スプリング*スプリング8 「変人たちのクリスマス」   月香るな  家に帰ると、弟の部屋に外国人の少女が座っていた。 「あ、お姉ちゃん。おかえりー」 「お邪魔しております」  春月は少しばかり混乱した頭を押さえ、深呼吸する。 「……葉太、こちらは?」 「おとなりのフィガロお兄さんの奥さん」  ふと嫌な予感がして、春月は逸らしていた視線を少女の方へと向ける。年齢はよくわからない。春月と同じか、少し年下だろう。薄い色の髪はやわらかなカーブを描きながら背中へと流れる。金に近い薄茶の瞳は長い睫毛に囲まれ、桜色の唇は上品な笑みを浮かべていた。葉太のベッドに姿勢よく腰掛けていた少女は、立ち上がり、長いスカートを軽く持ち上げて、「ごきげんよう」と挨拶する。 「以前は、お見苦しいところをお見せしてしまいまして」  春月は必死に記憶を掘り返し、それらしい人物の名を思い出していた。まさか、と思いながら、その名を呼んでみる。 「マリアンヌ・ローズ・ヴェロニカ・花子姫?」 「あたくしのことは、花子、と呼んでいただいて結構ですわ」  つまりあれだ、と春月は考える。この少女が、あの王子の妻、もとい雑食の爬虫類の、仮の姿というわけだ。山田に魔法のじゅうたんに乗せられ、迫り来る彼女に追われた時の恐怖を、春月はまだ忘れてはいない。 「……ということは、王子も来てるのか」 「お姉ちゃん、何言ってるの? お兄さんなら、もう来てるよ」  葉太はきょとんとした顔で、足元に転がっているクリスマスツリーを指さした。「助けてくれ、藤原春月!」という声がする。 「せっかく平穏な冬休みを送れると思ったのに、いきなりこれか」 「お前の帰りを待っていたんだ。早く魔法使いを呼べ!」 「言われなくてもそうするわよ!」  携帯電話を引っ張り出し、山田の電話番号を呼び出した。 「あ、もしもし山田? 弟の部屋に王子が転がっててウザいんだけど、何とかしてくれない?」  ひどい言いぐさだな、と王子がつぶやく。姫はそんな王子の方を見もせずに、春月の母親が出したのであろう緑茶を飲んでいた。春月は転がっている王子を見ながら、せめて立ててやれよ、思う。  山田からは「すぐに行く」と返事があって、電話は切れた。  春月は携帯電話をポケットに入れ直し、どうしたものか、と考える。目の前には、葉太と楽しそうに深海魚の話をしている姫の姿。三十秒に一回くらい、「美味しそう」という言葉が混じるのが気にかかる。足元の王子は、その会話に参加しようと努力しているようなのだが、まったく相手にされていない。  取りあえず気の毒になったので、横倒しになっていた王子を起こして立てた。プラスチック製の星がついた安っぽいクリスマスツリーには、銀色のモールが巻かれている。高さはだいたい春月の胸くらいまであり、喋るたびに小さく揺れては、ざわざわと音を立てる。天使やら靴下やら、定番の飾り物もいくつかぶら下がっていた。 「お姫様、今日は人間に化けてるのね」 「化けてる、か。その認識は正しくないぞ、藤原春月。あれもマリアンヌの本当の姿だ。竜族というのは、人間と寸分違わない姿と、前にお前が見たような竜としての姿を、自由に使い分けることができる生き物だからな」 「ええと、ということは、別に化けてるわけじゃなくて、単に同じ人が服を替えた程度の違い、ってこと?」 「うまい例えが思いつかないが、まあ、そんな所だろう」  クリスマスツリーが頷き、つり下げられた飾りが互いにぶつかって、にぎやかな音を立てた。 「ちなみに俺様も、四分の一ばかり竜族の血を引いているんだぞ」  へえ、と感心したような声を上げ、春月は王子のことを、木製の足から最上部の星に至るまで眺め回す。しかし当然のことながら、王子が竜族であるという実感など、湧くはずがなかった。 「それって、やっぱり珍しいの?」 「まあな。ちなみに、竜族はめったに人間と結婚しないから、マリアンヌよりは俺様の方がレアケースだ。今のシュリフィードで竜の血を引いてる奴は、ほとんどが王家に連なる人間だよ」  その時、葉太が春月を呼んだ。姫と葉太の会話は、いつの間にか深海魚から離れていたらしい。 「お姉ちゃん、この間見せてくれたヨーヨーの技、まだできる?」 「できると思うけど。何?」 「花子お姉さんに見せたいんだけど、ちょっとやってくれない?」  別にいいよ、と頷いて、春月は隣の自室に戻る。通信簿の入った軽いカバンを布団の上に放り投げ、棚からヨーヨーを取り出した。芯に紐が固定されていない、アクロバット向きのヨーヨーだ。  部屋に戻ると、王子が「また中途半端に時代遅れなものを」とつぶやいた。春月は無言で王子を蹴倒すと、右手にヨーヨーを持ち、簡単な技をやってみせる。 姫が「あら、凄いですわね」とつまらなそうにつぶやき、王子は無言で、おそらくは春月の手元に見入っているようだった。 「ちなみにお姉ちゃんは、皿回しとか枕投げもすごいんですよ!」  葉太が脳天気にそう言って笑う。本気で自慢に思っているのだろうか、と春月は複雑な思いでヨーヨーを止めた。それだけではつまらないので、思い切り派手な技を繰り出す。左手の人差し指で紐を取り、本体の溝に引っかけてみたり、鋭く投げ下ろしてみたり、投げ上げがてら紐を放して飛び上がったヨーヨーを受け止めてみたり。肝心の姫は「こんな下らないことに熱くなれるなんて、凄いですわ」と失礼な感想を漏らしているが、王子は素直に歓声を上げていた。 「それにしても、どうしてヨーヨーなんだ? お前が始めた時にはまだ流行っていたのか?」 「違うよ。母様が勝手に申し込んできた通信教育で習っただけ。枕投げも皿回しも、あと古武術もそう。母様が色々申し込んだっきり放り出してるから、もったいなくて私がもらって練習してるの」  王子の質問に答えながら、春月はヨーヨーを手の中に戻す。久しぶりなので指が疲れた気がしたが、幸いにしてまだ腕はなまっていないようだった。 「お母さん、本当に忘れっぽいもんね。いつも申し込んでから、『こんなの頼んだかしら』とか言ってるし」  葉太が横から口を挟む。そうね、と春月はうなずいた。 「おかげで、何に使うのかもわからないエンジンの修理なんかもできるわよ。実物には触ったことないけど」 「それ、役に立つのか?」 「図解付きで懇切丁寧に教えてくれたからね。たぶん使える」  なぜか王子がため息をついた気がするが、春月は理由がわからずに、きょとんとした顔でツリーを見つめた。  と、その時、ガラス窓が外からノックされる。窓を開けると、そこには山田太郎が立っていた。軽く手を挙げて、高らかに叫ぶ。 「メリークリスマス!」  しかも赤い帽子に赤い服、ついでに背中には白い袋を背負っていた。帽子と服の縁取りには白い綿。顔を覆うように安っぽい付けひげ。黙っていたら、誰だかわからないかもしれない、と春月は思う。 「急に呼んだりしてごめん。……で、何なのよその格好は」 「いや、仕事の帰りなもんで」 「ケーキ屋のアルバイトでも始めたんですか今更」 「何言ってんだ、普通に悪の魔法使いとしての仕事をだな」 「その格好で?」  答えは返らない。山田はひさしの上から、これだけは普通だった運動靴を脱いで部屋に入ってきた。王子が「早く戻せ!」と叫ぶ。 「いい加減に学習したらどうですか。戻せって言われてハイそうですかって戻してさしあげるほど、世間は甘くないんですよ」 「うるさい! お前なんか、俺様の権力を持ってすれば――」 「無理ですよ。所詮あなたはまだ王子じゃないですか。あなたが王様になりやがったあかつきには、オレはあなたにだけは絶対服従しますんで、それまでのんびり待っててください」 「それまでって、あと何十年かかると思ってるんだ!」  さあね、とつぶやいて、山田は王子の頭の星を軽く踏みつける。 「意外に早いかもしれませんよ?」  一瞬の沈黙があった。「何をする気だ」と王子がうめく。 「別に。悪の魔法使いは、基本的に国王陛下にだけは逆らいませんから、オレが陛下を殺めるようなことは絶対にありませんよ。それは女神の名にかけても誓います」  そう言って山田は笑う。そこはきっと格好いい所なんだろうと春月は思ったが、いかんせん、綿で出来た手作りらしき付けひげが非常に邪魔だ。ぴかぴかした薄っぺらいサテン地のサンタ服と相まって、どこかもの悲しい雰囲気を漂わせている。 「……で、何なのよその格好」 「いや、陛下が『その黒マントには飽きたから、たまには別の服を着てこい』と仰有ったんで、きのう徹夜して作ってみたんだけど」 「やめた方がいいと思う。……って、ちょっと待って、なんで悪の魔法使いが王様の命令に従ってるのよ」 「当たり前だろ。この王子様には認められてないけど、一応オレは宮廷人の末席を汚してるんだぜ。正式にはフリーランスだし、そんな繋がりがあるなんて誰も言わないけど、お偉いさんの後ろ暗い頼み事を引き受けるのがオレの主な仕事のひとつだし」  ベッドに上品に腰掛けた姿勢のままで、姫が小さく舌打ちするのが聞こえた。春月と葉太は思わずそちらを見たが、すぐに姫はもとの上品な表情に戻っている。 「相手がお偉いさんでもなけりゃ、いちいち他人の家のしつけにまで魔法を使ったりしません。ところで王子、うめ様がご立腹ですから、とりあえず謝りにいった方がいいんじゃないですか」 「喧嘩のことなら、謝る気はない。俺様の大切な盆栽を勝手にいじるなんて、たとえママでも許せん!」 「フィガロお兄さん、盆栽やるんですか? すっごーい!」  葉太が目を輝かせ、転がっているクリスマスツリーに額を寄せる。山田はひとつため息をついて、王子の隣にしゃがみこんだ。 「いいじゃないですか。うめ様だって、可愛くなるだろうと思ってリボンを飾ったんだろうし」 「嫌だ! お前はあの実物を本当に見たのか? その上でそんなことを言ってるのか!? だとしたらお前とは一生友達になれんぞ!」 「別になってくれなくていいですけど、直接見てはいませんよ」  そうか、と王子の声が明るくなる。姫は「あたくしは可愛いと思いましたけれど」と、不満そうな面持ちで口を挟んだ。一瞬、「マリアンヌがそう言うなら――」と言いかけたところで、王子は首、もとい星を振り、「やはり見てもらわないと」と言った。 「魔法を使えば今すぐにでも見せられるだろう。魔法使い、とりあえず腕だけでも元に戻してくれないか。このままでは魔法も使えん」  確かにそれが手っ取り早いでしょう、と山田がうなずいた。 「でも、そんな中途半端な物体はオレの審美眼が許さないんで、とりあえず別の物に変えますね。……トリック・オア・トリート!」  形容しがたい、強いて文字にするなら「でろん」とでも言うような効果音が鳴って、クリスマスツリーの周りに煙が立ちこめる。すっかり視界がゼロになった所で、我に返った春月が叫ぶ。 「って、今のが呪文!? なんか二ヶ月くらい時期外してない!?」 「何言ってんだ藤原、これは『すさんだ世の中でも常にハロウィンの遊び心を忘れずに』という先人の教えが詰まった、ものすごく偉大な呪文なんだぞ!」 「そんな遊び心いらねえ!」  そうこうしているうちに煙が晴れる。今までクリスマスツリーがあった場所には、ぴちぴちと暴れる何かがあった。 「……人魚?」 「一応、動けないように下半身は別の物に……と思って」  山田の解説をさえぎるように、ぎゃあ、と王子が悲鳴を上げた。不気味ね、と姫が言ってはならない台詞をつぶやく。上半身は服もあわせていつもの王子だが、下半身が大きな青魚になっていて、鱗が光っている。間違っても、おとぎ話のような優美な尾ではない。 「ま、魔法使い! これは俺様が魚嫌いだと知っての狼藉か!」 「当たり前じゃないですか」  答えた山田に指をつきつけ、王子が「取りあえずこれを見ろ!」と叫んだ。山田は額を押さえて一瞬顔をしかめてから、今度はあからさまに表情を引きつらせる。 「どうしたの、山田?」 「ちょっと衝撃が強すぎて、言葉にならん……王子、彼女にも見せてさし上げたらいかがですか。刺激の弱そうなものをひとつ」  王子はうなずき、春月の顔を指さした。一瞬、頭の芯が痺れるような感覚があった後に、何かのイメージが浮かんでくる。 「俺様の盆栽の無惨な姿を、とくと見るがいい!」  その瞬間、春月の脳裏にはっきりと盆栽の姿が浮かぶ。王子の記憶を「思い出す」と言った方が正確だろうか。松ではない、ということくらいしか春月には分からないが、ごく普通の形をした盆栽が置かれているのが見えた。その幹に、ピンクのリボンが巻かれている。周囲に、なぜか小さな人形がレイアウトされていた。 「……何これ、人形?」 「ああ。最近、盆栽に人形を置いてジオラマのようにレイアウトするのが流行ってるらしいんだ。確か本も出てるぞ」 「いや、ちょっと待って、でも何よこの不吉なレイアウト!」  盆栽の根本で、二体の小さな人形が幸せそうに寄り添っている。  そして枝先から、首吊り死体の人形がぶら下がっていた。 「無駄にシュールだし……」 「ああ。ちなみにカップルはママが自分たちをイメージしたらしい」 「王様と王妃様か……ってじゃあ何なのよあの首吊り死体!」 「『始末した恋敵』をイメージしたそうだ。こんな感じで、あと二十鉢ほどやられた。テレビで見て興味を持ったらしいんだが……」  山田が大仰に顔をしかめた。心なしか涙目に見える。彼がパチンと指を鳴らすと、王子の身体が白い煙に包まれた。煙が晴れたあとには、下半身まできちんと元に戻った王子の姿がある。 「王子。今回ばかりは、あなたに全面的に同情します。あのムラサキイボクラゲノマクラモドキはいくらなんでも酷すぎる!」  そして山田は、やけに青ざめた顔で春月にトイレの場所を聞き、サテン製のサンタ服のまま部屋を飛び出していった。 「……一体どんな破壊力だったんだ」 「僕も気になる。今の、魔法ですよね? 僕にも見せてください!」 「子供をいじめる趣味はないんだ。すまない」  よほど見たいのか、子供扱いされたことが不満なのか、葉太は不機嫌そうな表情で、今度は姫に「駄目ですか?」と詰め寄った。 「あたくしは構わないと思いますわ。不都合があるようなら、後で改めて記憶を消してしまえばいいだけのこと。そういえば、あの魔法使いはこの人達の記憶を消していくつもりなのかしら」  王子が強い語調で「やめろ、マリアンヌ!」と叫ぶ。春月と葉太が、何のことやら、と首を傾げていると、鋭い視線が飛んできた。姫の方はといえば、楽しそうにくすくすと笑いながら言葉を続ける。 「あら、ご存知なかったかしら。魔法を使えば、あなた達の記憶から、魔法王国に関する事柄をすべて消すことができますのよ。あの魔法使いのことだから、あたくし達のことはともかく、自分に関するあなた達の記憶は、いずれ消すのだと思いますわ」 「要点が掴めないんですけど」 「あの魔法使いが望めば、あなたは彼の存在を完全に忘れる」  姫の視線が春月をとらえる。彼女は無邪気そうな笑顔を浮かべているのに、なぜか春月の背中に寒気が走った。 「あいつがそれを望むかどうかなんてまだ分からないだろう、マリアンヌ。日本人に余計な情報を与えるな」 「ごめんあそばせ。藤原彰子を見ていたら、気の毒に思えて、つい」 「……うちの母様がどうかしたの?」  姫が出した春月の母親の名前に、春月だけでなく、葉太までもが息を呑み、姫の言葉の続きを待つ。 「若い頃の陛下と合コンに行ったのは、義母だけではない、ということですわ。面倒を避けるために、義母は親友である彰子の、魔法に関する記憶を消した。物忘れが多いのはその後遺症でしょう」 「いい加減にしろ、マリアンヌ!」  王子の剣幕に気圧されながらも、春月はあまりの事実に言葉を失う。確かに王子の母親と春月の母親は親友同士だ。そもそもこの家は春月の母親の実家だから、隣の佐藤家が大阪から引っ越してきたという三十年近く前から、二人はずっと友達だったのだろう。佐藤うめに魔法王国と出会う機会があったのなら、その場に藤原、もとい、岸田彰子が居合わせて、何の不思議があるだろうか。  そんな春月の思考は、背後で開いた扉の音で中断される。 「オレがいない間に、どうしてそんな面白いこと喋ってるんですか」  戻ってきた山田の顔色は相変わらず悪かったが、語調はまともだ。 「あの方と一緒にしないでください。オレは、記憶をいじるなんて卑怯なことをするつもりはありませんよ。彼女には、地獄の底までつき合ってもらうって、オレの中でもう決まってるんですから」 「それは遠回しな愛の告白と受け取っていいのかしら、魔法使い」 「違います」  即座に言われたその返事を聞いて、春月は少しだけ胸が痛んだような気がしたが、顔に出すのも悔しいので黙って口元を引き締める。 「まったく、からかい甲斐のない男!」 「お褒めの言葉、ありがとうございます」  山田は真顔で深々と頭を下げた。マリアンヌが唇を噛む。 「ねえお姉ちゃん、合コンって何? 王様が行くようなものなの?」  葉太の疑問はもっともだったが、春月は答えられずに首を振った。