スプリング*スプリング4 「冬の夜、隣は何をする人ぞ」 月香るな |
12月20日 はれ お姉ちゃんが、家に男をつれこみました。 おとなりの佐とうさんの孫が来ていました。外国人でした。 「なあ藤原、今晩ちょっと泊めてくれないか?」 「は?」 終業式前の最後の平日。放課後の教室での突然の申し出に、藤原春月はぽかんと口を開け、目の前で自分を拝んでいる悪の魔法使い・山田太郎を見た。 「つまり、うら若き乙女の家に胡散臭い悪の魔法使いを泊めろ、と」 「誰がうら若き乙女だ。……まあ、後半は否定しないけどさ。とにかく、一晩でいいから泊めてくれよ。久しぶりに屋根の下で寝たいんだわ、オレ」 「……は?」 ますます話が見えなくて、春月は首を傾げる。 「それが……ちょっと仕事でヘマしちまってさ、怖いお兄さん達が家の前でたむろしちゃってるもんだから、帰るに帰れなくて。ファミレスやカラオケで夜明かしはもう飽きたし、それ以前に金もないし……絶対に迷惑はかけないから、泊めてくれ」 ところで藤原春月と山田太郎は同じクラスなのだが、席替えをしてみれば席が隣同士、入った部も同じ軽音楽部、挙げ句一緒にバンドまで組んでしまった日には、もはやどうしても離れようがない。 すっかり縁切りを諦めた春月は、いかに魔法やら空中都市やらと無縁な生活を送るか、という難問に頭を悩ませていたのだが、この九ヶ月で起こった騒動は数知れず。 もはや春月に残された希望は、高校生活は三年間しかないという事実だけだった。 「本当に、迷惑かけない?」 「うん、かけない、かけない! ちゃんと敵に襲われたときは家の外で戦うから!」 「……それ、じゅうぶん迷惑じゃ」 春月のツッコミに対し山田は必死に弁明するのだが、その内容はどう考えてもやっぱり危ない。自分の家が保険に入っていたかどうか、春月は必死に考えた。 「ああ、そうよ! だいたい、藤城はどうしたの? 泊めて欲しいなら、やっぱり男同士の方がいいんじゃ」 「さっき断られた」 同じくバンド仲間の藤城育人は、わりと面倒見のいい性格だと思っていたのだが、さすがに怖いお兄さんに狙われる悪の魔法使いを泊めてやるほどお人好しではなかったらしい。 「だから頼むよ、もうお前しか頼る人がいなくてさ」 「友達いないんだ」 「黙れ、あ、いや……だから、本当にお願いしますって。この時期、公園なんかで寝たら、凍死するか中学生に襲われるかだし」 オヤジ狩りもまだまだ多いし、もっともだ、と頷いてしまってから、春月はふと気付いて山田の顔を見上げる。日本人と比べると色素の薄い瞳が、何となく怪しく揺らめいている……ような気がした。頭の芯が、風邪を引いた時のように熱くなる。 「山田……魔法、使ってる?」 「うわ、バレた?」 ちっ、と舌打ちする山田。これ以上断り続けたら何をされるかわからないので、春月はしぶしぶ、山田を家に泊めてやることにした。 * 「ところで、家に帰れないって……実家は?」 「郷里。あっちはもっと危険」 言いながら、山田は上空を指さした。冷たく凍る青い空が広がっている。春月の家までは、あとわずかだ。 「ああ、シュリービジャヤ王国」 「シュリフィードだ。……こう見えても、親元を離れて一人で海外留学だぞ。尊敬しろ」 「単に、悪事のせいで郷里にいられなくなっただけじゃ」 「そうとも言うけど」 春月の家が見えてきた。ふと隣の佐藤家が騒がしいのに気付き、興味本位で視線を送る。玄関先の植木鉢が、いつもと配置を変えているようだった。 「おとなりなら、お孫さんが来るって朝から言ってるよ」 そんな春月に声をかけたのは、彼女の弟。 「へえ、孫がね……ところで葉太、なに書いてるの?」 「宿題の絵日記。ところでお姉ちゃん、そっちの人は?」 はじめまして、と山田が挨拶した。 「友達。今日、泊めるから」 「ふーん。……って、あれ、お兄さん?」 隣家の方を見ていた山田が急に身を隠したのを見て、葉太が疑問の声を発する。山田は小さく息をつくと、小声で春月に告げた。 「……あの車、王妃の愛車だ」 「え?」 王妃の愛車、というにはあまりに庶民的なライトバン。首を傾げる春月の前で、スライドドアが静かに開いた。 その時だ。 どこからともなくファンファーレが鳴り響き、開いたドアから赤い絨毯が現れ玄関へ向かって伸びる。春月は、一瞬前に抱いた感想を慌てて撤回した。そしてその豪奢な赤絨毯の上をしずしずと進んでくる、上品そうな三十代くらいの女性と中学生くらいの子供。子供の方は、確かに…… 「王子だ」 「だろ?」 「うわー、孫だ孫だ!」 葉太の声で、二人はふと我に返る。朝から来ると騒いでいた孫は、するともしかして王子のことなのだろうか。 「……藤原。隣の家、うめ様の実家だったのか?」 「し、知らない! でも、そう言われてみれば、大分前に娘さんの職業を聞いたとき『オウヒ』とかなんとか言ってたような」 急に脱力感に襲われた二人は、思わずその場で顔を見合わせた。 * |
「だいたい、どうして家に帰ってまでこいつらの相手しなきゃいけないのよ」 「これも何かの運命だろ」 落ち込む春月に、フォローになっていないフォローをしながら、山田はちゃっかり自分の寝所を確保していた。さすがに春月の部屋からは叩き出されたので、葉太の部屋の隅に毛布を敷いている。 「それじゃ、おやすみなさい」 「……葉太、悪いね」 「別にいいよ、山田さんの話すっごく面白いし。でもお姉ちゃん、本当に一緒の部屋で寝なくていいの?」 「葉太。誤解があるようだから訂正しとくけど、私はただ単に脅されてこいつを泊めてるだけだからね」 「いいよ照れなくて。お父さんもお母さんも喜んでたし」 「黙れこのバカ弟。父様と母様はこいつに洗脳されてるだけよ」 深いため息をついて、春月は毛布に潜り込む山田の横に座った。 「ところで山田、なんでさっき王妃様から逃げたの?」 「仕方ないだろ、今オレの家の前にいる怖いお兄さんたちを差し向けてるのが、あの王妃様なんだから!」 「昨日の依頼人は今日の敵、か。で、今回は何したの?」 「悪の魔法使いには守秘義務があります。おやすみ」 「宿代として喋りなさい」 山田をつついていると、葉太が立ち上がり、「僕、一階でゲームしてるから、二人でごゆっくり」と部屋を出ていきかける。 「ちょっと待て! 何よその誤解を招く行動は! っていうかあんたは早く寝なさい!」 「気にしないでいいよ、明日は土曜日で休みだから」 「気にするわ!」 春月が叫んだその時、窓ガラスを叩くコツコツという音がした。葉太は「何だろう」とカーテンを開け、「あ、小鳥だ」とつぶやく。 「寒いでしょ。入っておいで」 その時、ふと嫌な予感がして、春月は葉太に「やめなさい!」と叫んだ。しかし一瞬早く、茶色の小鳥は窓の隙間から入ってくる。 そして突然巨大化した。 「ちょっと待って何よコレ!?」 「お、お姉ちゃん! この鳥すごいね、捕まえたらたぶん冬休みの宿題は完ペキだ」 「少しは驚きなさいよ、このバカ弟!」 叫んでいると突然、鳥の全身から煙が吹き出し視界を覆う。煙がおさまったそこには、春月の(あまり当たってほしくなかった)予想通り、まっとうに人間の形をした王子が立っていた。 「久しぶりだな、藤原春月。あとついでに魔法使い」 「もう二度と来なくていいよ」 「むしろオレがついでだったのか」 春月と山田の冷めた感想をよそに、葉太は一人で元気に「こんばんは!」と挨拶をする。王子は偉そうに「しばらく隣に滞在するぞ。世話になる」と言いながら、葉太と握手を交わしていた。 「僕は藤原葉太です。お兄さんは?」 「フィガロ=Y=シュリフィードだ。よろしくな」 「外国人なんですねー」 「ああ。父親が外国の人間でな」 あ、進歩してる、と山田がつぶやいた。 「何が?」 「軽はずみに王国の名前を言わなくなった」 「いや、それ魔法使って登場してる時点であんまり意味ないし」 「いいじゃないか。子供は素直に不思議の存在を信じるよ」 「子供って言ったって、葉太だってもう小学生なんだから……」 山田は少し考え込むような仕草をしたあと、相変わらずどこに隠し持っていたのやら、ストライプ模様の杖を取り出した。 「だいたいその杖、白とピンクって時点でナメてるよね」 「このままクリスマスツリーに飾ると可愛いぞ」 「でかいよ。いらないよ」 「何言ってんだお前、いざというときは非常食にもなるんだぞ」 「食うの!?」 春月のツッコミを無視して、山田は思いきり杖を振り上げ、王子の頭を殴った。いい音がする。 「よい子は寝る時間ですよ、王子」 「俺様はただ、隣家のいたいけな少年とスキンシップをしようと」 「余計なお世話よ」 春月が吐き捨てたその瞬間、わずかに開いていた窓が、外から勢いよく開かれる。思わず硬直する四人の前で、ナイトキャップを被った女性が、窓から上がり込んできた。 「……王妃」 小さく舌打ちして、山田が杖を一振りし、その場から消える。 「フィガロ! こんな時間に出歩くんじゃありません! どうもすみません、息子が失礼なことをいたしまして」 「あー、いや、何かもうどうでもいいんですけど」 答えた春月の前で、王子が窓から引きずり出される。 「帰るわよ、フィガロ。あれほど変身はやめなさいって言ったのに、まだ懲りないのね」 「し、仕方ないんだって。あの魔法使いに色々変身させられてるうちに、なんかコツが掴めてしまって」 「ばいばーい、また遊びに来てねー」 場の空気をまったく読まずに、葉太が笑顔で手を振る。 窓がぴしゃりと閉まった直後、部屋の外から痛そうな落下音と、誰かのうめき声が聞こえた。 * 12月21日 くもり ゆうべ、おとなりの佐とうさんの孫があそびに来ました。 いきなり巨大化したので、すごいなあと思いました。 けさもその人に会って、いっしょに犬のさん歩に行きました。 かえりに公園によって、まほうじんを書いてあそびました。 まほうじんがぴかぴか光って、とてもたのしかったです。 「あ、フィガロお兄さん、おはようございまーす」 翌朝六時、犬の散歩に行こうと玄関を出た葉太は、昨日出会った少年の姿を認めて立ち止まった。藤原家の前の道路に、白墨で一心不乱に線を描いていた彼は、「おはよう」と言って顔を上げる。 「お兄さん、なに描いてるの?」 「魔方陣」 「あ、知ってる。ここに3を入れればいいんだね」 「うん。それでタテ・ヨコ・ナナメの合計がすべて15になるはずだ」 3×3のマス目の中で、空いていた最後の一マスに、王子は「3」と書き入れた。一瞬、魔方陣が光ったような気がして、葉太は何度かまばたきする。 「ところで藤原葉太、ちょっとここに立ってみてくれないか」 「ここ?」 言われるままに、「5」のマスに足を踏み入れた。その途端、今度こそ間違いなく魔方陣が光り、葉太はまぶしさのあまり目を閉じる。 「う……お、お兄さん? 何これ?」 「もういいぞ。うん、たぶん魔方陣は発動したな。ちょっと待ってろ、今すぐこれ消すから」 葉太があっけに取られている間に、王子は門の中へと去り、しばらくして水を入れたバケツを持って戻ってきた。白墨で描いた魔方陣の上に水を流し、靴底でこすって線を消していく。 「あの、だから、何を……」 「大したことはしてない。ただ、ちょっとだけ、あの魔法使いの魔手からお前を守ってやるだけだ。……さて、朝ご飯までまだ時間があるかな。犬の散歩に行くんだろう? 一緒に行ってもいいか?」 王子にそう言われ、葉太は素直にうなずいた。 * |
「また、いつでも遊びに来てね」 「ありがとうございます」 春月の母親が、にこやかに手を振った。対する山田はと言えば、あきれるほどの笑顔で手を振っている。 「いったいお前は私の両親に何を吹き込んだんだ、タコ」 その腕を乱暴に引いて、春月は山田に詰め寄った。 「別に? ただちょっと、オレは品行方正で公明正大な、あなたの娘さんの彼氏です、と暗示をかけてみただけで、大したことは」 「大したことだし。むしろあんたのどこが公明正大なんだよ、この悪の魔法使いが。もう用は済んだんだし、今すぐ撤回しなさいよ」 「えー、別にいいじゃないか。うめ様のご両親の隣人の彼氏、って、結構いいコネになりそうだし」 「いらないし。どんな場面で使うんだよ、そんなコネ」 春月の声は聞こえていても理解はされていないらしく、彼女の母親は温かい目で二人を見守っている。葉太はと言えば、わずかに驚いたような顔で、玄関口に立つ母親と山田を、交互に見つめていた。 「ならいっそ、お前のことも洗脳してしまえば一件落着では」 「嫌だよ。そんな怪しげな魔法、絶対かかってやらないからね」 「そうそう。お姉ちゃんは、そんなヤワな女じゃないよ」 したり顔で葉太が割り込んでくる。山田は、あれ、と小さくつぶやいて、葉太の顔を見た。 「オレたちの会話、聞こえるのか」 「聞こえるよ。僕は魔法にかかってないし。だから、ゆうべ山田さんがお隣のおばさんの所から逃げ出したのも、姿は消したのに音は消してなくて、階段から大きい音を立てて落ちてバカっぽかったのも、『忘れろ』って言いながら山田さんが杖を出したのも、『ごめんな』って言って杖の先を折って食べさせてくれたのも、杖と見せかけてアレがキャンディーだったのも、全部覚えてるもん」 山田はしばらく黙ったあと、「王子か」とつぶやいた。 「オレの魔法を無効化したな。畜生、余計なことしやがって」 「ねえ、あの杖ってキャンディーだったの?」 「だから非常食だって言ってんだろ」 山田はそう言うと、春月の母親に頭を下げ、玄関を出る。 「味は? ああ、葉太、あんた食べたんだっけ」 「うん、石で例えるなら大理石みたいな味だったよ」 「いやそれ全然わかんないし」 道路には白墨で何か描いた痕があった。山田はそれを一瞥し、不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、「じゃあな」と手を振る。 その時、手を振りかけた葉太が、思い出したように口を開いた。 「そうだ、忘れてた。フィガロお兄さんから山田さんに、伝言があるんだ。――『隣人よ、末永くよろしく』だってさ」 それを聞いた途端、春月は反射的に葉太の頭を殴っていた。 どうにも、逃げ道はなさそうだ。 |
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