花籠の囚人
-2 隔岸観花-
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真っ先に異変に気付いたのはシアだった。ユノの肩を乱暴につかみ、彼の耳元で命じる。 「ユノ、速度上げて」 「どうしたんだよ、いきなり」 「いいから」 馬車が大きく揺れ、ハクトは慌てて鉄柵に掴まる。いくぶん近づいたところで、ハクトにもシアが馬を急がせた理由が分かった。家を、とりわけ玄関扉のあたりを覆うように伸びる蔦が、壁から離れて垂れ下がっている。鍵をかけて出たはずの扉が開いているのが見えた。 「降りるね!」 叫んで、シアが馬車から器用に飛び下りた。ユノは慌てて馬を止める。はずみでティナが飛ばされそうになるのを止めるべく、ハクトは手を伸ばした。ティナがハクトの袖口を掴む。あそびの多い上着が引っ張られ、ティナは一瞬目を閉じた。すぐに自分が無事であることに気付き、安堵の息をつく。 ユノを置いてティナとハクトが家の中に駆け込むと、散乱した紙束が目に入った。シアの私室の扉が開き、そこから紙があふれ出している。中をのぞくと、戸棚や箪笥が開け放たれ、入っていた紙束が床いっぱいに放り投げられていた。一口で言うなら、荒らされている。 「泥棒……?」 「そうみたいだね。金目のものは盗られてないや、変なところに隠したかいがあった」 ティナがつぶやくと、すぐにほっとしたような声が返ってきた。薄手の絨毯をめくり、シアは床板をはめ直している。その下に大切なものが入っていたのだろう。 「何か盗られてない?」 「掃除すれば分かると思う」 落ち着いた様子で答え、シアは「ユノに帰るよう言って」とティナに声をかける。しばらくして馬車が走り出す音が聞こえてきた。すぐにティナがかんしゃくをこらえるような、一触即発の表情で駆け戻ってくる。 「犯人に心当たりはあるんですか?」 ハクトの予想を裏切り、答えは「ある」というものだった。 「ありすぎて分からない」 ティナがシアを怒鳴った。おそらく「のんびりしてる場合じゃない」とでも言っているのだろう。上着の胸の辺りをつかまれながらも、シアは馬でもなだめるようにティナの肩を叩いていた。 「だいじょうぶ。初めてってわけじゃないから」 「どういう意味ですか」 「うん、理由はいまだにはっきりしないんだけどね」 今夜の献立でも言うようなお手軽な調子で、シアは小首をかしげる。 「『霧の向こう』を研究してるってばれると、なぜか狙われちゃうんだ」 「狙われるって何ですか!」 「大したことじゃないよ。たまに脅迫状が来たり空き巣に入られたりするくらい」 「それじゅうぶん大したことですよ! ラサの人ってそんな日常生活を送ってるんですか?」 ティナが「そんなわけないでしょ!」と叫んだ。やっぱりそうか、と腕組みするハクトに「なんとか言ってあげて」とすがりつく。 「ま……まあ、本人がいいって言うならいいんじゃないですか」 「良くないわよ! この家に泥棒が入るの、何回目だと思ってるの!」 「だいじょうぶ!」 シアがティナを背中から抱きすくめた。ティナの手を握り、心配ないとささやく。泣く妹をあやす姉のようだ。先日、ティナになぐさめられた時のことを思い出す。あれはシアゆずりだったのか。しばらくそうしているうちに、ティナも気が抜けたのか静かになった。ハクトの視線に気付き、シアは歯を見せて笑う。 「彼ら、お金が、に、興味ない。だいじょうぶデス!」 「馬鹿ですか、あなたは!」 シアの頭を反射的に叩いていた。なぜ叩かれたのか分からないようで、シアはきょとんとした顔でハクトを見ている。 「お金が目的じゃないなら、何を狙ってるんですか」 「えーっと」考え込むシアの言葉を、ティナがなかばあきれた様子で訳してくれる。「たまに調べものをした帳面とか、日記帳とかがなくなってるよ。恥ずかしいからやめてほしいんだけどなあ。たぶん、私がなにを調べてるか知りたいんじゃない? 業績の横取りを狙ってるんじゃないかな、と思ってる」 「だったらどうして脅迫状が来るんですか。そもそもどういう脅迫ですか」 「あれは分からないなあ。研究やめないと殺すぞって言われるんだけど、なんでやめなきゃいけないのか理由を教えてくれないんだもん」 あっけらかんとそう言われて、怒る気も失せた。 「憲兵とか、いないんですか」 「いるけど、こんな田舎まで来てくれないよ。ヴァナでは来るの?」 ハクトとティナは顔を見合わせる。二人とも都会の出身だ。そんなことは考えてもみなかった。ティナも同様らしい。 「別荘地はある意味、田舎って言わないよね……」 「フェルティナダ、別荘なんか持ってたんですか?」 ティナはあっさりうなずき、「コウランゲートに」と有名な別荘地の名前を挙げる。西区の南の方にある高原だ。霧にこそ近いが、水と野菜がおいしい風光明媚な土地として知られる。そう言えば家も中央区の城の近くだと言っていた。中の下程度の生活を送ってきたハクトには想像もつかない世界だ。 「一年ちょっと前にあそこで起きた崖崩れのことって、報道されたかしら」 「聞いたことはある気がします。雪解け水やら伐採やら地面の保水力やらがどうこうっていう、大規模なやつですよね。霧があおられて街の方まで流れてきて、緊急避難勧告が出たとか」 心の距離は遠いが、いちおうはジュレスバンカートと同じ西区内だ。そんな報道についての記憶がかすかにあるような気がする。金持ちどもめ、いい気味だ、と友人と話していたことを思い出し、参ったなと額を押さえた。そんなことは口が裂けてもティナには言えない。むっとする彼女の顔が見えるようだ。 「ティナはその時、ちょうど山に登ってたわ。足元がごっそり崩れて、目が覚めたらラサにいた。びっくりしたわよ。たまたまシアが来てくれなかったら大変だったと思うわ」 そういえば、とハクトは考える。自分のことばかりに必死で、ティナのことを聞いていなかった。当然、それなりの事情があってしかるべきだったのだ。そうそう霧など越えられるものではないだろう。 「とにかく、コウランゲートにはちゃんと憲兵がいたわよ」 「まあ、あんなところなら泥棒も入りがいがありそうですからね」 たぶん田舎にも憲兵がいるだろう、という結論に達してそれを伝えると、シアは驚いたように口を押さえて「信じられない!」と叫んだ。 「ヴァナの都主様ってすごいのね」 「議員さんが自分の地元にお金を使いたがってるだけよ」 すごいんだね、とシアがうなずく。そういえばラサには議会がないと言っていた。都主様というのが、城に住んでいるという偉い人間のことなのだろう。 「まあいいや。とにかくロカには憲兵は来ない。だからあきらめて、片づけをしよう。手伝ってくれるよね」 強引に押し切られ、ハクトとティナはうなずいた。 シアは布靴に履き替え、散らかった部屋の中をつま先立ちで歩き回りながら、乱雑とも言える手つきで紙束を整理していく。ティナが思い立ったように、次の間へ続く扉を開けた。 「シア!」 居間から続くその部屋は、どうやら物置になっているらしい。普段は鍵がかかっているのだが、その鍵は金具ごと外されていた。 ティナが早口でなにか喋る。シアが唇を引き結んだ。ティナのあとを追って部屋に入っていく。それに遅れて、ハクトは足を引きずりながら部屋の中を覗いた。 衣装棚や正月の飾りといった、どこの家にでもありそうな雑貨に混じって、一抱えほどある木箱が口を開けていた。床に置かれた木箱の中には、やわらかそうな布が敷かれている。 「やられたわ。これが目的だったんでしょうね」 「なにが入ってたんですか?」 ティナは小さく肩をすくめる。 「ハクシャダイトと一緒に拾った、発動機の一部。血まみれで臭くて壊れてて、どうしようもない代物だったわ」 だからって盗人にくれてやる義理はないけど。そうつけ加え、ティナは腕組みする。 つられて深刻な表情になったハクトの背中を、シアがぽんと叩いた。打撲傷の残る背中がじんわりと痛み、ハクトは思わず変な声を上げる。 「なに暗い顔してるの? 調査はしたし、外見は頭に残ってる。気にしなくていいよ。今日、新しい資料だって拾ったしね」 資料とは、あの乾物屋の包み紙のことか。シアの声を伝えながら、ティナは複雑な表情で箱を見下ろした。ティナ自身はしっかり気にしているのだろう。 遠くから馬が駆け足で走ってくる。馬車は引いていないようだ。 「……で、どうしてこうなるんでしょうね」 二人で住むには十分な広さなのかもしれないが、この家は決して大きいわけではない。そこで動いている人影を数えながら、ハクトは肩をすくめた。 あれだけ散らかっていたはずの紙は、今やあらかた片づいていた。ユノ、ミキ、メグの兄妹は率先して掃除にあたっている。どこから来たのか知らないが、いつの間にかオースンとリズも加わっていた。「こんな危ないところに来ちゃいけないよ、リズ!」とオースンが飛び込んできたのはついさっきのことだ。相変わらず、動くたびに装身具が音を立てている。 ハクトは居間の隅で立ちつくしている。いまだ歩き回るのは難しいうえ、紙の内容を見て判別しようにも、ハクトにはこちらの言葉が理解できない。紙に書かれた言葉ならある程度は理解できることが分かったが、それにも限度というものがあった。ティナはハクトを一人にしてはおけないと、彼のうしろをついて回ってくる。気遣いはとてもありがたかった。 「物好きな人が多いんじゃないかしら。泥棒なんて、ほかの家にはめったに入るものじゃないし」 「ああ、なるほど」 てきぱきと指示を出すシアを見ながら、ハクトは小さくため息をつく。たくましい少女だ。外の草地に生える黄色い花を思い出す。刈っても刈っても、いつの間にか増えてしまう花。茎が長く、輪飾りが作りやすいので女の子には好かれる。けれど大人にしてみれば、これほど面倒な花もない。 かやの外に置かれたようで、ハクトは一抹の寂寥感を覚える。意味もなくとなりのティナの腕をつついた。 「どうしたの?」 とは言え、特に話すこともない。仕方がないので「フェルティナダ、家族はいるんですか」と尋ねてみた。 「いるわよ。兄と弟が一人ずつ、それから両親と祖母。特になにもなければ、元気にしてるんじゃないかしら」 「崖崩れに巻き込まれたのはあなただけなんですか?」 「そうね、勝手に柵を越えて遊びに行ったのはティナだけだから。霧なんて怖くないと思ってたのよ。ほら、中央区に住んでると、ふだん霧のことなんて気にしないでしょう」 「西区でも、そう気にするものじゃありませんよ。俺だって、船が流されてはじめて制限線のことを思い出したくらいです」 へえ、とティナが感心したような声を上げた。シアが「ありがとう!」と頭を下げている。リズとオースンが互いをほめそやしながら出ていった。兄妹は彼ら二人を見送って、まだ居間に居座っている。メグの手には一通の手紙があった。シアがそれに気付き、「返して」と手を伸ばす。メグが裏面に書かれた差出人の名に目を留めた。 「エリン・ベリー……って、もしかしてシアのお母さん?」 「そう! 帰ってこいとか研究やめろとか、馬鹿なことしか言わない私の母親!」 メグの手から手紙を奪い取ると、シアはそれを紙ばさみに入れる。角が折れている紙も多い中で、壊れ物を扱うようなていねいな仕草だった。 「いいですね。俺には母親がいなかったんで、ちょっとうらやましいです」 「そういえば、出ていったとか言ってたわね」 「はい。俺が四歳の時です。よほど腹に据えかねることがあったのか、出ていったきり会いにも来ませんでしたよ。おかげですっかりおばあちゃん子になりました」 へえ、とティナが意外そうな声を上げる。 「でもシア、お母さんが言うことも分かるよ。お願いだから、危ないことはしないでね」 メグが腕組みをして、したり顔でそんなことを言う。ティナよりも幼いはずの双子がシアに説教をする場面は、見ていて微笑ましかった。ティナもくすくすと笑いながら会話の内容を訳していたが、不意に眉をひそめる。 「どうしたんですか」 「いま訳すわ」 少し考えてから、ティナはメグの仕草を真似て喋りはじめる。 「今朝、クルーさんの家の犬が村はずれで倒れてたの。そう、あの大きいやつ。うん、死ぬようなことじゃないわ、ただ苦しがってるだけ」 シアが打つ相槌は省略して、メグがそうするようにまくしたてるティナは、まるで普段とは別人のようだ。ハクトのような年長者と物まねで遊ぶような性格には見えないから、余計に新鮮なのだろう。ミキがこちらを向いて口元を押さえた。笑いをこらえているらしい。 「見つけたのはクルーさんのところのジル姉さんだったそうよ。でも、ジル姉さんが犬を連れて帰ろうとしたその時、大変なものを見てしまったの」 やたらともったいをつけて語るメグの話を、手を止めたシアは嫌がる風もなく聞いている。こうしてみると、まるで仲の良い姉妹のようだ。 「犬が倒れていたのは草地だったんだけど、その草が、ところどころ焼けたように枯れていたっていうの。こんなところまで霧が流れてきたんじゃないか、いやあれは霧じゃなくて化け物だ、って、クルーさんの家は大騒ぎよ。そして、なにより怖いのはね」 メグはゆっくりと、低い声でささやく。 「その焦げあとは、ロカの大通りに向かって続いていたそうよ」 どうだ、とばかりに得意げになるメグの頭を、シアは軽く叩いた。 「ありがとう。でも、私は大丈夫だよ。なんでか分かる?」 首を傾げるメグに、シアは肩をすくめてみせた。 「私には、急ごしらえだけど家族がいるからね」 その言葉をティナが訳す前に、シアはハクトの方を向いて笑った。会釈を返してしまってから彼女の言葉の意味を知り、ハクトはばつが悪そうに頬を掻く。彼女にとって、どうやら二人は家族らしい。ティナはともかく、自分までも。 難しい顔をするハクトの背中を、ティナが勢いよく叩いた。 「さて、ティナ達も静かなお茶の時間のために努力しましょうか。ちょっと遅くなったけど」 少し考えてから、ハクトはティナの誘いに乗ることにした。ミキとユノは、掃除と言うより宝探しに熱中している。そろそろ帰さないと、いつまで経っても片づけが終わりそうにない。 静かな街に銃声が響いたのは、翌日の夕方のことだった。 |
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