ヴェイパー・トレイル おまけ2 I'm like a bird |
彼女は白衣を着て立っていた。直樹の方をちらりと見て、「あら」と声を漏らす。 「お久しぶりね、……何て呼んだらいいかしら?」 「好きにしろ」 網崎遊羽は微笑んだ。直樹は黙って目を逸らす。遊羽はそれ以上何も言わず、直樹が背負ってきた佐藤に声をかけた。白衣の袖をまくり上げ、手際よく彼を寝台に寝かせる。 「センセーはすぐに来るわよ。それまではこれで我慢してね」 彼のシャツのボタンを外し前を開けると、腹の傷に片手をあてがう。佐藤の呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻していった。 「……ユウ」 「なあに? 簡潔にお願いするわ」 どうして、こんなところに。聞こうとしてやめた。下らない。看護師など別に珍しい職業でもあるまい。てっきり日本で看護師を目指すのだと思っていたが、別に帝国に来ていたからといって驚くほどのことでもないはずだ。そしてここは別にモグリでも何でもない、正規の病院である。ただちょっと一見さんお断りであるだけであって、あくまでも合法だ。 「ひとつ、聞いてもいいか」 「いいわよ。ひとつだけなら答えてあげる」 シャツ切るわよ、と遊羽は言って、答えを待たずに佐藤のシャツにハサミを入れた。わざわざ許可など取らなくとも、どうせ血とかぎ裂きで、もう使い物にはなるまい。そうして腕にまとわりつくシャツを脱がせ、遊羽は肩のすぐ下に布を巻いて止血をする。そこでふと、腕の傷口が焼かれていることに気付いたようだ。目をこらせばすぐに分かる、好意的な魔法の気配。 「あら、これ……あんたが止血してくれたの? いい子ね」 言葉に詰まった直樹をせせら笑うように、遊羽は彼を無視して影に話しかける。佐藤のそばにたたずんでいた黒い影は、まるで照れでもするように寝台の下にもぐり込んだ。 「お前さ、……最初から、分かってて俺に近づいたのか?」 遊羽はためらう様子すら見せずに、笑みさえ浮かべて唇を開いた。視線は手元に向けたままだ。 「ええ、知ってたわよ。直樹が知るよりもずっと前から、直樹の家のこともこの子のことも、全部知ってたつもり。その上で、利益も不利益も理解して、打算と依頼に基づいてあなたに告白した」 寝台の下に隠れた影を指さし、遊羽は小さく息をついた。佐藤は黙って目を閉じ、続けられる遊羽の治療に身を任せている。 「悪かったとは思ってないわ。文句があるなら聞いてあげるけど。これでいい? じゃあこの話はおしまい。治療はこちらに任せて、あなたは帰りなさい。……ああ、それと最後に」 遊羽は顔を上げ、今度は直樹の目を見て唇を歪めた。まるで沈黙を厭うように、口早に続ける。 「直樹、よく私のこと、『綺麗だ』って言ってくれたわよね。花は散り際が一番美しいって言葉、知ってる? 綺麗って言葉は不吉だから、すごく嫌だったのよ。まあ、あなたが私にそんなこと言ってくれることは二度とないだろうけど」 直樹はしばらく押し黙っていたが、やがて無言のまま踵を返し、乱暴に扉を開けて部屋を出ていった。 「不器用だ、って言われたことないですか」 佐藤の声に、遊羽は一瞬手を止める。顔をしかめただけで、すぐに作業を再開した。 「あるわよ。お前は医療には向いてないって、色んな人に言われたわ」 「そうじゃなくて」 開けられた佐藤の瞳と、遊羽の視線が真っ向からぶつかり合う。遊羽はすぐに手元へと目を落とした。 「……うるさいわね。そりゃあ私だって、好きでもない男の恋人になんか頼まれたってなりたくないわ」 「好きだったら好きだったって、ちゃんと言わないと通じないですよ」 「通じなくていいのよ。私のことなんかとことん嫌ってくれた方があいつの為。私みたいな根無し草に、いつまでも未練なんか残されたって困るわ。飛ぶ鳥あとを濁さず、とまでは行かなかったようだけど」 右腕の傷の処置を終え、遊羽は佐藤の左腕を取った。袖にハサミを入れる。 「あんな奴の、どこがいいんですか?」 遊羽は「全部」と短く答えたあと、消毒液を含ませた脱脂綿をピンセットで取り上げる。 「さあ、怪我人はお黙りなさい。私は不器用だから、動かれると失敗しちゃうわよ」 佐藤は黙って目を閉じる。 遊羽はピンセットの脱脂綿を、少しだけ乱暴に傷口に押しつけた。 |
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