下の先を見ると、そこに人影があるのが分かった。
「雪島じゃないな」
「少なくとも、銀髪には見えないね」
 立っている黒い人影と、その足元に横たわるもう一人。制服を着た女生徒がうつぶせに倒れている。しかし彼女はハンナのような銀髪ではなく、明るい茶色の髪をしていた。
 黒い人影は走ってくる二人の姿を認め、着ていた黒いマントを翻した。今時、魔法使いでさえ敬遠する古風なそのマント。動いた拍子に、被っていたフードが落ちた。思わずタツキは悲鳴を上げる。
 そのフードの下には、首がなかった。
 タツキの悲鳴から逃れるように、黒い人影は走り出す。タツキは反射的に後を追う。タツキも足には自信があるのだが、人影は滑るように廊下を走り、突き当たりのところでかき消えた。タツキは舌打ちしながら立ち止まり、女生徒の方を振り返る。
「春川さん!」
 アキジの声を聞いて、初めてそこにいたのが級友なのだと気付いた。
 二年G組の学級委員長・春川ユリンは、アキジに揺り起こされてむずかるような声を上げる。
 やがて身を起こしたユリンは、きょとんとした顔でアキジとタツキの顔を見る。「西貝くん」とつぶやいた後で、駆け寄ってくるタツキの方を振り返り、わずかに表情を曇らせた。
「……神代くんも一緒なんだ」
 その反応は今ひとつ腑に落ちなかったが、今はそれどころではない。なぜここにいるのか、と尋ねるより先に、思わず質問を口にしていた。
「春川さん、この辺に魔女の子がいなかった?」
 ユリンは二、三度目をしばたいてから、そばの女子トイレを指さす。
「さっき、そこに」
 そしてアキジの手を借りて立ち上がると、女子トイレの扉を勢いよく開け放った。
 その扉の陰から、小さく悲鳴が上がる。
「な……何、なになに、あれ? タツキちゃん?」
 ユリンが扉を開けたせいで打ったのか、耳のあたりを押さえながら、ふらふらと扉の陰から出てくる少女。
 それは間違いなく、探していた雪島ハンナに間違いなかった。


「そ……そんなに怖い顔しなくたっていいと思うんだよ。アタシだって、そんな悪気があったりしたわけじゃないんだからっ」
 じたばたと暴れながら、唇をとがらせてハンナは主張する。
「だから放してっ! アタシに構わないでよ!」
 そうはいかないな、とアキジがなだめるように話しかけた。その両手は、ハンナの左腕をがっちりと捕まえたままだ。ちなみに、彼女の右腕はタツキが押さえている。
「だいたいね、肝試しっていうのは男女同数じゃなくちゃロマンがないんだ。このままじゃ数が合わないからね、君にもいてもらわないと」
「意味わかんないよ! いつから肝試しになったのさ!」
「七不思議のために閉じこめられて、首のない魔法使いがうろつき始めたら、こりゃあ肝試しだなって思うのが自然の摂理じゃないか」
 七不思議という言葉を聞いて、ユリンが眉を上げた。
「ちょっと待って。じゃあ、さっき私が会ったのは……」
 生真面目な学級委員長は、くせのある髪を苛立たしげにいじりながらつぶやく。
「七不思議の第三番、首無しの魔術師?」
 ハンナは小さくうなずいた。


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