魔女は胡蝶の夢をみる
-四章 神隠し-


神隠し :2
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「ところで神代、何の関係もない話で悪いんだが、ひとつ聞いてもいいか?」
「ん?」
 廊下をぞろぞろと東棟に向けて歩いていく途中、アキジがタツキの肩を叩いた。まだ空は明るいというのに、人のいない廊下。なまじ大きな校舎であるだけに、その静けさが恐ろしい。それでも相変わらず、遠くからはにぎやかな生徒の声がする。
「『金に困る』というのは、どういう感覚なんだ?」
「はあ?」
 バカにしているのかと思い、自分よりも少し背の高い彼の顔を見上げる。しかし予想に反して、視界に入ったのはやけに真面目な顔だった。
「いや、さっきから考えていたんだけど……高宮の学費、そんなに高いか? 年額で六十万かそこらだっただろう? 生活費を加えても、そこまで行くとは……」
「高えよ! 県立高校の何倍すると思ってんだよ! オマケに、なんかよく分かんねえ寄付金も要求されるし」
「それでもたかだか数万だろ?」
「アホか、全然『たかだか』じゃねえよ」
 そこがよく分からない、とアキジは首をかしげる。
「そういや、あんまり気にしたことなかったけど、あんたの家って意外と金持ちなわけ?」
「金持ち、というほど金を持っているつもりはないが」
「……あんた、家はどこ? いつもどうやって学校来てるの?」
「家は山の向こう。学校へは運転手がいつも車で」
「ちょっと待て何だソレ!?」
 何だか聞き慣れない言葉がアキジの口から漏れたような気がした。
 しかしそう言われてみれば、色々と納得できないこともない。いかつい腕時計もネクタイピンも、ただオヤジ臭いだけだと思っていたが、よく見ればどことなく高価そうだ。
 タツキの視線に気付いたのか、アキジは腕時計に目をやる。
「ああ、これはこの間の誕生日に父がくれたんだ。スイスの――」
「黙れ、もうそれ以上聞きたくない」
 何だか嫌な予感がして、タツキはアキジの言葉をさえぎる。このまま放っておいたら、話題はどんどんタツキの生活圏を越える。
「いつも弁当持参してるし、そんなに金持ちそうには見えなかったんだけどなあ」
「ああ、弁当はいつもばあやが作って――」
「もういい、あんたは何も言うな! これ以上、俺の心の傷口を広げないでくれ!」
 まぶしい、とばかりに片目を閉じ、手で眉のあたりにひさしを作るような仕草をした。なまじ第一印象が普通だっただけに、どこか裏切られたような感覚がある。
「自分で聞いたくせに……」
「そこまで行くとは思わなかったんだよ! なんか聞いてるだけで悲しくなってくるじゃねえか!」
「そうそう、タツキちゃんのような貧乏人に、お金持ち自慢は厳しすぎるんだよ!」
 ハンナが横から余計な口を挟んできた。ユリンは数歩離れた所で、心底あきれたような顔で肩をすくめている。
「西貝はともかく、あんたに貧乏人って言われる筋合いはないと思うんだけど」
「あ、ごめんなさい。つい親近感が湧いちゃったんだ」
 あはは、とハンナは明るい笑い声を上げる。銀髪の魔女なのだから、ハンナの両親はどちらも魔法使いの家柄なのだろう。もちろんタツキのように、親戚に魔法使いがいないながらも魔法使いを目指す人間はいる。しかし、そうした魔法使い同士がいくら結婚したところで、生まれる子供は魔女にはならない。ユリンがいい例だ。祖母は魔女であり、父親はその息子であるから、父親の側には魔女の遺伝子が入っているのだろう。しかしユリンの母親の出身は魔法使いの家ではないから、ユリンには魔女の特徴である銀髪はあらわれない。
 魔女の血を引くような家なら大抵は高宮財団やその他のコミュニティと繋がっていて、そこそこのポストについてそれなりの収入を得ているイメージがあるのだが、尋ねてみるとあっさり否定された。
「アタシのお母さんは魔法関係なんかじゃないただの看護士、お父さんはアタシが小さい頃に死んじゃった。お兄ちゃんは普通高校から普通の大学に行ったけど、ウチもお兄ちゃんの学費で家計は火の車らしいんだよ。タツキちゃんとは仲間なんだね!」
 でも今どうなってるのかな、とハンナは首をかしげた。
「そういえばアキジちゃん、ホントにどうして高宮に編入してきたの? やっぱり親が魔法使いとか?」
「逆だよ。魔法にはちっとも縁がない。だからこそ、家族に変な口出しをされずに好きにやれるってものさ。姉がやたら僕の進路に口を挟んできて、正直困ってたんだ……まあ、やるからには逃げたと笑われないように全力でやるけどね。いつか見返してやらなきゃいけないし」
 そんな話をしながら、四人はじりじりと東棟に近づく。ユリンがしびれを切らしてさっさと歩き出し、三人は慌てて後を追った。
「じゃあ、さっき言った通りに。私と神代くんは旧校舎の方に行くから、変な気配があったらすぐにそれ振ってね」
 ユリンに渡された黄色いハンカチを手に、ハンナは勢いよくうなずいた。
 東棟の向こうには、特別棟を一棟挟んで旧校舎が建っている。十数年前まで使われていたという旧校舎は、割れたガラス窓を段ボールでふさぎ、壁のひび割れを教師の素人大工で埋めた、思わず気の毒になるような姿をしている。
 ふと視線を窓から右に向けると、大きな鏡が壁にかかっている。タツキは何の気なしにその前に立った。水を適当につけて直した寝グセが、元のカーブを取り戻そうと起きあがりかけている。制服のネクタイが歪んでいることに気付き、直そうと手をやったその時、その手になま暖かい風を感じた。
 どこかで感じたことのある、酸味をともなう硬さがタツキの舌を撫でた。うっかり何かの魔法が発動してしまったのか、と思いながら鏡の中を見つめる。
 そこに映ったものを見て、タツキは息を呑んだ。
 タツキの無意識か、鏡の仕掛けか、旧校舎が引き起こした歪みか、何が引き金になったのかは分からないが、とにかく鏡の前で魔法が働きつつあった。そうだ、これは鏡の真名だ。舌に触れる硬い感触。静かで、そしてかすかな重低音。魔法のために呼ばれた濃厚な力が、人間の持つ感覚をでたらめに刺激していく。
 思わずその場に倒れ込みそうになり、タツキは慌ててそばの壁に手をついた。
 う、と小さな声が上がる。ここに他の三人がいなければ、迷わず叫びだしていたことだろう。
 ふと、ユリンとハンナが話していた七不思議のひとつを思い出す。
 東棟二階の大鏡。自分の死に様を映す鏡。
 二つのキーワードはおそらく同じ怪談をあらわすものだろう。
 これは七不思議とは関係ない、ただの魔法だ、となけなしの理性が主張する。


 タツキが鏡の中に見たものは、うつろな目を見開き、血にまみれて倒れ伏す、まぎれもない彼自身の姿だった。


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