花籠の囚人
-3 虹下放吟-


虹下放吟 :2
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「落ち着いて、よく聞いてよ、メグ。落とし物をみつけたら、まずはお母さんに言うんだよ。うちはごみ捨て場じゃないんだからね」
 中年男は気を失っている。男を地面に放り出したまま、シアは我にかえるなり説教を始めた。その内容がずれているように感じられるのは、決して文化の差のせいではない。
「じゃあ、やっぱりシアの落とし物じゃないんだね」
「落とさないよ、こんな大きいもの!」
 大きさの問題ではないだろう。ハクトは中年男のそばにかがみこむ。ティナが男の顔を見て口元をおさえ、小さく声を上げた。
「ハクシャダイト! こいつ、駅の帽子男じゃない?」
「さあ、顔は覚えてませんよ」
「間違いない!」
 目を閉じたまま規則的な寝息を立てている男を、ティナはつま先で蹴飛ばした。布靴でそんなことをすれば足が痛いだろうと思いながら見ていると、案の定ティナは足首を回しながら悪態をつき始める。
 かたわらでは、シアがメグへの説教を諦めていた。
「で、どこで拾ったの、これ」
「あの畑の中。道から三本行った列の、あっち側の木の根本に落ちてた」
 メグが向かって右手にある小さなくるみ畑を指さした。彼女の家が持つ広大な畑には及ぶべくもないが、それでも木々が一定の間隔で立ち並んだ、いっぱしの畑だ。何となく言いぐさがひどいように聞こえるのは、ティナの通訳のせいだろうか。
「うちの畑か、なら仕方ないや。とりあえずうちで保管しておくよ。目が覚めたら自分で帰ってもらおう」
「うん、お願いね。人手がいるなら呼んで、たぶんいつものように兄ちゃんが飛んでくるから」
 何かというといつの間にか顔を出しているユノのことを思い出した。そういえば馬車での送迎にしても、あれは彼の方から言い出したことだ。シアとしては、あの手押し一輪車で広い道まで歩いてから、あらためて乗合馬車をつかまえる心づもりだったのだから。彼は大人にも受けがよさそうな闊達な少年だが、誰にでも慈善事業をかって出るほどのお人好しではないだろう。
「大丈夫。……ハクト、これ運ぶ、て、手伝い、手伝お、あれ、手伝え?」
「手伝え、ですね。分かりました」
 シアはほっとしたように笑い、中年男の両脚を軽々と担ぎ上げた。

「ひどいわ。ティナ、もしかしてイリーダ奇書に好かれてるのかしら」
 ハクトが寝ていた、どころかそもそもはシアのものであった寝台の上で、中年男は穏やかな寝息を立てている。二人の見ていない隙に鼻をつまんでみたが、目を覚ます気配はない。砂まみれになった薄手の外套を脱がせると、下には青みがかった白の服を着ている。脚衣は外套と同じ黒だ。刺繍こそ入っていないが、どことなくオースンの服と同じ匂いがする。およそ土が似合わない。だからこそ、男が地面の上でのびているのは奇妙な光景だった。
「どうしたんですか、フェルティナダ」
「怪我がないのよ。たんこぶ一つ見つからない」
「それが何か?」
 シアが水を汲みに行った。それに気をとられているうちに、ティナはためらいもなく男の頬をつねって見せる。それもひねりを加えて、爪の痕が残りそうなほどに強く。止める間もない早業だった。もとより止めるつもりもなかったが。
「じゃあ、この人はどうして起きないのかしら」
 男の寝息は揺らぐこともなかった。発動機が置かれた紡績工場のように、規則正しく呼吸を繰り返している。胸がわずかにふくらみ、そしてゆっくりと息が吐き出される。ひげは朝剃ったばかりといった様相だ。ハクトが五日ぶりに目を覚ましたときには、決して毛深いほうでもない顔にもずいぶんとひげが生えていた。このまま眠り続ければ、男もいずれああなるだろう。
「疲れてるんじゃないですか?」
「本気で言ってる?」
 投げやりなハクトの声をつかまえて、ティナは鋭く投げかえしてきた。そんなティナを見ながら、根が真面目なんだろうな、とハクトは思う。彼女のほうこそ、すぐに疲れてしまいそうだ。
「ご想像におまかせしますよ。その人だって、倒れた原因が空腹じゃないとは言えないでしょう。財布は持っているんですか?」
 ティナは無言で文机の上を指さした。そこには、男の外套や脚衣から勝手に拝借した小銭や武器が置かれている。護身用と思しき短刀に、故郷のものとそれほど変わらない小銭。もしやと思って探してみたが、銃はない。皮の財布をみつけて開けてみる。ティナがのぞき込み、「お金は持ってるのね」とつぶやいた。
「行き倒れじゃなさそうよ」
「じゃあ、霧の毒とか? まさかね、ここは霧からはずいぶん遠いはずですし」
 ハクトが肩をすくめたまさにその瞬間、「霧の毒!」と叫ぶ声が聞こえた。シアが水桶を片手に戻ってくる。台所の水瓶で汲んできたものだ。
「霧の毒、わタし、疑う、ているよ! でも、その人が霧の毒は、なぜか、分からない」
 ティナは迷いながらも、その怪しげなヴァナ語を翻訳した。ラサ訛りのヴァナ語も、慣れれば聞き取れるものだと補足する。
「シアも霧の毒を疑ってる。でも、どうしてそこの人が霧の毒を吸ったのかが分からない」
 ティナの通訳に礼を言うと、シアは男の唇に指をかけ、汚れるのも構わずに口を開けた。自分の体で影を作らないようにしながら、喉の奥をのぞき込み、何かを確信したように頷く。それからティナを手招きし、何事か言いながら男の口を指さした。ティナは口臭から逃れるように身を引き、顔をしかめた。
「喉が腫れてる。ハクシャダイトを最初に見つけたときの症状に似てるわ。やっぱり、霧の毒なのかもしれない」
「風が強くても、ここまでは霧は流れて来ませんよね?」
「来ないよ。そんな危ない土地だったら、怖くて住んでられないもん」
 諦めてこちらの言葉で答えながら、シアは濡らした手拭いを男の額に乗せる。意味があるのかどうかはよく分からないが、何かせずにはいられないのだろう。
「銃は持ってないんですね」
「奪われたのかもしれないよ。あんなすごい武器なら、みんな欲しいだろうし」
 改めて男の所持品を見てみる。硬度鏡を下ろしてみても、硬木の光は見あたらない。銃を持っているならば、銃弾も持っているはずだ。あるいは、それも奪われたのか。
「この男が銃とビットクラーヤの記章を持ってきて、発砲して、記章を落としたとでも言いたいの?」
「発砲したのはこいつで、こいつから銃を奪って記章を落としたのがお友達かもしれないよ。霧の毒に似た何かを使って」
「そ、そうですよ! それなら辻褄が合います。トウヤはただ、この怪しい男から銃を奪っただけかもしれません」
 通訳したことを後悔するように、ティナは小さくため息をついた。シアの仮説に寄りかかったハクトは、その糸口を離そうとしない。
「好き勝手な想像したって意味ないじゃない。どうせこの人が目を覚ませば、全部分かるに違いないわ。それまで待ちなさいよ」
「彼が目を覚まさなかったらどうするんですか? イリーダ奇書だなんて言って何も考えないより、よほどましでしょう」
 ティナは小さく首を振って、寝台のそばから離れた。
「だったら二人だけで考えてよ。ティナはもう通訳なんかしたくない」
「待ってくださいよ、フェルティナダ……」
「よく耳をすませれば話せるはずよ。ティナは通訳なしでやったんだもの、ハクシャダイトにできないはずがないわ」
 ハクトの言葉を遮り、ティナはそう吐き捨てる。握ったこぶしがかすかに震えていた。
「ティナはね」
 ラサ訛りの入ったヴァナ語。こちらで長く暮らすうちに、身に付いてしまったのだろう。
「ハクシャダイトに、よけいな希望を持ってほしくないの」
 その意味を問いつめる暇もあらばこそ、ティナは足音を鈍く響かせながら廊下を駆け、そのまま玄関を飛び出していった。

 道のわだちを追いながら、ティナは街の中心部に向かって歩いていた。二輪馬車の通ったあとと、一輪車の浅いわだち。分かれ道に来るたびに一瞬足を止め、それからまた何かを振り切るように歩き出す。
 ハクトが来てからの寝不足と疲労も手伝ってか、その足取りはどこか頼りない。ハクトに周囲の言葉を伝え、周囲にハクトの言葉を伝える作業は、少女の双肩に重くのし掛かっているようだった。眠るハクトを初めて見た時の浮き立つような表情も消えて、代わりにどこか老成した雰囲気が顔を出す。
「どうしてこうなるのよっ」
 鼻の頭が赤い。目の端からこぼれようとする涙を袖で拭いた。
 あの家で、ハクトは数日間眠り続けていた。服と拡大鏡から技師であることは分かった。髪は茶色で、短く刈ったのを放っておいたら伸びてしまったといった風情だ。長髪を厭うのが、いかにも今どきの若者らしい。身長はわりあい高い方だろう。年齢を聞かなければ二十歳過ぎの大人に見える。筋肉はそこそこについているが、決して筋骨隆々と呼べるほどではない。
 ぐず、と鼻をすすった。端から見れば、転んで膝をすりむきでもした子供に見えるだろう。
「いじわる。ずるい」
 つぶやいた声は、口の中だけで消える。
 そこでやって来る人影に気づき、ティナは再び涙と鼻水を袖で拭った。
「おや、今日は一人かい?」
 正面から歩いてくるのはリズだ。服はいつもの紫色。最近はオースンと共に見かけることが多かったが、今は一人だった。「ええ」と答えて、涙を見られないようにうつむく。
「シアちゃんと喧嘩でも?」
「違うわ。ちょっとね」
 リズは行く手をふさぐように立ち塞がる。横をすり抜けようとすると、太い腕が腰に回される。抱き寄せられると、きつい香水の匂いが詰まりかけた鼻の中に押し入ってきた。甘ったるい花の匂いだ。
「そういう時は、おいしいものでも食べて落ち着くといいわ。うちにおいでなさい、煮込みが出来てるころよ」
 悩んだ時にはおいしいものを。その教えを忠実に守っているのであろう、ふくよかな体躯。ずいぶん傾いてきた太陽に目をやって、ティナは小さくうなずいた。

 鍋の中には、翌日の三食までまかなえそうな量の煮込み野菜が入っていた。これを食べた上で、また飲みに行く先の食堂で食べるのだから、この体型もうなずける。ずいぶん前に子供たちが都会に出ていったという家は広く、玄関脇の一部屋はこれから改装でもするのか、床板が外されていた。ちなみに花術士の能力は農業だけでなく建築の世界でも重宝される。安く家を建てるためには、家を支えるために太い蔦を壁面に這わせることが不可欠だ。手っ取り早くその蔦を育てるには、花術士の力を借りるのがいい。寿命の長さと値段を天秤にかけてみても、やはり花術士の手を借りた方が安上がりだ。
「すぐにレイジが来るわ。あたしはこのあとちょっと出掛けてくるけど、好きなだけ食べてちょうだい。飲み物やお手洗いの場所はレイジが知ってるわ。玄関そばの部屋は、危ないから入ったらだめ。気が済んだら帰って、ちゃんと仲直りするんだよ」
 レイジの名を聞いて、わずかにティナの表情が曇ったが、鍋からたちのぼる美味しそうな香りには負けた。
「ありがとう……すごく、嬉しいわ。ハクトには、あとでちゃんと謝る……」
 鼻をすするティナに、リズはちり紙の場所を教えた。
「やだね、そんなに小さくならなくてもいいんだよ。うちの子が泣いて帰った時にも、まずはたらふく食べさせることから始めたもんさ」
 ちり紙の箱を抱え込むティナ。リズはかがみ込み、同じ目の高さでそう言って笑う。きゅっと小さな目が細められた。ティナもつられて相好を崩す。
「本当に、ありがとう」
 頭を下げたティナに鍵の場所を教えると、リズは手を振って玄関を出ていった。
 いちばん多い時で四人の家族が暮らしていた家は、シアの住む家よりひとまわり広い。玄関にかけられた表札は、リズの亡夫と二人の子供の名前が記されたままだ。きれいに片づけられた机の上に深皿を置いて、さじで一口すくう。よく煮込まれた野菜が舌の上でほぐれた。
「なにをやってるんだろう、ティナは……」
 誰にともなくつぶやきながら、深皿をすっかり空にする。もう一杯、と手を伸ばしかけたところで、何かに弾かれたように立ち上がった。あまり長居すると、オースンと鉢合わせすることに気づいたのだろう。
 玄関脇の部屋を覗いてみると、床板は一抱えほどの大きさにばらされ、奥の壁に立てかけられている。暗くて輪郭はぼやけていたが、厚い板に穴が空いているのが辛うじて分かった。いぶかりながらも、教えられた通りに玄関の内扉を出て、そばの壁にかかった書をめくる。その裏には鍵が隠されていた。いいのかな、とつぶやきながら内扉の鍵をかけ、鍵を戻して外へ出る。
 大通りのはずれにあるリズの家を出ると、あとはシアの家まで、畑の中を道がくねりながら進んでいく。点在する林に視界を遮られながら、ティナは夕暮れの道を歩き出した。太陽は山のすぐ上、霧の壁にその身を半分沈めている。
 一番星がまたたく空を見上げ、ティナは大きく伸びをした。軽い足取りで進みながら、小さな声で歌い出す。林の中へと足を踏み入れると、歌声は自然に大きくなっていった。
「仲良しこよし、花のかんむり
 虹のくさびを 打ちこめば
 すっかりばらばら 十六本」
 シアには何度も聞かされた歌だ。その曲に乗せて、ハクトから聞いた通り、故郷の歌詞をつけていく。
「ひとつひとつを――」
 土を踏む音を聞いて、ティナの歌が止まった。
「あれ、僕のことなんか気にしなくていいのに」
 訝しげな顔で振り返ったティナの、その目が大きく見開かれる。
 どこから現れたのか、一人の青年が立っていた。
 その右手に、拳銃を携えて。
「な」
 なんなの、あんた。
 ラサ語でつぶやいてしまってから、ティナは悔しそうに顔をゆがめる。
「だいじょうぶ、分かるよ」
 かけられたその言葉は、忘れるはずもない故郷の言葉だった。
 夕陽の最後のひとひらを浴びて、青年の姿が浮かび上がる。歳は一見するとハクトと同じくらい。黒い髪をひとつに編んで、背中に流している。人なつっこそうなその顔は、しつけのよくできた大型犬を連想させた。
 黒い犬は、銃口をティナの胸に向けたまま尋ねる。
「君は?」
「フェルティナダ・リチカート」
 せいいっぱい胸を張って、正式なラサ名を名乗った。名に込められた意味は、健やかに育て我が娘。
「ああ、これは奇遇だ」
 わずかに引きずりながら足を踏み出し、ティナとの距離を詰めながら、男は笑う。
「僕はビットクラーヤ・アガトゥス」
 ヴァナ語で告げられる名の意味は、繁茂する柊。男名としては珍しいから、前に聞いたその名を忘れるべくもない。
「会いたかったよ、フェルティナダ。ハクトが世話になったね」
 トウヤ・アガトゥスはかがみ込み、左腕でティナの体を抱きしめた。


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