さくらが丘のうそつきデュラハン
-4 みっちゃんと馬鹿なおばけさん-


みっちゃんと馬鹿なおばけさん :4
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 出ておいで、と強く願う。有坂のカメラは彼女から何メートルも離れた土の上で、住之江がああして有坂を押さえつけている限り拾えやしない。安全だ。
「あかんなあ」
 加藤が現れても、住之江はわずかに眉を上げただけだった。灯花ちゃんは驚いたように目をみはり有坂はなぜか泣き出す。
「いつから気がついとったんや」
「昨日」
 そうかあ、と加藤は頭を掻く。友人は選ぶべきだぜ、加藤。とくに思わせぶりに喋るのが好きな、口の軽い小娘には気をつけるべきだ。
「で? 灯花に頼んでわいを消してもらうんか?」
「それは後でいいし、灯花ちゃんはお前を消したりしないだろ。なにせこいつは、お前の誕生を願ったみっちゃんだろうからな」
「はは、大正解や」
 有坂は土を涙で濡らし、住之江は彼女を気遣うように少しだけ力を緩めた。
「それにさあ、加藤」
 森は生命の息吹で騒がしい。葉ずれの音、かすかな虫の音、木々の間にひそむ獣の気配、そしてたくさんの妖怪。遠くから聞こえる町の喧噪。
「せっかく俺の願いを叶えてくれた恩人を、みすみす殺させたりしないよ」
 加藤は静かに剣を腰の鞘から引き抜く。
「思い出したんか」
「うん」
 俺は今とても幸せなので、ここでハッピーエンドを迎えられるといいな、と思う。
 静かに俺たちを見守ってくれる三人にも分かるように、俺はにこりと笑う。
 騒がしい静寂。
「どうか殺してくれ、って」
 悩ましい沈黙。
「願ったのは、俺だよな」
 息苦しい一瞬。
 ぴたり、と。
 加藤が握る刃が、俺の喉元に突きつけられる。
「強い願いを見るとなあ、思わず叶えたくなってしまうんよ」
 有坂が呼吸のやり方を忘れてしまったような顔で俺を見た。俺はとびきりの笑みで応える。
 死にたくないなんて、一度も言っていない。
 だいたい加藤はデュラハン、死を告げる妖精だ。俺を殺すのにこれ以上の適任もあるまい。夏夜ちゃんだってきっと俺の願いを感じたからこそ、加藤が何をしたのか気づいてしまったのだろう。
「そういうわけで、灯花ちゃん」
 舞台は絶好だ、観客もいる。盛大な幕引きを行うにはうってつけの環境だ。
「心配しなくていいよ。俺はすぐに死ぬから」
 一人でこっそり死んでやらないのは、せめてもの嫌がらせ。
 そこの二人の存在は予想外だったけれど、まあいい。
「なあ加藤。最後にもう一度、俺の願いを叶えてくれよ」
 そう言ったら、
「ふざけないでください!」
 なぜか有坂に殴られた。
 彼女を解放した住之江は知らん顔で傍観を決め込んでいる。有坂は小さな体をいっぱいに使って俺を殴り蹴る。土で汚れたセーラー服をはたくことすら忘れて、泣きながら俺の顔にゲンコツをくれた。涙が頬についた土を流して線を作る。
「俺はいつだって本気だよ」
「それでもダメです!」
 火事場の馬鹿力のような一撃が俺のみぞおちに入る。俺をふらつかせることすらできないけれど、その必死さだけは感じられないこともない。
「だからあたしは妖怪を祓わないといけないんですよ! こんなバカなこと考える人がいるから!」
 確かに俺はバカだが、それとこれとは関係ないだろう。
「お願いです」
 殴り疲れた有坂は俺の学生服を掴み、土と涙でぐしゃぐしゃになった顔を俺の胸に埋めた。
「もう、置いていかないで……っ」
 彼女の目には俺ではない誰か、たぶん彼女の父親かなにかが映っているのかもしれないし、置いていくもなにも俺は彼女を拾った記憶はない。
 まあ、たとえそうだとしても、また最初のきっかけは打算ずくだったとしても、こうしてしがみつかれると何らかの感情を覚えざるをえない。勘弁してくれ。どうして俺のような変態になつこうとするんだ。
「郁葉、離れてくれんか」
 加藤がそっと有坂に言い、有坂は「イヤだ」と首を振る。
「そこにおると、頭っから血ィ被ってまうで。今度こそやり損ねんようにするからな」
「それでもいい」
 住之江が有坂のカメラを拾った。それを有坂めがけて投げてよこす。
「どうするかは、自分で選びな」
 有坂がシャッターを切れば、きっと加藤は消える。彼女はそういう力を持った人間だ。
 さくらが丘は願いを叶える町だが、すべてが叶うわけではない。
 全員がずっと幸せになんか生きていけるわけがないのだ。
 灯花ちゃんが進み出て、有坂の右手を押さえた。振りほどいてシャッターを切ろうと思えばそうできるだろう。
「桐生くんのついでにあなたを殺せば、彼の存在を脅かすものはなくなるわね」
「そこにチカンの人がいますけど」
「彼には何もできないもの」
 一度やってしまうとクセになる、と加藤は言った。バイクを壊した加藤は俺の願望に耐えきれず、衝動のままに俺を斬った。もう一度くらい、きっと同じことができるだろう。
 有坂を殺すことはできないかもしれない。灯花ちゃん一人の願望のために、加藤は動けるだろうか。もし動けたとしたら、それはそれ。ただ灯花ちゃんの愛情の深さに驚くまでだ。
 誰も動こうとしないまま永遠のような時間が過ぎ、実際にはせいぜい十秒といったところのその沈黙の後に、郁葉は灯花ちゃんの手を振りほどいて――カメラを放り投げた。
「こんなもの、なくたって大丈夫です」
 灯花ちゃんが眉を上げた。
「たとえ先輩が、妖怪を動かせるほど強く死にたがっていたとしても構いません。あたしはそれ以上に、先輩に死んでほしくないと思ってます」
「あはは、いい感じにうぬぼれてるねえ。そういう子は大好きだよ」
「茶化さないでください」
「俺はいつだって本気だよ。それがうぬぼれでなくて何だって言うんだ」
「うぬぼれじゃないです」
 有坂はまっすぐ俺の目を見つめた。俺の言葉に動揺する様子すら見せない。灯花ちゃんと加藤がどんな顔をしているのか気になったが目を逸らしたら負けてしまうような気がしたので、俺はやっぱり正面から彼女の目を見つめ返す。
「そんなんじゃないです」
 俺の胸ぐらを掴み有坂は言った。ネクタイがあったらきっと首が絞まっていただろう。
「これは、あたしのワガママです」
 ああ。
 灯花ちゃんほど美しくはないけれど、これはこれで味のあるハスキーボイス。涙と一緒に鼻水と嗚咽が彼女の声を彩っている。どこかの誰かの代わりだろうが俺自身を見てくれているのだろうが、とにかく彼女は俺の目を見ている。
「先輩がいじめられっ子だろうが死にたがりだろうが意地っ張りだろうがそんなことはどうでもいいんです! あたしは先輩と一緒にいたいんです! 先輩に今ここで死なれるのだけは絶対にイヤなんですよ! 理由なんか分かりません!」
 それから有坂は振り返り、加藤めがけて叫ぶ。
「やれるもんならやってみろ!」
 冗談じゃない。こんな小娘のワガママひとつで俺のこの願望が邪魔されたりするものか。沈殿して屈折して醗酵してドロドロになったこの俺の素晴らしくも美しい自殺願望がこんな女の素直な願いひとつに負けたりするものか。せっかく整えられた美しい舞台の上で最高にゴージャスな幕引きをしようとする俺の演出を打ち砕いたりさせるものか。俺はこれでいいんだ。ここで美しくくたばるのが俺にふさわしいハッピーエンド。あんなにたくさんの友達が俺に死んでほしいと思っているのだからその方がきっと公共の福祉にだって貢献している。怖いお兄さんにリンチされても同情されるどころかそれをネタにいじめられてきた俺の業の深さを舐めてもらっては困る。俺が死んだあとはきっと灯花ちゃんと住之江がなんとか死体を処理してくれるのだろう。骨になるまで焼いてくれればきっと俺は美しい。
「どうせもう、郁葉とは分かりあえんのやからな」
 加藤が剣を振り上げた。住之江が助けを求めるように灯花ちゃんを見つめ、灯花ちゃんはその視線に気づいてはいるようだがヤツを助けたりはしない。
「行くで」
 俺は小さくうなずいた。
 加藤の剣が俺の肩から胴体を袈裟懸けに斬ろうとした瞬間、有坂が飛び上がって俺の首に手を回し、これじゃあ有坂も危ないのではないかと思った俺は咄嗟に刃を止めようと手を伸ばしたがもちろんタダで止まったりするはずもなく。
 気味の悪い感触の正体を確かめるように左手を見ると、刃は俺の左手首を半ば切断したところで止まっていた。


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