さくらが丘のうそつきデュラハン
-5 祈れよ、されば救われん-


祈れよ、されば救われん :2
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 腕時計では隠しきれない傷をリストバンドで覆い、首の太いチョーカーをチェックして、俺は慌ただしく家を出る。首の傷と違って俺自身の目に付く場所にあるのが気になるが、それはそれでまたよし。火傷の痕がちっとも気にならなくなったのは思わぬ副産物だ。
 あのあと俺と有坂は駅前にある泉堂さんの家に行き加藤に逃げられたことを正直に告白した。なんだかすごい形相で怒られたがまあ何とかなるだろう。それにしてもさり気なく帰っていった灯花ちゃんが恨めしかった。
 ついでに泉堂さんが電話で怒鳴っていた相手は住之江らしい。どういう縁かは知らないが知り合いだったとは知らなかった。彼女の顔の広さに驚いていたら有坂が「泉堂さんはこのあたりの妖怪トラブルの処理役です」と説明してくれた。もしかすると灯花ちゃんも泉堂さんとコンタクトを取っているのかもしれない。父親がオカルト雑誌に書いているというからそこから繋がりがある可能性はあり、ならば転入さえすればひとり人数の少ない二年B組に入れるだろうという情報だって俺に会う前に伝えられていておかしくない。
「おはよう!」
 返事はないしあっても気持ち悪いだけだがとにかくいつものように教室に入り、俺はぼんやりと教室を出入りする連中を見つめる。見納めにするつもりで出てきたこの場所にのこのこと戻ってきてしまったのは少しだけ悔しいがまあいい。愛すべき平和な日常に乾杯。
 いつものように遅刻して入ってきた住之江は疲れ切った表情で耳を押さえている。ホームルームが終わるのを待って話しかけてみた。
「やあ今日も眠そうだね」
「ああ……うん。まさかモーニングコールがあるとは思わなかった。あれでまだ怒り足りなかったとは」
 くそ、と住之江は頭を押さえながら吐き捨てる。同情と「ざまあ見ろ」が三対七くらいでブレンドされた気分で俺は笑い、ついでに昨日から気になっていたことを口にする。
「お前、泉堂さんと知り合いだったんだな。早く言えよ」
「そんなことか。しかもお前の生首を見る前から事情は知ってましたよ、沖浜さんのやりたいことも含めてね。クラスメイトが夏夜と喋ってるって連絡したら、すぐに話してくれた。でもだからって、なんでおれがわざわざお前なんかにそんな話をしなきゃいけないんだ?」
「まあ、そりゃそうか」
 しかも知っていたのか。屋上のときには知っていてあの反応だったのか。驚いて損した。ああ、でも考えてみれば推察できたことだ。俺の喉の傷について何も尋ねないのは不自然だし、誰かにもう事情を聞いていたとすればあの行動も納得できる。しかし逆に言えば話に聞いていたとしても気持ち悪くて耐え難い状況だったということだ。
「まあ、泉堂さんがお前らの行動に注意してろって言った意味もよく分かったよ。バカだもんな、お前。けっきょく傷のこともうやむやにして乗り切るみたいだし、信じられないバカだ。何かあったらすぐに泉堂さんに言えよ、俺も最大限の努力はするから」
 俺の謝罪をあっさり受け入れたのはそういうわけか。泉堂さんに言われて俺に近づく機会をうかがっていたというわけだ。それならば俺の提案は渡りに船だろう。それにしてもこいつはやっぱり不機嫌そうな顔をしているがそれはつまり助けてくれるということなのだろうか。相変わらず回りくどい言い方をするヤツだ。
「まったく……バカは調子に乗るし、おまけに沖浜さんはしつこく手を出してくるし、踏んだり蹴ったりだ。だいたいなんでおれまで説教されなきゃいけないんだ、逃がしたのはおれじゃないぞ」
 住之江だって俺に負けず劣らずのバカだと思うのだが、今の俺は寛大な気分なのでそんな細かいところに茶々を入れたりはしない。
「やっぱりチカンしたのが良くなかったんじゃないかな」
「誤解だ!」
「そうよそうよ、誰がチカンよ! 一志はあんな小娘に興味なんかないんだからね!」
 なぜか夏夜まで出てきて住之江の弁護をしている。それだけ必死になるとは、よほどショックだったのか。
「どっちにせよ、女の子に手を出すのは良くねえな。女の子っていうのは、叩くより叩かれるべきものなんだ! それでこそ美しさが際だつものなんだよ! 俺の!」
「お前と一緒にするな、変態。だいたいおれだってやりたくてやったんじゃないんだぞ。従わなきゃ夏夜を襲うって言われてなければ、あんなこと絶対にしない」
「俺だってお前と一緒になんかされたくねえよ、ロリコン」
 返す言葉が見つからずに苦悩する住之江にひらひらと手を振り、俺は自分の席に戻った。あいつはチカンでロリコンで素直すぎるバカだが、たぶん悪いヤツではない。
「おはよう。今日も可愛いね!」
 ついでに近くを通りかかった灯花ちゃんに手を振ってみると、灯花ちゃんは顔をしかめながらも「おはよう」と言った。
 俺は相変わらずクラスメイトの輪の隅っこに申し訳程度に引っかかっている魚の小骨みたいな存在だが、それでもここに自分の机があることを喜ばしく思う。


 重い物を持ち上げると左手がぐらつくことには閉口したが、おおむね問題なく日常生活は送れている。レジを打ち終え、お客様を見送ったところで晴妃が棚の向こうから顔を出した。
「ねえコウちゃん、あの有坂さんって子とはどういう仲なの?」
「え?」
 友達だって言っただろうに。いったい他の何だと言うんだ。
「かわいい子だし、大切にしなよ!」
 そんなこと言われても困る。
 俺にとって有坂はただの友達で、……いや、ただの、ではないかもしれないがとにかく友達で、そんな、晴妃が期待しているような仲ではない。まだ。
 だいたい、かつてはボールが恋人で今は楽しい変態ライフを送っている俺に彼女などできたためしはなく、できるとも思ったことはない。俺はこう見えてけっこうリアリストなのだ。
 パンポーン、とチャイムが鳴って自動ドアが開く。
「あ、先輩!」
 噂をすれば何とやら。ぱたぱたと手を振りながら入ってきたのは有坂だった。高校一年生とは思えないその仕草に苦笑する。
「いらっしゃいませ!」
 そのあとに続いて入ってきた人間を見て、俺は一瞬あいさつを忘れ、晴妃は脳天気に「やっほー」と声をかける。
「灯花ちゃん……?」
「そうよ。来ちゃ悪い?」
 ちっとも悪くはないがせめて心の準備がしたかった。だいたいなんでその二人が一緒にいるんだ。俺の記憶によれば彼女たちは水面下で壮絶な戦いが繰り広げられていそうな、女の子らしいステキな険悪さに満ちたコンビだったはずなのに。
「これちょうだい」
 灯花ちゃんが投げるようにレジに置いたのは野球選手のカードがついたポテトチップスだ。取り出された灯花ちゃんの財布をふと見ればこのシリーズの一枚らしいカードが入っている。右上に虎のロゴが入ったカードを見ながら、俺は加藤が虎縞のはっぴを着ていた理由をなんとなく察した。
「百五円になります。ねえ、どういう風の吹き回し?」
「あの子があなたを探してたから、今日はここでアルバイトだって教えてあげただけよ。私はたまたま、このコンビニで買い物がしたかったの」
 さくらが丘の上の方にあるこの店までわざわざ来た理由を問いつめる気はないし問いつめたところで目的はどうせ晴妃だろうが、有坂がここへやって来たことは意外だった。その有坂は晴妃に「先日はどうも」と頭を下げている。校門のところで出会ったのを覚えていたらしい。
 それから有坂がレジに持ってきたのはパズル雑誌だった。これならコンビニだからといって割高になることもない。
「来ちゃいました」
 照れくさそうに笑ってから、有坂は俺の左手に目をやる。
「だいじょうぶですか、手」
「あんまり調子は良くないけど、何とかなってるよ。三百十五円になります」
 じきに慣れるだろう。どんなことにだって、気がつけば慣れているものだ。いつから俺が変態と呼ばれるようになったのかはもう覚えてもいないが、とにかく気がついたときにはそう呼ばれていないことに違和感を覚えるようになっていた。この手もきっとそうなるだろう。
「桐生先輩」
「ん?」
 ぴったり三百十五円の小銭とともに、有坂がくれた言葉がひとつ。
 俺は驚いてしばし固まり、それから小さくうなずいた。
 レシートと雑誌を受け取ると有坂は「ありがとうございますっ」と頭を下げ、それから猛然と走り去っていく。
 開いた自動ドアから十一月の冷たい風が吹き込み、けれど俺の頭の中には一足どころか二足も三足も早く春が訪れているようで、「ありがとうございました!」と言う俺の声はきっと傍目にもわかるほど弾んでいたに違いない。
 かわいい女の子に蹴飛ばされ罵られるのはとても楽しいことだが、その女の子に好かれ愛されるのはもっと楽しいことだ。俺はわけもなくホウキを掴んで外に出た。どこからか飛んできている落ち葉を掃いて空を見上げる。もう陽はすっかり暮れて空はオレンジから深い藍色に至るグラデーションを描き、家々に点る灯りが暗闇の中にぽつりぽつりと浮かんでいた。遠くなっていくのは有坂の自転車の反射板だ。金色をした三尾の狐がきらきら光りながら道路を駆けていく。振り返ればコンビニエンスストアの柔らかい灯り。灯花ちゃんと晴妃が楽しげな私語に興じているのがよく見える。
 そんなわけで。
 このおかしな町で、俺がステキな女の子たちに囲まれてそれはもう幸せに暮らしているのだということは、言うまでもなく分かっていただけたと思う。

(了)



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