花籠の囚人
-2 隔岸観花-
隔岸観花 :3 | 前へ | TOP | 次へ |
「今日はやけに幌馬車が多かったな。休日だってのに」 エンナの停車場を出てしばらく行ったところで、ユノが首をかしげた。街の入口に建つ石造りの門をくぐると、そこから先はもう見渡す限りの草原だ。畑や家、そして家畜の群れがまばらに見える。 「あんまり立派な馬車が多いと、ちょっと悲しくなるよ」 つぶやくユノの顔に、それほど切迫感はない。並足で歩いていた馬が鼻息と共に首を振った。 「お前も立派な馬車が引きたいか?」 心なしか馬が早足になったような気がする。遠くに、ロカへの分かれ道を示す看板がかすかに見えてきた。草原を裁ち切るように延びる道は、広いところでも舗装されていない。木製の車輪から、細かな振動が直に伝わってくる。 「ミキが花術士になって頑張ってくれりゃあ、きっとかっこいい乗用馬車も買えるぜ。それまでの辛抱だ」 ハクトは改めてユノの全身を見回す。上着は縫製もしっかりしているし、靴も履きやすそうなつくりだ。安物ではない。ロカの街では比較的裕福に見えるグレン家の長男でも、街の金持ちに比べればまだまだということなのだろう。 「フェルティナダ、花術って儲かるんですか?」 「まあ、花術士がひとりいれば収穫高は上がるでしょうしね。シアだって、家賃を安くしてもらう代わりに、よくユノの家を手伝ってるわよ」 それは知らなかった。そもそも花術士というのが何をするのかもよく理解していないことに気付き、ハクトはシアの方に視線をやった。荷台の鉄柵にもたれかかったシアは、ぼんやりと道の彼方を見つめている。 「そういえば、霧の毒はもう大丈夫なの?」 馬の足音と車輪の立てる音に負けないよう、やや声を大きくしてユノが尋ねる。 「うん。ちゃんと目を醒ましてるし、頭も働いてる。でしょう?」 突然話を振られて、ハクトはうなずいた。 「ほんとうに運が良かったよ。あのまま目を覚まさない可能性もあったんだ」 「船の機関室が、霧から守ってくれたのかもしれません」 ティナが「機関室ってなんて言うのかな」とハクトの腕を小突いた。 「部屋でいいですよ」 「分かったわ」 シアはそれでも納得したようだった。「なるほど」とうなずいている。 「そういえばシア、どうして『霧の向こう』なんかに興味を持ったんですか?」 「おれも知りたい」 ユノが口を挟む。「話してなかったっけ?」とシアが首をかしげた。 「たしかメグには話したんだけどな」 「あいつはおれには冷たいんだよ」 不機嫌そうな声が返ってくる。馬が道ばたの牛の群れに気をとられてわずかに左に逸れた。ユノが手綱をぐいと引く。 「大したことじゃないんだよ。私が小さかった頃、よく歌ってた歌があってね。手遊びの歌なんだけど」 そう言って、シアは口を開く。暖かい風に乗って、透明な歌声が流れていった。単調な曲はいかにも子供の手遊び歌という風情だ。 ふと、その曲に聞き覚えがあるような気がして、ハクトは記憶をかき回す。 「シア、その続き、もしかして」 ハクトが続きを歌う。シアは目を丸くした。 「知ってるの?」 「霧の向こうにも、同じ歌があるってか?」 ユノも驚いたように振り返る。ティナがつばを呑み込む音がした。 「ハクト、もう一回歌って。最初から」 「歌詞はうろ覚えなんですけど」 「いいから!」 ユノが馬の歩調を緩めた。揺れる馬車の調子に合わせ、ハクトは歌う。 「仲良しこよし 花のかんむり 虹のくさびを 打ちこめば すっかりばらばら 十六本」 ティナがシアの腕を掴み、早口で何か叫んだ。ユノは馬車を止めて振り返る。馬車はいつのまにかロカへと向かう細い道に入っていた。馬車はほとんど通らない。 「同じだ」 ユノのうめき声は、ハクトにも聞き取れた。ヴァナの言葉と音が似ている。毎日聞き続けているうちに、少しはこちらの音に慣れてきたのかもしれない。 「続き、覚えてる?」 「つ、続きですか? ええと、ああ、確か……」 額に手をやった。今は人目につくので拡大鏡はふところの中だが、やはりここに革帯がほしいと思う。どうにも落ち着かない。 「ひとつひとつを 綿でくるんで ぐるりとまるく 並べれば とってもきれいに なるでしょう」 シアが何か叫びながらハクトの首にかじりついた。笑顔でハクトの頭を撫でる。そのはずみに馬車が勢いよく揺れた。ユノが立ち上がってつりあいを取る。 「知ってるんだね? ヴァナにもあるんだね?」 「いや、俺はこの歌で遊んだ記憶はないです。どこで聞いたのかも覚えてないし」 「知ってるなら十分だよ!」 ティナの通訳なしでも言いたいことがわかりそうなほど、シアは興奮していた。 「変な歌だと思わなかった?」 「え……でも、こういう歌って多かれ少なかれ変なものですし、別に変だとは」 「でも、意味を考えたらすごく変でしょう?」 シアが多少なりとも落ち着いたのを見てか、ユノが再び馬車を進める。時ならぬところで止められた馬は、人間たちのことなど構わず、どこか不機嫌そうに歩き出した。 「それで、その歌がどうしたんですか?」 「虹のくさび、って言われて、ハクシャダイトなら何を思い浮かべる?」 首をかしげた視界に、空にそびえる虹柱が見えた。「あれ」と指さすと、シアは「そう」とうなずく。 「私がティナくらいの歳の時に、学校の倉庫で古い絵を見つけたの。その絵に描かれた空にはね」シアの指が南の空の虹柱に向けられる。「虹がなかった」 「単に、書き忘れたとか、方角が違ったとか、でなければ省略したとか、そんなところじゃないんですか。太陽や月だって描くとは限りませんよ」 「そんなはずないよ。その絵、景色をぐるっと一周描いたものなんだから。それにあの絵には、太陽はあった」 虹はハクトが生まれた時にはそこにあったし、百年前にもそこにあった。おそらく、そのずっと前から。それはいつも南の空にあって、霧の中から中天へと延びていく。 「だから、私は思ったの……確信したって言ってもいい」虹をにらみながら、シアはわずかに声を落とした。「あの歌に出てくる虹のくさびは、あの虹柱のことなんだって」 波打つ緑の草原、うずくまる動物のような濃い緑の森、今はまだ茶色の畑、なだらかな丘の向こうは見えないが、はるか彼方に青くかすむ山々、そして霧の薄もや、空との境目、虹。 それはあまりにも当然の光景だ。霧と虹は、故郷でもこちらでも変わらない。 「じゃあ、他はなんなんですか? 綿とか、花とか」 ハクトが問いかける。ユノが地平線を指さした。 「綿は、霧のことじゃないか」 花をくるむ綿。山の彼方に広がるもや。ハクトは右目を閉じる。遠すぎて意味がない。 「じゃあ、花は……」 「都」 ハクトの言葉をティナが引き継いだ。シアがうなずく。 「だから私、あの歌は創世記の一片じゃないかと思ってる」 「つまり、どういうことだ?」 ユノが目を細めた。ハクトは歌詞をもう一度なぞる。仲良しだった花は、虹に引き裂かれて綿でくるまれる。都が、虹に引き裂かれて霧にくるまれる。仲良しだった、都が。 「そうか」 道の彼方に、こちらのあとを追うように走る幌馬車が見えた。雨風を防ぐことができて便利だろう。晴れているのに幌を張っているのは、いささか勿体ない気もした。 「『霧の向こう』とこちら側は、もともと繋がっていたってことですか」 「そう」 ティナが訳すまでもない。シアは断定するように言った。 「かつて世界には十六の都があって、互いに繋がってた。そのうちの一つがこのラサで、一つがハクシャダイトやティナの故郷であるヴァナ」 ユノが小さく息をついた。肩をすくめる。 「なるほどな。思ってたより分かりやすくてほっとしたよ」 「それはよかった」シアがユノの頭を撫でる。くせのない髪が乱暴にかき回された。「私も、思ってたよりかんたんに分かってもらえて嬉しい」 ゆるやかに右へ曲がる道を抜けると、坂の下にあるロカの街が一望できた。 |
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