花籠の囚人
-4 光芒一閃-


光芒一閃 :2
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 四人はてんでに座り込み、しばらくは口も利かなかった。シアは目をつぶって倉庫の壁にもたれている。月光が射し込んで、倉庫の中は意外に明るかった。
 農繁期には野菜や木の実が積み上げられるであろう倉庫だ。今は床の半分ほどが見えていて、残りの面積はこれから使うらしい肥料袋が占めている。天井がやけに高く、大きな窓がしつらえられていた。風通しのためか、戸板はすべて外してある。トウヤが座る位置から見れば、丸い月が見えることだろう。しかし彼は月などには目もくれず、銃に弾を込め直している。そう言えば、さっき渡された方の銃はハクトが持ったままだ。
 手が何かに触れる。拾ってみると、それは木箱の欠片だった。よく見れば、他にも農具や木箱が落ちている。武器になるかもしれないと思ったが、そこまで歩いていく気力もなかった。
 ティナがトウヤに何か話しかけた。トウヤは不思議そうな顔でそれに答えている。二人を横目に、ハクトはシアの側にいざり寄った。シアが目を開ける。
「元気、ですか」
 声をかけると、シアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
 そして次の瞬間、ハクトの胸に顔を埋める。
 上着を掴むシアの手は震えていた。ハクトが自分の手を添えると、震えは少しずつ収まっていく。シアが小さくしゃくり上げるのと同時に、上着がじわりと湿るのを感じた。
「……ハクト」
 言おうとしたその続きは嗚咽に埋もれる。触れている彼女の手が、やけにか細く思えた。硝子細工のごとく、抱き寄せたら壊れてしまいそうだ。力強く一輪車を押す、あのたくましい手とは思えない。
 しばらくして、シアは「ごめん」とつぶやいた。
 それ以上なにも言うことができずに、ハクトは黙ってシアの体を抱き寄せる。シアはほっとしたように体重をかけてきた。やわらかくて温かい背中が、呼吸にあわせて静かに上下する。
 時が止まってしまえばいい、なんて、何年ぶりに思っただろう。
「幸せそうなところ、邪魔して悪いんだけど」
 しかし実際には、たぶんほとんど時間は経っていなかっただろう。トウヤとティナの視線を感じ、ハクトは慌てて回していた腕を離した。
「別に、そのままでいいわよ」
 ティナがつっけんどんに言った。泣いている女の子を前にそれはないだろうと思ったが、そんなことを言えば勢いで言い負かされてしまいそうだ。
 やっぱりもう少し待った方がよかったかな、とトウヤがヴァナ語でつぶやく。シアが顔を上げ、涙と鼻水を袖でぬぐいながら恥ずかしそうにうつむいた。
「で、なに」
「あんたら、追われてるって自覚あるの? 何も分からないままに殺されてもいいんなら、これ以上言うことはないけど」
 トウヤは憎たらしいほど落ち着いていた。まるでこれくらいの修羅場には慣れていると言わんばかりだ。長い黒髪を結い直す余裕まである。自覚がないのはお互いさまだ。
 思わずため息をつく。これがあの、漂流船で震えていた男と同一人物か。今にして思えば、トウヤはあの時点でこの現状を予期していたのだろう。
「馬はへばって動かない。この倉庫は風も霧も吹き込み放題。あいつに追いつかれたら殺される。しかしなぜ殺されるのか分からない」
 トウヤの顔には笑顔まで見える。言い終えたあと、間髪入れずにラサ語で同じ内容を繰り返した。寄宿舎では同じ部屋で、十五のときからずっと顔を合わせてきたはずなのに、こんなトウヤは知らない。ハクトが知っているのは、いい意味でも悪い意味でも小動物に似た、肝の小さいお調子者だ。
 素人なら銃は一丁しか持ち歩かない。五丁準備してきたということは、連射することや奪われることを想定に入れていたことになる。想定していた戦いの相手は、よもや熊ではあるまい。
 訝るハクトのことなど意にも介さず、トウヤは演説を続ける。
「あの豚野郎がそこの彼女を止めようとするのは、別に神の怒りに触れるからでも、研究成果を奪うためでもない。自分たちの都のことを知られたら困るからだよ」
「自分たちの都?」
「そう。深緑の都ラサ、紺碧の都ヴァナ。まさか世界にこの二つしか都がないなんて思ってないだろう? この大地の上にはたくさんの都があって、虹柱からそれぞれ違った恵みを得ている。気がついてるかどうかは知らないけど、花を使うのはラサ人だけ、硬木を使うのはヴァナ人だけ。ハクトに花は使えないし、シアに硬木は作れないはずだ。そして僕の父親の出身地、狭霧の都の民は、霧を操ることができる。だから僕は運良く、霧も硬木も使えるらしい」
 ハクトの脳裏にシアとの会話が蘇る。それからもう一つ、ずっと忘れていた大切なことも。
「仲良しこよし、花のかんむり……か」
「うん、そうそう。意味はもう分かるよね。都は全部で十六あって、ラサもヴァナもその一つ。昔は一つだったからこそ、言葉だって通じるんだ。お互い、よく聞けば分かるだろう?」
 仲良しこよし、花のかんむり。ずっとトウヤが目の前で歌っていた。どうして思い出せなかったのだろう。
「でもさ、もし霧を越えられるなら、みんな越えたいって思うだろう? 霧を守って毒をばらまく連中がいるって知れたら、僕たちはどんな目に遭うやら」
 ラサに来てからの食事を思い出す。塩気のない料理は、塩を採るための湾がラサにないせいだ。きっと他の都だって、ハクトには想像もつかない世界に違いない。逆にヴァナにはこんなに豊かな農村はない。土が含む塩が野菜を弱らせてしまう。それに故郷には、硬木がある代わりに金属がない。わずかな金属は貴重で、鋳つぶしてはまた使われる。
「だから霧を越えられるなんて知られちゃいけないんだ。フェルティナダはとても運が良かったから、ハクトは僕がつい助けちゃったから、こっちに来てしまった。仕方ないだろ。親友が死のうとしてて、それを助ける力が僕にはあるんだ」
 トウヤの顔から少しずつ笑みが抜けて、代わりにどこか悲壮な表情が浮かぶ。
「助けたって、どうせ殺されるって分かっててもさ、手が出るんだよ。その後だって、ハクトを助けようなんて大それたことを考えてしまった。あれは乱暴な警告で悪かったと思ってる。あの豚野郎に捕まりそうだったもんだから」
 警告とは発砲のことだろう。トウヤはよろめきながら立ち上がる。その間にも、シアのためにラサ語でくり返すことは忘れない。ティナが彼の脇を支えようとするが、やんわりと断られる。
「ハクト、おまえ走れないだろ。フェルティナダと一緒に、ここで待ってろ」
「嫌だ、俺も行く」
「邪魔だ」
 ぴしゃりと言われ、思わず口ごもった。思うように走れないのは事実だ。馬車が使い物にならない今、ついて行ったところで何ができるわけでもない。
 シアを横目で見た。まだ目元が赤らんではいるが、泣いてはいない。ティナは思いつめたような表情でトウヤを見つめている。まるで息子を荒れた湾に送り出す母親のようだ。ハクトはトウヤの方に目をやる。彼は視線に気づくと、ついと顔をそむけた。
「いいじゃないか。少しくらい、いい格好させろ」
 ぼそりとつぶやいて、トウヤは倉庫を出ていった。
「待って!」
 シアが後を追う。それを分かっていたように、トウヤはシアに何か耳打ちした。シアはうなずき、トウヤとは反対の方角に走り出す。
 後には、ハクトとティナが残された。
「フェルティナダ」
「どうしたの」
「さっきは、すみませんでした」
 手の届く所にあった鍬を杖代わりに、ハクトは立ち上がる。
「さっきって、何だったかしら」
「銃の話。犯人がどうとか、くだらないことで騒いでしまって」
「ああ」
 ティナは長衣の裾をふわりとひるがえし、ハクトの前でてのひらを合わせる。
「こちらこそ、ごめんなさい」
 わずかに両手を持ち上げ、顎を引いて一礼。育ちの良さをうかがわせる、上品な仕草だ。どう返せばいいものかと戸惑っていると、ティナが小さく笑った。
「ヴァナじゃないんだから、あっちの礼儀なんて気にすることないわ」
「こっちの礼儀はもっと分かりませんけど」
「覚えればいいのよ。ビットクラーヤみたいに」
 ティナは大きくのびをして、倉庫を出ていく。
「どこへ行くんですか」
「ティナ達もなにかしなくっちゃ。ハクシャダイト、いい案を考えてちょうだい」
「いい案……って」
「ビットクラーヤには霧がある。シアには花術がある。ハクシャダイトには硬木があるんだから、きっと戦えるはずよ。ティナにだって、きっと何かできる」
 月光を浴びながらティナは振り返り、ハクトに手を差し伸べた。金髪と白い肌が、夜闇に明るく浮かび上がる。一瞬、彼女の姿が行燈に重なって見えて、ハクトは目を細めた。なにか生き生きした強い力が、内側から彼女を照らしている。
「だってティナには天下の強運が、ハクシャダイトには素敵な友達がついてるもの」
 ハクトは鍬を突き、倉庫を出てティナの手を取った。しっとりと柔らかい温もりが、てのひらに感じられる。
「それもそうですね。……行きましょうか」
 振り返れば満月。硬度鏡を下ろせば、火花のように鮮烈な光が飛び交うのが見える。広大なくるみ畑は、思ったよりも見通しがいい。
 右側で閃いたあの光は、霧か、花術か。

 霧を操るのは、硬木や花を操るのと同じことだ。自分から見て遠くにあるものほど、操ることは難しい。トウヤの説明を口の中でくり返しながら、シアはくるみ畑を走っていた。
 振り返れば、背後に白いもやの塊が見える。やはりこちらを追ってきた。シアは安堵しながら、手近にあった木に手のひらを押しつけ、土の中の精気を送り込む。ほんの一瞬のうちに、木はねじくれながら数十年分成長し、夜空にその枝葉を広げる。根が土を砕く音は思いの外大きく、霧がこちらを追ってくるのは道理と言えた。
 シアは再び走り出す。走れないハクトは、霧に襲われれば逃れる術を持たない。ティナだってまだ子供で、足もシアほどは速くないのだ。
「分かるよね」
 倉庫を出るとき、トウヤはシアに囁いた。
「君しかいないんだ」
「大丈夫だよ」
 何がどう大丈夫なのか、そんなことは分からなかったが、とにかくシアはそう答えた。
「自分でしでかしたことの後始末くらい、もう一人でできる」
「頼もしいね」
 ばかだ、私は。息を切らしながら、シアは過去の自分に向かって悪態をついた。そんなはずはない。あの霧に捕まれば殺される。そんなシアの焦りを知っているかのように、霧はもったいをつけてシアを追い立てる。トウヤに言われた通り、シアは次の角を左に曲がった。
 生きて帰らなければならない。ハクトとティナの面倒を見なければ。ぶつぶつとつぶやきながら走るシアの歩調が、少しずつ乱れ始めた。
 闇の中に浮かぶ道路のほかに、もはや目に映るものも、耳に入るものもない。振り返れば霧があるはずだが、それを確かめることもできない。
 ああ、私、ここで死んじゃうのか。
 シアがつぶやくのと、倉庫の方で大きな音がするのは同時だった。
 心臓に氷を落とし込まれたような息苦しさがこみ上げる。
 振り返った。霧がゆっくりと速度を落とすのが分かる。こっちだよ、と木を膨らませても、もはや霧に反応はない。顔こそないが、霧はたしかに音がした方を見ている。馬のいななき声がした。
 ハクト、逃げて。
 言葉の代わりに、悲鳴が喉からほとばしった。


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