スプリング*スプリング7
「私を聖地に連れてって」   月香るな



 まだ十月の下旬だというのに、冷たい風が吹いて、春月は上着の前をかき合わせた。隣で山田も同じような仕草を見せている。
「おお、でっかいどーっ!」
「春月、それはもう死語なんじゃないかと思うんだけど」
 北海道への修学旅行の一日目。空港に降り立った生徒たちは、ぞろぞろとバス乗り場へと向かう。山田がぼそぼそと独り言をつぶやいているのに気づき、春月は彼の顔をのぞきこむように横に並んだ。
「何であんなに大きな鉄の塊が、魔法なしで飛ぶんだろう……」
「そういえば随分はしゃいでたけど、飛行機は初めて?」
「たぶん。ふつう、北海道でもアメリカでも、夜行バスで行くし」
 夜行バスが洋上を飛んでいる姿を想像して、それも悪くないかもしれない、と春月は思う。
 この修学旅行では、四泊五日の日程のうちの丸三日近くが、四、五人のグループでの自由行動に費やされている。春月は、同じ軽音楽部の友人である山田と、樫原輝美、藤城育人とグループを組んでいる。その輝美が、小声で春月にささやいてきた。
「ねえ春月、ちょっと四日目のことでお願いがあるの」
 四日目といえば、小樽で丸一日の自由行動、という、生徒の自主性をやたらと尊重してくれているらしい予定が組まれた日だ。
「その……春月さえよければ、わたし、育人と二人で過ごしたいなあ、なんて、思ったりしてるんだけど……いいかな?」
「別にいいよ。どうせ先生もチェックなんかしてないだろうし」
 ふと横を見れば、輝美の彼氏であるところの藤城の方も、山田に同様の頼み事をしているようだった。
「勝手に行けば? 中学生じゃあるまいし、集団行動がどうのとか、不純異性交遊がどうのとか言う奴もいないだろ」
 山田も春月と同じく、無責任な返事をしている。
「ち……ちょっと待って、春月。純粋に疑問なんだけどね」
 輝美が、やけに真剣な顔で声をひそめ、聞いてくる。
「春月は、山田君と二人っきりで、丸一日も過ごせるの?」
「…………」
 小声で話していたのが聞こえてしまったらしく、山田がこちらを向いて、うっかり腐った牛乳を飲んでしまった時のような顔をした。
「いや、別に二人きりじゃなくても、どこか別の班に混ざれば」
「それはどうかな。多分、どこも入れてくれないと思うぜ」
 藤城がしたり顔で口を挟む。
「やっぱり、お二人さんのラブラブデートを邪魔するような真似はできないって、みんな断るだろうからなー」
「……忘れてた。舞のやつ、なんであんな余計なことを、よりによって紗恵子に言うかなあ……意外と口が軽いんだよ、紗恵子……」
 山田が春月の母親についた「春月と付き合っている」という嘘が、いつの間にか尾ひれつきで学年中に広まっていることを、春月が知ったのは最近のことだ。慌てて、魔法で何とかするよう山田に要求したのだが、「記憶をいじるには数が多すぎるし、日が経ちすぎている」と一蹴された。噂の大元である春月の幼なじみ、辻堂舞と話し合ってもみたのだが、「そんなに照れなくてもいいじゃない」の一点張りで埒があかない。人の口に戸は立てられぬ、という言葉を、春月は最近、身をもって思い知らされている。
 かといって、そんな噂の払拭のために、輝美と藤城の邪魔をするのも気が引ける。逡巡した末に、春月は口を開いた。
「別に、私が友達と二人で過ごすのに、そこまで気を遣うこともないでしょ。噂なんかただの噂なんだから、言わせとけばいいって。変な心配しなくていいから、楽しんで来なさいよ」
 一応、自分のせいだという罪悪感はあるのか、山田は特に何も言わない。輝美は申し訳なさそうに、「ありがとう」と頭を下げた。

           *

 一行は、三日間かけて函館の五稜郭から登別のクマ牧場、札幌の時計台と北上し、ついに問題の四日目の朝を迎えた。小樽運河の前で、輝美と藤城は別れてどこかへ行ってしまう。
「どうする? 海鮮丼でも食べる?」
「うーん……折角ここまで来たからなあ。お前がイヤじゃなければ、ちょっと聖地に寄って行きたいんだけど」
「……聖地?」
 けげんな顔で聞き返した春月に、山田はうなずいてみせる。
「北海道には、シュリフィードの国教の聖地があるんだ。送迎バスが出てるところまで、電車で三十分くらいだからさ、一緒に行かない? コレも心配だし」
 そう言って、山田がカバンの中から取りだしたのは、水と、まりもらしきものが入ったビニール袋だった。
「まりも?」
「今は寝てるけど、王子」
「……修学旅行に王子なんか持ってきたんだ。でも、色々うるさいんじゃないの? よくバレなかったわね」
「このビニール袋に防音の魔法がかかってるんだ。何か言ってるかもしれないけど、聞こえないなあ」
 さらりとえげつない発言をしてから、山田は王子をしまいこむ。
「五日間も放っておくわけにいかないけど、修学旅行には行きたかったしね。オレ、修学旅行って初めてなんだ」
「小学校とか中学校とかは? 修学旅行、なかった?」
「小学校の時は引きこもってて、中学校の時は家出中だったので」
「……ああ、そうですか」
 でも一応あったんだ、と思いながら、春月はうなずいた。
「別に行ってもいいよ、聖地。どうしても行きたい所はないし」
 話はあっさりとまとまり、二人は駅に向かって歩き出す。駅につくと十分ほどで電車が来て、ほどなくして目的の駅についた。
 下車すると、すぐ近くに日本海が広がっている。少し歩いたところにある海水浴場に降りて、山田はカバンから、明らかにカバンの長辺よりも長い杖を取り出した。シーズンオフということでシャッターの閉まった海の家に近づき、杖でシャッターを叩く。
「聖地行きのバス、次に来るのは何時ですかねー」
 中から男の声で、「あと五分くらいだよ」と返事があった。
「話が通じてるし……」
「そりゃあ、聖地の職員さんだからねえ。魔法使いだって証拠を示せば、ちゃんと対応してくれるよ。ちなみに、この海水浴場が営業中の時は、あっちの方にあるスキー場が窓口になるらしい」
「なんかさあ、聖地って言うには妙に世知辛い気がするんだけど」
「世知辛いといえば、バスの運賃は片道三百円だよ」
 春月が反応に困っていると、どこからともなく路線バスが一台やってきて、砂浜に停まった。扉が開き、数人の乗客が降りてくる。山田と同じような、明らかに外国の血が混じった日系人、といった外見の人間が多い。
「乗るぞ」
 バスに行き先の表示はない。山田はバスの扉を杖で軽く叩き、春月の腕を掴んでバスに乗った。ふと気がつくと、背後から他の乗客も乗ってくる。こいつら一体どこにいたんだ、と思いながら、春月は手近な席に、山田と並んで座った。
「このバス、一般人は乗って来たりしないの?」
「魔法を知らない地上人には、基本的に見えないよ。今はオレが側にいるから、お前にも魔法の影響が及んで、見えるようになってるだけ。見えたとしても、行き先も分からないバスには乗らないだろ」
 たまに変なのが紛れ込むけどね、と山田が言ったその時、バスが発進する。砂浜を勢いよく横切り、そして地面から離陸した。
「うわっ!?」
「叫ぶなよ、田舎者に見えるぞ。今時、普通自動車の三種免許でも持ってれば、浮遊都市と地上の行き来は、車でするのが常識だぜ」
「そ、そうなんだ……」
 もういいかな、と言いながら、山田は王子の入った袋を開けた。中の王子は、緑色の球形なので表情は分からないのだが、とにかく眠そうな声で「どこだ、ここ」とつぶやいた。
「せっかく小樽に来たんで、聖地に行くところです」
「お前は神なんて信じないように見えたんだが」
「冗談でしょう。女神さまのご加護がなけりゃ、オレは今の親に拾われることもなく、とうの昔に野垂れ死んでいたでしょうよ。王子のように、豊かな家でぬくぬくと幸せに育った訳じゃないんでね」
 その、妙に棘のある物言いに、春月は思わず目をしばたいた。
「小学生で家に引きこもれるって、ある意味けっこう恵まれた家庭だと思うんですけど、その辺どうなんですか山田さん」
「そう言われてみれば、確かに養い親には恵まれたかな。その辺は、女神さまに心から感謝してる。でも、オレのように出自が不確かだと、王子のように人をいつまでも余所者扱いしてくださるナメた野郎もいるんでね、古い話とはいえ、けっこう自分の生まれのこと、気にしてるんですよ、オレ」
 ねえ王子、と山田はビニール袋を揺らした。
「……山田、なんかいつもより王子に冷たくない?」
「気のせいだろ」
 そんな話をしているうちに、バスは再び地面を踏んだ。先ほど海水浴場で見たのと同じような駐車場に停車する。
 三百円を払って降りると、そこは地上よりもさらに冷たい風が吹く街だった。春月は、物珍しさにきょろきょろと辺りを見回す。立ち並ぶ屋台にまんじゅう屋、それだけを見ればただの観光地だ。
「ところで山田、ここって聖地なんだよね? 全然、荘厳さとかそういうのが感じられないんだけど」
「荘厳な神殿を構えるだけで、民との距離が遠い神様なんて困るよ。我らが女神は、どうにもならずに救いを求める民に、気さくに手を差し伸べてくれる、そういう存在なんだ」
 言いながら、山田は一番広い道路をすたすたと歩き出した。正面に、金や朱で塗られた、派手な建物がそびえ建っている。
「シュリフィードの……いや、女神を信じる女の子は、みんな女神のような存在になりたいと思ってるもんさ。気さくで、話好きで、自己主張がはっきりしていて、ノーと言うべき場ではノーと言える。ただ安易に救いの手を差し伸べるのではなく、本当にその人のためを思い、采配を振るう……そんな女性が、理想だ」
 それほど人は多くないが、決して少ないわけでもない。黒髪の人間は、全体の四割程度だろうか。あとは金髪や赤毛、そして明らかに人間ではない種族の者まで、バリエーションに富んでいる。今更何を見ても驚くまい、と思っていた春月だったが、ついつい周囲の人波に目をこらしてしまう。
「おい、藤原。あれが女神像だ」
 そう言って、山田が右前方を指さす。そちらに目をやって、春月はぽかんと口を開けた。その女神像を一言で言うなら、そう――
「……オバタリアン?」
 その女神像は、パーマをかけた髪にサンダル、さらにかっぽう着を来て、片手に買い物籠、片手に大根を持っていた。大きく開いた口からは歯並びの悪い歯が見え、小太りの体型にはしまりがない。
「ああ、いわゆるオバタリアンな。あの人達は本当に素晴らしい。近頃じゃあまり見られなくなったみたいで、寂しい限りだよ」
「頼むから否定してくれよ!」
 春月は思わず叫んだが、山田は何がおかしいのか分からない、という顔で振り返り、王子も「どうした、藤原春月」と不思議そうに口をはさむ。
「これ崇めるの? これ崇めに北海道まで来るの……?」
「北海道は色々と神聖な場所が多いんだぞ。エルフの隠れ里だって北海道にあるらしいし」
「なんで日本上空なんだよ。せめてヨーロッパにあってくれよ」
 しかしそう言われてみれば、この聖地全体が、どことなく図々しさとえげつなさに満ちているような気がする。精一杯に好意的な表現を使えば、活気に満ちていて、フレンドリーだ。
「そこの坊ちゃんに嬢ちゃん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、よく効く薬があるよ!」
 進路を塞ぐように、物売りの男が売り込みにやってきた。
「何と言っても、あのシュリフィード王国の王妃様も御用達の薬だ。一瓶に、こんなに入って、なんと九百八十円!」
 缶ジュースほどの大きさの透明な瓶に、オレンジ色の液体がなみなみと入っている。山田は「そういうのは間に合ってます」と冷たく言って、男を押しのけた。
「待って待って、せめて効能を聞いてからにしようよ。たった一滴でゾウでもコロリ、憎いあんちくしょうにもたった一滴飲ませるだけで、確実にあの世行き!」
「って毒薬かよ!」
「だから間に合ってますってば!」
 春月のツッコミを遮るように叫び、山田は先を急ぐ。
「……ちょっと待った。どうしてあの毒薬が、王妃様御用達なわけ? よく考えたらおかしいし! 何やってんの王妃様!?」
「別に不思議ではないだろう。なんと言っても俺様のママは、政敵をパパの代わりに始末してくれたりもする、すごい人なんだから。ほら、ええと、内助の功、とか言うやつだ」
「……絶対に意味が違う。意味が合ってても倫理的に違う!」
 王子の言葉に噛みつくと、王子は反論しようとでも言うのか、自慢げに語り出す。
「元々、ママは地上に生まれた日本人なんだ。シュリフィードに来ても、最初はただの、王宮の下働きだった。けれど、美貌と運と根性でのし上がり、ライバルを押しのけ、踏みつけ、ついに当時の正妻を始末して王妃の座に居座ったんだ! どうだ、凄いだろう」
「あのうめ王妃って人、正月にあんたが帰った後に聞いてみたら、母様の幼なじみだったのよね……色々とさばけた人らしい、とは聞いたけど、そこまで行くといっそ縁を切ってほしいくらいだわ」
 そうつぶやいた春月の前で、山田がビニール袋の口を閉めた。しばし無言で王子を睨んでいたが、やがて小声で吐き捨てる。
「いい年こいて、呑気にママとかほざいてんじゃねえよ、クソガキ」
「……ねえ、やっぱり機嫌悪いでしょ」
「そうか? いや、昨日は部屋でこっそり酒盛りしてたから、今ちょっと寝不足と二日酔いで、もしかしたら不機嫌かもしれないけど。ほら、同じ部屋の野島と遠藤がビール買ってきててさ」
 春月はビニール袋を山田の手から取り上げ、口を開けてみる。中で、まりもがぷかぷかと、妙に泡だった水の中に浮いていた。
「聞いてくれ。この魔法使いが、ゆうべ泥酔した勢いで、『お裾分け』とかほざきながら、この袋にビールを注ぎ込んできたんだ。おかげで死ぬかと思ったぞ。後で水を換えてくれ、藤原春月!」
 王子が訴えてくる。これはビールの泡か、と納得した。
「オレ、泥酔ってほど飲んでないですよ! 野島が女の子連れ込んでて、一晩中洗面所に隠れて喋ってたから、もう盗み聞きに必死で」
「風紀が乱れてる……」
 そうこうしているうちに、神殿は目の前に迫っていた。春月は山田の後について入り、天井の高い広間に入った。正面には大きな薄布がかけられていて、その奥に何か神聖なものがあるように見えた。春月は、見よう見まねで祈りの仕草をする。
「別に真似しなくていいぜ。お祈りはインパクトの勝負だから」
「……インパクト?」
「そうそう。どんなに強い思いがあっても、女神さまに伝わらないと意味ないだろ? だから、こう、オリジナリティ溢れるパフォーマンスを行った方が……」
 突然、どこからともなく派手な音楽が聞こえてきて、山田の声をかき消す。音のする方を見れば、筋肉質の男がひとり、ラジカセを手に立っていた。上着を脱いだその男は、輝く筋肉を見せびらかすように、次々とポーズを決めていく。なぜか拍手が巻き起こった。
「女神よ、わが手に勝利を! マッスル!」
 音楽にも負けない大声で、男が叫ぶ。
「あんな感じで祈ると、女神さまにも声が届きやすいよな」
「ウソだ!」
 王子がビニール袋の中から、「この腐った魔法使いが王宮から消えてくれますように」と繰り返していた。山田はやけに真面目な顔で、「家内安全、商売繁盛、世界平和、シュリフィード転覆、政敵暗殺」と、物騒な願いをつぶやいている。春月は何かを祈る気にもなれず、思い思いの方法で祈る人々を横目に、あやふやな笑みを浮かべた。

           *

「ねえ山田、ものは相談なんだけど」
 帰りのバスは行きよりもずっと混んでいた。王子を入れたビニール袋の口を閉めて、山田に手渡しながら、春月は切り出す。
「いつか、シュリフィードにも連れていってくれない?」
「……今は無理だな。上の奴らに、お前がオレと知り合いだって知れたら、お前の身に何が起こるかわかんないし」
 王子を乱暴にカバンに放り込むと、山田は小さくため息をついた。
「まあ、どうしてもって言うなら、卒業式まで待ってくれ。その後なら、オレは日本から消えるだろうから、お前に累は及ばないだろ」
「そっか。帰っちゃうんだ」
「その後どこに行くかは、まだ分かんないけどな。……というわけで、卒業式の後でいいなら、一度くらいは連れてってやるよ」
「オーケイ。約束だよ」
 山田は黙ってうなずいた。春月は小さくガッツポーズをしてから、もう随分近くなってきた地上に目をやる。ごく緩いカーブを描いて伸びる海岸線は、ただ静かに、打ち寄せる波に洗われていた。


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