「ダンピール」
月香るな |
「赤い瞳の娘が来たよ」 「ああ、ついにやって来た」 「赤い瞳の退治屋だ」 「だが、誰が彼女を呼び止める?」 ほんの数刻前までにぎわっていた、町一番の大通り。しかし今、そこは奇妙なまでの静けさに包まれていた。 その通りの真ん中を、歩いてくる少女がひとり。白いコートに身を包み、茶色い髪を冷たい風になびかせながら、彼女は歩を進める。 少女の表情は少し不機嫌そうだった。理由はかんたん。静かな通りの両端から、彼女の様子をうかがう住人達の気配を感じるから。建物の中に身を潜め、ひっそりと彼女のことを見つめているのがわかるから。 いい加減、少女の機嫌が目に見えて悪くなった頃、唐突にそばの酒場の扉が開いた。中から、転がるように一人の少年が出てくる。どうやら、中の誰かに追い出されたらしい。 「…………」 少女は無言のまま、慌てて膝についた砂を払う少年の様子を見ていた。少女の機嫌はいま、もの凄く悪かったものだから、見下すようにして少年を見据える彼女の瞳には、それはもう怖いものがあった。彼女の赤い瞳に見つめられ、少年が慌てて目をそらす。 「あ……え、えーと、ミス、この度はお日柄もよく……」 一通り砂を払った少年が、少女の名を確かめもせず、ぼそぼそと喋り出した。ちなみに空にはどんよりと雲が立ちこめている。 「挨拶はいいから、早く用件を言いなさいよ」 彼が話しかけている相手は間違ってはいない。その少女に冷たく言い放たれ、少年は慌ててポケットからメモを引っ張りだした。 「え……ええと、ミス・ジェイラ・コプトー。本日はわざわざこの町までお越しくださり、えーと……」 「……もういいわ。それ貸して」 少女は気が短かった。少年の手からメモをひったくり、少女――ジェイラはそれにざっと目を通す。 「つまり私を呼んだのは、町外れに住み着いた吸血鬼を退治するため。成功報酬は町長が出してくれると、そういうわけね」 「は、はい、多分……」 頼りない少年の答えを聞いて、ジェイラはため息をついた。 ――どうしてこんな子供が応対に出てきたりするのだ。どうせ押しつけられでもしたのだろうが。 「……ねえ、あんた」 彼の名前が判らなかったので、取りあえずジェイラはそう呼びかける。少年はどもりながら返事をした。 「そんなに私が怖い?」 「え? い、いえそんな、滅相もありません、そんな……」 少年の態度は、明らかに彼がジェイラを怖がっていることを示している。露骨すぎて指摘する気にもなれない。 「まあいいわ。どんなに怖がるのも勝手だけど、あとで払うものはちゃんと払ってもらうわよ」 彼女の言葉には、自分が依頼を成し遂げるという自信に満ちたひびきがあった。 彼女は「ダンピール」。生まれながらにして、吸血鬼と戦う力をもつ者だ。そしてダンピールであることは、同時に彼女が吸血鬼と人間の間に生まれた子供であることを意味する。 そんな者に、わざわざ関わりたがるバカはいない。さっきの少年だって、あれだけ怖がっていたではないか。町長がジェイラに手紙を書いてから、今までの間に何があったかは想像に難くない。きっと彼が出てくるまでには、応対する人物を巡って相当の紆余曲折があったのだろう。 「は……はい。も、もちろんです、報酬はきちんと払いますっ」 「そう。それじゃ、その吸血鬼が住んでる所まで案内して」 そのジェイラの言葉を聞いたあとの少年の顔たるや、傑作だった。苦い木の実を間違って食べてしまったような、そんな泣きそうな表情。さっき出てきた扉を振り返ってみたところで、誰も助けてくれそうにない。皆、黙って様子をうかがっているだけだ。少年は、我が身の不幸を心から呪った。 それからしばらくして、二人はその吸血鬼が住むという所へ向かう、細い道を歩いていた。少年の方は余程怖いのか、心ここにあらずといった感じ。ジェイラが声をかけても、何の反応も見せない。 「……あんた、私の話聞いてる?」 ジェイラに言われ、少年はハッと我に返った。 「あ、あの、すみません! そ、それで何の話でしたっけ……?」 「いつまでも『あんた』じゃ悪いでしょ。あんたの名前を聞かせて、って言ってるのよ」 「は、はい!」 慌てて答えたものだから、声が思い切り裏返る。 「な、名前ですね。僕はディック。ディック・ベイカーですっ」 しどろもどろになりながら答える少年・ディックの頭を、ジェイラはよしよしと撫でた。 「ディック……ね。今、何歳?」 「ぼ、僕ですか? 来月で、じ、十三歳になりますっ」 私は十八、とジェイラが言った。もっと年上かと思っていたので、ディックは驚く。 「でもいつも二十歳か、それ以上に見られるのよ。私、そんなに老けてるかしら?」 ジェイラが自分に意見を求めている、とディックが気付いたのは、数瞬後のことだった。めったなことを言うと自分の身が危なそうだと、ジェイラの腰に引っかけられている銃を見ながら彼は思う。 「そ……そんなことないですよっ。まだまだ十分、若いですよっ」 取りあえず当たり障りのない答えを返す。いつもは近すぎると思っていた吸血鬼の家までの道のりが、今日はやけに長く感じられた。 「それはそうと、ディック。その吸血鬼って、どんな人なの? 性別とか、年齢とか……なんだっていいわ。知ってることを教えて」 今までどうでもいい話をしていたのが急に真面目な雰囲気になり、ディックは一瞬混乱する。自分勝手なペースで話を進めるジェイラには、なかなかついていけそうにない。 「え……えっと、姿を見た人の話によると、二十歳かそこらの男の人……らしいです。薄茶の髪をして、目はぎらぎらと光っていたそうです。えっと……今向かっている先の家に住み始めたのは、ここ半年くらいの話です。ずっと空き家になっていた、ボロの屋敷ですっ……ぼ、僕が知っているのは、これくらいです」 ディックの話を聞いて、ジェイラは少し考える。実のところ、不死性を持つ吸血鬼の年齢など聞いたって無駄なのだが、そこはそれ。相手の容姿を判っておいたほうが、出会った時に落ち着いていられるような気がする、という程度のものだ。目がぎらぎら光っていた、などというのは、吸血鬼を見た人間がしょっちゅう言う言葉だから、無視してもいいだろう。それより気になるのは、半年前に彼が引っ越してきたという話と、さっきディックが目的地までの道のりを「そう遠くない」と言ったこと。そしていきなりの要求だったにもかかわらず、ディックが吸血鬼の家を知っていたということ。普通は人里離れた山奥などに、長いこと住みつづけるものだというのに。 「で? 今まで、何人くらい襲われたの? 吸血鬼化した人は?」 ジェイラの次の質問を聞いて、ディックが唇を噛んだ。 「こ、この町では、四人。全員、吸血鬼化はしてませんっ。あと、他の町からも被害者が出ていると、少し前にそう聞きましたっ」 へえ、と考えているジェイラのコートの裾を、突然ディックがぎゅっと掴んだ。驚いて、ジェイラは彼の顔を見つめる。 「み、ミス・コプトー。絶対に……絶対に、あの吸血鬼を退治してください……! この町での三番目の犠牲者、リタ・ベイカーは、僕の姉さんなんです……姉さんの仇を、とってほしいんです……」 ディックの表情は真剣だった。ジェイラのコートを掴む手が、少し震えていた。 「判ってるわよ。わざわざ長い時間をかけてこの町まで来たんだもの、報酬をもらえずに帰るような真似はしないつもりよ」 頼られて悪い気はしない。不愛想な口調で答えはしたものの、いつもそんな調子の彼女にしては好意的な響きをこめた台詞。しかしそんなことがディックに判るはずもなく、彼は相変わらずおびえた表情を浮かべたまま、小さく頷いた。 「あ、あれです……! あれが、吸血鬼が住んでいる家ですっ。そ、それでは僕はこの辺で失礼します!」 しばらくして、遠くに一軒の屋敷が見えた。それを見たとたんにディックはやっと帰れるとばかりに目を輝かせ、さきの台詞を言うなり走って逃げ出してしまった。ジェイラは小さく肩をすくめると、屋敷に向かって歩き出した。 |
玄関の扉に鍵はかかっていなかった。ジェイラはさっさと無断侵入を試みる。中に入った途端、かび臭いにおいが鼻をついた。 「辛気くさいところだこと……」 ジェイラがさっきの町についたのは、正午を大分回った時間だった。それから町に長居できない空気を感じて、真っ直ぐここまで案内させたのだが……失敗だったかもしれない。もうすぐ、日が暮れる。夜はもちろん、吸血鬼の活動時間だ。 「ま、いいけどね」 腰の銃を抜き、片手で構えながらジェイラは進む。とりあえず、棺を探さなければ。見つけたら棺ごと焼き払う。棺から出て活動していれば、この銃で撃ち抜く。それで仕事は終わりだ。 窓にはがっちりと鎧戸が降ろされている。玄関を抜けると、最初に入ったホールは真っ暗だ。ジェイラは小さくため息をつくと、銃を腰に戻しその手に灯りを握った。 がらんとしたホールを過ぎ、ジェイラはひとつの部屋に入った。所狭しと物が並べられた部屋だ。猫の形の置物、奇妙な仮面、珍しい天球儀まである。それらの品物に一貫性はなく、ただ雑然とそこにあるだけだ。宝の持ち腐れ、という言葉がよく似合う。 向かって右手に、暖炉がしつらえてあった。つい最近、火が入れられた跡がある。吸血鬼か、それともただそう誤解された人間かは知らないが、とにかく誰かがこの屋敷に住んでいるのだろう。 その暖炉の上には、時計と写真立てが置かれていた。灯りを動かして、ジェイラは何とはなしにその写真を見る。 ――その瞬間、彼女の心臓が跳ね上がった。 「……馬鹿な」 写真には、二人の男女が写っていた。一人は年若い、薄茶の髪の男性。もう一人は、やはり茶色の髪をした女性だ。古ぼけた写真の中で、二人とも、とても幸せそうな笑みを浮かべている。 その女性の顔に、ジェイラは見覚えがあった。いや、見覚えがあるなどというものではない。 女性は、ジェイラの母によく似ていた。 ジェイラが幼い頃他界した母の顔は、写真でしか知らない。その写真も、真ん中で二つに破られている、ひどく痛んだものだ。しかしジェイラにとって、母の顔を知る唯一の手段であるその写真はとても大切なもので、それゆえに何十、いや何百遍も写真で見たその顔を、ジェイラが見間違える筈はなかった。 しかし男性の方は。一緒に映っているこの男の正体は、状況や先刻のディックの話から考え合わせれば、一人しか考えられない。 この屋敷に住む、吸血鬼だ。 ヴァンパイアは老いることがない。然るべき方法でなければ死ぬこともない。となれば、ジェイラが小さいころ他界した母が、今と同じ姿の吸血鬼と写真に写っていたところで、何の不思議もないではないか。赤い瞳と青白い肌は、正真正銘の吸血鬼である証。 「……馬鹿な……!」 しかしそれは、あまり喜ばしい状況ではなかった。 ダンピールは人間と吸血鬼の間に生まれた子供だ。ジェイラがそうであり、なおかつ母が人間である以上、父親は吸血鬼であるに違いないのだ。そしてこの写真に映った男女の、実に親密そうな様子からして、ジェイラの父親がこの吸血鬼であるということには、疑う余地もない。そう、彼が吸血鬼でない可能性は、あまりに低い。 それでも、ジェイラは今からこの吸血鬼を殺さなければならないのだ。それが彼女の仕事なのだから。 しかしそれはジェイラにとって、ある意味では好都合でもあった。なぜなら、ジェイラは父を殺すことを、内心願っていたのだから。 幼い頃、母を亡くしたジェイラに村人たちは言ったものだ。 『ジェシカを殺したのは吸血鬼だよ』 『お前の父親がジェシカを殺したんだよ、ジェイラ』 ジェイラの母、ジェシカは村の中でも人気があった。それが吸血鬼なんかの子供を産んだと、当時はずいぶんな騒ぎになったらしい。 しばらくして、ジェシカは死んだ。殺されていた。彼女が抱いていた赤子の、その父である筈の吸血鬼は、どこにもいなかった。 ――だからジェイラはぼんやりと、母の仇を討たなくてはならないのだな、と考えていた。そのチャンスが今、巡ってきたのだ。 ジェイラは灯りを暖炉の上に置き、その写真立てを手に取った。見かけに比べ、それはずっしりと重かった。 と……その時、 「いらっしゃい」 不意に、背後から声がかかった。ジェイラは小さく声を上げ、声の主の方を振り返った。 |
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