スプリング*スプリング6
「はばたけ、勇高塊!」   月香るな



 春月たちの通う県立勇戸いさと高校では、文化祭は例年、夏休み明けの九月に行われる。勇翔ゆうしょう祭、という名前のその文化祭は、毎年のことながら、やる気のある人間とない人間のテンションの差がかなり激しい。その結果どうなるかといえば、全体的に妙にやる気のある一年生と、一部の二・三年生だけが、それなりに気合いの入った出し物を準備することになる。そして藤原春月と山田太郎は、どちらかというとやる気のある二年生に分類されていた。
 春月たちの所属する軽音楽部は、文化祭の二日間、視聴覚室で延々とライブを続けるのが例年のならわしだ。そのために春月は、クラスのお化け屋敷の方を手伝うのを諦め、夏中ドラムを叩いていた。
 一方、同じ軽音楽部の山田の方はそれでは飽き足らなかったらしく、さらに校門のアーチ制作班にまで参加していた。夏休みも文化祭準備期間も終わり、文化祭前日の今日、ようやくアーチは校門に取り付けられようとしている。
「……あの、山田?」
「凄いだろ、これ。自信作なんだ。オレがスローガンの文字とか入れたんだぜ」
「スローガンって、『はばたけ、勇高いさこう魂!』だったよね?」
「ああ。ちゃんと入ってるだろ?」
「『塊』になってるような気がするんだけど」
「カタマリ?」
「うん。タマシイじゃなくてカタマリになってる」
 春月の隣で、同じ軽音楽部の友人である二人、樫原輝美と藤城育人がうなずいている。
「……あ、でもさ、カタマリの方がなんか力強くない?」
「そんな陳腐な言い訳はいらん」
「に、日本語、とても難しいネー。良く分からないヨー」
 そういえば彼は帰国子女枠で入学してきたのだった、と春月は思い出す。そう説明されている輝美と藤城は、それで少しは納得したようだった。何とか話を逸らそうと、山田が慌てて声を上げる。
「それはそうと、ほら、このアーチ、よく出来てるだろ? スローガンに合わせて、カタマリを飾り付けてみたんだけど」
「お前は日本語を理解してるのかしてないのか……」
 藤城がつぶやく。山田が思いっきり日本語で育ってきたことを知っている春月は、複雑な表情でアーチを見上げた。
 前衛芸術のような、色とりどりの毛糸で飾られたボールが数個、アーチに取り付けられている。アーチには「第36回勇翔祭 はばたけ、勇高塊!」というゴシック体の白い文字が、丁寧に貼り付けられていた。誤字はともかくとして、ぱっと見の出来はいい。
「ところで、なんか右上が寂しくない?」
「あそこに来るはずだった飾りが壊れちゃってさ。まあ、これでもいいかな、って事で、そのままにしてあるんだけど」
「いいんじゃねえの? もう直してる時間もないし。おい山田、終わったらすぐ視聴覚室に来いよ。もうすぐリハーサルも始まるぞ」
 藤城が軽い口調でそう言って、自分より一回り背の低い山田の頭を小突く。「すぐに行く」と答え、山田はどこかへ走っていった。
「でも、やっぱりちょっと寂しいわよ。まあ、紗恵子ちゃん達が何とかするかもしれないけど……」
 忙しく立ち働く、やはりアーチ制作班の鈴木紗恵子の姿を目で追いながら、輝美がつぶやいた。
「こんなの、どうせ誰も見てないって。早く行こう」
 カタマリ、の文字に目をやって、再びため息をついたあと、春月は早足で、視聴覚室のある南棟の方へと歩き出した。

           *

「鈴木さん、ここ、もう大丈夫かな? オレ、行っても平気?」
 山田の声に、角材を運んでいた紗恵子は「大丈夫だよ」と答える。
「軽音の方? 大変だね」
「いや、好きでやってることだし……」
「そうね。まあ、向こうには春月もいることだし、こんな所であたしなんかにこき使われるよりは、向こうに行きたいわよね」
 からかうような口調で、紗恵子はそんなことを言う。いつもの快活なテンポで言われると、どこまでが本気か、よく分からない。
「で、正直な話、春月とはどうなのよ。あたし、関やんと賭けてたのよね、山田君と藤城君のどっちが先に彼女とくっつくか。でも結局、正確にはどっちが先だったのか、よく分からなくて……」
「ち、ちょっと待て。いつの間にそんな賭けを、じゃなくて、オレは別に、藤原のことなんか」
 紗恵子は角材の端を地面に下ろし、長話の姿勢に入る。
「ねえ、いいから本当のこと教えてよ。去年の冬に春月の家に泊まりに行ったって聞いてから、あたし気になって仕方ないんだ。まさか、なーんにもなかった、なんてこと、ないんでしょ?」
「残念ながら、何もなかったよ」
「嘘つかないで。あたし、ちゃんと証拠も掴んでるのよ。6組の舞ちゃんって知ってる? 彼女が春月の家の近所に住んでて、春月のお母さんから、春月に彼氏がいるって話を聞いたらしいの。冬に泊まりに来た同級生って、山田君しかいないでしょ?」
 あ、と思わず声を上げ、山田は頭を抱える。そんなルートからあの与太話が漏れる可能性など、まったく考慮していなかった。
「いや、待て、誤解だ、誤解なんだ……」
「どこが?」
「い、いいから! 事情はちょっと話すわけにいかないけど誤解なんだ! もうどうでもいいだろ!? オレは行くぞ!」
「慌てるところが怪しすぎるわね……まあいいけど。頑張れーっ」
 隠さなくても全部わかってるわよ、と言わんばかりの笑顔を浮かべる紗恵子を後目に、山田はダッシュでその場を離れた。

           *

「別に、そんなに急いで走って来なくても良かったのに……」
 息を切らして視聴覚室の壁に寄りかかる山田を見ながら、春月があきれたようにつぶやいた。山田は黙って首を振り、小さく呻く。
「いや、ちょっと、現実から逃げ出したくて」
「おい山田。じゃあひとつ、今すぐ現実から逃げ出せるような話をしてやろうか」
 横から声をかけてきたのは藤城だ。画用紙を切り抜いて作った文字と、マスキングテープを手にしているところを見ると、これからそれを壁に貼って回るところなのだろう。
「さっきからいつものギターが見あたらなくてさ、後で探そうと思って放っておいてたんだけど……ちょっと来い」
 藤城は山田の袖を引き、窓のそばへと連れて行く。視聴覚室の窓からは、隣の北棟の屋上がよく見えた。
「あそこで踊ってるの、俺が探してるギターじゃねえかな?」
「…………」
 うっかり青汁を飲んでしまったような顔で、山田はがっくりと肩を落とした。春月はその後ろで、やはりげんなりした表情を浮かべている。先に立ち直った春月は、ぽん、と山田の肩を叩いた。
「また面倒なものを持ち込んでくれたわね」
「ちょっと待て、何でオレのせいになってるんだよ!」
 三人の視線の先にあるのは、ちょこんと手足を生やしたエレキギターの姿。どこかのクラスが屋上に放置していったらしい、積み重なったビールケースを舞台に、ひょこひょこと踊っている。
「お前以外に誰がいるんだよ、魔法使い」
「うるさい。……藤城、取りあえず今見たことは忘れてくれ」
 窓にかかる暗幕を閉めて、藤城を窓から引きはがすと、山田は彼の肩を掴んで、「お前は何も見てない」と数度繰り返した。
「あんた、誰がやったか心当たりはないわけ?」
「そんなもん、色々ありすぎて分かんねえよ……」
 藤城が首をかしげながら歩き去っていくのを見送った後で、春月は山田に尋ねる。音響機器の調整のために音出しが始まり、春月は防音のために仕方なくガラス窓を閉めた。室内に熱気がこもる。
「日本では、そういうのを自業自得っていうのよ」
「そうか。シュリフィードとは少し用法が違うみたいだな」
 さてと、とつぶやいてから、山田は視聴覚室を出ていこうとする。
「ごめん藤原、カバンはここに置いといていいかな」
「ちょっと待って、アレを何とかしに行くんでしょ? 私も行く」
 てっきり断られるものだと思っていたが、山田は「勝手にしろ」と言っただけだった。春月は拍子抜けしながらも、早足で歩く彼の後を追う。
「まったく、どいつもこいつも……」
「大丈夫よ。文化祭時期だし、みんなどこかのクラスの出し物かなんかだと思うだけだって」
 春月の言葉には答えずに、山田は春月に背を向けて、廊下に散らかる段ボールや新聞紙を避けながら歩く。途中、床を埋め尽くす風船の山に遭遇した時だけはさすがに歩調が鈍ったが、それでも、やけっぱちのような早足には違いなかった。
 やけに盛り上がっている一年生の教室を通り過ぎ、北棟の屋上に出ると、まだエレキギターが踊っている。近寄ろうとすると、エレキギターは肩に掛けるストラップを外し、大きく振り回し始めた。
「危ないな……誰だよ、こんなどうしようもない物体作ったの」
「俺様だ!」
 頭上から声がして、春月は声のした方を振り仰ぐ。給水タンクに偉そうに腰掛け、叫んでいるのは、どう見てもフィガロ王子だ。
「何しに来たのよ……」
「嫌がらせに決まっているだろうが! 行け、ぎっちょん!」
 ぎっちょん、と名付けられたらしいエレキギターは、王子の声に答えて山田の方へと走り出した。山田は慌てて飛び退き、頭上の王子を睨みつける。
「それもこれも、お前が姫を泣かせたからいけないんだぞ!」
「仕方ないでしょう王子、こっちだって仕事なんですよ!」
 エレキギター(ぎっちょん?)に果敢に飛びかかった山田は、ストラップに思いきり吹き飛ばされて派手に転ぶ。思わず、春月は山田をかばうように、その場に飛び出していた。
「ちょっと、そこのエレキギター! あんたがいないと、いつまで経ってもリハーサルが始まらないでしょ! 大人しくしなさい!」
「……一瞬でもお前に感謝したことを、今すごく後悔してる……」
 振り回されるストラップを捕らえ、春月はエレキギターを引き寄せる。ネックを掴み、ボディに膝を当てて押さえ込んだ。傷がつくかな、と思ったが、山田が何とかしてくれるだろう、と思い直す。
「藤原、お前って結構強いんだな」
「通信教育で、古武術をちょっとね!」
「……それ、役に立つのか?」
「うるさい。通信教育をなめるな!」
 春月が叫ぶのとほぼ同時に、王子の叫び声が聞こえる。振り返った春月の目の前に、大きなボールが落ちてきた。色とりどりの毛糸が巻かれたボールは、「元に戻せ、魔法使い!」と叫んでいる。
「よそ見はいけませんね、王子。……藤原、ちょっとコレ、アーチに飾りに行って来るから。隙間が埋まってちょうどいいや」
「飾るの!? っていうかちょっと待って! ギター何とかして!」
 走り去る山田の後ろ姿を見ながら、春月は必死に声を上げた。

 ちなみに校門のアーチは、来場者には非常に好評だったそうだ。


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