花籠の囚人
-2 隔岸観花-


隔岸観花 :1
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 ろうそくの炎をそっと木片に近づける。向けられるいくつもの視線に緊張しながら、ハクトは木片をあぶった。居合わせた人々の中にどよめきが広がる。
 炎は木片を焦がすどころか、変色さえもさせない。ちらほらと賞賛の声が上がる。
「いやあ、いい手品を見せてもらったよ」
 ティナが男性の言葉を伝えながら、「手品じゃないのに」と唇をゆがめる。
 シアに連れられてやってきたのは街の食堂だった。ロカは小さな街だけに、そう何軒も食堂があるわけではない。夜になれば人々はここに集まってくる。赤い灯火を軒に吊し、商売繁盛の札を貼った外観は、故郷にあるものと変わらない。違うのは、どこまでも甘くて塩気のない料理の味くらいだ。ハクトの顔を見に来たのか、いつもよりも人が多いという。それでも、両手の指にすこし余るくらいの人数だ。
 ハクトが手にしているのは硬木だ。ただの木に精力を込めて作る硬木は、ものにもよるが燃えないし傷もつきにくい。金属の産出が少ないヴァナでは、発動機はたいてい硬木製だ。硬度鏡で木片を見ながら慎重に精力を流していくと、硬度鏡に映る光はやがて木片全体に染み渡る。そうなれば硬木の完成だ。元の木に戻すには、逆の手順を踏んで精力を吸い取ってやればいい。化学的な加工もいいが、硬木ほどの強度はなかなか得られない。
 右目を覆う硬度鏡を上げる。指紋と湾の塩水は、思ったほどには鏡を痛めなかった。包帯の代わりに、無事にハクトの額におさまった硬度鏡は、どこか誇らしげにも見える。
 爪で木片を弾きながら、ハクトはかたわらで焼餅をかじるティナに話しかけた。
「本当に硬木がないんですね。信じられませんよ」
「ティナも最初はびっくりしたわ。でも、金属が山にいっぱいあるから、わざわざ硬木なんか使う必要がないのよね」
 よーし、と声を上げたのは、ティナと同じくらいの歳の双子の妹だ。こちらの言葉も少しずつだが分かるようになってきている。よく聞けば文法はほとんど同じだから、あとは単語を覚えるだけだ。その単語も、きつい方言程度の差だ。ティナが耳打ちしてくれる訳語とつき合わせると、なるほど、と納得できる。
「行け、ミキ!」
「え、わ、わたし?」
 双子はシアが住む土地の地主の娘だ。青い服を着ている方がミキ、赤い方がメグ。彼女たちの名前はすぐに覚えられた。きゃしゃな二人を見ながら、父さんに似なくてよかったね、と思わずつぶやく。でっぷり太った彼女たちの父親は、双子とは似ても似つかない。
「ミキが行くよっ!」
「じ、じゃあ、やります」
 メグがミキの前に、小さな植木鉢を持ってくる。赤い花がいくつか咲いていて、中にはつぼみも見てとれた。
「勉強の成果を見せてやれ!」
「やめてメグ、失敗したら恥ずかしいよ」
 そう言いながら、ミキはそっとつぼみに手を添える。がくの辺りを撫でるうちに、つぼみに変化が現れた。うわ、と声を上げるハクトの前で、つぼみが少しずつ花開く。
「え、フェルティナダ、何ですか、これ」
 思わず声を上擦らせながら、ハクトはティナの袖を引く。
「ええと、なんて訳そうかしら……花……花術、よ。たぶん硬木と同じで、精力を注いで花を咲かせてるんだわ」
「花術? 生きてる花に、精力なんか与えられるんですか?」
「知らないわ。そういう難しいことはシアに聞いてちょうだい」
 半信半疑ながら硬度鏡を下ろすと、確かに咲いた花のがくから花びらにかけて、白い光が凝集しているのが見えた。強い精力が宿っているしるしだ。はにかみながら微笑むミキに、温かい賞賛の言葉が送られる。若い花術士は一礼すると、植木鉢を持って下がっていった。
「こりゃあ、グレンのおっちゃんも安心だな」
「もちろんよ。ミキは頑張ってるもん」
 声をかけられ、赤い服のメグが胸を張った。明るい茶色の髪は、うなじの辺りで一つに括られている。結ばれた平紐は服と同じ赤色だ。青い服のミキは妹と同じ色のまっすぐな髪を、結わずに背中まで伸ばしている。
 双子の父親の姿は見あたらない。代わりに彼女たちの兄が、少し離れたところから妹たちを見守っている。双子と同じ明るい茶色の髪で、顔もよく似ているので、一目でそれと知れる。シアよりも若いであろう少年は、すっかり保護者気取りだ。
「これで、兄ちゃんもシアをお嫁にもらわなくてもいいね!」
「そ、それとこれとは関係ないじゃないか。家に花術士が二人もいたら、きっと楽になるぜ」
 シアが「まだ言ってるんだ」と笑う。メグは顔を真っ赤にした兄を見て、満足そうにうなずいた。ティナが「いつもあの調子よ」とつけ加える。
「シアも花術を使うんですか?」
「ええ。そうでなきゃ、あんな広い畑をシアとティナだけで面倒見られるはずがないわ」
「フェルティナダは?」
「ティナには無理。才能がないみた……きゃっ!」
 後ろから抱きすくめられ、ティナが身を堅くする。抱きついてきた若い男は、愛おしそうにティナの頭を撫でながら何かをささやいた。長い髪には華やかな色の髪飾りがついている。服も腕輪も、一目で実用性がないと分かる派手な代物だ。動くたびに互いがぶつかって硬い音を立てる。ティナはその音ごと振り払うように、彼の腕から逃れた。邪険にされると、彼は肩をすくめてまた何か言う。ティナは彼の方に目もくれず、ハクトの腕を掴んだ。
「『じゃあ君は僕のお嫁さんってことで』じゃないわよ! あのお調子者、親のすねかじりのくせにいつもあんな調子なんだから」
「今、彼はなんて言ったんですか?」
 ティナは嫌悪感を隠そうともせず、「『照れなくていいんだよ』ですって」とつぶやいた。
「オースンにはリズがいるくせに」
「恋人ですか?」
「そう。あそこにいる、紫の服を着たのがリズよ」
 ティナが示した先を見て、ハクトは目を丸くする。
「おばちゃんじゃないですか」
「あいつに言わせりゃ、立派な薄幸の未亡人よ」
 リズはどう見てもハクトの母親ほどの歳だ。双子の父親ほどではないが、やせていると言ったら詐欺になるだろう。趣味を疑いたくなるような、目にまぶしい紫の服。服に似合わない凡庸な顔がちょこんと服の上に乗っている。まだせいぜい二十代の半ばであろうオースンとは、明らかに不釣り合いだ。リズはオースンに「あたしがいるってのに、ひどいわ」と声をかけ、オースンは「嫌だなあ、僕がほんとうに愛するのはいつも君だけさ」と答える。会話の内容を聞かされるまでもなく、ハクトの肌に鳥肌が立った。
「ラサの人って、ああいう年上の女性が好きなんですか」
「冗談じゃないわ、あの馬鹿が例外よ!」
 周囲に聞かれないのをいいことに、ティナはずらずらとオースンの悪口を並べたてる。曰く、都会のぼんぼんがこんなところに何の用よ、詩人って言うなら詩のひとつも聞かせてみなさい、まったく最近の若い者は、何なのよあの趣味の悪い服、女と見れば見境なく口説こうとするんだから、とっとと家に帰れ、ティナにばっかり声かけてるんじゃないわよこの変態、リズがかわいそうだわ、うんぬん。
「よ、よく分かりました」
「分かればよろしい」
 確かにオースンの格好は、この街では明らかに浮いている。リズは派手だと言ってもまだロカらしさを残しているが、オースンの方は場違いと言ってもいい。美形の部類に入るであろう若者の顔には、どこか老獪な雰囲気も見える。詩人という連中のことはよく分からないが、皆あんな調子なのだろうか。堅実であれと教えられて育ったハクトには、今ひとつ理解できない感性だ。
 ふと、相棒となら気が合うかもしれない、と思う。そういえば、どこか共通する雰囲気があるような気がする。そこまで考えて小さく首を振り、目の前の湯飲みをひったくるように掴んだ。口をつける。「怪我人に酒は良くない」と茶を出されたのだが、これがまたやたらに甘い代物だった。水あめの間違いではないかと疑いたくなるほどだ。故郷では学生には酒を飲ませないのが慣例だから、酒を出されないこと自体は歓迎すべきなのだが。
「それにしても、都も広いんだなあ。別嬪さんの次は手品師の坊やか。シアもよく見つけてくるもんだね」
「おいちゃん、だから二人は霧の向こうの人だってば」
 酔っぱらいの言葉に噛みついたのはメグだ。酔っぱらいはメグの言葉を一笑に付し、「子供は純粋でいいなあ」と笑った。ハクトは思わずシアの方に視線をやるが、彼女はそ知らぬ顔で茶を飲んでいる。絶対に信じさせてやると息巻くメグを、ミキとその兄が面倒くさそうに止めていた。いつものことなのだろう。
「無理もないわよ。ティナが逆の立場なら、ぜったい信じないもんね」
「同感です」
 双子の兄であるユノ少年は、メグの前に焼肉料理の皿を差し出した。メグは箸と一緒に皿を奪い取り、兄のとなりに座って勢いよく食べ始める。ミキが横から肉を取ろうとすると、つばが飛びそうな勢いでこれは自分のものだと主張し始めた。そこで箸を引くあたり、双子と言えど性格はずいぶん違うようだ。一応は姉であるミキが、妹を大切にしようとしているのかもしれない。
 口に食べ物を詰め込んだメグが静かになると、シアがそっとハクトの袖を引いた。
「ゴメンナサイ」
 不快な思いをさせて、とシアは続ける。ハクトは慌てて首を振った。
「気にしてません、大丈夫です」
 シアとティナが少し長い会話を交わした。ティナがわずかに眉をひそめ、心持ち早口に会話の中身を訳す。注意深く聞けばハクトにも何となくは聞き取れたが、通訳されると勘違いも多かったことが分かる。
「ティナはもう信じてもらえないことに慣れちゃってると思うけど、ハクシャダイトはそうじゃないから心配なんだそうよ。子供じゃないんだから大丈夫よ、って言ったんだけど」
 大まじめな顔でハクトを凝視しているシア。その視線に気付き、ハクトは思わず苦笑する。
「フェルティナダの言う通りだと伝えてください」
 とは言え、わざわざティナを通すまでもなく意思は通じたようだった。シアはハクトの手を握り、「良かった」とつぶやく。若い女性にしては大きくて皮の厚い手だった。
「諦めなよ兄ちゃん、シアはハクトがいいみたいだよ」
「いやいや、それとこれとは話が別だ」
 皿を空にしたメグとその兄の会話が聞こえる。シアはメグの声を聞くなり手を放し、ティナから会話の内容を聞いたハクトも気まずそうに目を逸らした。
 食堂の夜は更けていく。

 東の空がほんのりと橙に染まる。夜明けの予感を前にして、空から星が消えていく。南の空の虹柱が闇から浮かび上がってきた。東に昇る太陽はやがて南に至り、虹柱の上端をかすめて西へ沈む。南中した太陽と虹が重なる冬の季節は既に遠い。
 だく足の馬が四輪の軽装馬車を引いている。馬の手綱を取るのは双子姉妹の兄、ユノだ。金属製の馬車はどう見ても運搬用だが、ユノとハクトたち三人を乗せても底板がたわむこともない。野菜の山に比べれば、大した重量でもないのだろう。
「助かったよ、ユノ」
 シアが声をかけると、ユノは「お安いご用」と胸を張った。
「休みじゃない日には、いつもミキを送ってるからな。気にしなくていいよ」
 妹によく似た茶色の髪は、朝日を浴びて空と同じ橙色に染まる。左手から延びてきた道と合流したところで、道路の幅は馬車が三、四台、余裕を持ってすれ違えるほどになった。草原の向こうには街が見える。青くかすんだその街は、遠くからでも活気に満ちていることが分かった。盛り土の上に敷かれた線路がかすかに見える。ハクトは片目を閉じ、もっとよく見ようと額に手をかざした。ふだん、作業を単眼の硬度鏡を通して行うせいか、ハクトの右目はあまり遠くが見えない。
「ハクシャダイトを最初にうちに連れて来たときも、ユノが送ってくれたんだ」
「この馬車で?」
「怪我人にそれは悪いでしょう。あの時は、ちゃんと乗用の馬車を借りたよ」
 ティナがあくび混じりにシアの言葉を訳す。空は少しずつ、橙から薄い青色に変わりはじめていた。沈みかけた白い月が見える。
「ユノ」
 ハクトは思い切ってユノに声をかけた。少年は視線だけをわずかにこちらに向ける。馬車には乗り慣れないハクトにも、その手綱さばきが手慣れたものであることは分かった。
「ありがとう」
 覚えたての言葉でそう言うと、少年は「よせやい」と笑った。
「照れるじゃないか。どういたしまして」
 どんと背中を叩かれた。振り返るとシアが「お上手」とヴァナの言葉で言いながら、ハクトの背中を叩いている。「発音がおかしい」とティナが水を差すが、シアはあまり気にしていないようだ。
「そういえば、ミキちゃんは何をしにこんなところまで?」
「学校よ」
 ティナがハクトの問いに答える。シアに「ミキの学校の話」とだけ言って、ハクトの横にいざり寄った。
「花術を学びに来てるのよ。ロカの学校ならずいぶん前に横を通り過ぎたでしょう。メグはあそこに通ってたようけど、幼年学校の基本課程だけでさっさと卒業しちゃったみたい。勉強や機織りよりも、畑を耕してる方が性に合ってるそうよ」
 活発なあの双子の妹を思い浮かべた。確かに妹のメグは、机の前に座っているより畑にいるほうが似合うような気がする。
「ミキは中級特殊学校――花術学校って言うのかしら――に編入したの。ハクシャダイトも技師なら、技師学校に通ってたでしょう? あんな感じじゃないかしら」
「優秀なんですか、彼女」
「メグの頭の中身まで持って行っちゃったって、もっぱらの噂よ。その代わり、胃袋はメグが二人分持ってるってね」
 ユノの存在を気にしてか、ティナはその会話をシアに伝えようとはしない。オースンの時にも思ったが、堂々と内緒話ができるというのは不思議な感覚だ。
「メグの、話?」
 シアが首を突っ込んでくる。にやりと笑って、ハクトの耳に口を寄せた。
「メグが、学校、悪いのコトが、言われタ?」
「え、いいえ」
 慌てて首を振ると、シアはハクトの首に腕を回して続ける。
「悪いのコトは、ナイショでしても、隠せない。言葉の分からなくても、分かるよ」
 前言撤回。ハクトは空を見上げた。内緒話が内緒で行われていると思っているのは、しょせん当人だけか。
「参りました」
 ハクトの言葉でティナも察したのか、苦笑しながら小さく首を振った。
 馬車はエンナの街の手前にある、最初の門をくぐる。


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