「ダンピール」   


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 そこには一人の男が立っていた。年齢は二十歳そこそこ。薄茶の髪、赤い瞳を持ち、口元からは牙をのぞかせた……吸血鬼。
「出迎えが遅れて申し訳ない、お嬢さん」
「……パパ……?」
 思わずジェイラは、そう口走っていた。吸血鬼が、きょとんとした顔になる。
「……お嬢さん、君は一体……」
「ジェイラ。……ジェシカの娘、ジェイラ・コプトー」
 その名を聞いた吸血鬼が、明らかな反応を示す。しばらくじっとジェイラのことを見つめたあと、
「ジェイラ……! 僕の大切なジェイラじゃないか……!」
 ……唐突に、ジェイラの身体を抱きしめた。
 突然のことに、ジェイラは戸惑いを隠せなかった。本当に彼が自分の父だったのか、と思う前に、どうして母を殺して消えた男が、こんな反応を示すのだ、と思った。彼女にとって、まったく予想していなかった展開だった。
「大きくなったね。今はもう、ええと十八歳かい? 一瞬だって君のことを忘れたことはなかった、ずっと会いたいと思ってた……ああ、しかしこんなに大きくなっていたなんて。僕は嬉しいよ……」
「……ど……どうしてそんな事が言えるの? ママを殺して、私を独りぼっちにして、消えちゃったのはパパの方じゃない!」
 叫びながら、ジェイラは吸血鬼の腕を振りほどいた。吸血鬼は何を言ってるんだ、と言った様子で、ジェイラのことを見つめている。
 ややあって、吸血鬼が口を開いた。
「何だと? あのホラ吹きどもめ、君にそんなことを吹き込んだのか……? 信じちゃいけない、ジェイラ。それはみんな嘘だ……!」
 嘘? なにが。言いかけた彼女の言葉を遮るように、吸血鬼は喋り続けた。必死の表情だった。
「ジェシカを殺したのは僕じゃないよ、ジェイラ。……吸血鬼なんかと交わった女を許せなかった村人たちが、あのひとを殺したんだ。僕はジェシカを愛していた、殺したりするわけがない!」
「……嘘よ」
 かわいた声で、それだけ言うのがやっとだった。――今まで信じていたことが、全部嘘だったとでも言うのか。まさか。
「それから大蒜(にんにく)と山査子(さんざし)の杭で、あいつらは僕を墓に縛り付けた。自由に動けるようになったのは、つい最近のことだ。あいつらの中に僕を消滅させる力を持った者はいなかったから、僕はこうして復活したが……しかしそんなことになっていたなんて、知らなかった」
 吸血鬼は、唇を噛んでかぶりを振った。彼の言葉を信じていいものか、ジェイラは迷っていた。殺されたくないがための出まかせか、それとも。……もし彼の言うことが真実だとしたら、
(もしあれが真実だとしたら、私はパパを殺せない……)
 本当に彼が父親かどうかすら怪しいのだ、実際のところ。しかしジェイラは、もうすっかり彼の言葉に心を動かされていた。
「そうだジェイラ。今までちっとも父親らしいことが出来なかったお詫びに、君にプレゼントをあげよう。もうすぐクリスマスだったね、ちょっと早いけどクリスマス・プレゼントだ。この部屋にある、何でも好きな物を持っていくといい」
「何でも……?」
 ジェイラは部屋の中をぐるりと見渡した。壁に貼ってあるのは珍しい世界地図だ。透明な小瓶の中には虹色の液体が入っている。その隣にある腕輪は相当な値打ち物であることが、ぱっと見ただけで判る。そう思ってみれば、まるでおもちゃ箱のような部屋だ。
 クリスマス・プレゼントなんて、物心ついてからはもらったことがなかった。幼いときに母は死んでしまい、預けられた孤児院にそんな余裕はなかった。初めてだ……こんなこと。
 うすい紫の液体の入った、硝子の小瓶に手を伸ばしかけて、ジェイラは不意にその手を止めた。
 ――このプレゼントを受け取ってしまったら、もう自分はこの吸血鬼を殺せない。そう、思った。
「ねえ、その前に一つ聞いてもいいかしら」
 プレゼントを受け取るのを先延ばしにしたいがため、ジェイラは吸血鬼に話しかけた。質問なんて考えていなかった。……少し間があったあと、ジェイラはひねり出した質問を口にした。
「……どうしてこんな、町の近くに住んでるの? だから簡単に、私のような吸血鬼退治屋に入られるのよ」
 吸血鬼退治、というところに少し力をこめて、ジェイラは言った。吸血鬼はちょっと肩をすくめて、答えた。
「……花嫁を、探しているのさ」
 花嫁? とジェイラは問い返した。吸血鬼は頷く。
「僕を愛してくれる女性を、探しているのさ。僕だって、ずっとひとりで生きるのは寂しいからね」
 不死性を持つ吸血鬼は、それ故に永い時をひとりで過ごさなければならない。それは判るけれど、しかしジェイラにとっては意外な答えだった。そしてそれはひどく、自分勝手なことのように思えた。
 しばらくの沈黙のあと、ジェイラは叫ぶように言った。
「ば……馬鹿みたい! 町の人を襲った吸血鬼を、ほいほい好いてくれる物好きがいるとでも思っているの? だったらパパ、あなたって人はとんだ楽天家だわ!」
「……僕だって生きたいんだ。そのために血を吸うのは、君たち人間が食べるために獣を殺すのと同じ、必要なことなんだよ」
 娘に罵倒され、戸惑ったような声音で吸血鬼が言った。
「……それに……君だっていずれそんなことは言えなくなるはずだ。君も知っていよう、ダンピールは死ぬと吸血鬼になるってことを」
 ……ジェイラは、無言で頷いた。そうなのだ、吸血鬼と人間の間に生まれたダンピールの子供は、死すと吸血鬼になる宿命を背負っている。そんなことは知っていた……納得しているつもりだった。
「ジェイラ、よくお聞き。……僕も、昔は君のような、ダンピールだったんだ」
 ジェイラをそばの椅子にかけさせ、吸血鬼は諭すように言った。
「もう、ずっと昔のことさ。退治しようとした吸血鬼に殺された僕は、こうして吸血鬼になった」
 すると、自分もいずれこうなるのだろうか。吸血鬼として生き、そして退治屋に殺されるのか。そう考え、ジェイラは背筋の寒くなる思いをした。今まで遠い未来のことだと考えていたそれが、ぐっと身近に迫った気がした。怖かった。
「だから……人間の花嫁を探して子供を設けるのは、きっと僕が自分と同じような目に遭うダンピールの子を増やしたいと、それが僕がこんな目に遭っていることへの復讐になると、そう考えたからなんだ……! 許しておくれジェイラ、僕の勝手な考えで、君とジェシカを不幸にしてしまったことを……」
 ぽた、とジェイラの頬にしずくが降りかかった。顔を上げると、吸血鬼は泣いていた。ジェイラの顔を見下ろして、顔を歪めて涙をこぼしていた。
「まったく、僕は何をやっているんだ……何故、こんな馬鹿なことをしているんだ……! 君とジェシカにはどれだけ謝っても足りないよ……僕自身がダンピールであったことをさんざん嘆いたというのに、同じ境遇の子供を増やしてしまうなんて……」
 嗚咽に交じってよく聞き取れない声で、吸血鬼は何かを思いついたように「そうだ」と言った。
 そのあと吸血鬼が言った提案は、ジェイラにとってはとても受け入れにくいものだった。
「……ジェイラ。吸血鬼にならないか? そして二人でどこか遠くへいって、そして一緒に永い時を生きないか?」
 え、とジェイラは戸惑いの交じった声を上げる。やっと出会えた父親と、自分のことを確実に好いてくれているらしい父親と、永遠を過ごすことができたら……ジェイラには、その要求をはねつけることができなかった。
「答えを急がなくてもいいよ、ジェイラ。僕たちには時間がある」
 ジェイラは頷いた。それは彼女にとっては、とても簡単に選べるはずもない選択だった。吸血鬼は答えを待つ間に、ジェイラの持っていた灯りを消し、暖炉に火を入れた。あたたかな光が、部屋を照らす。
 明るい光の中で見る、青白い吸血鬼の顔は、驚くほどジェイラに面影が似ていた。写真で見たときは何とも思わなかったというのに。最早疑う理由はなかった。彼は彼女の父親だ。
 ジェイラの迷いに拍車がかかる。わざわざ吸血鬼なんかになって、他人に害をなすのは嫌だ。仕事柄ジェイラは、吸血鬼の被害がどれだけの騒ぎをもたらすかを知っている。しかしそれ以上に、やっと出会えた家族と、一緒に暮らしてみたかった。ずっと一緒にいられたならば、どんなに嬉しいことだろう。誤解が解けた今、ジェイラが父親を嫌う理由は、もうないのだ。
「ええ、そうよ……私たちには時間があるわ、パパ」
 椅子から立ち上がり、ジェイラは若い娘がよくそうするように、父親の身体を抱きしめた。
 その時だ。何だか判らない感情が、ジェイラの身体を駆け抜けた。
 死人である吸血鬼の身体はひやりとして、温もりを感じさせない。それはいくら涙を流し、熱っぽい口調で過去を語ろうとも、彼が人間でないという事実をジェイラの前に突きつけた。
 彼はジェイラを拒絶しない。怯えて逃げることもしない。こんな風に無条件に受け入れてくれる相手が、彼の他にいないこともまた、ジェイラは知っていた。……それでも、生理的な嫌悪感が、ジェイラの胸の内にわだかまっていた。
 ――不意に彼女の脳裏に、さっき夕暮れの道で、ディックがジェイラに言った言葉がよみがえった。
『絶対に、あの吸血鬼を退治してください……!』
 ひどく真剣な表情で、ディックはそう、ジェイラに乞うたのではなかったか。そしてジェイラは答えたはずだ。「判ってるわよ」と。
 吸血鬼の胸に顔を埋めたまま、ジェイラは強く唇を噛んだ。自分のとんでもない運の悪さを、ただ呪った。
 ……しばらくの静寂。
「――ごめんなさい」
 小さな声で、ジェイラは呟いた。その言葉は、吸血鬼にすら届いたのかどうか。吸血鬼が怪訝そうにジェイラの顔を見下ろしたとき、彼女は顔を上げてその視線を真っ向から受け止めていた。
「……パパ。さっき、この部屋にある何でも好きなものをくれると、そう言ったわよね?」
 もちろんだよ、と吸血鬼は頷いた。ジェイラは彼の身体に回していた腕を放すと、腰の銃を握った。
「あのね。……私、この部屋の中ですごく欲しいものを見つけたの。たとえ何を言っても、私にそれをくれる?」
 ああ、と吸血鬼が頷いた。娘の願いを叶えられることが、嬉しそうでもあった。
「そう。それじゃあ――パパの、その命を、私にちょうだい」
 ジェイラは片手で、銃を彼の胸に突きつけた。
「入ってるのは銀の弾丸。吸血鬼だって殺せるわ。私のために、私を頼ってくれている人たちのために、これからあなたが殺すかもしれない沢山の人たちのために、そして何より、いつかパパがつくるかもしれない『ダンピール』の子供と、その母親のために――パパに、死んでもらいたいの」
 一気に、言い切った。言い終わったとき、全身からどっと汗が吹き出すのがわかった。これでいいの? という疑問の声が、心のどこかから上がっていた。
 抵抗されると思った。殺されるかもしれないと思った。ジェイラは一分の隙も見せずに、吸血鬼の顔を見つめていた。
「……ああ、判った」
 しかしジェイラの意に反して、吸血鬼は笑って両手を挙げた。
「僕の可愛い娘、君がそう望むのなら」
 抵抗しない、と言っているのだ。ジェイラに黙って殺されてやると、彼はそう言っているのだ。
「……いいの? 今度こそ本当に死んでしまうのよ。私は吸血鬼を消滅させる力を持っているの。それでも黙って殺されてあげるっていうの?」
「ああ、そういうことになるね」
 ジェイラに対して、一片の恨みすら感じさせずに、吸血鬼は笑った。
「だって君は、僕の大切な娘。娘の願いを叶えてやりたいと思うことは、悪いことではないだろう?」
 ジェイラの銃を握る手が、細かく震えていた。
「さあ。僕が君にあげられるものがそれしかないというのならば、僕は喜んでこの命を君に差しだそう」
 ジェイラが一回、引き金を引いた。
 耳障りな、甲高くかつ腹に響く音と共に銃が火を吹く。
 手元が狂って、銃弾は大きくそれ、後ろの棚にあった瓶を壊した。虹色の液体が、ぽたぽたと滴った。
 銃を撃った反動で痺れがはしる手を押さえていると、吸血鬼がその手にそっと触れた。
「……ありがとう、ジェイラ。君に会えて、本当によかった」
「本心から……そんなこと、思ってるの?」
 自分の声が震えているのが、ジェイラにはよく判った。
「死ぬのが、怖くはないの? 逃げたくはないの? 答えてよ……」
「僕はもう、十分すぎる時を生きたよ。もう、やりたいことはみんなやってしまった。欲しい物はみんな手に入れてしまった」
 そう言って、吸血鬼は部屋の中を見回した。ジェイラもその視線の先を追う。おもちゃ箱のような、部屋。
「だから今、僕がいちばんやりたいことは、君の願いを叶えてあげることなんだ。君が喜んでくれると思うだけで、怖くなんかなくなってくる」
 さあ、と吸血鬼が、ジェイラの指を引き金にかけさせた。
「僕の決心が鈍る前に。朝日が昇る前に。僕の大好きなジェイラ」
 吸血鬼のその赤い瞳から、思わずジェイラは顔をそむけていた。正視できなかった。
「天国で、ママに……よろしくね」
 そう呟いて。吸血鬼の答えを待たずにジェイラは。
 撃った。
 腕に強い衝撃がはしる。銃を撃った反動だ。
 どさ、と小さな音がした。
 恐る恐る視線を戻すとそこには、銀の銃弾で胸を撃ち抜かれ、じっと目を閉じたまま動かない、吸血鬼の姿があった。
 その身体が、見る見るうちに灰へと変わっていく。
 ジェイラの手から、銃が滑り落ちた。床に当たって、カランと音を立てる。
 ジェイラは床に座り込み、両手で顔を覆った。

 屋敷を出ると、ちょうど朝日が昇ろうとするところだった。
 そのままそこから立ち去ろうとしたジェイラは、門柱のかげでうずくまっている人影を見つけ、足を止めた。
 かぶった毛布を握りしめ、小さな寝息を立てている少年。
「……ディック」
 ジェイラが声をかけると、ディックは眠そうな表情を浮かべたまま、顔を上げた。
「ミス……ぶ、無事だったんですね……!」
 寝ぼけ声でそれだけ言うと、ディックはジェイラに飛びついて、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「い、一度……帰ろうと、思ったんですけど……し、心配になって、それで」
 それで怖いのを我慢してここまでやって来て、一晩中ジェイラの帰りを待っていたというわけだ。たいした根性ではないか。
「そ、それでミス、吸血鬼は……」
「お望み通り、退治してきたわよ」
 ジェイラは握っていた袋を示す。吸血鬼は殺せばいいというものではない。きちんと後始末をしなければ、復活することがあるのだ。ぱっと表情を輝かせたディックに、ジェイラは短く訊ねる。
「ディック。この辺りに川はない?」
「か……川、ですか? それなら、町の南に」
「そこまで連れて行って」
 不愛想な口調で、ジェイラは命令した。その前に一度町に寄りませんか、というディックの誘いを断って、ジェイラはまっすぐに川へと向かった。
 川は静かに流れていた。朝日を浴びて、川面がきらきらと輝く。
 ジェイラはその川に、袋の中身を流した。灰はすぐに、流れて見えなくなった。これでもう、吸血鬼が復活することはない。
「あ、あの……ミス。泣いて、いたんですか?」
 突然のディックの言葉に、ジェイラは言葉を詰まらせる。
「あ……す、すみません。変なこと、聞いちゃいましたよね」
「別に、いいけど……」
「……やっぱり、彼はあなたの身内だったんですか……?」
 そのディックの言葉に、ジェイラは身をこわばらせる。
「どうして、知ってるの……?」
「……名前です。あの家に、表札がかかっていたんです。彼の苗字がコプトーということを、町長は知っていました。その上で――ミス、同じ苗字を持つあなたに、その吸血鬼を退治してほしいと依頼したんです」
 信じられない、といった面持ちで、ジェイラはディックの顔を見ていた。
「ご……ごめんなさい、ごめんなさいっ! やっぱりまずかったんですよね、すみません!」
「あんたが謝っても仕方ないわよ」
 言いながら、ジェイラは澄んだ川の水で顔を洗う。泣いたあとを残しておきたくはなかった。
「今更謝られたって、もうどうしようもないじゃない……」


 数時間後、報酬を受け取ったジェイラは町の入り口にいた。
「ミス! あ、あの、本当にありがとうございましたっ」
 さっき言いそびれたその言葉を言いたくて、ディックは前を行くジェイラの背中に声をかけた。
「……ああ、うん」
「あ、あの……それと差し出がましいかもしれないんですけどっ、その……あなたはもっと、わ、笑った方がいいと思いますっ」
「……は?」
 振り返り、呆れた顔で問い返すジェイラに、ディックはもう一度、はっきりと言い直す。
「そ、そんな怖い顔をしないで、も、もっと笑ってください。そ、そしたら、きっと……年相応に、見られるのではないでしょうか」
 一瞬の後、ジェイラは思わず吹き出していた。声を上げて笑うジェイラの顔は、本当に楽しそうだった。
「あはは、そうね、その通りだわ。やってみる」
 それは本当に久しぶりの、心からの笑顔。
「色々ありがとう、ディック。……貴重な経験を、ありがとう」
 弱々しい笑顔を浮かべたディックは、やって来た時とはうってかわって上機嫌な顔で去っていくジェイラの後ろ姿を、手を振りながら見送っていた。
「ああ、今年は最高のクリスマスを迎えられそうだ!」
 近所に住む誰かが、嬉しそうに叫ぶのが聞こえた。


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