スプリング*スプリング10
「前略、はじめまして兄上」   月香るな



 シュリフィード王宮の奥深く、人通りの少ない一室の扉を、少女の甲高い叫び声が震わせる。
「ここから出しなさい、カレン! このあたしを倉庫にしまうなんて、いい度胸じゃない! あたしが誰だか分かってるの? 生まれはフランスのスーレ公国、あの人形職人リュカの手による魔法人形よ! こんな所でホコリを被っていていいような、そこらの下賤な置物とは違うんだからね!」
 声の主は一体のフランス人形。磁器製の顔をゆがめ、金髪を振り乱して叫ぶその姿にさえも、高級品としてのプライドがわずかに垣間見える。とはいえ、しょせんは人形。雑多に物を入れられた箱の中から大声で叫ぶほかに、彼女にできることはない。
 そんな彼女の前で、部屋の扉がゆっくりと開いた。入ってきたのは一人の男だ。男は叫び続けるフランス人形の存在を認めると、扉を音を立てないようにそっと閉め、人形の元へと歩み寄る。
「誰かと思えば、人形か。廊下まで叫び声が響いていたぞ」
 男の声に、フランス人形は必死に手を伸ばし、箱から身を乗り出す。視界に入った男の姿を見て、彼女は目をみはった。
 金髪がもてはやされる王宮内では、どちらかと言えば珍しい茶髪。不機嫌そうな表情を浮かべる男の、その右目は金色をしていた。左目は髪の色に近い焦げ茶色。見ただけで竜との混血と知れる。
 フランス人形はじっと男の顔を見つめた。溢れんばかりの魔力は、どこか懐かしい波長を示している。人形独特の感性で彼の存在をとらえたフランス人形は、その男に以前会ったことがあることを思い出し、つい無遠慮に声を上げた。
「ヨシュアちゃん!」
 男はぎょっとしたような顔でフランス人形を見つめた。
「あたしよ、キャサリンよ! ああ、あなたは覚えていないかもしれないけれど、あなたが赤ちゃんだった時のこと、今でもはっきりと覚えているわ! ねえ、あれからどうしていたの? あなたがあの女のせいで王宮を追い出された時、あたし本当に悲しくて、わんわん泣いたのよ。また会えるなんて、本当に信じられない!」
 男は唇の前に指を立て、「静かに」と言った。フランス人形――キャサリンは慌てて口をつぐむ。
「このことは二人だけの秘密にしておいてくれ、キャサリン」
 男の言葉に、キャサリンは幸せそうな笑顔でうなずいた。

           *

 放課後の教室は、どことなく気だるい熱気に満ちていた。高校三年の夏ともなれば、ぽつぽつと部活やバイトをやめる人間が増えてくる。掃除をする手にも、早く終わらせよう、という思いが現れる。
 山田の机の上で、携帯電話が勢いよく机を震わせた。またメールか、と春月がそちらを見ると、彼はやけに真面目な表情で電話をしている。通話を終えたあとも、いやに真剣な表情で液晶画面を見つめていた。ややあって、彼はカバンを掴み、廊下へと飛び出していく。春月はホウキを輝美に押しつけると、反射的にその後を追った。
 その山田が、横から勢いよく走ってきた男子生徒とぶつかる。
 黒髪のその生徒の、ワイシャツの胸にプリントされた校章は二年生の色だ。彼はぶつかった山田の顔を見て、うん、と小さく頷いた。
「やあ、魔法使い」
 そこで初めて春月は彼の正体に気付く。山田も同じだったようで、彼の腕を引いてそばの階段を駆け上がった。普段は閉めきられている扉の鍵を魔法で壊し、屋上へ出る。春月も後を追った。
「何やってるんですか、王子!」
「お前を探しに来たんだ。いつもの格好では目立つだろうが」
 そう言って王子は、パン、と両手を打ち合わせる。その音を合図に、髪が金色に戻り、ワイシャツも派手な柄シャツへと変化した。
「紛らわしいことをしないでください! お気遣いには感謝しますが、今はそれどころじゃないでしょう!」
「俺様はいつも本気だ。……ということは、もう聞いたのか」
「ええ。妹から今し方電話がありまして」
 話が見えず、春月は数歩離れた場所から、おずおずと話しかける。
「何があったの?」
 王子は春月を一瞥し、すぐに視線を地面に落とすと、複雑な面持ちで答えた。
「俺様の生き別れの兄が現れた」
「……お兄さん?」
「そうだ。あっちは前妻の息子だから、腹違いではあるがな。あいつの母親が離婚した時、あいつは王位継承権を放棄してるはずだから、何をしに来たのかまったく分からないんだが……というわけで魔法使い、とりあえず兄上から俺様を守れ」
「守る……って、お兄様から?」
 見ればわかる、と答えた王子の頭上から、ひらひらと何かが降ってきた。春月がつまみ上げてみると、それは残らず薔薇の花びらだ。
「何これ……」
 つぶやいた春月の目の前に、重力を無視したかのような優雅な動きで、人影がひとつ降り立つ。片手に薔薇の花びらが入った籠を抱え、きらびやかな服を着た青年だ。年は春月とそう変わらないだろう。茶色のやや長い髪に、彫りの深い顔。しかしひときわ目を引くのは、左右で色の違う彼の瞳だった。左の瞳は焦げ茶色、右の瞳はずっと色の薄い、金に近い色をしている。春月は赤い薔薇を撒く男を見ながら、演出はセルフサービスか、と妙な所に感心していた。
「はっはっは! やあ初めまして、魔法使い。私がフィガロの兄だ」
 そして彼は山田に握手を求める。山田はしばらくあっけに取られていたが、やがて気を取り直し、右手を差し出した。
「いいんですか? オレなんかの手を取れば、穢れが移りますよ」
「なに、他人をその職業の貴賤で差別するのは趣味ではないのでね」
「そうですか」
 芸能人もかくやという爽やかな笑顔で、王子の兄と名乗った男は山田の手をしっかりと握る。山田はその男の顔をじっと見つめていたが、やがて首をかしげながら口を開いた。
「ところであなた、以前どこかでお会いしたことはありませんか」
「記憶にないが、どこかですれ違ったことでもあるのだろう。この私の風格は、遭遇した者に知らず知らずのうちに強い印象を与えているのだろうからな! まったく、罪なことだ」
 そう言って、男はそっと髪をかき上げる。春月はその仕草から、一昔前の少女漫画に出てくるアイドル歌手のような印象を受けた。
「ところで弟よ、なぜ逃げるのだ。十七年ぶりの再会を共に喜び合おうではないか! さあ、兄さんの胸に飛び込んでおいで!」
「嫌だ! そんな演出過多でベタベタな再会なんて嫌だーっ!」
 王子が涙目で叫ぶ。男は空いた方の腕を大きく広げた。山田が無表情のまま、茶番だな、とつぶやく。
「ところで王子。失礼なことを伺いますが、何をもってこの方を本物のヨシュア様だと断定なされたのですか?」
「その右目と魔力型だ。目の色はともかく、魔力型はごまかしがきかないしな。それから、パパが――父上が間違いないと保証した」
 山田は少し眉を上げ、ふうん、と気のなさそうな返事をした。
「なんだ、私を疑うのか。私の、隠そうとしてもあふれ出てしまうこの気品が分からないとは、残念なことだ」
「本当に気品のある人間は、そんな……いや、もう、どうでもいいです。十七年間王宮を離れていた方に、王族としての風格を求めるような野暮な真似はしません。それはそうと、一体何をしにいらしたんですか? 王位が目当てなら、今さら無駄だと思いますが」
「王位などに興味はないさ。私はただ、可愛い弟の成長した姿が見たかっただけだ。だから弟よ、そう照れずにこっちへおいで」
 王子が必死に言い返す。
「今は公務中じゃないんだぞ。そんな過剰演出はもう飽き飽きだ!」
 ヨシュア、という名前らしいその男は、抱えていた薔薇の籠をぽいと投げ捨て、「これならいいかな?」と言ってみせる。
「ねえ山田、魔力型って何? どういうもの?」
「血液型みたいなもんだよ。魔力……身体を巡る魔法の源の、種類」
「あの、左右で目の色が違うのは? 何か魔法と関係あるの?」
「竜族と人間の混血には、たまにいるよ。姫の目があんな感じの金色だったのは覚えてる? 混血児は人間と竜の形質が複雑に絡み合って、ああいう不規則な発現をすることがあるんだ」
 へえ、と頷きながら、春月は以前王子が言っていたことを思い出す。竜の血を引くシュリフィード人は、ほとんどが王家に連なる者だと言っていた。ならば魔力型とやらと併せて、あの瞳は十分に身分証明の役目を果たすのだろう。
 王子は複雑な表情で、ヨシュアの方へと手を伸ばした。ヨシュアはその手を両手で掴み、力強く握手する。辟易した様子の王子に構わず、そのまま王子を抱きすくめた。
「何かの式典を見てるみたいだな。王子が嫌がるのも納得だ。あれじゃ、王子が飽き飽きしてるらしい、いつもの公務と同じだよ」
「王子様って、そんなにしょっちゅう式典やってるものなの?」
「まあ、それが王子の仕事だしな。オレなら頼まれても絶対に嫌だ。王子って、悪の魔法使いよりも大変な仕事だと思うぜ、ある意味」
「まあ、胃潰瘍になるくらいだから大変なんだろうけど……」
 春月の目の前で、王子がヨシュアを突き飛ばす。しかし王子よりもかなり体格のいいヨシュアは、それに動じることもない。反動で王子は数歩後ずさり、ため息をついて、ふと山田の方へ目をやった。
「おや、どうした魔法使い。やけに大人しいな」
「いや、同情が先に立ってしまって、バカにする気が起きなくて」
「そうか。俺様はてっきり、女と別れた時の傷をまだ引きずっているのかと思ったぞ。王宮にいる時はともかく、この学校にいる時のお前は、いつもはやけに生き生きしているからな」
「誰が誰と別れたっていうんですか」
「魔法使いが、藤原春月と」
 春月は反射的に飛び出し、王子に殴りかかる。しかし拳が王子に届く寸前、間に割って入ったヨシュアが、春月を抱き留めた。
「お待ちなさい、お嬢さん。暴力は感心しませんね」
「ちょっと、いきなり何すんのよ、放しなさい!」
 ヨシュアに抱きすくめられ、春月はもがく。その時、彼女の鼻先を薔薇の花びらがかすめた。あっけに取られる春月の前で、薔薇の花びらが舞い上がり、彼女とヨシュアを中心に渦を巻く。
「別れるどころか付き合ってもいないわよ! って何コレ!」
「レディはもっと上品に振る舞わなければいけませんよ」
 花びらが、春月に吸い寄せられるように飛んできた。思わず腕で顔を覆った春月の肌に、やわらかな花びらが触れる感触がある。しばらく経ってからおずおずと目を開けると、そこには、なぜか真っ赤な、フリルの多いドレスをまとった自分の姿があった。
「ち、ちょっと待って、何なの!?」
 慌てて後ずさるが、その時に長いスカートの裾を踏んでしまい、春月は思いきり尻餅をついた。腰や胸がやけに息苦しい。
 山田が困ったように口を挟んできた。
「あー……藤原。たぶん何時間かしたら元のセーラー服に戻るから、それまで我慢すればいいと思う」
「冗談じゃないわよ! 山田、あんたコレ戻せないの!?」
 ふと頭に手をやれば、ヘアピンも何かに変化しているようだった。外してみると、薔薇をデザインした銀色のティアラになっている。
「可愛いけど、こんな所で着たくないわよ!」
 言いながら立ち上がろうとするが、ふくらんだスカートは意外に重い。腰に触れて、きつめのコルセットが使われていることを確認し、春月は悪態をつきながら、山田の手を借りて立ち上がる。上履きも赤いピンヒールになっていて、慣れない感覚にふらついた。
「あんた、わざと動きにくいようなもの着せたでしょ……」
「どう思って下さっても結構。しかしその方が貴女にはお似合いだ」
 明らかに胸が上げ底になっていることに傷つきながらも、春月はヨシュアを睨みつける。
「あ……兄上」
 満足そうに笑うヨシュアの腕を、王子が引いた。
「いい仕事してますね!」
「やはりお前もそう思うか、弟よ!」
 山田が無言で王子に近づき、正面を向かせると、思い切り額を指で弾いた。手加減なしの一撃に、王子は額を押さえてうめく。
「今時デコピンはないだろう。お前はいったい何歳だ!」
「十八ですけど、それとこれとは別問題です。あなたまで調子に乗ってどうするんですか」
「好きな女について、他人に品定めされたくない、と。正直だな」
「黙ってください。いい加減にしないとそろそろ怒りますよ」
 あくまで淡々と、山田は言いつのる。
「おお、怖い怖い。弟よ、このような下賤の者にかかずらう必要などないのだぞ。これからは私がお前を守ろう」
「いや、それはちょっと遠慮します、兄上」
 肩に回された手をそっと外し、王子はヨシュアに小さく頭を下げた。ヨシュアは残念そうな面持ちで、ふむ、とつぶやく。
「何が不満なのだ、弟よ」
「基本的にほとんど全てが……」
 山田が、ちらりと視線をヨシュアの方へと向けた。電信柱でも見るような淡々とした反応のあとで、すぐに目を逸らす。
「ちょっと、お兄さん。なんで私がこんな目にあって、山田が無事なのかわからないんだけど」
 春月が口を挟むと、ヨシュアは彼女の手を取って微笑む。
「レディ・ファーストという言葉を知っていますか?」
「確かに知ってるけど、それは使い方が間違ってると思うんだ」
 春月が彼の手を振り払う。ついでに、ピンヒールのかかとでヨシュアの足を踏みつけた。ヨシュアが小さく苦痛の声を上げる。
「いいから、さっさと元に戻してくれない?」
「これほど美しいのに、勿体ない。私は美しいものをより引き立たせるために魔法を使うのが好きなのですよ、お嬢さん」
 オレは美しくないってか、と山田がぼそりとつぶやいた。
「美しくはないでしょう、魔法使い。見た目は確かに悪くはないかもしれないが、いかんせん整形箇所が多すぎる」
「なんだ、バレてるんですか。そりゃあそうですよね、魔力型がこれだけ近ければ、お互いの魔法の底も見えるってもんだ」
 山田の返事を聞いて、春月は目をしばたかせる。
「整形?」
「ああ、魔法であちこちごまかしてるよ。顔とか腕とか、幻覚剥いだら傷痕が目立つからね。どうせ隠すために幻覚魔法を使うなら、少しでも格好良くしたいだろ」
「傷、って」
「悪の魔法使いには生傷が絶えないの。正義感気取りのバカとか、往生際の悪い小悪党とか、職務熱心な警官が襲ってくるからね」
 何でもないことのように、山田は答えた。
「ところでヨシュア様、一つお伺いしたいことがあるのですが」
 山田がゆっくりと歩を進め、ヨシュアと王子の間に立つ。
「あなたのお母様であるハル様は、今どこに?」
「答える必要はないだろう。なぜそんなことを聞く?」
「率直に申し上げてもよろしいでしょうか」
 いつになく生真面目な表情で、山田は口を開く。
「失礼を承知で申し上げます。オレは――私めは、ヨシュア様が王子に害をなすために現れたのではないかと邪推しております。恐れながら十七年前、今の王妃様は前妃であるハル様に、王宮を出ていくよう数々の嫌がらせを働いたとか。未だに、ハル様はうめ様の策略にはめられたのだと申す者もございます。そのハル様の息子たるあなたが王宮に現れたのは、王子を追い落とし王座を奪い返すためではないか、と愚考いたしました」
 言葉は丁寧を通り越してくどいが、頭を下げることもなく、姿勢を正すことすらせずに山田は言葉を紡ぐ。
 王子が目を見開き、ヨシュアは考え込むような仕草を見せた。
「なるほど。はなはだ無礼な話ではあるが、一理あるな」
「……魔法使い」
 つぶやいた王子の声には、どこか咎めるような響きがある。
「お叱りならば、後で甘んじてお受けいたします。けれど私は、あなたを王子のそばに置くことには反対です」
「言いたいことはよく分かった。しかし、私には断じてそのような他意はない。確かに母上は失意のうちに王宮を去ったが、今は新たな地で、新たな生活を始めているのだからな」
「口では何とでも言えますからね」
 山田のその言葉には嫌悪感も怒りも不安もなく、ただ真実を述べる必要があるから述べたまで、といった調子だ。
「王子。あなただって、少しは疑いの心を持っていたんじゃないですか? ただヨシュア様がしつこくて派手すぎてむしろダサいというかナウいというかセンスが悪いだけだというのなら、わざわざオレのところに逃げてくる必要はありませんからね」
「……俺様にその答えを言わせる気か」
「無理強いはいたしません」
 王子に答える山田の声には、やはり抑揚がない。
「ちょっと待ってくれ、魔法使い。なんだか今とても酷い言葉が聞こえたような気がするんだが」
「私もそう思う」
 突っ込むヨシュアと春月にも、「そうですね」と静かに答える山田。春月は何とかスカートの裾を持ち上げて、裾を踏まないよう注意しながら、山田の方へと数歩近寄る。
「あっさり肯定しないでよ」
「別にいいだろ。オレにだって好き嫌いがあるんだ。正直な話、今のだって八割は真面目に王子の身を案じて言ったことだけど、二割はただの私怨というかこんなノリの王族がこれ以上増えたら疲れそうだなあというかそんな感じの思いがつい言葉に」
「仕事に私情を持ち込みすぎでしょ」
 山田が苦笑した。ずっと無表情だったその顔に表情が浮かぶのを見て、春月はなぜか安堵感を覚える。
「そうかもね」
 王子が山田の背後で、肩の力を抜いて息をついた。山田の言説を聞いて、彼なりに緊張していたらしい。ヨシュアの方は、春月と山田の方へ目を向け、「美しい」とつぶやいた。
「やはり青春とは素晴らしいものですね、お嬢さん! 男女が出会えば、そこには美しい恋が生まれるものなのですよ!」
「あんた、男女の友情は成り立ち得ないって考えてるタイプ?」
 一人で勝手に感動しているヨシュアに、春月があきれたように声をかけた。
「そんなことはありませんが、あなた方はあまりに露骨なもので」
「うん。否定されればされるほど疑いたくなるよな」
 王子も腕組みをして、納得したようにうなずいている。
 二人の視線をうけて、春月と山田は複雑な表情を浮かべた。
「だいたい、考えてもみろ、藤原春月。本当に魔法使いがお前のことを何とも思っていないのなら、そもそもお前達が恋仲だという噂を否定するメリットがないとは思わないか?」
 勢い込んで王子が喋る。話題を逸らそうとしているのかな、と春月は一瞬思ったが、あんがい本気で楽しんでいるのかもしれない、と思い直した。彼が浮かべる笑顔は、弟とその友人達がじゃれ合っている時の顔に似ている。
「一応、お前は我が国の王妃たるママ――母上に、対等な立場で意見ができる人間ではある。お前と繋がりがあることを強調しておくのは、魔法使いにとって悪いことではないはずだ。そもそも、魔法使いとお前との噂を広めたのは魔法使い自身だと、お前の弟が言っていたような気がするんだがな。それを必死に否定するということは、噂を立てられたくない理由があるということだ。つまり、噂は本当で、魔法使いはお前に惚れたのだろう、と考えた」
 屋上を一陣の風が吹き抜けていった。汗が冷えて、やけに涼しく感じられる。春月は山田の方を見ないようにしながら、ひとつ息をつき、声を上げた。
「馬鹿馬鹿しい。根拠はそれだけ? 王子様、数学の問題を解いてるわけじゃないんだから、そんなに筋道立てて人間の行動が説明できるわけがないと思わない?」
「人の話は最後まで聞け、藤原春月。お前に自覚はないだろうが、魔法使いと仲がいいことがばれれば、お前の身に危険が及ぶんだぞ。そこらの井戸端会議とは事情が違うんだ」
 春月は何か言い返そうと口を開き、言葉を思いつくことができずに王子を睨む。
 そこでふと、以前「シュリフィードに連れていって」と頼んだ時のことを思い出す。あの時、山田は確かに春月の身を案じていた。
「……でも、好きじゃなくたって、友達だったら危険な目に遭わせたくないって思って当然でしょ。私と山田は友達よ」
「それが一番理解できないんだ。魔法使いに、友達を作るなどというまっとうな人付き合いが出来るとは思えないんだよ。女友達とそんな絶妙な距離を取れるほど、マトモな人間には見えなくて」
「なんか今けっこう傷ついたんですけど」
 山田がつぶやき、王子は笑う。ヨシュアがしたり顔で口を挟んだ。
「いいではないか、魔法使い。恋人同士だからといって、どこに不都合があるというのだ。その出自や職業では本国に彼女を連れて行くのは厳しいかもしれないが、日本にいる分には――」
「ヨシュア様。王子ならともかく、あなたに私の出自のことをとやかく言われる筋合いはありません」
 芝居がかった口調で言うヨシュアに、山田はぴしゃりと答えた。
「もしあなたが本当のヨシュア様だと言うなら、侍従長の手で一度は『地下』に売られた身のはず。私も僭越ながら、どこからか竜の血をわずかに引いておりますゆえ、『地下』の竜の子が鱗目当てに珍重されることは存じているつもりです。きれい事ばかりで『地下』の者共の手から逃れることは、難しいかと思いますがね」
「想像だけでものを言うのはよくないな、魔法使い」
 そう言ってヨシュアは微笑む。ふと春月は妙なことが気になって、山田に尋ねた。
「ねえ、竜の鱗って、やっぱり珍しいものなの?」
「漢方薬の材料になるからね。竜は矜持が高いから、わざわざ痛い思いをしてまで鱗を売るような真似はしたがらないんで、『地下』――ええと、無法地帯、スラムとでも言えばいいのかな――にたまに紛れてる、竜の血を引く人間は、貴重な鱗の提供者になるんだ」
 何の薬になるの、と春月が尋ねた時、ヨシュアが「喋るな!」と唐突に叫んだ。王子がげんなりとした表情を浮かべる。
「藤原。……痔だ」
「は?」
「だから、痔! 竜の鱗は痔の特効薬なんだ。花粉症にも効くらしいって噂もある」
「何なのよ! 深刻そうな顔で話しといて、たかが痔の薬!?」
「たかがって言うなよ! 痔をナメたら大変なんだぞ!」
 春月と山田の言い争いをヨシュアがなだめる。その隙に、王子が屋上から飛び下りて逃げ出すのを、春月は視界の隅にとらえた。
 しばらくしてようやくヨシュアはそのことに気付いたのか、「また来る」と言い残して、薔薇の籠を拾いどこかへ消えた。
「もう二度と来るな!」
 山田は叫び、春月にその場で待つように言うと、階段を駆け下りていく。戻ってきた彼の手には、春月のカバンがあった。
「ほらよ。……変なことに巻き込んで、悪かったな」
「気にしなくていいよ。勝手についてきた私が悪いんだし」
 ドレスがセーラー服に戻るまでの一時間、春月と山田は屋上で、入道雲の湧く青い空を見ながら、言葉少なに時を過ごした。


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