「スプリング*スプリング」   月香るな



 桜並木で有名な通り、花びらが舞い散る中を、藤原春月はづきはゴキゲンな様子で歩いていた。今日は入学式。今日から晴れて女子高生。女子高生、なんだかいい響きだとは思いませんかね?
 そんな春月の視界に、妙なものが入ってきたのはその時だった。それは上空から落ちてきて、勢いよく地面にぶつかって――跳ねる。二、三回アスファルトの上を跳ねてから、それは地面に転がった。春月は思わず、それに手を伸ばしてみる。
「……バネ?」
 その通り、その妙なものは何の変哲もない銀色のバネだった。コイル状になっていて、大きさは手でつかめるくらい。しかし、いったいなんでこんなものが落ちてきたのだろう? 不思議に思って上を見上げても、そこには満開の桜と、その隙間から見える青空があるばかり。周りに工事現場があるわけでもなし、いやそもそもどんな工事をすればこんな半端な大きさのバネを使うことになるのだか。
 春月はその両端を持って、思いっきり引っ張ってみた。びよーん、と、思いの外よく伸びる。
 ――その時だ。
「こら! 放せ無礼者っ、そんなに引っ張ったら痛いではないか!」
 どこからか声が聞こえてきた。春月はぐるりと辺りを見渡すと、「空耳か」と真顔でつぶやく。
「空耳じゃない、お前の目の前にいるのだぞ俺様はッ!」
「……しつこい空耳だこと」
 春月はあくまでこの状況を、「これは全部空耳だ、そうに決まってる」という無茶な論理で乗り切るつもりらしかった。
 まあ普通の人間なら、あまり認めたくはないだろう。
 手にしているバネが、状況の改善を一生懸命訴えている、などという非常識な状況を。――しかもなんか偉そうだし。
「放せと言っているだろうがっ!」
 叫び声と共に、春月の手の中でバネがびよびよと暴れる。ここに来てようやく、春月は現実を認める気になったらしい。
 びよーん。
 バネの望み通り、春月は左手を放してみた。バネが縮む。
「ええい、それでは逆さまだ! 頭に血が上るではないか!」
「バネに上下があるのか! っていうかそもそもバネに血なんか流れてないだろうがっ、……いやむしろその前にあんた何者!?」
 いや何者じゃなくて何バネか、と思いつつ春月は叫んだ。周りの視線が少しばかり痛いが、ここは気にしないことにしておく。
「ん、俺様か? よく聞いてくれたな。この俺様はシュリフィード魔法王国の第一王子、フィガ――おい、伸ばすな! 何すんだ!」
「いや、電池はどこかしらと思って」
「ねえよ!」
 バネ改め王子は、春月の手の中でじたばたと暴れる。
「ねえママ、あのお姉ちゃん何してるのー?」
「しっ、見ちゃいけません!」
 背後で聞こえる親子のほのぼのとした会話にもめげず、春月はバネを押さえつけつつ会話を続ける。確かに、端から見れば不審者だ。
「だいたい、そのシュリーマンだかシュリービジャヤだかって王国の王子が、どうして日本語しゃべるのよ! そもそもなんでバネなのよ! あんたの国はバネの王国なわけ、国民全員バネなわけ!?」
「そんな訳があるかっ! だいたいシュリービジャヤは七世紀の東南アジアではないか、シュリフィードだシュリフィード! 日本語喋るのは俺様の国が千葉県浦安市上空に浮かぶ魔法の国だからで、俺様がバネなのは悪い魔法使いにこんな姿に変えられたからだ!」
 とりあえず春月は王子がシュリーヴィジャヤ王国を知っていたことに、素直に感心した。……いや、よく考えれば、もといよく考えなくとも問題はそんな細かいところではない。
 春月はあえて「浦安市上空」にはツッコミを入れずに続ける。
「悪い魔法使い? まさか、お姫さまとキスしたら呪いが解けるとか言わないでしょうね? 私イヤだからね、バネとキスなんて」
「そんな安直な方法で解けるなら、もうとうの昔にやっている!」
 必死に主張している(ような気がするが、何せ顔がないのでよくわからない)バネ。そもそもどこから声が出ているのだか。
「何しろあの悪い魔法使いときたら、金のためなら何でもするんだから。目つきが悪くてケチで意地汚くて、そのくせ抜け目がなくて俺様の国に我が物顔で出入りして、法のすき間をぬって悪事ざんまいで、もうあんなのが生きてる事すら間違っ……て……」
 口角泡を飛ばして(?)喋っていた王子が、急に言葉につまる。その視線(目がないから何とも言えないが)の先にいたのは……
「いったい誰が、目つきが悪くてケチで(以下略)だって?」
 そこにいたのは、春月と同じくらいの年頃の、ひとりの少年。ひとりの少年だった。顔は、まあそれなりに春月の好み。こげ茶色の髪に同じ色のマフラーをして、派手な色のジャケットを着たその様子は、その辺りでスケボーでもしていたらよく似合いそうな感じ。
 いやしかし彼が乗っているのはスケボーではなく、いわゆる「空飛ぶじゅうたん」らしい。地面から少しばかり浮き上がっている。
 しかし春月にとって何よりショックだったのは、突然現れた「空飛ぶじゅうたん」の存在……ではなく、そのじゅうたんが某子供に大人気のハムスター柄だったこと。はっきり言って全然似合わない。
「で……出たな、悪の魔法使い!」
「え、それじゃあこの人が?」
「そう、俺様をバネに変えた張本人である大悪人、その名も――」
 バネの先が少しほどけて、その少年を指(?)さす。
「山田太郎!」
 悪の魔法使い山田太郎は、王子の声を受けてにやりと笑った。

         *

「いかにも、オレが山田太郎だ」
「いやそんな威張って自己紹介するほどの名前じゃない」
 魔法使いなのに名前はかなり一般人テイストな山田太郎。しかしそれでも人間をバネに変えるくらいの力はあるわけで。笑うのは危険だ。
「おい女、あの魔法使いをやっつけて、俺様を元に戻せ!」
「うるさいわね、バネのくせに偉そうな口たたかないでよ!」
 びよーん。
 春月が両端を引っ張ると、王子は黙り込んだ。
「あんたも、この王子にいったい何の恨みがあって、よりによってバネなんかに変えるわけ? 定番はカエルじゃないの!?」
「王子を醜い姿に変えるのは、悪の魔法使いの重要な仕事だ。しかしただカエルにするんじゃつまらんだろうが。……もっとも、オレがわざわざそんな仕事をしたのは、ひとえに金のためだけど」
 ひとつため息をつくと、山田太郎は喋り出した。
「そもそもオレにこの王子に魔法をかけてくれと頼んだのは、王子の母親である王妃、うめ様なんだ」
「う、うめ様? だって王子の名前はなんか横文字だったでしょ? なんで王妃がそんな日本的な名前に」
「そもそもこの王子はとんだ厄介者で、この間もついうっかりミサイルを発射して国をひとつ戦争に追い込んだりしたのだが」
「って無視かい!」
 叫んでしまってから、春月は手の中に握っていたバネ、もとい王子が小さく震えていることに気付いた。思わず眉をひそめる。
「それでもその程度なら日常茶飯事。しかし王妃様がオレなんかにわざわざ依頼に来たのには訳がある。あれは数日前……王子はおそれ多くも、玉座でぐーすか居眠りをしていた国王陛下の額に『肉』と落書きあそばせやがったのだ、しかも油性ペンで! これにはさすがに温厚なうめ様もお怒りになり、『うちが許す、一発しばいたれ!』とオレにご命令なされた。それが今から三日前」
「いやしかもどうして王妃様が関西弁」
 春月がつぶやいた、その時だ。
「う……嘘だ! ママが、ママがまさかそんなこと!」
 王子が叫んだ。しかももしかしてマザコン気味ですか王子。
「ママがお前のような、悪の魔法使いなんかとつき合うはずが――」
「王子。王子も将来は我が国の国王になる可能性が残念ながら多分にあるんですからぜひ覚えといてください。世の中は善だけでは成り立たない。国が健全に働くためには正義の勇者だけでなく、それにやられるための悪の魔法使いも必要なんだということを」
「黙れ……」
「そうそう、もしも王子に反省の色が見えないようなら、最終手段として王子の姿をムラサキイボウミクラゲノマクラモドキに変えてもいいと王妃様は言っていたような」
「……それはイヤだ」
 ムラサキイボウミクラゲノマクラモドキ。名前を聞いただけで十分イヤだ。そもそもそんな生き物存在するのか。いや浦安市上空に魔法国家がある時点でかなり間違っているので今更どうでもいいが。
「オレは王子に恨みがあるわけじゃない、単に金が必要だったから王妃様の頼みを引き受けただけです。だからもし王子が反省しているようなら、ムラサキイボ(以下略)だけは勘弁してさし上げます」
「……ムラサキイボ(以下略)は確かにイヤだ、けどそもそも、どうして俺様はバネになってるんだ? どうして生き物ですらないんだ? 納得できる説明をよこせ」
 王子がぶつぶつとつぶやいている。山田答えていわく、
「特に理由はありません。強いて挙げるとすれば、春だから、かな」
「いや春って意味わかんないわよ」
「春だからだ。スプリングだからだ」
 そんな理由でバネにされた王子に、春月は少しだけ同情した。
「さて、それはそうとそこの少女。君は少し国の内情を知りすぎてしまった。こうなってはこのまま帰すわけにはいかない」
「いや知りすぎたってあんた達が勝手に喋ったんじゃ……」
「言い訳無用!」
 びし、と春月を指さして叫ぶ山田。春月は思わず息を呑む。
「オレは王子を連れ戻しに来ただけだが、ついでに君にも来てもらうことになりそうだ。おとなしく連行されてくれ!」
「だからどうして私が……」
「ええい抵抗は見苦しいぞ! これ以上文句があるようならムラサキイボ(以下略)に変えてでも従ってもらう! 何せ問題を起こしたら依頼料がパーだ、そうしたら今月の携帯電話の料金が払えない」
「それは大変ね……って、えぇ!? あんたまさか、携帯電話の料金払うために悪の魔法使いやってたとか言うわけ?」
「悪いか、最近どこも不況で小遣い減らされちまったんだよ!」
 山田が叫んだその時、どこからかアラーム音が聞こえた。
 慌てて音の元凶たる腕時計を見た山田は、さっと青ざめる。
「ま、まずい、このままじゃ遅刻だ! 仕方ない、そこの少女、またあとで会おう! ああ、王子は返せよ!」
 春月の手からバネ、もとい王子をもぎ取ると、山田はハムスター柄の魔法のじゅうたんを翻し、どこかへ飛び去っていった。
「また、あとで……?」
 その言葉が少し引っかかったが、とりあえず春月は山田太郎を見送り……直後慌てて時計を見て、さっきの山田同様顔色を変えた。
「ヤバっ、このままじゃ入学式から遅刻だ……!」

         *

 なんとか入学式に滑り込んだ春月は、疲れ切ったままぼんやりと辺りを見渡す。日が弱々しく差し込む体育館。黒い生徒のかたまり。整然と並ぶパイプ椅子、やけに派手な壇上の花。それから……
「げっ!?」
 周りに座る生徒たちを眺めていた春月は、思わず声をあげた。
 二つ隣の椅子、これから同じクラスになる生徒が座るはずの席。
そこに座って、詰め襟の制服に身をつつみ、春月に向かって場違いなVサインを送ってくる茶髪の生徒は……
 他ならぬ、あの魔法使い山田太郎だった。

 ……高校生活は、まだ始まったばかりだった。

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