スプリング*スプリング3 「真夏の本当にあったとても怖い話」   月香るな  藤原春月の通う高校では、文化祭は夏休み明けの九月に実施される。模擬店を実施できるのは基本的に三年生だけなので、春月たち一年生は劇やお化け屋敷を企画することが多い。 「……で、何でホラー映画なのよ」  しかしながら、劇とお化け屋敷の間でどうしても折り合いのつかなかった一年八組は、実行委員曰く「足して二で割って」ホラー映画を撮ることになっていた。 「劇ともお化け屋敷とも遠すぎる!」 「まあまあ。映画って、当日はいちばん楽な出し物なんだし……」  友人の樫原輝美がなだめても、春月の愚痴は止まらない。 「うるさい。ヒロインのあんたには分かんないよ。だから最初から素直に推理劇にしておけば良かったのに……」  イライラと人差し指で机を叩きながら、春月は叫んだ。 「どうして私が『ぬりかべ』なんか演らなきゃいけないわけ!?」 「いいじゃない『ぬりかべ』。セリフ少ないし」 「嫌よあんな泥臭そうな役! どうせ出てきて、押しつぶして、それでおしまいって感じだろうし!」 「楽でいいじゃない」 「うるさい! 誰だ、あみだくじで役決めようとか言ったバカは!」 「……悪かったな」  すぐ近くでおそろしく景気の悪い声が聞こえて、春月は思わず飛び上がる。声の主であるクラスメイト、山田太郎の方を見やって、改めて「バカ」と繰り返した。 「オレだって後悔してるんだよ! 何だよ脚本って!」 「ああそういえばそうだったわね! 嫌なら今すぐ代わってあげましょうか!?」 「いや、それはいいんだ、もう書き上がったから。……くそ、ただでさえ貴重な睡眠時間が……」  そう言われて見れば、彼の目の下にはクマが出来ている。春月の隣である自分の机に突っ伏して、山田は力無くため息をついた。 「……なんか今すごく不安になったんだけど、あんた一体どんな脚本書いたわけ?」 「あ? 普通だよ。普通に愛と陰謀が渦巻く洋館で殺人事件が起こったりぬりかべが一反木綿と盆踊りをしたりという感動の」 「ちょっと待て!」 「犯人は一反木綿だ。後は自分で読め、オレは寝る!」  ものすごく嫌な予感がして、春月は眉をひそめた。  関東地方にある春月の学校は、七月二十日から夏休みに入る。かくしてその翌々日、クラスメイトの関口和政がどこからともなく見つけてきたボロ家で撮影が始まった。 「……関やん、何なのよこのおどろおどろしい洋館」 「おどろおどろしいとは失礼な、俺のじいちゃんの家なんだぞ。じいちゃんが東京の老人ホームに入ったんで売りに出したんだけど、こんな田舎じゃ買い手がつかなくてさ」 「うん、そうだろうね」  ふと背後を振り返れば、これまで撮影隊が上ってきた長い坂が目に入る。車も入れない、自転車に乗ることすら困難な山道を十分も歩いて、こんな田舎の、敷地も大して広くない洋館を買おうとする物好きがいるとは思えない。 「というわけで、三年間誰も人間が入ってないから、きっとホラー映画にはばっちりだぜ!」  ふと、嫌な予感がした。 「さあ一年八組諸君、監督の俺様についてきなさーい!」  バン、と勢いよく扉が開いた。  ガサガサガサと何かが動いた。 「うわあちょっと待って! 何かいた! 何か黒いの!」  思わず春月はかたわらの山田にすがりつく。 「黒いの?」 「ご、ゴのつく黒いもの……」 「……碁石?」  ガサガサと逃げていく碁石を思い浮かべ、春月はため息をついた。 「いいじゃないか、何がいたって。死にやしないよ」 「う、うう、うるさい! あ、あんた……ゴのつく黒いものがどれだけ怖いか知ってるの!?」 「さあねえ、シュリフィードの碁石はどちらかというとネトネトしてるから」 「それも嫌だ!」 「いや、だってネトネトしてないと逃げるだろ?」 「逃げるの!?」  思わず大声を上げると、山田が「しっ」と唇に人差し指を当てた。 「でかい声で『あっち』の話をするな。お前以外に知られたくない」 「いや、だってあんた、逃げるって」 「大したことはないさ。将棋のコマに比べれば攻撃力は低い」 「何者だよ将棋のコマ」  一歩進むごとに、廊下にくっきりと足跡がついていく。厚く積もったホコリが舞い上がり、春月は眉をひそめた。履いているルーズソックスも汚れて、脱げば縞模様になっていることだろう。 「……関やん、あの、なんか黒くて大きいモノが飛んでいった」 「おおっ! 素晴らしい、ホラー映画にぴったりじゃないか。そういえば藤原さん、『ぬりかべ』だったっけ?」 「そうだけど」 「そうか。『期待してるよ』」 「? ……ありがと」  やがて撮影隊はリビングに腰を落ち着け、誰かが持参していたレジャーシートを床に敷いて荷物置き場を作る。衣装係の鈴木紗恵子が、唐草模様の風呂敷を広げ、中から色々なものを取りだしていた。 「じゃーん! 見てー、一反木綿ーっ!」  それはもういかにも殺人事件の犯人らしく、妙にリアルでニヒルな顔の一反木綿が出てきた。獅子舞のように複数人が支える構造になっているそれは、暗い中で見れば確かに飛んでいるように見えるだろう。これは子供が泣くだろうな、と春月は思った。 「山田君の脚本が良かったから、イメージがどんどん湧いてきちゃって! ぬりかべとの禁断の恋、愛ゆえに殺人もいとわないその一途さ……そんなものをこの顔に表してみたの」 「……そ、そうなんだ」  そんな話だったっけ、と春月が悩んでいる間にも、紗恵子はどんどん衣装を出してくる。 「これが謎の未亡人。こっちが謎の書生。こっちが謎の黒覆面」 「紗恵子、黒覆面の衣装ってこれただの黒いゴミ袋」 「そこで予算が尽きたの」  電気も点かない薄暗い部屋の中で、ごそごそと着替えが始まり、春月もどこからともなく現れた巨大なぬりかべの着ぐるみを着込む。体育の授業で使うマットレスを、一回り小さくしたような物体だ。 「……なんか悲しい」 「まあまあ、春月らしくていいじゃない」 「意味わかんないし、なぐさめにもなってないよ、輝美……」  ヒロイン役の輝美は、私服である控えめな花柄のワンピース姿。清潔感のある長い黒髪とは、よく似合っているように見えた。 「よし、準備ができ次第、適当に撮影開始だーっ!」  計画性のない監督の関口が、やる気を空回りさせながら叫んだ。          * 「な、何てことだ!」 「誰がこんなひどいことを……」  一反木綿のニヒルな顔がアップになった。死体役の藤城育人は、自分が倒れるべき床だけを丹念に掃除した上で死んでいる。 「……わかったぞ。犯人は……この中にいる」  書生役の生徒が重々しくつぶやき、関口がパーティグッズのカチンコを持って「はいカット!」と叫んだ。 「どうでもいいけどこれホラー映画だよね」 「細かいことは気にするな」  春月の問いに山田が答えた、その時だった。 「よし、終わったーっ!」  そう言って元気良く起きあがりかけた死体役の藤城は、床に広げたケチャップで足を滑らせて派手に転ぶ。そのまま紗恵子の広げていた風呂敷に突っ込んだ彼は、なにやら紙片を掴んで立ち上がった。 「おい……何だ、これ?」  貸せ、と横から関口がその紙片を奪った。 「なになに……撮影を、中止しろ? さもなくば……」  ざわついていた空気が、さらに騒がしくなる。 「天罰が下るであろう」 「……なに、それ」 「これは……脅迫の手紙だ!」  藤城が、やけに芝居がかった口調で叫んだ。ただし、ズレかけた長い金髪のカツラと、紗恵子が施した厚化粧と、ケチャップまみれのサテン製ドレスのために、まったく威厳はない。  その藤城を押しのけて、手紙を奪ったのは紗恵子だ。楽しそうに撮影隊の間を回り、関口そっちのけで指示を出す。 「何者かが、この撮影を中止させようとしているのね! ちょっと関やん、何やってるの! カメラ回しなさいカメラ! こっちの方が映画なんかよりよっぽど……おもしろ……」  紗恵子が突然言葉を切った。視線は窓の外に注がれている。そして一声、全力で絶叫して、その場から走り去った。 「…………?」  こつ、こつ、と窓ガラスを叩く音がした。春月は動きにくいぬりかべの衣装のまま、そっと窓に近づき、半開きのカーテンを開ける。  そしてそのまま、バタン、と後ろにひっくり返った。 「こんにちはー、天罰です」  窓の外にいたのは、巨大な動く仏像だった。  ……しばし、気まずい沈黙が落ちる。 「わかんない! 超意味わかんない! っていうか起こして!」  我に返って叫んだ春月に、山田が複雑な表情で手をさしのべる。 「っていうか何? なんなのあの大仏?」  輝美が腰を抜かし、関口はカメラを持ったままぽかんと口を開け、書生役の生徒がじりじりとドアの方へと後退していく。その中で、藤城だけは一人でカメラの三脚を握り、大仏に対峙する構えだ。暗い中では血に見えるケチャップのせいで、壮絶な格好になっている。 「だから天罰なんだろ」 「もうどうだっていいよ……」  春月がつぶやいたその時、ガシャン! という激しい音と共に窓ガラスが砕け散り、大仏がその大きすぎる手を窓枠から突っ込んできた。 「というわけで、生贄いただいて行きますねー」  いただいて行かれたのは山田だった。  藤城が「待て!」と叫び、ハイヒールでガラスの破片を踏みつけながら助走をつけ、窓枠をひらりと飛び越えた。春月は後を追おうとして、ぬりかべの衣装が窓に突っかかることに気づき、小さくため息をついた。          * 「誰かと思えば王子だったんですね。何ですか今更」 「うるさい! 人のことを巨大化させておいて、日本の山奥に放置するとは何事だ!」 「あ……あの山ってここに繋がってたんですねー、全然気づきませんでしたよ。まだこの辺りの地理はよくわからなくて」  王子が無言で、山田を握る手に力を込めた。 「分かってますよ、小さくすればいいんでしょう?」  ぱちん、と山田が指を鳴らすと、王子は小さく縮んで、なぜか魔法のランプになった。 「な、何だこれは、早くここから出せ!」 「誰かがこすれば大仏になって出てこれますから」 「根本的な解決になってないぞ、魔法使い!」  その時、背後で茂みをかきわける音がして、山田は慌てて木立の影に身を隠した。出てきたのはハイヒールを片手にぶら下げた藤城で、「おかしいな」とつぶやきながら辺りを見回している。  王子が山田の手から逃れようと暴れ出した。あわよくば四月のときのように、無関係な日本人をひとり巻き添えにして、ことをうやむやにしようという魂胆だろう。 「助けろ、そこの男! この際、お前の女装がキモかろうが変に似合ってて笑えなかろうがツッコミを入れないでおいてやるから!」 「あーあ、みんなが気を遣って言わないであげたことを……っ!」  ついに王子は山田の手を振り払い、ころころと山道を転がっていく。藤城がそれに気づき、手を伸ばそうとした、その時だ。 「待ってゾンビさーん、一反木綿さんは悪くないのーっ!」  背後からぬりかべが迫ってきた。 「だからそんなに暴れないで!」  山田が書いた脚本通りの台詞を吐きながら、藤城に豪快な体当たりをかます春月。そのまま着ぐるみの重さで、もがく藤城を押さえ込んだ。 「ん、な……何しやがる、藤原!」 「天国へお帰り! っていうかこれ以上私の生活を脅かすな!」  最後の台詞は明らかに王子に向けられたものだ。藤城は春月、もといぬりかべに押しつぶされ、王子の方には視線を送っていない。山田はこれ幸いと王子を回収し、どこに隠し持っていたのやら、可愛いピンクと白の杖で数度叩く。 「落ち着きなさいぬりかべ。そして踊るのです。踊ってすべてを忘れなさい」  それがどうやら呪文だったらしく、王子はどこからともなく現れた粘着テープで注ぎ口をふさがれ、動かなくなった。 「わかったわ、ありがとう謎の黒覆面! ついでに起こして!」 「起きられないなら押しつぶすなよ」 「押しつぶせって台本に書いたのはあんたでしょ」  山田の手を借りて春月が立ち上がると、押しつぶされていた藤城がふらふらと立ち上がる。 「俺、このあとカメラの前でもう一回やらないといけないんだっけ、これ?」 「そう、これはリハーサルよリハーサル。文句ある?」 「いや別に文句はないけど……なんか納得いかな――」 「じゃあさっさと戻りましょう。天罰はどこかへ消えたわ」 「い、いや消えたってだってさっきのアレは一体」 「結果オーライ!」  春月はぬりかべの着ぐるみで藤城の視界を塞ぎながら、彼を洋館へと連れ戻しにかかった。          * 「藤原さん、もっと情熱的な瞳で!」 「無茶言うなボケ!」  思わず関口に当たり散らす春月を、輝美がなぐさめる。 「まあいいじゃない、キスシーンなんてロマンチックで」 「相手が一反木綿でもか!? いや確かに人間よりマシとはいえ」  ニヒルなリアル顔の一反木綿を前に、春月は本気で眉根を寄せる。高倉健似の一反木綿は、春月の葛藤を知ってか知らずか、ただ静かに微笑んでいる。 「ええい、どうにでもなれーっ!」  春月が叫んだ、その時だ。  ガサガサと怪しげな音がして、部屋の角で何か黒いものが動く。 「っ! 何も見てない何も見てない私は何も見てない! ……あ、愛してるわ、一反木綿――」  ……そして春月が捨て身の演技をしている間に、その黒いものはどこかへ去り、キスシーンは無事に撮影された。 「……山田、今の黒いの、なに?」 「ただの通りすがりの忍者だろ。いやーそれにしても王子、魔法の存在を知られないために天罰に見せかけるとはなかなか機転がききますね」 「そうか、忍者か……」          *  結論から言うと、一年八組の映画はすばらしく好評だった。 「いやー、みんな口々に賞賛の言葉を口にしていたよ。オレの素晴らしい脚本のおかげだね」 「よく考えたら、最初から登場するキャラ全部決まってたけどね……脚本家まであみだで決めた時点で気づくべきだった。紗恵子め!」 「『おもしろかった』『ラストの情熱的な盆踊りに、涙が止まりませんでした!』『呪われそう』『愛って素晴らしい!』『後ろに映ってた忍者がかっこいい』『男前な一反木綿に惚れました』」 「……ああ、そうかい……私はもう何も言う気になれないよ」  アンケートを読み上げる山田の声は続く。 「『我がライバル・鈴木紗恵子よ! 今回はお前の勝利を認めてやろう。しかし今度会うときは、必ずやお前を倒す! by風来のジョー』」 「誰だよジョー。……っていうかそもそも何を勝手に対決してんの紗恵子! もうこれ以上、余計な奴を連れてくるなーっ!」 今はまだ九月。平穏な生活は、どこまでも遠そうだった。